『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第1章 わが国は途轍もない「野球大国」である![4]

2005年03月30日 | 第1章
[4]

 さて、本ブログのタイトルは『ベースボール不要論』です。「不要」と言っているのですから、この国の野球濃度を「0%」にしよう、すなわちこの国からベースボールを抹殺しよう、ということになります。

 が、そんな大胆な企みこそが「0%」、ノーチャンスでしょう。わかっています。「不要」という表現は誇張に過ぎません。したがって実際は、その「50%」というあまりにも大きな数字を、「40、30、20……」というふうに小さくしていこう、つまり希釈していこうという話になりそうです。

 野球人気凋落の話が本当なら、「わざわざそんなことしなくてもいいのでは?」「放っておけば?」などと思われるかもしれませんね。たしかにそのとおり。放っておけばいい。でも、その凋落のスピードを、ここらへんで一発、一気に上げようではないか! 加速させる必要がおおいにあるぞ! (野球が)おちぶれる前に言っておかなければならないことがあるぞ!(握りこぶしを振り上げて)という、野球サイドの人々にとってきわめて不愉快な、そう、「弱り目に祟り目」といった感じのお話です。

 結論を先に言ってしまいましょう。結局、「この国、いったいいつまで野球なんかやってるの? 野球なんかでいつまでも大喜びしてるからダメなのよ」ということです。

 わが国の行く末に思いを馳せたとき、野球はその“適性規模”を目指して縮小の一途をたどってもらうほかないと私は考えます。つまり大幅なダウンサイジング。

 はっきり言って、この国のベースボールはデカ過ぎるのです! 目ざわりなのです! 私の感覚では、この国の野球濃度を「15%」ぐらいにまで早急にもっていきたい。そしてこの国のスポーツ界のバランスを是正し、豊かで健全なスポーツ国にしたい。そう強く願っています。野球が中心だと、この国は半永久的に貧しく、不健全!!! 私はそう固く信じているのです。(つづく)

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第1章 わが国は途轍もない「野球大国」である![3]

2005年03月28日 | 第1章
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 さて、20世紀も終わりごろになって、ようやくわが国にもプロサッカーリーグ(Jリーグ)が生まれました。1993年のことです。ずいぶん遅かったですね。待ちくたびれました。どうしてこんなに遅かったのでしょう?(ホント、なぜだと思いますか? 後述しますよ。ご期待ください)

 プロサッカーリーグが生まれたことによって、ただ「どこのファン?」と問うだけで「あなたの好きな日本のプロ野球チームはどこですか?」という意味をなしていたような時代、つまり「野球一色」の時代は一応、終了しました(10代の若者などにはあまりピンとこない話かもしれませんが)。

 しかしながら、サッカー人気がわが国に高いレベルで定着するには、もうちょっとだけ時間を要するでしょう。

 なにしろ、サッカーサイドの人間たち(わが国においてはまだまだ少数派=「野党」です)が業を煮やした形で始まったのがJリーグです。若い世代にはフィットしているようですが、全体としては、まだどこか新奇で、エキゾティック(異国的)で、ぎこちない印象を与えているように見えます。

 なんだかんだ言って、この国のスポーツの「御主人様」は野球=ベースボールです。その人気は、ベースボールの本場たるアメリカ合衆国をもはるかに上回っているのではないでしょうか?

 米国には人気の面でベースボールと肩を並べる他競技があります。バスケットボールにアイスホッケー、そしてアメリカンフットボール(という名の、妙に不自由で、ラテンアメリカの人々にとってはいささか目ざわりであろう、あまり“フット”ボールには見えないフットボール)(注2)。

 私は USA-hater (アメリカ嫌い)なのであまり詳しいことは知りませんが(知りたくもありませんが)、USAにおいてベースボールは他の人気スポーツと共存しており、その存在感は one of them といった印象です。野球濃度は、う~ん、大きく見積もっても「30%」ぐらいではないでしょうか?

