『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

あとがき@ランダム[3]

2005年06月30日 | あとがき@ランダム
[3]

 根本的な部分、本当に変えなきゃいけない根っこの部分には何の変化もないのに、新球団誕生や交流戦ごときで「ただいま改革実行中!」などというイメージを撒き散らすわが国のプロ野球界──。とても卑怯だと思います。とてもズルイと思います。
 もっとも、表面上の真新しさに易々と目を奪われ、アンケートなどで「(プロ野球は)とてもおもしろくなった」などと答えてしまう、この国の薄っぺらな平均人のみなさまが一番マヌケでクルクル○ーなんですがね。

 さて、NHKのニュースを見ていて気づくことがあります。(まあ、NHKだけではないかな?)
 Jリーグの結果を伝える際、NHKをはじめとする日本のテレビ局の多くは「サンフレッチェ対アルビレックスは……」というふうに、「広島」や「新潟」などの地域名をあまり積極的に言いません。
 米NBAやメジャーリーグなどもそう。「ヒート対ピストンズ」などと言い、「マイアミ」だの「デトロイト」だの、都市名は全然言ってくれません。
 ところが、一方のプロ野球様の場合はどうでしょうか? 「乳酸菌飲料」だの、「ハム」だの、「ソフトなんとか」だのと企業名をしっかりと言いますね。なぜでしょう? このちがいはいったい何?
 私は『読売』だと思っています。『読売』の影響力、いや仕業、いやいや謀略!!!

 日本のメディア界、いや日本の「情報屋さん業界」で絶大なる力を持ちつづける『読売』(国際社会におけるUSAのような存在ですね)は、わが国の「地域スポーツ」の発展を阻止しようと必死です。
 本文でも述べましたが、もともと弱小大衆紙だった『読売』は、野球を利用してその勢力を急拡大させました。ですから、彼らにとって、日本プロ野球は永久に「『読売』主導の親方大企業リーグ」(←日本スポーツ界最大の不幸)でありつづけなければならないし、また日本スポーツ界全体も、「企業・学校中心」の、つまり「旧来型」のスポーツ振興でありつづけなければならないのです。
 そんな『読売』が、「地域名をあまり言うな!」というふうに各局に圧力をかけているのではないか? 私はそう見ているのです。
 『読売』にとって、サッカー界が打ち出した「地域・住民中心」の“正しい”スポーツ振興は、不愉快きわまりないものなのでしょう。(つづく)

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あとがき@ランダム[2]

2005年06月24日 | あとがき@ランダム
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 おもしろい情報が入ってきました。来月初旬、シンガポールで国際オリンピック委員会の総会があるそうです。どうやら、長い間棚上げされていた競技種目の見直し作業が再開されるようですよ。さぁ、日本国民のみなさまがこよなく愛するベースボールの運命やいかに? 注目であります。

 ちなみに、私はもちろん“あっさり削除”と見ています。そうならなきゃ絶対におかしい!!! 次回(2008年)の北京大会を最後に、“Adios, beisbol!”(さようなら、ベースボール)ということにきっとなるでしょう。

 そもそも、野球がオリンピックの公式種目であることがおかしいのですね。何を競っているのかもよくわからないし、ドエリャ~散漫だし、またルールすら世界の人々に知られていない。そんなボールゲームがなんでオリンピック公式種目になれたのでしょう? ホント、不思議でなりません。
 一応、中国人は準備しているようですね。ですから次回はやるでしょう。でも、それを最後にあっさり、そしてザックリと削除でしょう。日本の各大手メディアがどう伝えるかにも私は注目したいと思っています。来月初旬です。もうすぐです。(つづく)

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あとがき@ランダム[1]

2005年06月20日 | あとがき@ランダム

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  はい、『ベースボール不要論』という名の“世紀の大暴論”、一応書き終わりました。終了です。カムサハムニダ。この大暴論がその効力を発揮しはじめるのは……、まだまだ先のことでしょうね。う~ん、2050年あたりかな?

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  さて、私はさまざまな視点から「ベースボールはもう要らん! どっか行け!」という豪快な結論を導き出したわけですが、なかでも、私がもっとも強調したかった点、明らかにしたかった点は何でしょうか?

