『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第6章 なぜサッカーではないのか?[1]

2005年04月29日 | 第6章
[1]

 こう見てきますと、「なぜサッカーではないのか(なかったのか)?」がよくわかってくると思います。わが国にプロサッカーリーグが生まれたのは、つまりわが国のサッカー界に「本腰」が入ったのは、ついつい最近のことです。日本ほどの国力を有する国が、最近になってようやくサッカーに本腰を入れ始めた。どう考えたっておかしいです。不自然です。なぜこの国ではサッカーがあまり盛んに行われてこなかったのでしょうか?
 いやいや、とは言っても、もうすぐですね。外国の方々に「日本で一番盛んなスポーツは何ですか?」と問われて、迷うことなく「もちろんサッカーですよ」と答えられる、そんな「普通の国」「自然な国」に近い将来わが国もなります。もうすぐなるのですが、現時点ではまだですね。いまはあくまで「なりつつある」という状況でしょう。

 さて、もはやスポーツの枠を超え、「世界の言葉」とまで形容されるサッカーを引き合いに出すのは、かなりの嫌みになると思われます。が、やはり、人類にもっとも支持されているこのボールゲームとの比較を明確にすると、とてもわかりやすくなってくると思いますので断行いたします。

  × × × × ×

 さて、この地球上には200を超える国・地域がありますが(野球ばかりやっていると、こんなことすら実感できない)、だいたいどこへ行っても、男どもは元気にサッカーです。少々乱暴な言いっぷりですが。
 アフガニスタンに行っても、マダガスカルでも、ブラジルでも、スウェーデンでも、ニジェールでも、ナイジェリアでも、アルジェリアでも、アルゼンチンでも、ソロモン諸島でも、バヌアツでも、コートジボアールでも、ブルキナファソでも、ギニアでも、ベニンでも、パレスチナでも、イスラエルでも、香港でも、北朝鮮でも、メキシコでも、ホンジュラスでも、マレーシアでも、ベトナムでも、リビアでも、スイスでも、イランでも、イラクでも、エルサルバドルでも、エジプトでも、南アフリカでも、ジンバブエでも、ロシアでも、リトアニアでも、ネパールでも、アゼルバイジャンでも、モルドバでも、フィンランドでも、アラブ首長国連邦でも、レバノンでも、トリニダード・トバゴでも、セント・ビンセント&グレナディーンでも、ナミビアでも、スーダンでも、リビアでも、インドでも、ブルガリアでも、ルーマニアでも、アイスランドでも、ウズベキスタンでも、チェチェンでも、イングーシでも、サハ共和国でも……
 男たるもの、だいたいみんなお外で元気にサッカーです。まずはサッカー、元気な男の子はサッカー、自国の代表チームが弱かろうがサッカー、年老いてもサッカー、戦争中でもサッカー、サッカーが多数派、サッカーが「与党」、といった感じです。大変くどいですけども。
 ところが、わが国ではあまりそうではありません。少なくとも一昔前までは全然そうではありませんでした。
 サッカーは完全に「野党」。しかも小さな、名もない党でした。いまではなんとか民主党ぐらいの存在にはなりましたが、まだまだ「与党」にはなれませんね。なぜでしょうか? もうおわかりでしょう。サッカーは? はい、激しいから、キツイからです。サッカーはとてもしんどいのです。(つづく)

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第5章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測③「USAにべったり」にも程がある!!![4]

2005年04月27日 | 第5章
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〈精神的にも「へなちょこ」か?〉

 激しいスポーツを嫌う平均的日本人男性のことを、私は「へなちょこ」と言いました。これはいわば「肉体的身体的へなちょこ」ですね。これに対し、アメリカ合衆国という「上司」に過度にひれ伏す多くの日本国民の態度は、「精神的へなちょこ」と言えるのではないでしょうか? この国の「精神へなちょこ」のみなさんが、「USAにゴマするぞぉ!」「USAに付き従うぞぉ!」と勝手に決めてしまったのですね。

 日本人が被虐趣味(マゾ)なのは知っています。私も大学卒業後、少しだけ普通のサラリーマンをやりましたからわかっています。日本人は「やられる」「痛めつけられる」「支配される」「屈服する」のが大好きですね。

 でも、それには程度というものがあるでしょう。政府がダメでも、せめて大衆レベルでUSAに抗う風潮が欲しい。でも、ほとんどない。なぜか? そんなことを考えても虚しくなるだけなのですが、USAに必死でゴマをするマゾ国民、じつに情けないと思います。

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 わが国がこれほどまでの野球大国になった背景には、いくつかの「通説」があるようです。

 たとえば、ピッチャーの投球に対しバッターが一人ずつ勝負を挑む様が、お侍さんの一騎打ちに似ているから馴染みやすかった、というもの。つまり「ニッポン人1対1大好き説」ですね。なるほど、それも一理あるなと思います。

 また「農耕民族説」なんていうのもありますね。私たちはヨーロッパの人たちのような狩猟民族ではないから、という説。ふん、それもいいでしょう。でも、これらは真実を覆い隠すためのものに過ぎないと私は思います。否定はしませんが、主要なものではない。

 主要なものは、真実は……

① ベースボールは、サッカーやラグビー、アイスホッケーなどとはちがい、激しく動き回る必要がほとんどない。きわめて平穏で不活発な競技。だから日本の「へなちょこ男」が飛びついた。

② 野球には制約が多く、また「型」がビシッと決まっている。つまりルールだらけで不自由。だから、自由を扱うことが不得手で、ルールが大好きな日本人にピッタンコ。

そして、③ USAという「上司」に対する、反吐が出るほどあからさまなゴマすり、擦り寄り、ご機嫌とり。

 これらのじつに情けない、早急に反省し改めるべき三つの理由のほうが、はるかに重大だと私は思います。だから私は「ベースボールは不要!」と主張しているのです。わかっていただけますでしょうか?