 ところが、日本では事情は異なります。わが国は「50%」です。ちょっと高過ぎます。濃厚に過ぎます。某大手電気メーカーのビデオデッキのリモコンには「野球延長」なんていうボタンがついているくらい。

 また、日本全国どこへ行っても、野球場は常にその街の中心にドッカァ~ンとあるし、この国のスポーツ新聞(注3)の一面を飾るのは、野球の話題がまだまだ圧倒的。オフシーズンには「だれがいくらでハンコ押した」とか、「新人選手が寮に入りました」などといった瑣末なプロ野球情報がメディアに横溢。ブクブク太った野球選手がトレーニングをしているところなんて見苦しいだけなのに、映像付きでタップリ伝えますね。また、私たち日本人の普段の会話には、野球用語や野球にまつわる比喩表現が頻繁に登場するし……。

 そう言えば、以前、民主党の岡田代表が党運営に関し「全員野球で」などと発言していたのを私はなぜか覚えています。えっ? あなたたち、野球するの? びっくり仰天でした。

 まあ、多くを語る必要はないと思います。わが国日本はものすごくバランスの悪い「野球偏重国家」です。

 諸外国から日本へやってきた人々は、わが国の野球人気の大きさにまだまだビックリするのだそうです。最近の人気凋落傾向を十分考慮しても、「わが国ニッポンは途轍もない野球大国だぁ!」ということで異論はないと思います。(つづく)

(注2)
 「アメリカ」という言葉は本来、北はアラスカ、カナダから南はチリ南端までの、あの広大な大陸全体のことを言います。「南米」「中米」「北米」ですね。ですから「アメリカ」とはアメリカ合衆国だけを指すのではなく、コスタリカも、ブラジルも、コロンビアも、ベリーズも、スリナムも、カナダも、ホンジュラスも、パラグアイも、メキシコも、ベネズエラも、パナマも、チリも、ペルーも、エルサルバドルも、グアテマラも、……ぜ~んぶ「アメリカ」なのです。
 「アメリカンフットボール」とはすなわち、「アメリカのフットボール」と言っているわけです。ということは、たとえばパラグアイの人々に言わせてみると……
 「私たちだって『アメリカ』だよ。でも、私たちのフットボールはそれではないよ」ということになります(注のなかの注:パラグアイの人々にとってのフットボールはもちろんサッカー、fútbol です)。
 本文で「ラテンアメリカの人々にとってはいささか目ざわりであろう」と言っているのはそういう意味です。
 また本文中、私は「USA」や「米国」などという言葉を連発しますが、これもまた同じ理由からです。私はアメリカ合衆国のことを、ただ「アメリカ」とはあまり言いたくありません。どうぞご理解くださいませ。

(注3)
 「スポーツ新聞」と言っても、この国にはそんなものはありません。この国の「スポーツ新聞」の内実は明らかに「与太オヤジ慰安紙」であります。「スポーツジャーナリズム」はほんのちょっとだけ。
 事実、与太オヤジ、あるいは与太オヤジになることが必至の若者には、日本の「スポーツ新聞」がよく似合うでしょ?

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第1章 わが国は途轍もない「野球大国」である![2]

2005年03月26日 | 第1章
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 最近、そんな野球人気にも陰りが……、などと囁かれているのは私もよく承知しています。たしかに近ごろ、野球を見て大喜びしている人とそうでない人との色分けも、かなり鮮明になってきたような気がします。

 比較的スッキリとした、洗練された感じの若者や女性などは、もうすっかり野球にそっぽを向いているようですね。事実、私が「野球はもう要らないね」などと言うと「やっぱり?」といった調子で食いついてくる若者が、最近結構多いのです。先日は、手を叩いて大喜びする若い女性もいましたよ。

 が、しかし、この国を広く広く見渡したとき、野球はまだまだこの国の人気No.1スポーツだと認めざるをえないでしょう。

 世界の人々にもっとも愛されているサッカー、わが国の国技たる相撲、テニスにラグビー、水泳やモータースポーツ、バスケットボールにバレーボール、アイスホッケーやスキーなどの氷上・雪上のスポーツ、格闘技や自転車競技などなど、魅力あふれるスポーツは他にたくさんあります。そんな他競技もそれなりに人気を博しているようですが、現代における日本国民の“総意”とでもいうのでしょうか、この国の一番人気はやっぱり野球です。その人気の根強さたるや、風呂場の頑固なカビのごとし。

 ベースボールがこの国の「事実上の国技」であることは、もはや立派な既成事実です。なぜ野球はそんな高みにまで登りつめることができたのでしょうか?