 はい、そうですね。正解です。「日本人男性≒へなちょこ」という点(第2章)です。これは何としてでも白日の下に晒したかった事実です。

  世界の元気な男の子はたいてい、サッカーやバスケットボール、寒冷地ならばアイスホッケーというふうに、活発なボールゲームで元気いっぱい走り回ります。

 ところが、この国の場合は少々趣が異なる。男どもが“へなちょこ”で、あまり元気がない。激しいスポーツをことごとく避け、楽なほう、楽なほうへと流れていく傾向がとても強い。だから、激しく動き回る必要などない悠長なボールゲーム、パジャマみたいな服を着てほとんどジーッとしていられるボールゲーム、すなわち野球が、これほどまでに肥大してしまったわけです。(ついでに言えば、本文でも触れましたが、「日本ゴルフ場列島」も同じことです)

  最近、高校の野球部員が増加していると聞いています。とても残念なことです。でも、私は納得していますよ。高校生ともなれば“計算高く”なるのでしょう。サッカーやラグビーはキツイし、しんどいし、痛いし……、また、もしプロになれれば、野球のほうが報酬も断然いいわけで。

  本文で書き忘れましたが、いま日本バスケットボール界がプロ化(「bjリーグ」って言うの?)に向けて動き出していますね。またラグビー界も2011年のワールドカップ招致を目指して意気揚々です。 ともに成功することを私は切に望みます。ラグビーやバスケット、サッカーなどの激しく走り回るボールゲームが繁栄すれば、野球の散漫さ、くだらなさがますます際立つことになるわけですから。

  でも、私が何をほざこうとも、やっぱりこの国は野球がお似合いです。「パンツにうんち」「ババァにバイブレーター」──。下品でごめんなさい。でも、「ニッポンの“へなちょこ男”にベースボール!!!」なのです。切っても切り離せない“エッセンシャル”なものなのでしょうね。

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  というわけで、「あとがき@ランダム」では、本文で書き忘れたこと、いま一度強調しておきたいことなどを@ランダムに書いていこうと思います。たぶん“無秩序&不定期”になりそうですが、どうか、野球のようにダラダラとお付き合いくださいませ。(つづく)

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最終章 さようなら、ベースボール!!![4]

2005年06月18日 | 最終章
[4]

 日本国内では少なくとも、野球を「マイナー」に追い込んでいかなければならないでしょう。野球こそを「一部の人たちのマイナー競技」に!
 私たちは決してUSAではありません。「黄色いUSA」なんて真っ平ゴメンです。
 現在の「野球濃度50%」をせめて「15%」ぐらいに早急にもっていきたい。そして、この国の野球人気を5番手、いや6番手くらいにまでもっていき、他競技にもっとお金が回るようにする。
 陸上やスピードスケートなどで世界の頂点をも窺おうという選手たちが一体どのような境遇にあるか、みなさんはご存じですか?(身銭を切っている方も多くいらっしゃいます)
 
 そして、何と言っても、未来を担う子どもたちですね。とりわけ運動能力の高い子どもたちには、できるだけ野球をやらせないことです。もったいないから。
 こんな不活発で、不自由なアメリカンボールゲームを見せないこと、やらせないこと! もっと体を激しく動かす、元気で躍動感あふれる活発な競技を、そして世界の人々と通じ合えるスポーツを、大人たちが勧めなくてはならないでしょう。
 松井さんやイチローさんのようなUSA限定の「友好親善大使」「ゴマすり要員」を、もうこれ以上増やしたってしょうがないのです!!!

 そして最後に、アメリカ合衆国から距離を置く、ということですね。
 「傲慢&肥満帝国USA」にベッタリするのはやめて、わが国は「真性の」独立国家にならなければなりません。ベースボールで大喜びすればするほど、「ハッハァ~ン、日本はUSAの手下だな」などと世界中の人々に思われてしまいます(もうすでに思われているのですが)。
 イメージというのはとても大切で、いまの日本は「私たちはUSAの植民地でぇ~す」と自ら宣伝している状態。ベースボールを振り払い、USAの傘の下で縮こまっているイメージを少しでも払拭したいものです。
 私は決して「米国との関係を断て!」と言っているのではありませんよ。それはできない相談でしょう。USAとは「必要最低限」「ほどほど」にしましょう、と言っているのです。
 対米協調よりも国際協調、対米追随ではなく自律自尊です。そうなれば、おのずと真の仲間、真の友好国もできてくると思いますし、また、さすがの「傲慢帝国USA」も、われを省みるようになるのではないでしょうか? 「おいおい、日本がベースボールをやらなくなったぞ。日本が離れてくぞ」って。