 さあ、つぎに、サッカーとの比較をいたしましょう。(つづく)

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第5章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測③「USAにべったり」にも程がある!!![3]

2005年04月25日 | 第5章
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 わが国は戦争で散々米国に痛めつけられ、原子力爆弾まで投下されたのですよ。しかもご親切に、ちがうタイプのものを2発も。もう忘れてしまいましたか?

 戦後もUSAの思惑に振り回されてきましたね。USAというのはとても攻撃的でアイデアに富んでいますから、今後もわが国をおおいに振り回すのだろうと思いますが、私思うに、われわれ日本人はUSAが望む以上に、必要以上に、米国の文化や価値などを率先して取り入れてきたと思います。「USAに喜んでいただこう」「USAにゴマをすろう」ともう必死。本当にそこまでする必要があった(ある)のでしょうか?

 ベースボールも、戦後、進駐軍兵士たちが全国各地で子どもたちに教えたと聞いていますが、なかでも私がもっとも腹立たしく感じる象徴的なものは、広島市民球場です。広島市民球場の位置。一句浮かびましたよ。

   原爆の 投下地点で 野球かよ

 「ベースボールかよ」では字余りになりますので、「野球かよ」となります。いますぐ各紙の川柳コーナーに投句したいところですが、官製ハガキがもったいないのでやめておきます。

 この広島市民球場の位置、何とかならないでしょうか? 広島市内のど真ん中、USAによって原子力爆弾を落とされたまさにその場所で、アメリカンボールゲームをやって大喜びしています。

 「広島市民球場は戦後の広島を元気づけたんだよ」なんていう声が聞こえてきそうですね。でも、私は全然そうは思いません。何てマゾキスティックなのだろうと思います。無神経にも程がある!

 逆のことを考えてみればいいのです。たとえば、わが国がニューヨークの街に原爆を投下したという過去があったとしましょう。日本によって原爆を投下された場所で、大相撲ニューヨーク場所ができますか? 寿司屋や天ぷら屋が繁盛するでしょうか? 考えるまでもないでしょう。

 広島にはJリーグクラブがあるのですから、この広島市民球場は長方形のサッカー場に改修すればいいのです。で、ベースボールをしたい人たちは、せめて街の郊外や瀬戸内海の小島などでやっていただけないでしょうか? ご先祖様に申しわけないから。(つづく)

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第5章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測③「USAにべったり」にも程がある!!![2]

2005年04月23日 | 第5章
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 ところが、どうなんでしょう? 私はとても知りたいのですが、そんな心ある日本人、つまり真剣に、ホントのホントに真剣に思い悩んでいる人というのは、人口の割合でいうと何%くらいになるのでしょうか? たぶん、かなり小さな数字じゃないかなと思います。

 最近、少し変わりつつあるのかもしれません。でも、まだまだ多くの日本人が「外国≒アメリカ合衆国」「世界標準=USA基準」「外国語≒アメリカ語」「米国は民主主義のお手本」などといった、米国中心の世界観、USAへの強い追随意識を無邪気にも抱きつづけているのではないでしょうか?

 最近になってようやく、さまざまな国際問題などにおいて「アメリカの言いなりじゃないかぁ!」などと威勢よく自国政府を非難するようにはなりました。ところがその一方で、多くの日本国民は、ディズニーランドやらユニバーサル・スタジオ・ジャパンやらで大はしゃぎ。「メジャーのパワーはすごいですねぇ~」(薬だよ!)「松井選手を応援しにニューヨークへ行こう!」(だれが行くかぁ!)などと興奮し、異臭漂うマクドナルドで昼飯食って(太るよ、体こわすよ、バカになるよ)、スタバでのんびり過ごし、イチローさんの米メジャーリーグでの記録を「世界的偉業」などと誇張し(「世界」じゃない!)、計算され尽くした味もそっけもない大仰なハリウッド映画に感動し、アカデミー賞に日本の俳優がノミネートされて大喜び。また、「フットボール」をアメリカンフットボールのことだと思い込み(アメフトは「例外的」マイナーフットボールです)、アメリカの学校に留学経験のあるような人物を「国際派」などと崇め、「入院一日1万円」だからとアメ保に加入……。

 おおいにアメリカンなものを、何の抵抗もなく受け入れているように思われます。「野球濃度」と同様、この国の「USA濃度」も相当のもの。まったく、お恥ずかしいレベルのものであります。わが国はUSAにものの見事に「支配」され、ものの見事に「屈服」しています。(つづく)

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第5章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測③「USAにべったり」にも程がある!!![1]

2005年04月21日 | 第5章
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 はい、それでは「本線」に戻りましょう。どうしてこんなに野球なの? 第三の推測です。

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〈「USAにべったり」にも程がある!!!〉

 近年の社会情勢の変化により、最近では少なくなったのかもしれません。でもこの国には、上司が変わるたびに、その上司にあわせて趣味をコロコロ変えるような、いわゆる「C級(あるいはD級、E級、F級……)ゴマすりサラリーマン」とでもいうべき輩がたくさんいます。

 「そこまでしろっ!」とはだれからも指示されていない。また、そこまでする必要もまったくない。なのにそういう行動を自動的にとる。そういった安っぽい「無条件降伏人間」がこの国にはいっぱいいます。

 わが国がこれほどまでの「ベースボール大好き国家」になった背景の一つとして、「フッフ~ン、この構図もかなりあるぞぉ!」と私は強く感じています。(まあ、私だけじゃないと思いますが)

 この場合の「上司」とは、言うまでもなくアメリカ合衆国、USAのことです。ベースボールは「上司がなさっていること」「上司のご趣味」。だから、たとえそれが世界で不評であったとしても、お付き合いしなければならない。そんなふうに勝手に思い込んだのでしょう。「上司」に直接強制されたわけでもないのに、自ら率先して、しかも無自覚に……。

 このような性癖がわが国の民に染み込んでいるのは、かなり明白な事実ではないでしょうか?