 昨年、あるプロ野球チームの「球団経営ギブアップ宣言」を端に、球界再編問題が熱を帯びました。そのとき私は痛感したのですが、もしかしたらわが国は「人類史上最大のベースボール大国」かもしれませんね。えっ? 「野球社会主義国」? うん、ともかく、ちょっと恥ずかしくなるくらい、他の競技に対してかなり失礼なほど、この国の野球は馬鹿デカイ。

 少々誤解を招く表現かもしれませんが、この国の人々にとって野球とは、どこかの国の「将軍様」のような存在ではないでしょうか? ん? ちょっと言い過ぎ? うん、でも、抜き差しならない理由、のっぴきならない怪しげな背景……、絶対にあると思います。

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 さて、「野球濃度」という言葉を使ってみたいと思います。この野球濃度がいま現在、わが国において「50%」だと仮定しましょう。「いや、もう30%くらいだ」とか「いやいや、まだまだ70ぐらいはあるぞっ」とか、まあ、いろんな見方があるでしょう。また、地域によってかなり差があるようにも感じます。私が住む近畿地方なんかは、まだまだ「7、80%」はありそうな気もします。しかしまあ、日本全国をおしなべて「50%」ということで話を進めていきます。(つづく)

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第1章 わが国は途轍もない「野球大国」である![1]

2005年03月24日 | 第1章
[1]

 スポーツにしては珍しく、選手は長ズボンをはいてほとんどジーッとしています。あまり動きません。ダーツやビリヤードほどではないですが、きわめて不活発で散漫。
 また、ルールだらけの少々複雑なボールゲームゆえ、世界にはほとんど普及していませんし、今後普及する見込みもほとんどありません。

 そう、野球です。アメリカ合衆国からわが国にやってきたベースボールという名のボールゲーム。(注1)

(注1)
 たまに「野球とベースボールは似て非なるもの」なんて小難しいことを言う人がいますが、私はそんなことは言いません。野球とベースボールは同じ競技。区別いたしません。

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 さて、「知らないよ」なんてつれないことを言わないでほしいのですが、ベースボールというボールゲームは世界ではまったくの不人気です。周知のことと思います。

 北米の野球チャンピオンを決める戦いを「ワールドシリーズ」、そしてその勝者を「ワールドチャンピオン」と言いますが、それは傲慢チキなUSA帝国の人々が「われわれだけが(あるいは、われわれこそが)世界だぁ!」などと自己陶酔しているからそう言っているに過ぎません。

 また、日本国内に目を向けても、「いまや野球は世界のスポーツだぁ!」などと寝ぼけたことを発言する人物がたまに出現するのですが、それはその人がまさに寝ぼけているのです。あいにく事実はまったく違います。

 少しずつ世界に広まっているのは事実ですが、ベースボールはまだまだ日米及びその周辺諸国限定のマイナースポーツ。「ワールド」や「世界」などという言葉とはおおよそ無縁です。

 わが国が、たとえば、困窮をきわめているような国、あるいは紛争に明け暮れているような国の子どもたちに、バットやグローブなどの野球用具一式を無償で送ったとしましょう。はたして喜んでもらえるでしょうか?

 喜んでくれそうな国にブチ当たる可能性はあるにはあります。が、その確率はほんの数パーセントでしょう。おそらくほとんどの国で「何じゃ、こりゃ?」ということになるはずです。

 「何だ、このヘルメットは? かぶるのか? カッコ悪いなぁ~」てな感じ。グローブやミットなどの妙に手のこんだ革製品、バットにヘルメット、パジャマみたいなユニフォームにベルト、そして帽子、キャッチャーが身につける不格好な防護服などなど、ホント、「何じゃ、こりゃ?」ですね。分厚い取り扱い説明書を同梱しなければ別の用途に使われてしまうかもしれません。

 まあ、「ベースボールというボールゲームがこの世に存在していることぐらいは知ってるよ」というのが精一杯ではないでしょうか? この地球を一つの人格として見たとき、ベースボールの認知度、人気はせいぜいこの程度でしょう。野球が「盛んに」行われている国、ベースボールに「熱心に」取り組んでいる国を数えてみてください。両手があれば十分です。

 しかしながら、私たちの国においてはまったくそうではありません。ベースボールはわが国の大大大……大人気スポーツです。日本列島の隅から隅まで、野球は見事なまでに行き届いており、しかも深く深く根を下ろしています。もう「こびりついている」と表現したほうがいいかもしれませんね。

 野球を知らない日本人はまずいません。スポーツとは縁のなさそうな、可愛らしい小さなおばあちゃんだって、野球のことならそこそこ知っています。野球なしでは窒息死してしまいそうな人もたくさんいますね、この国には。いったいなぜなのでしょう?