 さあ、みなさん、「日本」という名の船から野球を振り落としていきましょう。「野球が好き」ということが、もはやカッコ悪いのです。ダサイのです。
 パジャマみたいな服を着てほとんどジーッとしている、この散漫きわまりないアメリカンボールゲームを、いつまでも人気No.1の座にとどめているからこの国は不幸なのです。バカなのです。マヌケなのです。USAなのです!!!
 ベースボールはもう不要! 野球なんかする必要、まったくなし! 「野球抜き」でおおいにスポーツを楽しみましょう。もっと体を激しく動かしましょう。走り回りましょう。そして、普通の独立国になりましょう。それでは、さようなら。(おしまい)

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最終章 さようなら、ベースボール!!![3]

2005年06月16日 | 最終章
[3]

 この国に一日も早く、純粋で、活力あふれる、いたってノーマルな「スポーツ文化」を根づかせなければなりません。でないと、世界の人々からも相手にしてもらえなくなります。
 「スポーツ文化」を“正しく”根づかせる夢を叶えようと思ったら、いまの時点では、日本プロ野球(何度も言いますが、「プロ野球」とは名ばかりの企業野球、蔑称「プロ余興」)、「傲慢&肥満帝国USA」の“薬漬け”MLB、大新聞社様ゴリ押しの“アナクロ”高校野球などなど、野球をすべて私たちの視野の外へと追いやるしかありません。野球なんかでいつまでも大喜びしているからダメなのです、この国は。
 わが国のスポーツ新聞は単なる「与太オヤジお慰め新聞」に過ぎないのですが、これもまた、日本スポーツ界の中心に野球がドシリと居座りつづけているからにほかなりません。

 野球を見捨てる。削除する。排斥する。じつに簡単だと思います。実際、野球のない国(あったとしても社会の隅でひっそりと存在しているような国)のほうがこの地球上には圧倒的に多いですし、またそんな国のほうが概して幸せそうだし、楽しそう。
 でも実際、この国からベースボールが消えるとは考えられません。野球はこの国の人々にうってつけのボールゲームです。
 あまり動かなくてよくて、ルールブックが分厚くて、そして、とってもアメリカン!!! ホント、お似合いです。ピッタンコです。この国には「精神的肉体的へなちょこ」どもがうじゃうじゃ溢れかえっているわけですから、この運動量の少ないアメリカンボールゲームを今後も過大評価しつづけるでしょう。ひょっとしたら私の物言いに反発した勢力が、ますます野球を盛り上げてしまうかもしれません。
 でも、ホントのホントにどうなんでしょう? ベースボールなんかやって、いったい何になるのでしょう? たいして体を鍛えたことにもなりませんし、時間の無駄遣いだし、世界性はないし、デブだし……、そして何より、アメリカ合衆国におだてられるのが関の山だということです。
 国際社会のヤクザたる「傲慢&肥満大国USA」に、「日本のベースボールもなかなか進歩してるじゃないか、ん?」などとおだてられて、はい、おしまい。もう苦笑いしか出てきません。
 このままではUSAとの親密度ばかりが増すだけで、世界とは全然仲良くなれませんよ。日本はいつまでたっても国際社会の「正会員」にはなれません。

 「私、野球なしでは生きていけません!」──。 そんな方々はUSAに移り住めばいいのです。あこがれのUSAに。インディアンたちから強奪したあの広大な土地には、まだ2億8千万くらいしか人が住んでいません。まだまだ空き地だらけ。
 最近、「薬漬けMLB」で活躍する日本人選手を応援するためのパックツアーみたいなものがありますが、それに参加した人たちはそのまま米国に住みつけばいいのです。片道切符! 帰ってこない!
 「センキュー、センキュー」などとナイスな発音でグリーンカードでも取得して、そのまま「肥満大国」に同化すればいいのです。金髪にして(もうすでにそんな方も多いようですが)、美容整形もして、女性だったら豊胸手術も施せば、きっと喜んで受け入れてもらえるのではないでしょうか?(つづく)