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 わが国日本の米国との付き合い方は明らかにおかしいですね。おかしいから、いまや日本は米国の「基地」、そして「財布」になり果ててしまいました。わが国はまさに「USAの僕」「黄色いUSA」であります。

 米ソが対立していた冷戦の時代、わが国が独自の国家戦略など持てず、米国の傘の下でただただ縮こまらざるをえなかったのは、ある程度理解できます。ところが、冷戦が終わってもなお、わが国は健気にもその状態をつづけているように思います。まあ、大きな権力の傍らで、これまた「できるだけ楽をしよう!」という魂胆なのでしょうが、私たち日本人は自分たちの脚でしっかり立つことをやめちゃいました。

 たとえですが、アヒルには、卵からかえって最初に見た生き物を親だと思い込む習性(インプリンティング、刷り込み)がありますが、これにも似たようなことが、この日米間にはあるのではないでしょうか? 私はそう思っています。太平洋戦争でわが国は米国と敵対した? うん、あれは一瞬の出来事でしょう。

 心ある日本人ならば、この嘆かわしい状況を憂い、日ごろの生活のなかでさまざまな思いをめぐらしていることでしょう。最近、国内の新聞や雑誌などをパラパラめくっても、米国との付き合い方、距離感、そしてわが国の独立国家としてのあり方などを厳しく問う言説が数多く見受けられます。

 世界を震撼させる「ハイパー超大国」、地球上のカネと軍事力を一手に掌握しようとする「ヤクザ国家」、核不拡散や地球温暖化防止などといった世界の取り決めを足蹴にする「傲慢帝国」、ありもしない脅威をでっちあげる「自作自演の戦争屋」、……とわれわれはどう向き合えばいいのか? みんな心配なのですね。(つづく)

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第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[5]

2005年04月19日 | 第4章
[5]

〈ハァ? ギリシャが野球の「発展途上国」だと?〉

 脱線ついでにもう一つ。2004年アテネ五輪の野球会場の概要が発表されたとき、私はけったいな新聞記事を見つけてしまいました。

  「野球の『発展途上国』のギリシャだけに二つの球場は仮設で……」(朝日新聞2004/2/3夕刊)

 いやいや、驚きましたね。ギリシャは「野球の『発展途上国』」なのだそうです。みなさん、ご存じでした? これは驚きというより、むしろ滑稽と言ったほうがいいかもしれない。いやいや、滑稽じゃないな。ギリシャという国に失礼だぁ! 私はそう思います。

 なぜなら、「発展途上」も何もないからです。そもそもギリシャという国に、ベースボールを発展させようという意志があるのか? その答えは、あっさり“No”でしょう。

 国を挙げて野球を発展させようと奮闘しているけどなかなか発展しない、ということならば「発展途上国」という表現は適切でしょう。ところが、事実はまったくちがいます。

 ギリシャで直接野球に関わっているごくごく少数の人たちは、そう願っているかもしれません。「なんとか発展せぇへんかな」などと日々苦悶しているかもしれません。ところが、ギリシャ社会が全体として「ギリシャの野球を発展させよう!」なんてこれっぽっちも考えていません。

 事実、アテネオリンピックに参加したギリシャの野球チーム(惨敗しましたが)は、ギリシャ人で構成されていたのではありません。ギリシャに少しでも縁のある米国人野球選手を無理やり寄せ集め、その場を取り繕ったのです。

 「野球が盛んでないギリシャだけに」とか「野球人気がないギリシャだけに」と書けばよかったのです。なのに「発展途上国」なんて表現になる。だから私は「失礼だぁ!」と感じたのです。これはもう「傲慢バカ」と言うしかありません。

 日米人はとても「傲慢バカ」だと思います。「日」のほうが「米」よりはいくらかマシだと信じたいのですが、面倒なので一緒くたにさせていただきます。

 「日米共栄圏」のみなさまは、ホント、世界を知ろうとしない! そして「われわれは先進国だ!」などと悦に入り、他国を「発展途上国」などと見下して喜ぶ。「傲慢バカ」はUSAの専売特許です。私たちはUSAにお付き合いする必要などまったくないのです。

 ギリシャのみならず、世界はベースボールなんかやりません。不活発だから。スローだから。あまりにも運動量が少ないから。かったるいから。まどろっこしいから。ややこしいから。全然知的なスポーツじゃないから。退屈だから。時間の無駄遣いだから。カッコ悪いから。肥満の国に同化したくないから。USAのコンプレックスなんて知ったこっちゃないから!!!

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〈野球のワールドカップ?〉

 野球サイドの人間たちのなかには、将来、野球でもサッカーと同じようなワールドカップを開催したい、などと夢見ている人がいるようです。が、そんなことは絶対に無理! 実現不可能です。

 世界のほとんどの国・地域が参加し、各大陸ごとに厳しい予選が行われる。そして、その戦いを勝ち抜いた国々が4年に1度あいまみえ、世界は熱狂のるつぼと化す。そんなことがベースボールで起きるわけがありません。100年待っても、200年待っても……。

 何十面もある広大なテニス場の片隅に卓球台をおいて「卓球やろう!」とわめいているようなものですね。囲碁教室に入って将棋やったり、宝石店で「天丼ください」とか、讃岐うどんの店で「みそラーメン!」とか、モスバーガーで「フィレオフィッシュ!」とか……、まあ何でもいいですが、とにかく「世界は野球なんてやっておりません」「今後やる予定もございません」ということです。まあ、わからない人にはわからないのかもしれませんが、このあたりのことは知っておかなきゃマズイと思います、一地球人として。

 ちなみに、ギリシャで盛んなスポーツはバスケットボールとサッカー。それと、水泳がとても盛んなのだそうです。ギリシャのみなさん、活発ですね。元気ですね。体動かしてますね。うらやましいです。日本は相も変わらず野球でジーッ。あまり動きたくないんです。ああ、情けない!(つづく)

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第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[4]

2005年04月17日 | 第4章
[4]

〈USAはなぜベースボールをするのか?〉

 それでは、アメリカ合衆国はなぜベースボールをするのでしょうか? 自然な疑問ですね。USAの男性も平均的日本人男性のように「へなちょこ」で、あまり動きたくないのでしょうか? あまり走りたくないのでしょうか?

