ワニなつノート

8才の子ども  50年後編(その2)



8才の子ども  50年後編(その2)


《8才の子どもは二人いた》



どこからどう説明すればいいか分からないが、とにかく50年かかって謎が解けた。


《ふつう学級から「分けられる体験」とは「分けられた」瞬間が50年続くということだった。
「しまった」という恐怖。「おわった」というあきらめ。
その「瞬間」を50年繰り返すことだった。》


それは事実だ。

それでも、私がこうして、ここにいられるのは、なぜか。


8才の子どもは二人いた。
あのとき、私の中に《分けられた子ども》と《隠れた子ども》がいた。

これで、すべてがつながる。

あの時「隠れた8才の子ども」(セルフ)が50年私を助けてくれたのだ。



このブログの1話目は「8才の子ども」だった。ブログのタイトルには、アリスミラーの言葉を置いた。

《子どもの屈辱をわかってやる感覚が、私たちにはまだ備わっていません。子どもを尊重しその傷ついた心を知るというのは、知的な行為ではありません。》


その二つの意味が10年かかってつながる。


「子どもを尊重しその傷ついた心を知るというのは、知的な行為ではなく」、私の中の「隠れた子ども」を見つけてあげることだったのだ。



【…ここで言う「セルフ」は、育成したり発展させたりする必要はない。トラウマサバイバーの表面に現れた防衛的な部分の下には、無傷の本質、すなわち、自信と好奇心に満ちた穏やかな「セルフ」、…さまざまなプロテクターたちのおかげで破壊を免れてきた「セルフ」が存在する。】


(「身体はトラウマを記憶する」)



(つづく)
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