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最終章 さようなら、ベースボール!!![2]

2005年06月14日 | 最終章
[2]

〈さようなら、ベースボール!!!〉

 さて、私たち現代日本人はいま「癒しの時代」などと、ずいぶんとおバカさんな世の中に生きています。小泉純一郎という「極薄105円(税込)宰相」も総理大臣の椅子に、なんと4年も座りつづけています! ホント、「軽々薄々」な世の中です。「重々厚々」の人々はもう窒息死寸前です。
 ところで、2、3年ほど前、SMAPとやらいう薄っぺらな団体さんの「オンリ~ィワァ~ン」とかいう歌が大ヒットしましたね。「オンリーワン」──。そんなことを言ったら、何だって、だれだってオンリーワンです。
 じつはこの歌、気づいている方も多いと私は信じているのですが、「質、優劣などは一切問いませんよ」という、いわば「逃げ」の歌であります。だから大衆受けしたのです。
 むろん、価値の優劣を問う議論が行き過ぎますと「大変危険なこと」(まあ、ナチスのようなことかな?)になりうるのですが、そういった緊張に富んだ議論から徹底的に逃げ回ってきた、戦後の“へなちょこニッポン社会”を総括する、とてもわかりやすい大ヒット曲だと思います。

 このヒット曲と同じように、「野球も、サッカーも、その他のスポーツも、分け隔てなく楽しめばいいんじゃないの?」というのが、おそらく現代日本社会における平均的で、お気軽で、イージーな見方でしょう。優劣を論ずるなどナンセンスだと。
 でも、私はそうは思いません。そう思わないから書いたのです。価値の優劣をきっちりと見極めたうえで、ベースボールという競技そのもの、そして野球の人々が作り上げている社会は明らかに「劣」だ、と私は主張しているのです。
 そして、その劣っている勢力が、近年多少の衰えを見せているとはいえ、まだまだ多数派をなしてこの国の大衆社会のど真ん中でデカイ態度をとっているから「このままではマズイ!」と思い、痛烈なる批判をさせていただきました。世界を知っている者、あるいは知ろうと努力している者、そしてスポーツを心の底から愛する者にとって、ベースボールはもはや目ざわりな存在なのです!(つづく)

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最終章 さようなら、ベースボール!!![1]

2005年06月12日 | 最終章
[1]

〈プロ野球中継の“せい”で〉


  プロ野球中継が延びましたので、番組を30分繰り下げてお送りします──。

 私たち現代日本人にとって、たいへん馴染みのある文言です。テレビのプロ野球中継が延長されたおかげで、その後のテレビ番組、ドラマや映画、報道番組などの放送時間が後ろへ後ろへとズレていくわけです。
 私は関西の住人でして、神戸にはサンテレビというテレビ局があるのですが、この局がスゴイんです。阪神タイガースの試合を必ず試合終了まで中継するのですが、試合が終了してもなかなか終わらず、試合後の「余韻」までたっぷりと中継するのです。
 だから「30分」どころではなく、「1時間45分繰り下げて……」なんていう、とんでもないことがしばしば起きます。でもまあ、この無邪気なテレビ局で見たい番組はまったくないので別に構いません。どうぞその調子でつづけてくださいませ、サンテレビさん。

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 さて、先日のことです。電車のなかで男子高校生がこんなことを言っていました。

  「野球中継ってウザクなぁ~い?」

 私は久々に感激しました。“感涙”であります。まったくそのとおり! ホント、ウザッタイと思いますね、野球の生中継ってのは。
 後の番組の放送時間に影響を及ぼすわけだから、キビキビと動いているのかと思えば全然そうではない。チンタラやっている(まあ、そもそもそういう競技だから仕方ないんだけど)。だからウザイのです。その男子高校生の真意はきっとそんなところでしょう。その調子、その調子。若者のあいだでは着実に「野球離れ」が進んでいるようですね。
 で、近ごろ、「野球の生中継、何とかならない?」などと憤激なさっている方々が、若者や女性たちを中心にじんわりと増加しているように感じます。
 前述しましたが、野球の試合はそのほとんどが「休憩時間」です。ですから、動いているところだけを編集して放送すれば「30分番組」になる。そう、『サザエさん』といっしょ。
 そんな散漫で悠長なボールゲームの生中継に対し、「ウザッタイ!」「もういい加減にしてくれ!」などと怒り心頭の方々、私はとても正しいと思います。どうか遠慮などせずに、どんどん声を上げていこうではないですか! テレビ局にクレームの電話なり、手紙なりをガンガン送っていきましょうよ。きっと変わっていくと思いますよ。(つづく)

