ワニなつノート

26年目の就学相談会(その1)


26年目の就学相談会(その1)


先月、高村さんからメールが届いた。
「7月の相談会、内容そのままで、題を《発達の遅れやハンディのある子もみんなと一緒に 就園・就学相談会》としてみようかなと思います。」

「いいんじゃない」と軽く返した。
相談会の中身は変わらないし、就園の話題もよくあることだった。
とくに何も変わらない、とそのときは思っていた。

でも昨日、ふと思った。
「今まで、どうして《就学》だけだったんだろう?」

初めての就学相談会は1990年。
娘が生まれた年だから、よく覚えてる。

どうして「就学」相談会だったか。
それは、普通学級に入るのがメチャクチャ大変だったから。
その年、ヒデが入学した時、入学だけで写真つきの大きな新聞記事になった。
いまなら1行の記事にもならない。

幼稚園をいくつも断られた話も珍しくなかったし、「重度の障害児」の入園を制限していた保育園の要件を廃止させる交渉もあったけど、やっぱり大変なのは小学校だった。

とにかく学校、教育委員会、文部科学省と、国をあげて、障害児を普通学級に入れないようにがんばっていたのだから。

どうして「就学」相談会だったのか。
養護学校義務化があり、法律の壁、国の制度としての壁があり、今より露骨な障害児差別があり、それらすべてとの闘いがあったから。
25年間、そう思ってきた。

そして26年目の昨日、気づいた。

「あ、間違えてたのは、これだ」

だって、思いは、子どもと親の思いに寄り添うことであり、国や法と闘うことが、先ではなかった。
(これが、ときどき「運動」の中で感じる私の違和感だ。)

どうして就園に焦点が当てられなかったか。
「義務教育じゃないから」
それに縛られていた。

受け入れを拒む個々の園はあっても、義務化という制度の敵がいなかった。不覚。

そもそも、就学より就園の方が、素朴な親子の思いとしては「先」だった。

「共に生きる」の前にある壁は、「就学」が先じゃない。
その前に「就園」があった。

       ◇

ここまで考えてきて、就学相談会で、いちばん大事なことが何だったか、はっきりと分かった。

なぜ、地域で共に生きる、か。
なぜ、地域の普通学級、か。
それは、「わが子が小学校にあがるとき、子どもの障害が、親の気持ちの中で、入学の『障害』にはなっていない」ということ。

そして、その前に「就園」がある。
なぜ、地域の保育園、幼稚園なのか。
それは、「わが子が保育園にはいるとき、子どもの障害が、親の気持ちの中で、入園の『障害』にはなっていない」ということ。

さらに、その前に、親子・兄姉との出会いがある。
「この子に会いたい思いに、子どもの障害が、親や兄姉の気持ちの中で、出会いの『障害』にはなっていない」ということ。

子どもの病気や障害が、「この子に会いたい」を断ち切ることはなかった。
そういう親子は少なくない。

たっくんのお母さんも、高村さんも、生まれる前にそのことを知っていた。
そして、出会った。

子どもの病気や障害より先に、「この子の出会い」を大切にすることがいちばん大切なこと。

実際、保育園や幼稚園には、この子が「会いたい」仲間がいっぱいいる。
そして、「この子に会いたい」友だちがいっぱいいる。

その道こそが、小学校につながる、あたりまえの道だった。


(つづく)
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