『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[5]

2005年04月19日 | 第4章
[5]

〈ハァ? ギリシャが野球の「発展途上国」だと?〉

 脱線ついでにもう一つ。2004年アテネ五輪の野球会場の概要が発表されたとき、私はけったいな新聞記事を見つけてしまいました。

  「野球の『発展途上国』のギリシャだけに二つの球場は仮設で……」(朝日新聞2004/2/3夕刊)

 いやいや、驚きましたね。ギリシャは「野球の『発展途上国』」なのだそうです。みなさん、ご存じでした? これは驚きというより、むしろ滑稽と言ったほうがいいかもしれない。いやいや、滑稽じゃないな。ギリシャという国に失礼だぁ! 私はそう思います。

 なぜなら、「発展途上」も何もないからです。そもそもギリシャという国に、ベースボールを発展させようという意志があるのか? その答えは、あっさり“No”でしょう。

 国を挙げて野球を発展させようと奮闘しているけどなかなか発展しない、ということならば「発展途上国」という表現は適切でしょう。ところが、事実はまったくちがいます。

 ギリシャで直接野球に関わっているごくごく少数の人たちは、そう願っているかもしれません。「なんとか発展せぇへんかな」などと日々苦悶しているかもしれません。ところが、ギリシャ社会が全体として「ギリシャの野球を発展させよう!」なんてこれっぽっちも考えていません。

 事実、アテネオリンピックに参加したギリシャの野球チーム(惨敗しましたが)は、ギリシャ人で構成されていたのではありません。ギリシャに少しでも縁のある米国人野球選手を無理やり寄せ集め、その場を取り繕ったのです。

 「野球が盛んでないギリシャだけに」とか「野球人気がないギリシャだけに」と書けばよかったのです。なのに「発展途上国」なんて表現になる。だから私は「失礼だぁ!」と感じたのです。これはもう「傲慢バカ」と言うしかありません。

 日米人はとても「傲慢バカ」だと思います。「日」のほうが「米」よりはいくらかマシだと信じたいのですが、面倒なので一緒くたにさせていただきます。

 「日米共栄圏」のみなさまは、ホント、世界を知ろうとしない! そして「われわれは先進国だ!」などと悦に入り、他国を「発展途上国」などと見下して喜ぶ。「傲慢バカ」はUSAの専売特許です。私たちはUSAにお付き合いする必要などまったくないのです。

 ギリシャのみならず、世界はベースボールなんかやりません。不活発だから。スローだから。あまりにも運動量が少ないから。かったるいから。まどろっこしいから。ややこしいから。全然知的なスポーツじゃないから。退屈だから。時間の無駄遣いだから。カッコ悪いから。肥満の国に同化したくないから。USAのコンプレックスなんて知ったこっちゃないから!!!

  × × × × ×

〈野球のワールドカップ?〉

 野球サイドの人間たちのなかには、将来、野球でもサッカーと同じようなワールドカップを開催したい、などと夢見ている人がいるようです。が、そんなことは絶対に無理! 実現不可能です。

 世界のほとんどの国・地域が参加し、各大陸ごとに厳しい予選が行われる。そして、その戦いを勝ち抜いた国々が4年に1度あいまみえ、世界は熱狂のるつぼと化す。そんなことがベースボールで起きるわけがありません。100年待っても、200年待っても……。

 何十面もある広大なテニス場の片隅に卓球台をおいて「卓球やろう!」とわめいているようなものですね。囲碁教室に入って将棋やったり、宝石店で「天丼ください」とか、讃岐うどんの店で「みそラーメン!」とか、モスバーガーで「フィレオフィッシュ!」とか……、まあ何でもいいですが、とにかく「世界は野球なんてやっておりません」「今後やる予定もございません」ということです。まあ、わからない人にはわからないのかもしれませんが、このあたりのことは知っておかなきゃマズイと思います、一地球人として。

 ちなみに、ギリシャで盛んなスポーツはバスケットボールとサッカー。それと、水泳がとても盛んなのだそうです。ギリシャのみなさん、活発ですね。元気ですね。体動かしてますね。うらやましいです。日本は相も変わらず野球でジーッ。あまり動きたくないんです。ああ、情けない!(つづく)

  × × × × ×

第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[4]

2005年04月17日 | 第4章
[4]

〈USAはなぜベースボールをするのか?〉

 それでは、アメリカ合衆国はなぜベースボールをするのでしょうか? 自然な疑問ですね。USAの男性も平均的日本人男性のように「へなちょこ」で、あまり動きたくないのでしょうか? あまり走りたくないのでしょうか?