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第13章 時代の流れには逆らえませんよ![3]

2005年06月10日 | 第13章
[3]

〈もはや「たかがスポーツ」の時代ではない!〉

 スポーツというものは所詮、ただの「遊び」(プレイ、play)です。そうとらえてもいっこうに構いません。
 ところが、「たかがスポーツ」などと言い切れる時代はもうとっくに終わっています。このことを私たちはもうすでに……(ちょっと不安、いや、かなり不安ですが)知っていますよねぇ?
 近年、メディアの発達もおおいに手伝って、スポーツはわれわれ地球社会の「重大事」になってきました。諸外国との友好関係を深めるのにスポーツは一役も二役も買ってくれますし、また国際政治や経済などといった重要事項にもスポーツは深くかかわってくるようになっています。
 スポーツはもはや、単なる「遊び」ではなく、きわめて重要な「文化」と言えるのではないでしょうか?

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 わが国とお隣韓国との最近の関係は、とても身近でわかりやすい例だと思います。
 両国はきわめて不健全、かつ陰気な隣国関係をつづけてきました。もっとも、隣国関係というのはいつの時代もあまりよろしくないことが多いのですが、最近の日韓関係の変わりようはいったい何でしょう?

 国際サッカー連盟(FIFA)主催のワールドカップ第16回大会が2002年、日本と韓国で共同開催されました。これは当初、日韓どちらかでの単独開催が前提でした。日本でやるか、韓国でやるか──。
 ところが、FIFA理事のおじさんたち(決定権者)が最後の最後にルールを勝手に変更し、日韓共催としてしまいました。当時、みんなブーイングでしたね。私はよく覚えていますよ。
 ところが、このFIFAのおじさんたちの「勝手」をきっかけに、日韓関係は一気に良い方向へ向かい始めました。韓国のテレビドラマが日本で流行ったり、韓国語を学ぶ日本の若者も急増しています(私もその一人だべ)。
 一昔前なら、たとえば韓国の人たちが電車のなかで大声でじゃべっていたら、「なんじゃ、お前ら?」といった感じで日本人はジローッと睨みつけていましたよ。でも、いまなら「アンニョンハセヨ、韓国語教えてちょうだい!」てなもんです。ものすごい変化だと思います。

 むろん、私は日韓関係をきわめて単純に楽観視しているわけではありません。まだまだ両国間には問題が山積しています。でも、若者たちの文化を中心に両国の交流が盛んになるのはとてもいいことだと思います。FIFAのおじさんたちの「勝手」は、「お前ら、もういい加減仲良くやったらどうなんだ、ん?」という温かいメッセージだったのではないでしょうか? 私はそう思っていますよ。ありがたや、ありがたや。

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 このようなスポーツの持つ「パワー」を目の当たりにすると、スポーツをいかに大切に、いかに正しく扱うかが、きわめて重要だということがよくわかってくると思います。スポーツは、この地球上のありとあらゆる人々を結び付ける、無形の「文化財」です。もはや、単なる「遊び」ではありません。
 スポーツの第一目的を親方大企業の広告宣伝や、子どもたちへのチンプンカンプンな教育とするような誤った形をいっこうに改めようとしない国は、きっといつの日か世界から取り残されてしまうでしょう。
 幸い、ジャパニーズ・ベースボールは内輪のマージャンみたいなもので、世界の関心事ではありません。だからまだまだ安泰なのですが、もし今後もこの重大な過ちがが改められないのなら、わが国の国際的地位低下にもつながりうる由々しき事態と言えるのではないでしょうか?(つづく)

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第13章 時代の流れには逆らえませんよ![2]

2005年06月08日 | 第13章
[2]

 ようやく「あるべき姿」に向かって日本のスポーツ界は動き出しました。もう後戻りはしませんよ。この先、「とてもゆっくり」ということになりそうですが、「地域スポーツクラブ」を中心に日本のスポーツは発展していきます。
 たとえば将来、こんなことが起きたら御の字です。