 いいえ、それはちがうようです。USAではバスケットボールやアイスホッケーなどの激しく動き回る競技も盛んです。米国におけるベースボールの隆盛、これは一重に、ヨーロッパに対するコンプレックスでしょう。

 アメリカ合衆国は言わずと知れた移民の国です。ヨーロッパを追われた人々がつくった特別な国。よく「フロンティアスピリット(=開拓者精神)」とか「自由を求めて新大陸に渡った」などという、勇壮かつ麗しい言葉を耳にしますが、これはとんでもない誇張だと思います。

 旧世界、つまりヨーロッパを追われた人々はやがて独立を勝ち取ります。そして、大国にのし上がっていくにつれ、独立国の民として独自の文化を形成しようと腐心します。そして、旧世界の影響(おもに英国のものですが)から逃れたいという強い意識のなかから生まれ、そして力強く発展していったもの、その代表的なものがベースボールです。(注1)

 米国人のヨーロッパに対するコンプレックスは、スポーツの面におおいに現れました。彼らはラグビーやサッカーなどの旧世界のボールゲームをことごとく排除し、そして20世紀の前半には、アメリカンフットボール、バスケットボール、ベースボールという米国独自の3大スポーツを意図的に確立させるに至ったのです。

 そのコンプレックスに由来するライバル心たるや尋常ではありませんでした。事実、大学などではサッカーなどの旧世界のボールゲームをあからさまに排除したという記録も残っています。そして、いまや「ピープルズゲーム」とまで呼ばれ、世界の人々に最も支持されているこのボールゲーム(もちろんサッカーのことです)を、彼らは大胆にも、女子供のスポーツへと意図的に貶めたのです(注2)。

 このような事実からもわかるように、ベースボールとはすなわち、追われた人々の末裔たちの、少々ひねくれた根性が産み落とした、きわめて特殊なボールゲームだと言えます。

 特殊な人々の特殊なボールゲーム。そんな人々の陳腐なコンプレックスなど他国民の知ったことではありません。おまけに、昨今のUSAを見てください。言うまでもありませんが、世界を震撼させる「傲慢&肥満帝国」、そう、世界の「嫌われ者」です。だから世界の人々は、「USA臭」漂うベースボールなんかには目もくれない。そういう側面もおおいにあると言えるのではないでしょうか?(つづく)

(注1)
 ベースボールの起源についてですが、じつは Made in USA ではなく、「英国にもともとあったよ」という説もあります。しかしまあ、イギリスの人々はベースボールなど眼中にないでしょうから、「ベースボールの『原産地』はアメリカ合衆国」ということで、あまり拘泥しないことにいたします。

(注2)
 いまや米国でもサッカーは盛んに行われるようになりました。しかし、米国の全サッカー人口に占める女性の割合は、いまだ他国の追随をまったく許さないほど高く、サッカーを女子供のスポーツへと貶めていた時代の名残が色濃く残っています。
 むろん、女性がサッカーをしてはいけない、なんて言っているのではありません。女性もおおいにサッカーを楽しんでください。元気に走り回りましょう。

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第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[3]

2005年04月15日 | 第4章
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〈ベースボールは自由じゃないっ!〉

 そしてもう一つ触れておかなければならないのが、前述しましたが、ベースボールはルールブックのとても分厚い競技だ、という点です。ルールブックが分厚い、制約が多い、自由じゃない、シンプルじゃない、ということはすなわち、知性を働かせる機会にかなりの制限が加わることを意味します。

 スポーツ、とくにボールゲームの楽しさは、選手たちの様々な能力が「複合的に試される」ことにあります。

 きわめて単純な瞬発力と同時に知的な創造力が試されたり、持久力と同時に精神の逞しさが試されたり──。スポーツを見る側も、選手たちのこれらの能力に感心したり、ときには嘲笑ったりしながらおおいにスポーツを楽しむのです。

 ところが、野球にはこの楽しみがあまりない。長い距離を走る能力なんて端から問われないし、知性を伴ったひらめきや創造力などを発揮するまえに、たくさんのルール、そして「型」が立ちはだかります。こういうときは必ずこうする、ああいうときは絶対にこう、というような「型」。ですから、自由がほとんど利きません。

 「創造する」という楽しみがほとんどなく、ピッチャーの肩が過度に酷使されるだけ。決まったことを確実に、常識的にこなすことがおおいに求められるボールゲームであると言えます。自らを「自由の国」と称する国(USA)で本当に生まれたのだろうかと思うほど、ベースボールは制約だらけの不自由なボールゲームです。

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 ある大新聞の川柳コーナーにこんな句が載っていました。最近のことです。

  スポーツは 頭もかなり 要ると知り

 わが国のスポーツが「野球一色」だった時代には、そんなこと思いもしなかったのでしょうね。ベースボールはいわゆる「マニュアルどおり」のボールゲーム。自由奔放で知的な想像力などを発揮できる余地が猫の額ほどしかない、まったくをもって不自由なボールゲームです。

 「秩序正しく行われる」などと言えば(よく言いますよね? 野球サイドの人たちは)聞こえはいいです。が、「制約が多く、知性などもあまり問われず、全然自由じゃないからつまらない」のほうが妥当な価値判断だろうと思います。

 「それはオマエの考えだろっ!」

 はい、そうですね。でも、ベースボールを受け入れていない、この地球上の大部分の国・地域の人々もおおむねこんな感じではないか、ということです。

 世界のほとんどの人々は野球のルールすら知りません。また「ぜひ覚えたいなぁ」とも思っていないでしょう。もし仮に、野球のルールを覚える機会に恵まれたとしても、おのれの自由な発想を抑え込まれるような印象を受けるでしょうし、またパジャマみたいな服を着てジーッとしているのも退屈ですから、おそらく多くの人々は敬遠するのではないでしょうか?