 いいえ、それはちがうようです。USAではバスケットボールやアイスホッケーなどの激しく動き回る競技も盛んです。米国におけるベースボールの隆盛、これは一重に、ヨーロッパに対するコンプレックスでしょう。

 アメリカ合衆国は言わずと知れた移民の国です。ヨーロッパを追われた人々がつくった特別な国。よく「フロンティアスピリット(=開拓者精神)」とか「自由を求めて新大陸に渡った」などという、勇壮かつ麗しい言葉を耳にしますが、これはとんでもない誇張だと思います。

 旧世界、つまりヨーロッパを追われた人々はやがて独立を勝ち取ります。そして、大国にのし上がっていくにつれ、独立国の民として独自の文化を形成しようと腐心します。そして、旧世界の影響(おもに英国のものですが)から逃れたいという強い意識のなかから生まれ、そして力強く発展していったもの、その代表的なものがベースボールです。(注1)

 米国人のヨーロッパに対するコンプレックスは、スポーツの面におおいに現れました。彼らはラグビーやサッカーなどの旧世界のボールゲームをことごとく排除し、そして20世紀の前半には、アメリカンフットボール、バスケットボール、ベースボールという米国独自の3大スポーツを意図的に確立させるに至ったのです。

 そのコンプレックスに由来するライバル心たるや尋常ではありませんでした。事実、大学などではサッカーなどの旧世界のボールゲームをあからさまに排除したという記録も残っています。そして、いまや「ピープルズゲーム」とまで呼ばれ、世界の人々に最も支持されているこのボールゲーム(もちろんサッカーのことです)を、彼らは大胆にも、女子供のスポーツへと意図的に貶めたのです(注2)。

 このような事実からもわかるように、ベースボールとはすなわち、追われた人々の末裔たちの、少々ひねくれた根性が産み落とした、きわめて特殊なボールゲームだと言えます。

 特殊な人々の特殊なボールゲーム。そんな人々の陳腐なコンプレックスなど他国民の知ったことではありません。おまけに、昨今のUSAを見てください。言うまでもありませんが、世界を震撼させる「傲慢&肥満帝国」、そう、世界の「嫌われ者」です。だから世界の人々は、「USA臭」漂うベースボールなんかには目もくれない。そういう側面もおおいにあると言えるのではないでしょうか?(つづく)

(注1)
 ベースボールの起源についてですが、じつは Made in USA ではなく、「英国にもともとあったよ」という説もあります。しかしまあ、イギリスの人々はベースボールなど眼中にないでしょうから、「ベースボールの『原産地』はアメリカ合衆国」ということで、あまり拘泥しないことにいたします。

(注2)
 いまや米国でもサッカーは盛んに行われるようになりました。しかし、米国の全サッカー人口に占める女性の割合は、いまだ他国の追随をまったく許さないほど高く、サッカーを女子供のスポーツへと貶めていた時代の名残が色濃く残っています。
 むろん、女性がサッカーをしてはいけない、なんて言っているのではありません。女性もおおいにサッカーを楽しんでください。元気に走り回りましょう。

  × × × × ×

第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[3]

2005年04月15日 | 第4章
[3]

〈ベースボールは自由じゃないっ!〉

 そしてもう一つ触れておかなければならないのが、前述しましたが、ベースボールはルールブックのとても分厚い競技だ、という点です。ルールブックが分厚い、制約が多い、自由じゃない、シンプルじゃない、ということはすなわち、知性を働かせる機会にかなりの制限が加わることを意味します。

 スポーツ、とくにボールゲームの楽しさは、選手たちの様々な能力が「複合的に試される」ことにあります。

 きわめて単純な瞬発力と同時に知的な創造力が試されたり、持久力と同時に精神の逞しさが試されたり──。スポーツを見る側も、選手たちのこれらの能力に感心したり、ときには嘲笑ったりしながらおおいにスポーツを楽しむのです。

 ところが、野球にはこの楽しみがあまりない。長い距離を走る能力なんて端から問われないし、知性を伴ったひらめきや創造力などを発揮するまえに、たくさんのルール、そして「型」が立ちはだかります。こういうときは必ずこうする、ああいうときは絶対にこう、というような「型」。ですから、自由がほとんど利きません。