  ある街のスポーツクラブのママさんバレー部門が、ある日突然、ということはなさそうですが、何かをきっかけにグングン強くなっていく。そして、当初はお気軽にママさんバレーを楽しんでいたチームがメキメキ実力をつけ、やがて日本のバレーボールの最高峰Vリーグに参戦する──。

 もしこんなことが起きたら万々歳です。そして、そんなトップレベルの選手たちの傍らで、地域の子どもたちもバレーボールを楽しんでいる。もしこんなことになったら最高です。
 で、それはバレーボールでも、ビーチバレーでも、水泳でも、バスケットボールでも、卓球でも、ラグビーでも、サッカーでも、柔道でも、スキーでも何でもいいのです。(野球はダメよ!!!)
 わが国のスポーツ界は各競技ごとにバラバラですが(野球界は野球界のなかでもバッラバラ。そもそも「日本野球協会」というものがない)、この地域スポーツクラブを中心にまとまればいいのです。そして、地域が主体となってこの国のスポーツを興し直すのです。これが日本のスポーツ界が向かっていく方向です。

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 それでは、企業・学校を中心とする従来のスポーツ振興はどうなっていくのでしょう?
 考えるまでもありません。徐々に縮小ですね。
 高校野球のみならず、高校サッカーや高校ラグビーなどの「学校スポーツイベント」は、まだまだそこそこの隆盛を保っているようです。また企業スポーツの残骸もまだまだそこかしこに残っています。が、学校は勉強をするところです。企業は利益を追求するところです。わが国のスポーツは今後、地域・住民が主体となり、企業は一歩下がって、各地域スポーツクラブのパトロンになっていただきます。
 ということは? つまり、どういうこと? いまだに企業の論理が「剥き出し&最優先」で、また子どもたちへの奇々怪々なる教育をいまだに第一目的としている日本の野球界は、今後どうなっていくのでしょう?
 はい、立派な「抵抗勢力」とあいなります。おそらく野球界はシラを切って逃げ切ろうとするでしょう。ですから、みなさん、どうか先取り、先回りをしてください。お願いします。いまのうちから野球を弾き飛ばす。突き放す。それがカッコイイですし、また日本スポーツ界の今後の健全な発展のためだと思います。日本スポーツ界にとって、もはや野球は邪魔者。ザックリと置き去りにしましょうよ。(つづく)

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第13章 時代の流れには逆らえませんよ![1]

2005年06月06日 | 第13章
[1]

〈地域に根差したスポーツクラブで真の豊かさを!〉

 
  「この国はスポーツ文化がなかなか育たない」──。

 などと、眉間にシワを寄せて議論している評論家の方々がよくいらっしゃいます。が、育つも育たないも、わが国には「スポーツ文化」なんていう上等なものはそもそもなかった、と私は思っています(日本スポーツ界の中心に“その気”がまったくない野球界がドシリと居座りつづけているわけですし)。その認識は正しいとも、また思っています。

 行政の“無策”が原因なのですが、いままでこの国にあったのは、学校の「体育」(という奇々怪々なる教育)、そしてスポーツの形をした「企業広告」、この二つでした。行政が学校と企業に下駄を預けてしまい、「スポーツ行政」というものがこの国にはまったく存在しなかったわけです。
 この国の学校というのは何だかヘンテコリンなところですし、また企業はあくまで利潤追求を第一に考えるところです。おかげで、この国のスポーツはおかしなことになってしまいました。
 学校の「体育」も「企業広告」のためのスポーツもともに、少し大げさかもしれませんが、スポーツに対する「侮蔑行為」、もっと言えば「冒涜」であります。スポーツを楽しむ、というきわめて純粋な目的(何よりも優先されるべき第一の目的です)が後塵を排しているわけですから。真の意味での「スポーツ文化」は最近始まったばかり、これからなのです。

