ワニなつノート

「分ける教育」から「捨てる教育」の完成(その5)

「分ける教育」から「捨てる教育」の完成(その5)


《この国に生まれたるの不幸》


私は養護学校も反対ですし、高校の選抜制度も反対の立場でした。

養護学校は「分ける教育」として機能しているからです。
選抜は、「捨てる教育」だからです。

そして、今、「高校選抜制度と特別支援教育」の連携は、
私の考えを超えて、桁違いの「愚かさ」で進行していました。


「養護学校義務化」には、それまで就学を
「猶予・免除」されていた何万人の子どもたちに「教育を!」
という面がありました。
私が6歳のとき、同じ年の子どものうち、
2万2030人の子どもが「就学猶予・免除」されていました。
その学校に行けない子どもをなくすためには、
前進だったのかもしれません。


そのころ、障害のある子どもたちは、
「座敷牢」に閉じ込められていました。
「座敷牢」とは、家族が勝手に障害児を隠した、
というのではありません。

1900年の「精神病者監護法」のもとに、
「家族の責任」において座敷牢に閉じ込めさせていたのでした。

「障害児」と「精神障害」は違うと思う人がいたら間違いです。
少し前まで、「精神薄弱児」や「てんかん」、
「脳性マヒ」も含めて、社会は「精神障害」として
扱っていました。

1950年の精神衛生法施行で、
「座敷牢」は禁止されました。
ということは、1950年までは
法律で定められていたのです。

そして、法律で禁止したからといって、
それまで座敷牢に閉じ込められていた子どもが、
すぐに表に出られる訳ではありません。
就学すら免除されたままです。
そうして、「座敷牢」は70年代にもありました。

養護学校義務化とは、
「座敷牢」に閉じ込められる子どもをなくすため、
だったとも言えます。
それは、「教育」以前の、生存の話、人権の話でした。


「私宅監置」として座敷牢に閉じ込めさせたのは、
明治時代に「精神病院」がなかったからです。
だから、座敷牢はなくなったかもしれませんが、
施設代わりに精神病院に入院させられている知的障害者は
今も数多くいます。

私の妻が働いている病院には「何人くらいいる?」と聞くと、
すぐに数字を教えてくれました。
ほとんどが50歳以上だといいます。
私より、上の年齢。
つまりは、座敷牢があった時代に
子ども時代を過ごした人たちです。


「この国に生まれたる不幸」という言葉を
聞いたことがあるでしょうか。

1918年、東大教授だった呉秀三は、
座敷牢に閉じ込められた人たちの状況に憤慨し、
「教室員を動員して1府14県の私宅監置の実例
(105例)を報告書にまとめている。」

その本の最後に、こう書かれています。

「…全國凡ソ十四五萬ノ精神病者中、
約十三四万五千人ノ同胞ハ…
國家及ビ社会ハ之ヲ放棄シテ弊履ノ如ク
毫モ之ヲ顧ミズト謂フベシ。


我那十何萬ノ精神病者ハ實に
此病ヲ受ケタルノ不幸ノ他ニ、
此那ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云ウベシ。」



養護学校が義務化になったのは、1979年です。

障害のある子どもが、「学校に行くのが当たり前」になって、
まだたったの30年しかたっていないのです。

それ以前に生まれ、子ども時代をこの国で過ごし、
この国で教育を受けた人たちは、知りません。

同じ年頃の「障害児」が、
同じ子どもだったことを知りません。

同じ年頃の「障害児」が、
同じ教育を受けるのが当たり前だということすら知りません。

同じ年頃の「障害児」を、そもそも知りません。


そうした人たちが、作ってきたのがこの社会です。
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