 ベースボールなんかをわざわざ覚えなくたって、他に魅力あふれるスポーツ、遊びがこの世にはたくさんあるのですね。(つづく)

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第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[2]

2005年04月13日 | 第4章
[2]

〈ベースボールは走らないっ!〉

 ベースボールというボールゲームが世界の人々のハートをつかむには、あるいは世界の人々の尊敬を集めるには、やはり、あまりにも大きな「欠陥」があると言わざるを得ません。「欠陥」というのは少々言い過ぎかもしれませんね。でも、欠落しているとても大きなもの、決定的なもの──。それは長い距離を走る力、つまり選手たちの心肺機能や有酸素運動能力といったものがまったく問われないことです。

 野球選手のなかにも、きっと中長距離を走る能力に長けた人物がいるでしょう。1500mとか10kmとか20kmとか、長い距離を走るのが得意な人です。でも、野球にはその能力を発揮するところがまったくない(もったいない!)。

 サッカーやアイスホッケーのように繰り返し繰り返し疾走する能力、つまり選手たちの心肺能力が問われることが野球というボールゲームにはないのです。この意味においては、野球選手よりも、アイスホッケーやサッカーの「審判」のほうがはるかにスポーツマン? そんな気もしてきます。

 余談ですが、以前、健康をテーマにしたテレビのバラエティ番組に、日本プロ野球のOBらしき人物が出ていました。その人は番組中終始、他の出演者から「○○さんはスポーツマンでいらっしゃるから……」などとおだてられていたのですが、どうなんでしょうか? 私思うに、野球選手の肉体なんてたいしたものではないと思います。

 ましてOBなんて、血糖値が気になるそこらへんの中年サラリーマンとそれほど変わらないのではないでしょうか? 筋力と瞬発力、そして動体視力? このあたりの力は並外れているのかもしれませんが、「スポーツマン」と呼べるほど全体的にバランスのとれた肉体を持っている人は少ないと私は思います。

 世界の大多数の人々も、おそらくそのあたりのことを感じ取っているのではないでしょうか? ベースボールは、「走る」というとても大きな要素が欠落した、スポーツのなかでもかなり不活発なほうに分類されるもので、著しくバランスを欠いた例外的なボールゲーム。だから、そんなたいした競技ではない! ベースボールなんかで熱狂している人たちの気が知れない!

 おそらくそんな感じの認識が世界の「相場」「客観」なのではないでしょうか? だから、世界の多くの人々はベースボールを「熱烈に」取り組もうとはしないのですね、私たち「日米人」のようには。

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 きわめて不活発、ろくすっぽ走らない、ピッチャーの肩以外は運動量がきわめて少ない、ということはすなわち、選手たちはあまり疲労しないということになります。疲労しませんから、たとえばプロの世界では、一チームあたり年間百数十試合もの公式戦をこなします。

 百数十試合もするわけですから、人々に繰り返し繰り返し見せることになります。当然、メディアへの露出も大きくなります。これです。毎日のように見せることで、人々をなかば中毒のようにして人気を獲得していったボールゲーム、それがベースボールでしょう。

 じつは相当の時間の無駄遣いで、見るべきものはきわめて少ない。「スポーツ観戦」というよりはむしろ「ひまつぶし」。実際、この国ではそんな感じでしょう?

 もし仮に、野球のルールが大幅に改正されたとしましょう。世界的な人気を得るためにです。9回の攻防を7回にし、そして3アウトを2アウトに、三振を二振に、フォアボールをスリーボールにというふうに、ゲームのスピードアップのための思い切ったルール改正です。

 それでも、おそらく世界の人々はこのボールゲームに食いつくことはないでしょう。ゲームのスピードアップがなされたとしても、野球があまりにも散漫で、ろくすっぽ走らないボールゲームには変わりありませんから。(つづく)

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第4章 ちょこっと脱線 なぜ世界は野球をしないのか?[1]

2005年04月11日 | 第4章
[1]

 それでは、ここでちょこっと脱線しましょう。

 日本のみなさまがこよなく愛し、そしてとても熱烈に取り組むベースボール──。でも、世界の人々にはあまり受け入れられていないようです。なぜでしょうか? 探ってみましょう。

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〈やはり、ベースボールは散漫に過ぎるっ!〉

 サッカーや自転車競技などが盛んなヨーロッパ諸国にだってベースボールはあります。たとえばイタリア、フランス、オランダ、ロシア……。最近、ドイツ人も野球を始めたと聞いています。

 でもこれらの国々が、私たち日本人のように「とても熱烈に」野球に取り組むことは、まずないでしょう。なぜって、ベースボールはあまりにも散漫、スロー、退屈ですから。

 ベースボールがとても不活発で散漫なボールゲームであることに異論はないと思います。他のさまざまな人気スポーツと比較すればわかりますね。アイスホッケーやラグビー、サッカーやバスケットボールなどとは比べものになりません。雲と泥ほどの差があります。

 野球でもしばしば「激闘」や「死闘」などの言葉が使われます。たとえば「5時間にも及ぶ死闘を制したのは……」などとみな軽々しく言うのですが、それは異様に時間が掛かったというだけでしょう。実態は「死」にも「激」にもどちらにも該当しないのではないでしょうか?