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 最近、「総合型地域スポーツクラブ」なるものが全国各地に次々と設立されていますね。これです。これが「あるべき姿」です。私が住む街にも、小規模ながら、地域住民のだれもが気軽に参加できるスポーツクラブが発足しました。
 日本には各地域ごとに独自のお祭りがありますね。老若男女、貧富の差など一切関係なく、だれもが気軽に参加し楽しめるお祭りです。
 これと同じようなものだと考えればわかりやすいのですが、行政、地元企業、そして地域住民が三位一体となって総合スポーツクラブを各地につくり、「地域社会に根差したスポーツ振興」を目指すわけです。
 これが待ちに待った「あるべき姿」で、地域・住民が学校・企業からスポーツを取り返し、「みなさん、豊かな人生を送ってくださいね」「ついでに地域社会の活性化にもつなげてちょうだい」という寸法なのです。詳しくは文部科学省のホームページをご覧ください。(つづく)

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第12章 もはやベースボールは「18禁」?

2005年06月04日 | 第12章
 ここで小結論でございます。

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 健全な「スポーツ文化」として正しく繁栄しようという意志すらない日本プロ野球(=「プロ余興」)を筆頭に、大新聞社様がゴリ押ししつづける「汗と涙と感動」のアナクロ高校野球など、プロ・アマを問わず、野球の世界はもうとっくに地に堕ちていると思います。海の向こうの「薬漬けMLB」も同じです。野球、野球道、ベースボール……、何でも構いません。もはや、子どもの教育にもよろしくないというレベルのもの、すなわち「18禁」!!! 決して言い過ぎではないと思います。ホント、ひどいものです。

 わが息子のためにアダルトビデオを買ってくる親なんていないでしょう。でも、わが子を東京ドームや甲子園球場に連れて行ったり、野球用品を買い与えキャッチボールの相手をしたりする親はまだまだたくさんいます。
 これこそが日本スポーツ界の不幸だと思うのですが、やはり、わが国の高度に大衆化した社会の下層部に、鈍臭い人々のコミュニティのようなものが完全に凝り固まっているのではないでしょうか? そのコミュニティの人たちがスコップを手に、無自覚ながら野球界の周辺に穴を掘りつづけている。だから、地に堕ちているのに全然そう見えない。まさに「牛のよだれ」。そこそこの繁栄がダラダラとつづいているわけです。

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 おそらくこの先、野球界はちびちびと改革を進めていくでしょう。いくら平均的な野球ファンがボーッとした「受け身人間」の群れとはいえ、進めていかなくてはならないでしょう。

 最近も、プロの選手が高校生を指導できるようになったとか(いままではできなかったのかい?)、50年ぶりに新球団が生まれたり、セ・パ交流戦など、ちょっとした変化(みな「改革」などと誇張していますが)がありました。
 また、観客数もようやく実体に近い数字を発表するようになったようです。海の向こうのMLBも、薬物汚染の解消に向けて一応、動き出したよう。筋肉隆々だったメジャーリーガーの体はしぼみ、ただいまホームラン数激減中だそうです。「このままではちとマズイなぁ」という危機感は一応、あるようです。

 でも、すべては小手先の改革に終始するでしょう。プロが高校生を指導できるようになったなどという話は、「マイナス5000」が「マイナス4999」になったようなレベルの話です。観客数をちゃんと発表するのも当たり前。
 本当に変えなければならない根本の部分、たとえばプロ野球なら、『読売』を筆頭とする大メディアのいないところへ飛び出して新たなもの(もちろん企業色を排除した“正しい”もの)をつくるなどということは、きっとだれにもできないでしょう。

 自分たちの社会があまりよろしくない歪んだ社会だということを、野球界の人々も十分承知しているはずです。しかし一方で、平均的な野球ファンというのは、何も考えていない受け身の人々が主流ですから、急いで改革を推し進める必要もない。すなわち「ダメ」なままでも行ける、というのが現実です。高校野球だって大新聞社様主催の、ジャーナリズム不在の「教育野球」のままでいられます。
 ところが、みなさん、このままではいけないのですよ。わが国が江戸時代のように再び国を閉じるというのであれば、いまのままでもいいのですが……。(つづく)

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第11章 高校球児は全然「さわやか」じゃありません![2]

2005年06月02日 | 第11章
[2]

