ワニなつノート

鉢植えの自信(その9)

鉢植えの自信(その9)


「8才の子どもが、そんなことを考え続けるだろうか?」
「はい考えます」

子どもなりに、自分の存在をかけてせいいっぱいに考えます。
間違いや思い込みやおばけや想像の世界を含めて、
考えられる限りのことを考えます。

子どもが考えることばは、私が書いているような
理屈っぽい言葉ではないでしょう。
小さな子どもには、社会の仕組みや
具体的な世界の広がりは分からないし、
見当違いなイメージや仕組みで考えているかもしれません。
その子どもに「ことば」で話をさせたら、
「何を言っているのか分からない」かもしれません。

つじつまが合わないことや、見当違いなイメージが含まれた話を、
大人は、「何もわかっていないから」と判断します。

特に、相手が幼い子どもや、障害のある子ども、
そして「認知症」の老人の場合には、すぐにそう思われます。

「何を言っているのか分からない」ことの、
「分からなさ」を自分の問題として考えるのではなく、
相手の「未熟さ」や「ボケ」ているせいにしてしまいます。

そうして、理路整然と話のできない相手を、
何も「感じない」「分からない」相手とみなして、
「赤ちゃん扱い」します。

「障害児差別」と「老人差別」と「子ども差別」は、
すぐ隣り合わせにあります。
「しつけ」という虐待や体罰、訓練や隔離、抑制と、
同じ問題が隣り合わせにあります。

自分が「分からない」相手に対して、
すぐに「赤ちゃん扱い」をする人は、
『言葉がうまくしゃべれない=赤ちゃん』という、
貧しい人間観しか持っていないということです。

そしてそれは、赤ちゃんへの敬意が
本物でないことを表してもいます。

話が反れました。
小澤さんは認知症の人の感じ方、理解の仕方について、
次のように書いています。

☆    ☆    ☆    ☆

【日常の一つ一つのつまづきのエピソードに対しては、
自分の責任によって生じた出来事であるということが
認識できなくても、そのたび引き起こされる
周囲の言語的、非言語的な困惑や非難、
あるいは否定的感情にさらされ、
それらが蓄積して、周囲に迷惑をかけているらしいこと、
そして「できないこと」がどんどん増えていることを
正確に感じ取るようになる。

その都度は認知できなくても、
人と人とのつながりから生まれる情動の世界という回路を通って
「自覚できてくる」ことに何の不思議もない。」
『認知症とは何か』 岩波新書

☆    ☆    ☆    ☆


だから8才の子どもでも、
6才の子どもでも、
障害のためにことばを持たない子どもでも、

日常の一つ一つのエピソードに対しては、
自分の障害やできなさが原因だと認識できなくても、

そのたび引き起こされる母親の困った顔や怒る声、
あるいはいらだった感情にさらされ、
それらが小さな子どもの心いっぱいにたまって、

周囲に迷惑をかけているらしいこと、
自分が「いい子」ではないことを、
正確に感じ取るようになる。

言葉では認知できなくても、
人と人とのつながりから生まれる
情動の世界という回路を通って
「自覚できてくる」ことに何の不思議もない。

そして、その「自覚」をもとに、必死で考えます。
「いい子」でない自分が、生き延びる方法を。
「いい子」でない自分が、ここにいるための手段を。

そして、「悪い子」である自分も「ここにいていい」と、
自分に言い聞かせる物語を。
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