 試合中、パジャマのような服を着た選手たちがほとんどジーッとしているボールゲーム、それが野球です。「激」や「死」や「闘」などという字に少々失礼ではないかと思います。「野球はボーリングよりは活発だよ」。はい、そうですね。「ゴルフよりは激しく動くぞ!」。はい、そのとおり。「ゲートボールよりは活発だぜっ!」。うん、まあ、そうだね。その程度でしょう。

 1試合を3時間とすると、そのうち2時間半ぐらいは試合が止まっていると言われます。

 3時間という試合時間──。もうこれだけで私なんぞは逃げ出したくなるのですが(もし私が野球をしたら、おそらく3回裏ぐらいで帰ってしまいます)、そのうちのおよそ5/6が「休憩時間」なのです。ですからテレビの野球中継は、試合が動いているところだけを編集して放送すれば「30分番組」になりますね(そうしてほしい!!!)。ホント、優雅な競技です。若さを吸いとられそうです。

 極端な話ですが(そうでもないかな?)、たとえ寝不足や二日酔いで試合に臨んだとしても、試合中に休む時間がいくらでもあるわけです。

 で、ゲームが動くときでも、それは出場している選手全員が目まぐるしく、激しく動き回るわけではありません。ごく一部の人がちょこっと動くだけ。まあ、NHK『のど自慢』の出演者みたいなものでしょうか? 真っ赤に燃え上がっているのはピッチャーの肩だけで、「『スポーツ』と呼ぶにはちょっとなぁ……」とイチャモンをつけたくなるほど、不活発をきわめる散漫なボールゲームです。

 不活発なスポーツはけしからん!!! そんなことは決してありません。不活発なスポーツもおおいに「あり」です。おおいに「あり」なのですが、でも、世界の元気な人々は、このボールゲームを「スポーツに準ずるもの」程度にしか感じていないのではないでしょうか? つまり「準スポーツ」「レクリエーション」といった感じ。

 ベースボールはまさに、だれにでもできるお手軽な「レクリエーション」。広大なグラウンドを使うわりには、全然走らない、全然疲れない「準スポーツ」。世界の平均的な見方はきっとそんなところでしょう。(つづく)

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第3章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測② 日本人はルールが大好きだね

2005年04月09日 | 第3章
 この国の野球とはすなわち、「しんどいスポーツはゴメンだぁ!」「キツイのはイヤだよ~」「あんまり走りたくないよ~」という、この国のへなちょこ男たちの「必需品」、なくてはならない「必須アイテム」なのです。で、まだまだこの国では、そんなへなちょこ男たちの「優勢勝ち」がつづいているわけです(早晩逆転すると思われますが)。とてもわかりやすいと思います。

 はい、つづきまして、どうしてこんなに野球なの? 第二の推測です。これは第一の推測ほど重大なものではないと思いますが、触れておく価値はあると思います。

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〈②日本人はルールが大好きだね〉

 日本人は自由が苦手です。そしてルールに縛られるのが大好きです。当の本人たちはあまり自覚していないようですが、私たち日本人の「ルール好き」は尋常ではありません。

  私たちは自由を上手く扱うことができませぇ~ん!

 かように宣言しているかのごとく、たとえば、この国の学校にはビックリするような校則がまだまだたくさんあるようですし、あなたがお勤めの会社にも、きっとどうでもいいようなルールがたくさんあるでしょう。また、定年退職後の人生をどう過ごせばいいのかわからない、なんていうチンプンカンプンな人も、この国には多いようです。(好きなように過ごせばいいのです)

 自由を扱うことがとても苦手だから、この国は「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」のオンパレードになってしまいます。

 「大人なんだからそんなルール作らなくたって……」などと反駁を試みても無駄。いともあっさりと「まずはルールありき」という状況を作り出し、ルールに縛られホッとする。現代日本人とはそういう生き物だと思います。

 もっともこれは、「日本はとても秩序正しい国ですね」などという外国の方々からのお褒めの言葉につながったりするのですが……。

 さて、「ルールブックは薄ければ薄いほうがいい」という命題は真だと私は思います。話は少し大仰になりますが、たとえば国家には法律というルールがありますね。日本国憲法を最高法規としてわが国にも無数の法律がありますが、いま現在この国の国会議員のなかに、この真の命題、つまり「法律(ルール)はあまり増やさないほうがいい」ということを常に気にかけている人はどれくらいいるでしょうか? あるいは「余計な法律は削ろう」とか。あまりいないでしょう。

 ルールブックが分厚くなっていくのは、じつはとても残念なことなのです。ルールなど作らずに上手くやっていけるにこしたことはない。何事も最低限のルールで上手くやっていく。これが最善でしょう。

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 さて、野球です。野球はルールブックのとても分厚い競技です。ルールだらけ。ルールまみれ。

 そして、ルールブックに明記されているわけではないけれど、「型」というべきものがビシッと決まっています。このときは必ずこうする、ああいうときは絶対にこう、というような「型」です。例外などはきわめて少ない。

 ポジションもまた同じです。チームによって配置が異なる、などということはないわけです。

 野球には決まりがたくさんある。制約がある。「型」がある。だからルール好きの日本人にとっては「とっても安心!」、ということになるのではないでしょうか?

 おのれの自由奔放な発想力や知性を伴った創造力などを試されることが、このベースボールという球技のなかにはあまりないのです。自由な発想や創造力のまえに、数多くのルール、そして「型」という大きな壁が立ちはだかってくれます。決まったことをきっちり、常識的に、確実にこなしていればいいわけです。

 余談ですけど、最近わが国には「マニュアル人間」という薄気味悪い人種がいますね。マニュアルどおりに物事をすすめ、何か不規則なこと、思いがけないことが起こったらとたんに対応できなくなる人種です。これはルール好き日本人の究極の姿、成れの果てではないでしょうか?