〈とても醜悪な高校球児の「無駄走り」〉

 そしてもう一つ。これまた目も当てられないのが、高校球児たちの「無駄走り」です!
 守備位置につくときや守備が終わってベンチに戻ってくるとき、また「空襲警報」で試合が終わって応援席に向かうときなど、彼らは全力疾走します(まあ、必ずしも「全力」ということでもないようですが)。どうやら疾走することに決まっているようですね。走らなければきっと「高校生らしくない!」などと責められるのでしょう。ああ、怖い、怖い。
 あっ、ひょっとして、このバカな因襲に逆らわない態度が「さわやか」ということなのでしょうか? だとしたら、それはもうおバカさんを通りこして……、何と言ったらいいでしょう、もう言葉が見つかりません。
 野球というボールゲームそのものが不活発ですから、せめてこのときばかりは走らなければ、ということでしょう。いや、「走らなければ」ではなく、「走らさなければ」でしょうか? 10代の若者たちにきわめて不活発な競技をやらせて大喜びしているわけですから、少々申し訳ない気持ちになるのでしょう。だから、溌剌としたスポーツのイメージを演出するため、大人たちが勝手に「走る」ということに決めちゃった。
 でも、この高校球児の「無駄走り」、じつに見苦しいと思います。よくゲートボールのお年寄りが「一番ゲート通過!」のあと、走る必要などまったくないのに、突然何かに取り憑かれたように走りだしますね。それと質的にまったく同じですよ。とても見苦しい。きわめて醜悪です。
 こんなわけのわからないところで全力疾走をしたり、戦争でもないのに軍隊のような行進をするような人間、つまりおかしな「教育」をまともに受けてしまった人間が、学校を卒業し、社会のさまざまな活動に参加してくるかと思うとゾッとします。
 まったく重要でないことに全力で取り組むチンプンカンプンな人、たいして忙しくもないのに忙しく働いているフリをするバカチン、朝礼で軍人みたいな挨拶をする部長さん(もうあまりいない?)……などなど、きっとあなたの会社にもまだまだいるのではないでしょうか?
 たとえば、就職活動中のある若者が面接で「私は高校のとき、甲子園を目指して野球に励んでおりました」とか、あるいは「甲子園に出場しましたぁ!」などと自慢げに語ったらどうなるのでしょうか?
 この国の「平均値」はいまだオメデタイままですから、きっとこの若者は「高評価」「高得点ゲット」ということになるのでしょうね。でも私がその会社の経営者なら、まったく逆の評価になります。減点、もしくは「まあ、そんなことやらされてたの? かわいそうに。これからの人生まだまだ長いんだから挽回しましょうね」などと言って慰めてあげます。

 さて、話は変わりますが、以前、某有名週刊誌にけったいな記事がありました。春の大会の主催者である『毎日新聞』が、大会出場校に新規の新聞購読者を紹介するよう依頼していたというのです。で、その行為がけしからんとその週刊誌は主張するのです。くわえて、「選抜出場校の選考基準には品位もあるが、毎日新聞にそれを問う資格などあるまい」などと結んで悦に入っているようでした。
 そうでしょうか? 私は別にいいと思いますけど。なぜって、いまどき甲子園出場で大喜びしているような学校なんて時代遅れも甚だしいのですから、『毎日新聞』でも押し付けられればいいのです。

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 甲子園の高校球児のみならず、野球をやっている(やらされている)子どもたち、じつにかわいそうだと思います。
 いま述べたことにくわえ、野球という競技でいくら腕を上げたとしても、待ち構えているのは、「プロ野球」とは名ばかりの歪んだ歪んだ「ニッポン親方大企業野球」(蔑称「プロ余興」)、あるいは「傲慢&肥満大国USA」の「薬漬けMLB」のどちらかです。「お金がたくさんもらえそう」ということが唯一の利点ですね。まあ、それだけでいいのかな?
 「高校野球をただちに休止せよ!」と私が主張したとて、そのとおりになるわけがありません。ですから、みなさん、とくに洗練されたあなた、見ないようにしてください。見ない人がドッと増えれば何とかなりますから。
 そしてもう一つ。高校野球の話題で盛り上がっているような人(まあ、与太オヤジ系が多いのですが)を見かけたら、その人を白い眼で見てやってください。お願いします。いまはもう、一昔二昔三昔前の娯楽が少なかった時代ではありません。活発な他競技も目白押しです。一日も早く、この時代錯誤甚だしい高校野球を、みなさん、見捨ててください。削除してください。でないと、この国、なかなか前に進めません。(つづく)

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