 「創造する」という楽しみがほとんどなく、ピッチャーの肩が過度に酷使されるだけ。決まったことを確実に、常識的にこなすことがおおいに求められるボールゲームであると言えます。自らを「自由の国」と称する国(USA)で本当に生まれたのだろうかと思うほど、ベースボールは制約だらけの不自由なボールゲームです。

  × × × × ×

 ある大新聞の川柳コーナーにこんな句が載っていました。最近のことです。

  スポーツは 頭もかなり 要ると知り

 わが国のスポーツが「野球一色」だった時代には、そんなこと思いもしなかったのでしょうね。ベースボールはいわゆる「マニュアルどおり」のボールゲーム。自由奔放で知的な想像力などを発揮できる余地が猫の額ほどしかない、まったくをもって不自由なボールゲームです。

 「秩序正しく行われる」などと言えば(よく言いますよね? 野球サイドの人たちは)聞こえはいいです。が、「制約が多く、知性などもあまり問われず、全然自由じゃないからつまらない」のほうが妥当な価値判断だろうと思います。

 「それはオマエの考えだろっ!」

 はい、そうですね。でも、ベースボールを受け入れていない、この地球上の大部分の国・地域の人々もおおむねこんな感じではないか、ということです。

 世界のほとんどの人々は野球のルールすら知りません。また「ぜひ覚えたいなぁ」とも思っていないでしょう。もし仮に、野球のルールを覚える機会に恵まれたとしても、おのれの自由な発想を抑え込まれるような印象を受けるでしょうし、またパジャマみたいな服を着てジーッとしているのも退屈ですから、おそらく多くの人々は敬遠するのではないでしょうか?

 ベースボールなんかをわざわざ覚えなくたって、他に魅力あふれるスポーツ、遊びがこの世にはたくさんあるのですね。(つづく)

  × × × × ×

第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[2]

2005年04月13日 | 第4章
[2]

〈ベースボールは走らないっ!〉

 ベースボールというボールゲームが世界の人々のハートをつかむには、あるいは世界の人々の尊敬を集めるには、やはり、あまりにも大きな「欠陥」があると言わざるを得ません。「欠陥」というのは少々言い過ぎかもしれませんね。でも、欠落しているとても大きなもの、決定的なもの──。それは長い距離を走る力、つまり選手たちの心肺機能や有酸素運動能力といったものがまったく問われないことです。

 野球選手のなかにも、きっと中長距離を走る能力に長けた人物がいるでしょう。1500mとか10kmとか20kmとか、長い距離を走るのが得意な人です。でも、野球にはその能力を発揮するところがまったくない(もったいない!)。

 サッカーやアイスホッケーのように繰り返し繰り返し疾走する能力、つまり選手たちの心肺能力が問われることが野球というボールゲームにはないのです。この意味においては、野球選手よりも、アイスホッケーやサッカーの「審判」のほうがはるかにスポーツマン? そんな気もしてきます。

 余談ですが、以前、健康をテーマにしたテレビのバラエティ番組に、日本プロ野球のOBらしき人物が出ていました。その人は番組中終始、他の出演者から「○○さんはスポーツマンでいらっしゃるから……」などとおだてられていたのですが、どうなんでしょうか? 私思うに、野球選手の肉体なんてたいしたものではないと思います。

 ましてOBなんて、血糖値が気になるそこらへんの中年サラリーマンとそれほど変わらないのではないでしょうか? 筋力と瞬発力、そして動体視力? このあたりの力は並外れているのかもしれませんが、「スポーツマン」と呼べるほど全体的にバランスのとれた肉体を持っている人は少ないと私は思います。

 世界の大多数の人々も、おそらくそのあたりのことを感じ取っているのではないでしょうか? ベースボールは、「走る」というとても大きな要素が欠落した、スポーツのなかでもかなり不活発なほうに分類されるもので、著しくバランスを欠いた例外的なボールゲーム。だから、そんなたいした競技ではない! ベースボールなんかで熱狂している人たちの気が知れない!

 おそらくそんな感じの認識が世界の「相場」「客観」なのではないでしょうか? だから、世界の多くの人々はベースボールを「熱烈に」取り組もうとはしないのですね、私たち「日米人」のようには。

  × × × × ×

 きわめて不活発、ろくすっぽ走らない、ピッチャーの肩以外は運動量がきわめて少ない、ということはすなわち、選手たちはあまり疲労しないということになります。疲労しませんから、たとえばプロの世界では、一チームあたり年間百数十試合もの公式戦をこなします。

 百数十試合もするわけですから、人々に繰り返し繰り返し見せることになります。当然、メディアへの露出も大きくなります。これです。毎日のように見せることで、人々をなかば中毒のようにして人気を獲得していったボールゲーム、それがベースボールでしょう。

 じつは相当の時間の無駄遣いで、見るべきものはきわめて少ない。「スポーツ観戦」というよりはむしろ「ひまつぶし」。実際、この国ではそんな感じでしょう?