 ルールブックが分厚く、自由がかなり制限されていて、「型」がビシッと決まっている。この特徴もまた、自由を扱うことを苦手とする日本人がベースボールを選び取った理由の一つとして有力と言えるでしょう。(つづく)

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第2章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測① 日本の男は「へなちょこ」である!!![4]

2005年04月07日 | 第2章
[4]

 時代はずいぶん変わったとはいえ、いまでもかなりそうだと思いますが、たとえば、そこらへんの普通の会社に入社した若者が、自己紹介でこんなことを言ったらどうなるでしょうか? 考えてみてください。

  「僕はラグビーとか水泳のような体を激しく動かすスポーツが大好きです。野球とかゴルフみたいに長ズボンはいてジーッとしてるヤツは嫌いです」などと。

 そんなことを言ったら、おそらく彼はその会社にいづらくなるでしょうね。その会社には「長ズボンはいてジーッとしてるヤツ」を好む男たちがきっと多いからです。

 この国の場合、だいたいどこへ行っても「へなちょこ男たち」のコミュニティみたいなものが自然発生していますから、「長ズボンはいてジーッとしてるヤツ」をある程度好きにならないとやっていけない。いやいや、やっていけないどころではない。彼はきっと「つぶされて」しまうのではないでしょうか?

 突然ですが、ここでゴルフにもご登場願いましょう。ゴルフもまた、わが国の殿方が大変好むスポーツです。楽ちんだからですね。ゴルフは本来「紳士のスポーツ」なのですが、この国ではそんなことは問われません。

 日本列島がもうすでに「ゴルフ場列島」なのは周知のことと思います。飛行機に乗って上空から見下ろせば一目瞭然です。ところが、それにいっそう輪をかけてゴルフ場だらけになりそうな時代がありました。みなさんもご記憶でしょう。1980年代後半から90年代にかけての、いわゆる「バブル期」です。

 バブル経済が崩壊してくれたおかげで、なんとかこの無謀な自然破壊にストップがかかりましたが、そこらへんの平均的サラリーマンどもは、中学生が学校指定の体操服を買うようにゴルフセット一式を買い揃えていました。そんな時代がたしかにありましたね。

 そして「ゴルフをやらない奴は一流のサラリーマンにはなれないぞっ!」といった雰囲気が、当時のサラリーマン社会に醸成されました。恐ろしいです。恐怖です。もしバブルがはじけてなかったらと思うとゾッとします。

 言うまでもなく、ゴルフも野球と同様、不活発な「長ズボン競技」です。激しく動く必要がまったくない。全然しんどくない(競技「そのもの」が)。だからみんなで飛びつきました。群がりました。たかりました。ゴルフという紳士のスポーツを冒涜しているとも知らず、日本国中で「雲助ゴルフ」が繁栄したのです。もしバブルがはじけてなかったら、‥‥‥‥いまごろわが国は「へなちょこ帝国」になっているのではないでしょうか?

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 激しく動き回る必要がほとんどない、あまりキツクない、おおむね楽ちん──。すなわち「不活発」という野球そのものの特徴は、多くの日本人男性の「へなちょこ性」に見事に合致しました。激しいのはイヤ、しんどいのはイヤ、キツイのはイヤなのです。

 子どものころは野球、大人になってゴルフ、そして年老いてゲートボール(そんなに動きたくない? そんなに走るのイヤ?)──。この国の「へなちょこ男たち」の王道でしょう。

 一国のスポーツ環境を創り出すのは女性たちではなく、やはり男たちです。で、この国の場合、その男たちの多くが「しんどいのはイヤだぁ!」だから、この野球というきわめて不活発なボールゲームが、この国の人気No.1スポーツになってしまったのです。そして、わが国は「高濃度」の野球大国になり仰せたのであります。(つづく)

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第2章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測① 日本の男は「へなちょこ」である!!![3]

2005年04月05日 | 第2章
[3]

 日本人男性という生き物は、楽なほう、楽なほうへと流れていく傾向が非常に強い!!! 要するに、「しんどいのはイヤだよ」「できるだけ楽なスポーツがいいなぁ」という圧倒的多数の日本人男性による暗黙の意思が、わが国をこれほどまでの「野球大国」にしたのでしょう。そして、いまでも「野球大国」たらしめているのです、きっと。

 むろん、練習ではキツイこともするのでしょう。また、一流の野球選手になるためにはかなりの努力を要するはず。ところが、ベースボールというボールゲーム「そのもの」は全然キツクない。つまり「とっても楽ちんちん」なのです。

 たまに「昔は野球しかなかった」と言う人がいますが、これはとんでもない話です。明治維新のあと、ありとあらゆるスポーツがわが国に入ってきました。そのなかにはもちろん、サッカーやラグビーなどの激しく、運動量の多いボールゲームもありました。トライアスロンやフットサルはなかったでしょうが、Water polo=水球(これはとんでもなくキツイ競技。ニッポン水球界、ガンバレ!)だって昔からあります。

 ただ、これらの激しい競技、キツイ競技を多くの日本人男性は選ばなかった、ことごとく避けた、ということでしょう。「あんまり動きたくないよ~」「できるだけ楽なのがいいな」「楽をして『スポーツマン』の称号を手に入れてやろう!」という、圧倒的多数の日本人男性による暗黙の意思の総和、これが途轍もなく大きかったのではないでしょうか?

