ワニなつノート

「ここにいる私」と「…できる私」   (その3)

「ここにいる私」と「…できる私」   (その3)


普通学級とは、子どもの「ここにいる私」を育てるところです。

歩き始めの子どもが公園に行き、遊んでいる子どもたちの方へ向かうとき、必ず後ろを振り返ります。
そして、「母親がそこにいる」ことを何度も何度も確かめます。
そして、見えなくても「母親がそこにいる」ことを確信できたとき、「ここにいる私」は一人で信頼できる仲間たちのところに、向かっていきます。

母親に受けとめられること。
それが「ここにいる私」の始まりです。
生身の身体と一緒に、「自分がここにいること」を抱きしめられて、子どもは安心と信頼を心に満たしていきます。

保育園や幼稚園の仲間も同じです。
子ども同士、「ここにいるお互い」をお互いに受けとめ合って、抱きしめ合って、みんなへの信頼と安心を、全身に取り込んで成長していきます。

母親がそばにいないときでも、私は一人じゃない。
「お母さんといっしょの私」と「ここにいる私」はいつも一緒。
友だちがそばにいないときでも、私は一人じゃない。
「みんなといっしょの私」と「ここにいる私」はいつも一緒。
子どもの心と体が成長する時には、そうした信頼できる「いっしょ」が細胞の間に積み重なっていくのかもしれない。

だから、普通学級で育った子と、他の場所で育った子と、障害の程度とかに関係なく、なんとなく違う感じを受けるのかもしれない、と思ってみたりする。

もしも私が、あの日から、みんなと一緒の場所から分けられていたら、どれだけ膨大な関係と体験と感情を失っていただろう。
あの日からの人生すべてが、別の、登場人物が桁違いの少なさの人生を送っていただろう。

           ◇

  
普通学級とは、子どもの「ここにいる私」を育てるところです。
はじめに家のなかで、「ここにいる私」が生まれ、保育園や幼稚園や友だちの家や、いろんな場所で「ここにいる私」を確かめながら育ってきた6才の子どもたち。

子どもたちが地域の小学校に集まり、出会い、一緒に生活し、遊び、学び、食べ、笑い、泣き、生きること。

6才のちいさな人たちが、一人で家を出て、「社会」のなかの「ここにいる私」を育てる場所。
それを、普通学級と言います。

親や家族に受けとめられて、自分の居場所を確かめてこれたように、社会の中に自分の居場所を確かめていく子どもたち。
子どもにとって地域とは社会。
地域の子どもたち誰もがゴチャゴチャと居合える場所。
いつも「ここにいる私」を育てながら、7才の「ここにいる私」、8才の「ここにいる私」、…13歳の「ここにいる私」…

そうして、社会の中のどこにいても、自分の居場所がある安心と自信。
社会のどこにいても、というときに感じることのできる社会への信頼と自由。
それを「自己肯定感」といいます。

それは、「…できる自分」を認められてつけてもらう自信ではありません。
ただ「ここにいる私」の居場所が、私の意思と自由とともにある自信。

ただ普通学級にいることを奪われた子どもたちが、奪われるのはそういう自由と自信です。

膨大な時間と膨大な量の関係のつまった日々の積み重ね。
そこから、この社会で共に暮らす人間への信頼を、子どもたちは手に入れます。
共に生きる社会は、共に育つ子どもたちの環境なしには実現できないと私は思います。

コメント一覧

ai
そうなんですよね。

yoさん自身、
お母さんたちの良き理解者ですね。
ごちゃごちゃぐちゃぐちゃ
なるほどなぁ。
たしかに!

○の担任が言ってました。
○の笑顔一つで、ぜーんぶご破算になるんですよ。
ってね。
yo
森さん、いつもありがとうございます。

中学をどうするのか?
その悩みの種は、親だけのものですよね。

さくらさんや同級生たちに、その種はありませんよ。きっと。

あるとしたら、みんな同じ「中学校ってどんなところだろう…」という不安と期待の種ですよね。

同級生たちは誰も、中学でさくらさんと別れるとは思っていませんよ。

そちらの中学の実態を知らずにこういうのは無責任に思われるかもしれませんが、
「できれば来てほしくない畑」に、「親の不安の種」を蒔いたら、せっかく「クラスが変わっても皆温かい」関係を築いてきたさくらさんと同級生たちを信頼していないことになっちゃうんじゃないですか。

私はそう思います。



yo
aiさんへ

ここ、には、
現実のゴタゴタヤグチャグチャはほとんど取り上げていません。

だから、現実の普通学級の苦労を経験していない人には、きっと「理想だよ」と言われるんだろうな、と思ったりします。

でも、私は、その現実の苦労が、子どもの障害のせいでないことを、この30年で確かめてきました。

親子の苦労は、障害のせいではなく、学校の先生や専門家の姿勢一つでした。

そして、たとえ、大人の理解微量のところでも、
子どもたちの関係は、私が書いていることが、珍しいことなんかではなく、日本中どこでも、ごく当たり前のことだと、
一番苦労してきたお母さんたちが、
一番理解してくれるだろうと、確信しています。

森 晴子
ワニなつノートの由来を教えて下さりありがとうございます。ス
ッキリ解決しました(^^)

最近は毎日、ワニなつノートを開いて読んでいます。何度も読ん
でいます。今日は娘が通っている学校に、ここにいる私と『・・
・出来る私』の、(その2)と(その3)を読んで欲しくてFAX
しました。私もそうだ、と想ったので。先生方は、どう感じてく
れたかな。

 娘の通う小学校は、支援級がありません。なので、娘のさくら
が一番ショウガイのある子です。入学前はいろんな事を言われて
もめましたが、入学後すぐに校長先生も変わり、私も日々、気持
ちが強くなり、またさくらは喋れず歩けず、でしたが、現在は歩
けて(今も一言も喋りませんが)、入学前にさんざん脅かされて
たイジメ行為もほぼなく、6年生の今も、クラスが変わっても皆
、温かいのです。それを見て、先生達も徐々に意識が変わったと
想います。

 今は、せまる中学をどうするのか悩みの種です。また読みに来
ます。体調早く良くなると良いですね。これから熱い季節です。
更新を楽しみにしています。ありがとうございます!
ai
しばらくご無沙汰していました。

体調いかがですか。
心配です。
お大事になさってくださいね。

ここに来ると、なぜかほっとします。

どうしてでしょう。

昨日のyoさんのコメントに答えがありました。

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