この国の野球とはすなわち、「しんどいスポーツはゴメンだぁ!」「キツイのはイヤだよ~」「あんまり走りたくないよ~」という、この国のへなちょこ男たちの「必需品」、なくてはならない「必須アイテム」なのです。で、まだまだこの国では、そんなへなちょこ男たちの「優勢勝ち」がつづいているわけです(早晩逆転すると思われますが)。とてもわかりやすいと思います。
はい、つづきまして、どうしてこんなに野球なの? 第二の推測です。これは第一の推測ほど重大なものではないと思いますが、触れておく価値はあると思います。
× × × × ×
〈②日本人はルールが大好きだね〉
日本人は自由が苦手です。そしてルールに縛られるのが大好きです。当の本人たちはあまり自覚していないようですが、私たち日本人の「ルール好き」は尋常ではありません。
私たちは自由を上手く扱うことができませぇ~ん!
かように宣言しているかのごとく、たとえば、この国の学校にはビックリするような校則がまだまだたくさんあるようですし、あなたがお勤めの会社にも、きっとどうでもいいようなルールがたくさんあるでしょう。また、定年退職後の人生をどう過ごせばいいのかわからない、なんていうチンプンカンプンな人も、この国には多いようです。(好きなように過ごせばいいのです)
自由を扱うことがとても苦手だから、この国は「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」のオンパレードになってしまいます。
「大人なんだからそんなルール作らなくたって……」などと反駁を試みても無駄。いともあっさりと「まずはルールありき」という状況を作り出し、ルールに縛られホッとする。現代日本人とはそういう生き物だと思います。
もっともこれは、「日本はとても秩序正しい国ですね」などという外国の方々からのお褒めの言葉につながったりするのですが……。
さて、「ルールブックは薄ければ薄いほうがいい」という命題は真だと私は思います。話は少し大仰になりますが、たとえば国家には法律というルールがありますね。日本国憲法を最高法規としてわが国にも無数の法律がありますが、いま現在この国の国会議員のなかに、この真の命題、つまり「法律(ルール)はあまり増やさないほうがいい」ということを常に気にかけている人はどれくらいいるでしょうか? あるいは「余計な法律は削ろう」とか。あまりいないでしょう。
ルールブックが分厚くなっていくのは、じつはとても残念なことなのです。ルールなど作らずに上手くやっていけるにこしたことはない。何事も最低限のルールで上手くやっていく。これが最善でしょう。
× × × × ×
さて、野球です。野球はルールブックのとても分厚い競技です。ルールだらけ。ルールまみれ。
そして、ルールブックに明記されているわけではないけれど、「型」というべきものがビシッと決まっています。このときは必ずこうする、ああいうときは絶対にこう、というような「型」です。例外などはきわめて少ない。
ポジションもまた同じです。チームによって配置が異なる、などということはないわけです。
野球には決まりがたくさんある。制約がある。「型」がある。だからルール好きの日本人にとっては「とっても安心!」、ということになるのではないでしょうか?
おのれの自由奔放な発想力や知性を伴った創造力などを試されることが、このベースボールという球技のなかにはあまりないのです。自由な発想や創造力のまえに、数多くのルール、そして「型」という大きな壁が立ちはだかってくれます。決まったことをきっちり、常識的に、確実にこなしていればいいわけです。
余談ですけど、最近わが国には「マニュアル人間」という薄気味悪い人種がいますね。マニュアルどおりに物事をすすめ、何か不規則なこと、思いがけないことが起こったらとたんに対応できなくなる人種です。これはルール好き日本人の究極の姿、成れの果てではないでしょうか?
ルールブックが分厚く、自由がかなり制限されていて、「型」がビシッと決まっている。この特徴もまた、自由を扱うことを苦手とする日本人がベースボールを選び取った理由の一つとして有力と言えるでしょう。(つづく)
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はい、つづきまして、どうしてこんなに野球なの? 第二の推測です。これは第一の推測ほど重大なものではないと思いますが、触れておく価値はあると思います。
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〈②日本人はルールが大好きだね〉
日本人は自由が苦手です。そしてルールに縛られるのが大好きです。当の本人たちはあまり自覚していないようですが、私たち日本人の「ルール好き」は尋常ではありません。
私たちは自由を上手く扱うことができませぇ~ん!
かように宣言しているかのごとく、たとえば、この国の学校にはビックリするような校則がまだまだたくさんあるようですし、あなたがお勤めの会社にも、きっとどうでもいいようなルールがたくさんあるでしょう。また、定年退職後の人生をどう過ごせばいいのかわからない、なんていうチンプンカンプンな人も、この国には多いようです。(好きなように過ごせばいいのです)
自由を扱うことがとても苦手だから、この国は「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」のオンパレードになってしまいます。
「大人なんだからそんなルール作らなくたって……」などと反駁を試みても無駄。いともあっさりと「まずはルールありき」という状況を作り出し、ルールに縛られホッとする。現代日本人とはそういう生き物だと思います。
もっともこれは、「日本はとても秩序正しい国ですね」などという外国の方々からのお褒めの言葉につながったりするのですが……。
さて、「ルールブックは薄ければ薄いほうがいい」という命題は真だと私は思います。話は少し大仰になりますが、たとえば国家には法律というルールがありますね。日本国憲法を最高法規としてわが国にも無数の法律がありますが、いま現在この国の国会議員のなかに、この真の命題、つまり「法律(ルール)はあまり増やさないほうがいい」ということを常に気にかけている人はどれくらいいるでしょうか? あるいは「余計な法律は削ろう」とか。あまりいないでしょう。
ルールブックが分厚くなっていくのは、じつはとても残念なことなのです。ルールなど作らずに上手くやっていけるにこしたことはない。何事も最低限のルールで上手くやっていく。これが最善でしょう。
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さて、野球です。野球はルールブックのとても分厚い競技です。ルールだらけ。ルールまみれ。
そして、ルールブックに明記されているわけではないけれど、「型」というべきものがビシッと決まっています。このときは必ずこうする、ああいうときは絶対にこう、というような「型」です。例外などはきわめて少ない。
ポジションもまた同じです。チームによって配置が異なる、などということはないわけです。
野球には決まりがたくさんある。制約がある。「型」がある。だからルール好きの日本人にとっては「とっても安心!」、ということになるのではないでしょうか?
おのれの自由奔放な発想力や知性を伴った創造力などを試されることが、このベースボールという球技のなかにはあまりないのです。自由な発想や創造力のまえに、数多くのルール、そして「型」という大きな壁が立ちはだかってくれます。決まったことをきっちり、常識的に、確実にこなしていればいいわけです。
余談ですけど、最近わが国には「マニュアル人間」という薄気味悪い人種がいますね。マニュアルどおりに物事をすすめ、何か不規則なこと、思いがけないことが起こったらとたんに対応できなくなる人種です。これはルール好き日本人の究極の姿、成れの果てではないでしょうか?
ルールブックが分厚く、自由がかなり制限されていて、「型」がビシッと決まっている。この特徴もまた、自由を扱うことを苦手とする日本人がベースボールを選び取った理由の一つとして有力と言えるでしょう。(つづく)
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