ワニなつノート

保育園でできることは、学校でもできるでしょう

保育園でできることは、学校でもできるでしょう


特別支援学校への入学をあきらめ、就学猶予というニュースが、どうしても飲み込めません。

「就学猶予」とは、親が、教育長に、「この子はまだ就学させられないので、一年間の猶予をください」、と「願い出て」、教育長が、「子どもに教育を受けさせる親の義務を猶予してあげましょう」と認めてくださる、ってことでしょ?

「特別支援学校が、この子を受け入れてくれません、だから、私たちの教育を受けさせる義務を、猶予してください」って、絶対におかしい。

教育長は、そんな理由では、「猶予は認められない」と、特別支援学校に対し、ちゃんと受け入れ体制を整えて受け入れるよう指示すべきでしょう。
それが教育長の仕事じゃないのかな。
子どもの教育を受ける権利を保障するために、仕事をしているんじゃないのかな。

保育園でできることは、学校でもできるでしょう。

「保育園でできることは、学校でもできるでしょう。」
どこかで聞いたセリフだと思ったら、……思い出した!
かいとくんのことだ。


古い?ブログなので、再掲載します(^^)v

    □     □     □



6歳になったこの子へ (6歳になったかいとくんへ)


生まれたときから闘う日々だった。

生まれたその日から、
この子は、生きるために闘う日々を生き抜いてきた。

生まれてすぐから病気と闘い、
止まりかけた呼吸と闘い、
止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、
生きるために、管を入れた。

母親に抱かれて眠れる日まで、長い時間、
長い年月をこの子は病室の中で待った。
待って、がんばった。

がんばって、生き延びて、
ようやくお母さんの待つ家に帰ることができたとき、
この子は1歳半になっていた。

お母さんとお父さんの待つ家に、兄姉の待つ家に、
長い長い時間をかけて帰ってきた。
やっと、ふつうの子どもに戻れた日。
命がけで取り戻したふつうの親子の毎日。
ふつうの子どもの日々。

命と引き替えに、傷ついた身体。
生きるために、身体に入れたチューブ。
そのために、我慢しなければならないこともいっぱいある。
制限させられることがいくつもある。

でも、病院の子から、お父さんとお母さんの
ふつうの子どもになって戻ってきた。
やっとふつうの子どもになって、いっぱい甘えて、いっぱい遊んで、大きくなった。

保育園に行くようになって、友だちもいっぱいできた。
はじめは、身体のこと、喉のこと、チューブのこと、
珍しそうにみていた友だちも、そのうち、それが当たり前のことになり、
ただの日常になった。
保育園の中では、看護師さんが吸引をしてくれるから、
お母さんも安心だった。

そして、とうとうこの子が、6歳の誕生日を生きて迎える。

来春には、保育園の友だちと一緒に、
1年生になるのを、何より楽しみにしている。

けれども、今の「学校」はこの子に向かって、
あなたは「医療的ケアが必要な子」だから、
みんなと一緒の学級ではなく、「特別」な学級に行きなさいという。

でも、この子は「医療的ケアが必要な子」じゃなくて、
「医療的ケアが必要なただのふつうの子ども」だ。

この子一人を、特別な教室で、「手厚い」教育をしてくれるより、
保育園と同じ、みんなと一緒にいるために「必要な配慮」をしてほしい。

「できることと、できないことがあります」
どこの教育委員会の人も、同じ言葉を口にする。

でも、私たちが求めているのは難しいことではない。
「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」
ただ、それだけのこと。

教育委員会の人は言う。「学校は保育園と違って、看護士さんはいません。
だから、自分で自分の「医療的ケア」ができるようにしてください。
入学までに、自分のことは自分でできるようにしてください。」

6歳の子どもに、大の大人たちがそう要求する。

わたしたちは、この子に、
これ以上、「がんばれ」とは言わない。

これまで誰よりもがんばって生きてきたこの子に、
ただ、みんなと一緒に一年生になりたいと願うだけの子どもに、
これ以上、「がんばれ」とは言わない。

この子は、生まれてすぐから、母親に抱かれて眠れる日まで、
1年半も待ちながら病気と闘ってきた。
止まりかけた呼吸と闘い、止まりかけた心臓を自分で励まし、
生きるために、喉を切り、生きるために、管を入れた。

その6歳の子どもに向かって、今の学校は、
「自分のことは自分でできるようにしなさい。
それができたら、みんなと同じ学校に入れてあげる。
できないなら、お母さんと一緒に来なさい」という。

この子は、自分にできるせいいっぱいのがんばりを、
立派に闘いきって、今ここにいる。
誰もが、生まれてすぐに母親の胸に抱かれて過ごす赤ちゃんの日々を、
ひとりで受けとめ、闘った。

その子が6歳になって、学校に行く。
そこでもまた、闘いの後に残った生きるためのケアを、
この子ひとりに背負えという。

そんな言葉を誰が言えるものか。
6歳の子どもに、一人で背負えと、そんなことを誰が言えるか。

私たちは誰も、その荷を背負って生きてはこなかった。
その荷は、母親が、家族が、学校や地域の大人たちが、支え持ってくれたものだ。
私たちはその中で見守られ育ち、今日まで生きてこれた。

だから、その荷は、私たち大人が、
ひとりの子どもに背負わせていい重荷ではない。

この子は、すでに背負いきれないほどの荷物を、
生まれたときから誰よりも堂々と受けとめ担ってきた。

私たちは、この子に伝えたい。
「あなたに必要なケアは、私たち大人がちゃんと見守るから、
安心して学校においで。」
「新しい学校で、友だちをいっぱい作って、いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、
あなたのやりたいことをいっぱい見つけていこうね。」
「私たち大人は、私たちにできることをせいいっぱいやって、
きみの学校生活を応援するよ」

私たちは、そう言いたい。
そう言わなければならない。

そう言える学校と社会全体で、この子たちの苦労を受けとめることで、
これから先、この子が自分で引き受けていく苦労や困難に、立ち向かう支えになりたい。
この社会は信じられる温かい社会だと、この子に伝えたい。

私たちが、守らなければならないのは、
この子をみんなと分けて、「特別な教室」で守ることではない。

ただ、この子がみんなの中で、
当たり前に生きていくのに必要な配慮をし、
この子がみんなと一緒に学校に行きたいという思いを大切にすることだ。

「保育園でできることは、小学校でもできるでしょう。」





※ 「6歳になったこの子へ」完結編はこちら↓
http://sun.ap.teacup.com/applet/waninatu/20100508/archive
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