ワニなつノート

「ルーム」



「ルーム」



ルームという映画をみてきました。

誘拐された女性とそこで生まれた子どもが、閉ざされた部屋から、世界に生まれ直す物語。
「脱出」と「帰還」の、ふたつの物語。

脱出の場面で、ふいに主人公の子どもとは別の顔が浮かんだ。
相談会で出会った子どもたちの顔。
「あれ、何でここで…」と思った瞬間、理由はわかった。

二日前に「女子高生になりたい」と言った中3の女の子の顔。

6年前に、「高校に行きたいのでおてつだいしてください」と手紙をくれた女の子の顔。

ふつう学級への転籍の相談の最中に、「いける?だいじょうぶ?」と聞いた小2の女の子の顔。

すべてのことばが一つにつながる。

その子どものことばは、親のおもいを通すと別のことばになる。

「閉ざされた部屋を出て、この子に世界を見せてあげたい」

「どこまでも広がる青空を見せてあげたい」

「世界の広さを、人のやさしさに出会わせてあげたい」


私が聞いてきた「親子の声」は、そういう言葉たちだった。

この子は障害に閉じ込められているのではない。
この子の世界は「障害」に閉ざされているのではない。

この子を障害に閉じ込めるのは、障害だけをみて、
この子をみない人たち。

たとえば、歩けないことや、見えないことが、「障害に閉じ込められている」ことではないように。
「歩けない」からと、世界に出会えないことが、「狭い部屋」なのだ。

だから「障害」を直してから、ではなく、
いまのこの子に、
いまわたしの手のなかにいるこの子に、
どこまでも広がる青空の下の世界を見せてあげたい、
どこまでも広がる人の出会いの世界へ送り出してあげたい。


ふつう学級に行かせてあげたい、という思いは、
そういう思いだったようにおもう。


映画をもう一度見てきたら、また書きます。
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