 えっ? 世界の人々がわかっていない? いやいや、そんなことは断じてない!!!

 世界の人々はわかっていますよ。怪しいのは明らかに日本国のみなさまのほうです。なぜって、これほどまでの「野球大国」「野球やりすぎ国家」「ベースボール大好き国家」は他にありませんから(ごめんなさい。正確に言うと、台湾、キューバあたりもそうかな?)。

 日本の側にこそ、何か抜き差しならない理由、のっぴきならない事情があるのではないでしょうか? 「野球じゃなきゃダメだぁ!」「ベースボールじゃないとちょっと困るなぁ~」というような、何か悲鳴にも近いスペッシャルな背景が……。私はそう踏んでいるのです。(つづく)

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はじめに

2005年03月22日 | はじめに

 

  この国、どうしてこんなに野球なの?──

 みなさん、こんなこと考えたことありますか? それともまったくないですか?

 「この国」とはもちろん、愛しきわが国ニッポンのことです。わが国はどうしてこんなに野球が盛んなのでしょう? 15年、25年、40年、はたまた60年かは知りませんが、人生のなかで、ほんの少しでもそんな疑問が脳裏をよぎったことのある方、どうぞこのブログに食いついてきてください。大歓迎いたします。

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  「どうしてこんなに野球? いや~、最近はもうそれほどでもないよ」――。

 そんな声が聞こえてきそうです。

 たしかに近年、わが国の野球人気は凋落傾向にあるようです。でも私は、「何をおっしゃいますやら。まだまだじゃないですか?」とあっさり反撃いたします。この国のベースボールはまだまだ「濃厚」です!!! わが国の大衆社会のど真ん中で、野球はまだまだ「重量感たっぷり」ではないでしょうか?

 この「どうしてこんなに野球なの?」という素朴な疑問は、とりわけこの地球上を広く広く見渡したとき、ごくごく自然なものに感じられると思うのですが、いかがでしょう?

 みなさんもよくご存じと思いますが、ベースボールというボールゲームは世界の人々をあまり魅了していません。世界の大半の人々は、このボールゲームをあまり面白いものとは思っていないようですね。

 しかしながら、ニッポン国民のみなさまは違います。ものの見事にベースボールにハマっています。 私たち現代ニッポン人は、とても熱烈に野球に取り組む数少ない国民。そう、世界の少数派です。

 野球シーズンが終わっても、野球の話題がそこかしこに溢れかえる国。こんな国、他にありませんね。いったいなぜ? 幼少のころ、う~ん、小学校中学年ぐらいからの私の疑問であります。いま私は38歳。ですから、かれこれ、えっ、30年?

 はい、そこで私はこの度、一つの結論を出しました。それは「ベースボールはもう要らない!」という豪快な結論です。

 そして、大胆にも、この結論を世に問うてみようと思うに至りました。ありがとうございます(なにが?)。きっと「世紀の大暴論」と笑われるか、完全に無視されるか、袋叩きに遭うかのどれかでしょう。「この国が野球が盛んではいけないの?」という問いに、私はいまから「はい、そういうことですね」(あっさり)と答えようとしているのです。どうぞ変人の戯言と笑殺してくださいませ。

 でも、しかし、です。やはり何かが臭う。そう言わざるをえません!

 わが国におけるベースボールの存在感、現代ニッポン人の野球に対する情熱、溺愛ぶりはどうも怪しい。この国のスポーツ界における野球のボリューム、重量感、そしてその人気の根強さ、社会へのこびりつき具合、染み込み具合……は、どうもいぶかしい。なんか胡散臭い。見過ごすわけにはいかない理由(もちろん“あまり好ましくない”理由)が裏に潜んでいるのではないか、などと私は強く感じているのです。

 さあ、「タブーに挑戦!」ということになりそうです。 近ごろ巷には、愛情に満ちた野球批判が溢れています。が、これはまったく「愛のない」野球批判。勇気を振り絞り、触れてはいけない部分、「あぁ、それだけは言わないで~、お願い!」という部分にガンガン攻め入っていこうと思います。そして、30年にも及ぶ私の疑問をいま、現代ニッポン社会の「本体」にドッカァーンとぶつけてみようと思うのです。

 ホント、なんでこんなにベースボールなんでしょう、わが国は? 私と同じようなことを感じている人たち(とりわけ若者と女性たち?)、最近徐々に増えつつあるんじゃないかな? そう期待しつつ、書くぞぉ!(つづく)   × × × × ×