『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第11章 高校球児は全然「さわやか」じゃありません![2]

2005年06月02日 | 第11章
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〈とても醜悪な高校球児の「無駄走り」〉

 そしてもう一つ。これまた目も当てられないのが、高校球児たちの「無駄走り」です!
 守備位置につくときや守備が終わってベンチに戻ってくるとき、また「空襲警報」で試合が終わって応援席に向かうときなど、彼らは全力疾走します(まあ、必ずしも「全力」ということでもないようですが)。どうやら疾走することに決まっているようですね。走らなければきっと「高校生らしくない!」などと責められるのでしょう。ああ、怖い、怖い。
 あっ、ひょっとして、このバカな因襲に逆らわない態度が「さわやか」ということなのでしょうか? だとしたら、それはもうおバカさんを通りこして……、何と言ったらいいでしょう、もう言葉が見つかりません。
 野球というボールゲームそのものが不活発ですから、せめてこのときばかりは走らなければ、ということでしょう。いや、「走らなければ」ではなく、「走らさなければ」でしょうか? 10代の若者たちにきわめて不活発な競技をやらせて大喜びしているわけですから、少々申し訳ない気持ちになるのでしょう。だから、溌剌としたスポーツのイメージを演出するため、大人たちが勝手に「走る」ということに決めちゃった。
 でも、この高校球児の「無駄走り」、じつに見苦しいと思います。よくゲートボールのお年寄りが「一番ゲート通過!」のあと、走る必要などまったくないのに、突然何かに取り憑かれたように走りだしますね。それと質的にまったく同じですよ。とても見苦しい。きわめて醜悪です。
 こんなわけのわからないところで全力疾走をしたり、戦争でもないのに軍隊のような行進をするような人間、つまりおかしな「教育」をまともに受けてしまった人間が、学校を卒業し、社会のさまざまな活動に参加してくるかと思うとゾッとします。
 まったく重要でないことに全力で取り組むチンプンカンプンな人、たいして忙しくもないのに忙しく働いているフリをするバカチン、朝礼で軍人みたいな挨拶をする部長さん(もうあまりいない?)……などなど、きっとあなたの会社にもまだまだいるのではないでしょうか?
 たとえば、就職活動中のある若者が面接で「私は高校のとき、甲子園を目指して野球に励んでおりました」とか、あるいは「甲子園に出場しましたぁ!」などと自慢げに語ったらどうなるのでしょうか?
 この国の「平均値」はいまだオメデタイままですから、きっとこの若者は「高評価」「高得点ゲット」ということになるのでしょうね。でも私がその会社の経営者なら、まったく逆の評価になります。減点、もしくは「まあ、そんなことやらされてたの? かわいそうに。これからの人生まだまだ長いんだから挽回しましょうね」などと言って慰めてあげます。

 さて、話は変わりますが、以前、某有名週刊誌にけったいな記事がありました。春の大会の主催者である『毎日新聞』が、大会出場校に新規の新聞購読者を紹介するよう依頼していたというのです。で、その行為がけしからんとその週刊誌は主張するのです。くわえて、「選抜出場校の選考基準には品位もあるが、毎日新聞にそれを問う資格などあるまい」などと結んで悦に入っているようでした。
 そうでしょうか? 私は別にいいと思いますけど。なぜって、いまどき甲子園出場で大喜びしているような学校なんて時代遅れも甚だしいのですから、『毎日新聞』でも押し付けられればいいのです。

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 甲子園の高校球児のみならず、野球をやっている(やらされている)子どもたち、じつにかわいそうだと思います。
 いま述べたことにくわえ、野球という競技でいくら腕を上げたとしても、待ち構えているのは、「プロ野球」とは名ばかりの歪んだ歪んだ「ニッポン親方大企業野球」(蔑称「プロ余興」)、あるいは「傲慢&肥満大国USA」の「薬漬けMLB」のどちらかです。「お金がたくさんもらえそう」ということが唯一の利点ですね。まあ、それだけでいいのかな?
 「高校野球をただちに休止せよ!」と私が主張したとて、そのとおりになるわけがありません。ですから、みなさん、とくに洗練されたあなた、見ないようにしてください。見ない人がドッと増えれば何とかなりますから。
 そしてもう一つ。高校野球の話題で盛り上がっているような人(まあ、与太オヤジ系が多いのですが)を見かけたら、その人を白い眼で見てやってください。お願いします。いまはもう、一昔二昔三昔前の娯楽が少なかった時代ではありません。活発な他競技も目白押しです。一日も早く、この時代錯誤甚だしい高校野球を、みなさん、見捨ててください。削除してください。でないと、この国、なかなか前に進めません。(つづく)

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第11章 高校球児は全然「さわやか」じゃありません![1]

2005年05月31日 | 第11章
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 わが国が「野球社会主義人民共和国」であることをもっとも強く感じさせる季節──。それは高校野球が行われる春と夏であります。
 この時期のスポーツニュースは、もう「濃厚」! キャスターが「スポーツをお伝えします」と言うから黙って見ていたら、ぜ~んぶ野球。薬物汚染のメジャーリーグやって、国内のプロ野球(蔑称「プロ余興」)やって、そして最後に高校野球。「以上、スポーツでした」なんてことになります。もう苦笑いしか出てきません。テレビ画面に釘付けになっているのはいったいどんな人たちでしょう? だいたい想像がつきますが……