 もし仮に、野球のルールが大幅に改正されたとしましょう。世界的な人気を得るためにです。9回の攻防を7回にし、そして3アウトを2アウトに、三振を二振に、フォアボールをスリーボールにというふうに、ゲームのスピードアップのための思い切ったルール改正です。

 それでも、おそらく世界の人々はこのボールゲームに食いつくことはないでしょう。ゲームのスピードアップがなされたとしても、野球があまりにも散漫で、ろくすっぽ走らないボールゲームには変わりありませんから。(つづく)

  × × × × ×

第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[1]

2005年04月11日 | 第4章
[1]

 それでは、ここでちょこっと脱線しましょう。

 日本のみなさまがこよなく愛し、そしてとても熱烈に取り組むベースボール──。でも、世界の人々にはあまり受け入れられていないようです。なぜでしょうか? 探ってみましょう。

  × × × × ×

〈やはり、ベースボールは散漫に過ぎるっ!〉

 サッカーや自転車競技などが盛んなヨーロッパ諸国にだってベースボールはあります。たとえばイタリア、フランス、オランダ、ロシア……。最近、ドイツ人も野球を始めたと聞いています。

 でもこれらの国々が、私たち日本人のように「とても熱烈に」野球に取り組むことは、まずないでしょう。なぜって、ベースボールはあまりにも散漫、スロー、退屈ですから。

 ベースボールがとても不活発で散漫なボールゲームであることに異論はないと思います。他のさまざまな人気スポーツと比較すればわかりますね。アイスホッケーやラグビー、サッカーやバスケットボールなどとは比べものになりません。雲と泥ほどの差があります。

 野球でもしばしば「激闘」や「死闘」などの言葉が使われます。たとえば「5時間にも及ぶ死闘を制したのは……」などとみな軽々しく言うのですが、それは異様に時間が掛かったというだけでしょう。実態は「死」にも「激」にもどちらにも該当しないのではないでしょうか?

 試合中、パジャマのような服を着た選手たちがほとんどジーッとしているボールゲーム、それが野球です。「激」や「死」や「闘」などという字に少々失礼ではないかと思います。「野球はボーリングよりは活発だよ」。はい、そうですね。「ゴルフよりは激しく動くぞ!」。はい、そのとおり。「ゲートボールよりは活発だぜっ!」。うん、まあ、そうだね。その程度でしょう。

 1試合を3時間とすると、そのうち2時間半ぐらいは試合が止まっていると言われます。

 3時間という試合時間──。もうこれだけで私なんぞは逃げ出したくなるのですが(もし私が野球をしたら、おそらく3回裏ぐらいで帰ってしまいます)、そのうちのおよそ5/6が「休憩時間」なのです。ですからテレビの野球中継は、試合が動いているところだけを編集して放送すれば「30分番組」になりますね(そうしてほしい!!!)。ホント、優雅な競技です。若さを吸いとられそうです。

 極端な話ですが(そうでもないかな?)、たとえ寝不足や二日酔いで試合に臨んだとしても、試合中に休む時間がいくらでもあるわけです。

 で、ゲームが動くときでも、それは出場している選手全員が目まぐるしく、激しく動き回るわけではありません。ごく一部の人がちょこっと動くだけ。まあ、NHK『のど自慢』の出演者みたいなものでしょうか? 真っ赤に燃え上がっているのはピッチャーの肩だけで、「『スポーツ』と呼ぶにはちょっとなぁ……」とイチャモンをつけたくなるほど、不活発をきわめる散漫なボールゲームです。

 不活発なスポーツはけしからん!!! そんなことは決してありません。不活発なスポーツもおおいに「あり」です。おおいに「あり」なのですが、でも、世界の元気な人々は、このボールゲームを「スポーツに準ずるもの」程度にしか感じていないのではないでしょうか? つまり「準スポーツ」「レクリエーション」といった感じ。

 ベースボールはまさに、だれにでもできるお手軽な「レクリエーション」。広大なグラウンドを使うわりには、全然走らない、全然疲れない「準スポーツ」。世界の平均的な見方はきっとそんなところでしょう。(つづく)

  × × × × ×