ワニなつノート

就学相談会2015(4)

就学相談会2015(4)


《では、私はなぜ一緒がいいと信じているのか?》②


「この子は、このまま普通学級にいてもいい子かどうか…、調べてみよう」

私の人生は、あそこで変わった。 


誰のせい?

私?
私のせい?
私が先生のいうことを聞かなかったから…。
私が悪い子だったから…。

子どものあいだ、そう思い続けた。
そう思い続けた記憶が、いまの私を支える。

私は間違っていた。
あれは、私のせいではなかった。
私の性格や能力のせいなんかではなく、私を仲間と認めない先生のせいだった。
馴染み親しんだ私の居場所を奪おうとした大人のせいだった。


そのことを、子どもの私に、だれも教えてくれなかった。

あなたのせいじゃない。
いま・ここに・いるあなたを、認められない大人のせいだと。


       ◇


《この子の居場所を守るとは…》


あのとき、私が必死で願ったのは、自分の世界そのものである家族と友だちのいる自分の居場所。
そのために必要だったのは、能力や学力ではなかった。
私を私のままで受けとめて、認めてくれて、一緒にいてくれる人。

この子の居場所を守る、とは、
この子のチカラを伸ばしてあげる、ではない。
この子がありのままで、ここにいる今を譲らないこと。

どの学校を選ぶか、ではなく、
子どもを分ける選択肢を、選ばないこと。


           ◇


ヴァルネラビリティという言葉がある。
(vulnerability)

【自分の傷ついた部分に根ざす能力が、追いつめられた状況で力をあらわす。

自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティ)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。

正しさの上に正しさをつみあげるという仕方で、ひとはどのように成長できるだろうか。

生まれて育ってくるあいだに、自分のうけた傷、自分のおかしたまちがいが、私にとってはこれまで自分の道をきりひらく力になってきた。】

『教育再定義への試み」鶴見俊輔 岩波書店


《では、私はなぜ一緒がいいと信じているのか?》の答えのひとつが、この文章に書かれていると感じる。








      
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