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 はい、高校野球(注)です。春の「センバツ」とやらいう大会は『毎日新聞』、そしてお気の毒なほど暑苦しい夏の大会は『朝日新聞』と、ともに分からず屋さんの大新聞様が主催していますし、また日本高等学校野球連盟(高野連)という団体も胡散臭い。そして何より、日本国民のみなさまが無邪気! ああ、それからNHKも忘れてはいけませんね。だからもう、がんじがらめ。まったく身動きがとれません。
 この高校野球という競技大会にも、きっと模索すべき「あるべき姿」というものがあるはずです。でも、そんなことは一切お構いなし。ビタッと固まったまま動きません。「野球道」だか「汗と涙と感動」だか知りませんけど、無邪気な少年たちをダシに、いまだ日本全土を巻き込んだ一大スポーツイベントとして存続しています。これはもうウンザリを通りこしていますね。
 ところで、あの空襲警報のようなサイレンはいったい何なのでしょう? 開会式での学徒出陣の壮行会みたいな行進は? ひょっとして「戦争好き」ですか?
 大会開催時に電気店のテレビ売り場に行くと、かわいそうな高校球児たちが50インチのプラズマテレビに大映しされています。お決まりの光景ですね。テレビの進化は凄まじいですが、日本野球は止まったまま。ちっとも変わりません。私だったら高校球児たちの顔にモザイクをかけますよ(かわいそうだから)。

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〈高校球児は全然「さわやか」じゃない!〉

 まず、この高校野球で特筆したいのは、「高校球児はさわやかだ」という、それはそれは困った妄想です。
 高校球児は「さわやか」なのだそうです。まったく、大笑いです。
 大会開催時、新聞の読者投稿欄には「さわやかな高校球児に感動!」などといった無邪気をきわめたかのような投書がしばしば掲載されます。なんかもう、体の力が抜けて何もする気がなくなってしまうのですが、どうやらみんなで「さわやかだ!」ということに無理やり仕立て上げたいようですね。
 はい、ここでもまた、ザックリと言わせていただきましょう。高校球児は全然さわやかではありません。むしろ、オッサン臭い。ダサすぎる。時代遅れ。かわいそう。お気の毒。助けてあげたい!!!
 高校球児ということは、決まりきったことですが、彼らは高校生ですね。高校生ということは、これまた決まりきっていますが、15歳、16歳、17歳、18歳でしょう。そんな若者たちが、長ズボンをはいてほとんどジーッとして動かない競技をやっている(やらされている)。いったいどこが「さわやか」なのでしょうか?
 競泳の選手が全力で泳ぎきる。ラグビー少年が激しくぶつかりあい、汗が飛び散る。う~ん、とってもさわやかです。が、パジャマみたいな服を着た若者たちがほとんどジーッとして動かないのを見て、どうして「さわやか」などと思えるのでしょうか? 銀行で番号札を握りしめ、順番待ちをしているパジャマ姿の高校生が「さわやか」でしょうか?
 はい、またまた乱暴なことを言ってしまいましたが、でもそうです。「野球少年は元気な子」などというイメージをお持ちの方がまだいらっしゃるのなら(いらっしゃるでしょう、いらっしゃるでしょう)、それはすみやかに改めたほうがいい! いや、改めよ! もう命令ですね。野球というボールゲームをよ~く見てください。ほとんど動かない。運動不足。全然「元気」じゃありません。(老体にムチ打って全国ツアーを展開しているピンクレディーのお二人のほうが、はるかに元気!)

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 じつにもったいないのです。彼らはきっと運動能力に恵まれた子どもたちだと思います。だから余計にそう思います。
 16歳、17歳あたりはとても重要な時期です。活発に動き回る競技を選べば心肺機能をグングン伸ばすことができますし、また強靭でバランスのとれた肉体をつくり上げるのにも絶好の時期です。それにまた、お勉強もしたほうがいい。
 なのにあんな時間の使い方をして、おまけに世界に全然通じない競技をやって(やらされて)、とてももったいないと思います。
 私ならパジャマのポケットに本を一冊入れておいて、暇なとき(野球のほとんどの時間がそう)に読みますね。
 みなさん、この「高校球児=さわやか」という妄想は足蹴にしなければなりませんよ。足で蹴とばして、唾を吐きかけ、そして踏みつぶしてください。(つづく)

(注)
 高校野球誕生の昔話です。一応、触れておきますか……。
 明治四十四年、『東京朝日新聞』が「野球と其害毒」という野球排除の記事(いわゆる「野球害毒論」)を連載しました。旧五千円札の肖像になった新渡戸稲造(第一高等学校校長)や乃木希典(学習院院長)ら、当時の高名な教育者が健筆をふるったのですが、その内容は、野球は「巾着切(スリ)の遊戯」だとか、「対手をペテンに掛けよう、計略に陥れよう……故に米人には適するが……」「手の平へ強い球を受けるため、その振動が脳へ伝わって脳の作用を遅鈍にさせる」などといった陳腐なものでした。
 その陳腐な反野球キャンペーンは人々の反感をおおいに買い、その結果、『朝日』は発行部数を激減させました。大衆を敵に回す恐ろしさを知ったのでしょう、その後『朝日』は「野球は教育的な良いもの」と掌を返し、全国中等学校野球大会(現在の高校野球)を開催するに至りました。
 野球排除の大胆なキャンペーンを展開した、当時の『朝日』の勇気にだけ拍手を送りたいと思います。その後、スポーツを「教育的なもの」と解し、大会を主催しつづけている(つまりスポーツの「内部者」でありつづけている)のはいただけません。前述したとおり、ジャーナリズムは「アウトサイダー」に徹しなければなりませんよ。「内部者」をつづけるのは、もはや社会の利益に反する行為です。すみやかに撤退してください。

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