ワニなつノート

「守りたい思い」と「守られるもの」(その4)


「守りたい思い」と「守られるもの」(その4)

《6年生》


「手袋をはずしたい」「いやはずすべきだ」という思いをもち始めたのは、みつこさんが6年生のころでした。けれど、「三つの関係」をどれ一つ頼れない子どもが、沈黙の壁に一人で立ち向かうことはできません。

実際、みつこさんは、中学でも、高校でも、手袋をし続けます。中学、高校生にもなれば、「触れてはいけないこと」を、察するようになります。隠されている事情に、触れない常識を、みんな身につけています。でも、その間にも、みつこさんは、「見られている不安」を強めていきます。

「私は他人の目に押し潰されそうになっていました」

高校卒業後、みつこさんは福祉系の大学に入ります。
(ここで福祉系という場所に、何かを求めるのは、みつこさんも、わたしも、コーダたちも同じです。子ども時代に確かめたかったことがそこにあると思うからです。それを確かめないと、生きていけないと感じる何かが、そこにあると思うのです。)

そこには、車椅子の人や、聞こえない人、障害のある人が少なからずいます。「障害」が公認されている社会福祉系の大学のなかでは、障害よりも手袋の方が奇妙なものにみられるのです。大学、障害のある学生、そうした「社会」にふれて、みつこさんは、手袋を外すことを決めます。

ここで、「社会との関係」が、一つの扉を開くきっかけになっているのが分かります。

また、田舎を離れたことで、「家族との関係」から、距離をおけたことも、扉を開くきっかけになっています。

       

はじめて手袋をつけずに授業に出ようと決意して、下宿を素手で出て、大学まで行ったものの、教室に入れなくて、教室棟の入口でうろうろしていた記憶が彼女のなかには生々しく残っています。

それでも勇気をふるいおこして、どうにか教室に入ったものの、授業どころではありません。

「誰もいちいち見ているはずがないとわかっているのに、人前にさらした右手のことが気になって、先生の話がまったく耳に入ってきませんでした」

(P184~5)
 
       


大学生になっていても、これほどの不安と闘わなければならない問題。

それが、どうしても「向き合わなければならない問題」であることに、みつこさんは6年生で気づいていました。

大人や専門家が、まだまだ「子ども」とみる年齢です。
そういって大人はいつも間違います。
子どもだから、分からない。子どもだから、まだ気づかない。
障害があるから、分からない。障害があるから、気づかない。
そういって大人はいつも間違います。
こうした問題について、分かってないのは、いつも大人の方です。
子どもが本当に大事なことに気づき、向かい合おうとしているのに、まだ早いとか、もう少し大人になってからと、向き合えないのはいつも大人の方です。

もし、6年生のみつこさんに、ちゃんと向かい合うことのできる大人がいたら、みつこさんの中学、高校時代は、まったく別の生活になっていたことでしょう。

           

「お母さん、今日も学校でいじめられたのよ。
男の子たちが、手袋をとってみせろってしつこいんだから。」

「今日はね、お姉ちゃんが助けてくれたの」

「お母さん、この手袋、いつまでしてなきゃいけないのかな」

「手袋、しなくてもいいかな」

「最初は、気持ち悪いっていう子もいるかもしれない。
でも、いつまでもしているわけにもいかないよね。」

「わたし、もう手袋がなくても、がんばれるかもしれない」

「教室の中だけでも、とってみようかな。」

「先生にも相談してみようかな」

もし、そんなふうに、話すことができたら。
親や姉や、先生に話してみることができていたら。
手袋をどうとるか、とらないか、という、その前に、
自分で自分の手と、正面から向かいあうことができます。
みつこさんにとっては、自分の手と向き合うことは、
自分自身と向き合うことでした。

そうすれば、大学生になっても「手袋に守られた小さな女の子」のままじゃなく、自分で、社会との関係や、家族との関係、自分との関係を、考えることができたかもしれない。
そんなふうに、せめて家族や、親しい友達と、自分の悩みを話すことができれば、少なくとも、自分で自分を恥ずかしいと間違わなくてすんだかもしれません。

大事なことは、オープンであることです。
社会との関係、家族との関係がオープンであること。

学校の先生が、障害のあることや、いじめや国籍、貧困、虐待といった問題を、ふつうに話せる大人であること。

「人間」のことで何か知りたいと願って、「福祉系」の大学やボランティアに向かう、子どもの「関心」を、小学校や中学校が当たり前に応えられる場所であること。

自分の中に「一人の悩み」を抱えた子どもが、それは誰にでもありえる「にんげんの悩み」であることを教える大人がいること。

そうした「事情の分かる大人」に一人でも出会うことができれば、子どもは自分で自分の悩みに向きあい、自分で答えを出して行けるはずなのです。

ありのままの「自分との関係」を取り戻すことができるはずなのです。
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