 つまり、きわめて単純な多数決。多数決で「楽なヤツがいい。キツイのはイヤだ」という勢力が勝っちゃった、ということです。そして平成17年(西暦2005年)の現在に至ってもなお、その勢力が無視しえないほどの存在感を示しつづけているわけです。

 野球を選択しておけば、まず第一に楽ですね。また、恥をかくというようなこともあまりありません。ジーッとしてほとんど動きませんから、おのれの運動能力の低さを頻繁に露呈せずに済みます。またパジャマみたいな服を着ますから、おのれの貧弱な体を露出せずに済みます。

 はい、ごめんなさい。ちょっと言い過ぎです。言い過ぎですけれども、でも、ウン千万もの現代日本人男性をおしなべると、やはり、そんな感じの「へなちょこ」がこの国にはかなり多いと私は強く感じます。そんな「へなちょこ男」のほうが圧倒的な多数派だったから、ベースボールという不活発な「長ズボン競技」が覇権を握ってしまったのです。

 「昔は野球しかなかった」という状況も、この国の「へなちょこ男」のみなさんが作り上げたわけですね。この国の至るところに、へなちょこ男たちのいわば「協定」のようなものが自然に出来上がり、サッカーやラグビーなどの激しい競技が入り込む余地が極端に小さくなってしまったのでしょう。(つづく)

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第2章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測① 日本の男は「へなちょこ」である!!![2]

2005年04月03日 | 第2章
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〈①日本の男は「へなちょこ」である!!!〉

 長ズボンをはいて、帽子をかぶって、ベルトなんかも締めちゃって、ほとんどのプレーヤーがほとんどの時間、ほとんどジーッとして動かない。これが野球というボールゲームの決定的な特徴です。つまり、「すこぶる不活発」。

 サッカーやラグビー、アイスホッケーなどとはまったく比べものになりませんね。ピッチャーはせわしなくボールを投げますが、他の選手たちの動きはきわめて少ない。突っ立っているか、ベンチに座っているか、だいたいこの二つです。

 激しく走り回ることなどほとんどありません。相手の選手と激しくぶつかることも滅多にありません。

 試合中、だれかがコンタクトレンズを落とせばみんなで探し、ヘッドスライディングでパジャマが、いやユニフォームが汚れたら、試合を止めて泥をおとす。その間、他の人たちはジーッと待っています。ピッチャーの肩のみがキツイだけで、あとは私たちがふだん病院や金融機関などで順番待ちしている状態とたいして変わりません。

 ベースボールは「ときどき動く」「ときどき走る」という、きわめて運動量の少ない、とても平穏で悠長なボールゲーム。すなわちとっても「楽ちん」なスポーツです。野球の試合を一試合するより、ピンクレディーの歌を一曲歌って踊るほうが疲れるのではないでしょうか?

 この「激しく動く必要がほとんどない」「きわめて不活発」「おおむね楽ちん」という決定的な特徴に、きっと多くの日本人男性がここぞとばかりに飛びついたのだろう、というのが私のまず第一の推測です。この不活発なボールゲームは、多くの日本人男性にとってまさに好都合だったのでしょう。

 それでは、とても言いにくいのですが、ザックリと言い放ってしまいましょう。言う必要があると信じています。勇気を振り絞り、ザックリと言わせていただきます。

  日本人男性は「へなちょこ」である!!!

 はい、ザックリと言わせていただきました。スッキリしました。でも、もう少し正確に言ったほうがいいでしょうね。日本は他国と比べ「へなちょこ男」がかなり多い。いや、もっと正確に。わが国の場合、全男性に占める「へなちょこ比率」が他国と比べてかなり高い。これでよろしい?

 かなり挑発的な物言いですね。でも、当たっていると確信しています。図星だから、おそらくクレームがたくさん寄せられることでしょう。人間というのは本当のことを指摘されるとムキになって怒ります。(つづく)

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第2章 どうしてこんなに野球なの? 私の勝手な推測① 日本の男は「へなちょこ」である!!![1]

2005年04月01日 | 第2章
[1]

 はい、それでは本題に入りましょう。

  わが国日本はどうしてこれほどまでの「野球大国」になったのか?──

 まずは、その抜き差しならない理由、のっぴきならない事情を白日の下に晒していきます。つまり「そもそも」の部分。

 そして、このベースボールという、とても不活発で、不自由で、世界にほとんど普及していない米国産マイナーボールゲームが(野球サイドの人々は「野球は奥が深いんだよ」などとしきりに言いますが、まあ、何だってそこそこ「奥が深い」です)、なぜこれほどまで多くの日本人を魅了しつづけるのか、という疑問に迫っていきたいと思います。

 みなさん、どうでしょうか? この疑問はきわめて自然なものだと思われませんか? とくに他競技の方々、いかがでしょう? たとえば、日本プロ野球界でグルグル回っている潤沢なおカネが、ほんの少しでもいいから自分たちの競技に回ってこないかなぁ、なんて思いませんか?(思ってください)

 プロ野球選手って何千万、何億もの報酬を得ています。なかには「ヒット一本ウン百万」なんて人もいます。ホント、冗談じゃありません。また、春夏に開催される高校野球を見ても、この国の「野球びいき」は目に余ります。どうして野球をしている高校生があんなにチヤホヤされるのでしょうか?
 
 よく「国民性」という言葉を耳にしますね。「日本人は野球が好きな『国民性』だ」などと。でも、そんな言葉ではちっともわかりません。

 ベースボールをおおいに好む現代日本人の「国民性」の中身は、いったいどんな塩梅なのか? 現代日本人は数多くある選択肢のなかから、なぜこうも豪快に、なぜこうも大胆にベースボールを選び取ったのか? そして、いまだに「ベースボール大好き国家」でありつづけるのはなぜ? そののっぴきならない事情とは? 抜き差しならない背景とは? はたして……

 はい、その答えは意外と簡単、至ってシンプルだと思います。ベースボールが……

  ①不活発で、②不自由で、そして③米国産だからでしょう。

 以下に、私の勝手な推測を書きなぐります。(つづく)

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