『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第9章 ところで『読売』って?[2]

2005年05月25日 | 第9章
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 日本の職業野球、つまりプロ野球が1936年に始まって以来、ジャイアンツとかいう団体の人気がドンドン拡大していったのも、これとまったく同じ構図でしょう。「常勝を宿命づけられている」などという根も葉もない虚構を捏造し、スポーツの「ス」の字もない、無邪気で、純真無垢な最下層の人々をドンドン巻き込んでいったのです。そして、『読売グループ』の勢力拡大を“あからさまに”図ったのです。
 ところで、あまり大仰な話はしたくないのですが、私たちが生きる現代日本社会のもっとも深刻な問題は何でしょうか? 私は「高度大衆化」だと思っています。
 この「高度大衆化」とは、簡単に言えば、バカのほうがエラクなっちゃった、ということです。
 賢い人よりもバカのほうが多いから、バカのほうがエライ! 品格を備えた人よりも下品な人のほうが多いから、下品な人のほうがエライ! 夜間、自転車のライトをちゃんとつけている人より、つけていない人のほうがエライ! バングラデシュもいつのまにやら「バングラディシュ」になってしまいました。みんなで「バングラディシュ、バングラディシュ」って言うからです。
 バカ、下品な人、夜間灯火しない人、「バングラディシュ」って言う人……、要するにみ~んな愚民ですね。この多数派たる愚民をやんわりと包み込み、おのれの勢力を拡大させていく群れ、それが『読売』という超大メディアです。
 しかしながら最近、こんな傾向があると聞いています。『日本テレビ』の巨人戦視聴率が年々下がっているのだとか。あと、最近『日本テレビ』は「視聴率四冠王」の座から最近落っこちたのだとか。これはとてもいい兆候です。すばらしいことです。わが国の大衆のレベルが、これから少しずつ上がってくることのサインでしょうか? どうなんでしょう? よくわかりませんが、しばらく見守りたいと思います。あとは東京ドームにだれが見ても明らかな空席を作ってください。みなさん、ぜひこの流れを加速させてくださいね。期待していますよ。

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 しかし、やはり、このまま『読売』をのさばらせておくのは、わが国のスポーツ界、ひいては日本社会全体にとって大変危険です。今後の日本スポーツ界の健全な発展に対し、明らかな脅威になりえます。ですから、『読売』には野球(=余興)と正月の「箱根駅伝」ぐらいに専念してもらって、それ以外のスポーツには一切絡まないようお願いしたいものです。
 『読売』が登場してくると何かと歪みます。そして不幸が訪れます。「あなたたちは一生、野球(=余興)をやっててくださいな」という雰囲気作りが必要だと私は考えます。
 読売巨人軍、読売新聞、日本テレビ、地方の日テレ系放送局などなど。「おごれる者久しからず」と言いますが、おごれる者がこんなにも久しく繁栄をつづけるのは、一重に国民が鈍臭いからですね。常に受け身で、物事に疑問を抱かず、容易に支配され、与えられたものを何でも口に入れてしまうような人々。はっきりと言ってしまいますが、「将軍様のご加護で……」などと言っている人たちとさほど変わらないと私は思います。(つづく)

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第9章 ところで『読売』って?[1]

2005年05月23日 | 第9章
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 さて、わが国が誇る(?)「的外れ&強欲メディア」の筆頭たる『読売』についてですが、せっかくですからこの際、ちょっとだけ触れておきましょう。この『読売』とはいったい何でしょう? みなさんは、この『読売』というカタマリをいったい何者だと認識していますか?

 世界の統計書などを見ますれば、わが国の宗教は「神道と仏教で半々」などと紹介されています。が、私は最近、この国の事実上最大の宗教は『読売』ではないか、などと感じています。ん? ちょっと大げさ? うん、でも、「読売教」という低俗な大衆新興宗教が、ジワリジワリとこの国に蔓延しているような気がします。
 『読売』は普段、『読売新聞社』を中心とする、日本国ならではのマスメディア複合体の一つとして存在しています。他に『毎日』『朝日』『産経』『日経』があるのは周知のとおりで、そのなかに『読売』もさりげなく紛れ込んでいます。
 ではこの新聞社、なぜ「読売」というのでしょうか?
 ご存じの方も多いかもしれませんが、「読売」という言葉は読んで字のごとく、売り子が実際に記事を「読」みながら新聞を「売」っていたことに由来します。つまり『読売新聞』はもともと、字のあまり読めない人々、すなわち社会の最下層の人々に向けた弱小大衆紙なのです。当初は記事にルビも打っていたそうですよ。

 はい、ここで問題なのは、この最下層の人々です。この最下層の人々が、わが国ではいまだ圧倒的多数を占めていて、質的にほとんど変わっていないという大問題であります!
 わが国は市民革命のようなものを経ていない、まったくをもってオメデタイ国だと私は常日ごろから思っています。第二次世界大戦での敗北が市民革命に相当するものだったと思うのですが、わが国はその貴重な機会をやりすごしてしまったように思います。
 むろん、読み書きなどはほとんどの人ができるようになったのですが、江戸時代、明治時代、大正時代の昔から、無邪気で何も考えていない薄っぺらな人々の層、言い替えると、批判精神や反骨精神といったものを著しく欠いた、主義主張など微塵もないボーッとした受け身の人々、この層にあまり大きな変化はないのではないでしょうか?
 たとえば、何か重大な不祥事を起こした企業などを、日本人はいとも簡単に許してしまいますね(日本ハムの牛肉偽装事件なんていかが? もう許しちゃった感が強いのでは?)。「許す」というより「忘れる」でしょうか? 忘却ですね。忘却ということは、つまり赤ちゃんと同じ、無邪気ってことです。
 こういう赤ちゃんのような無邪気な人々の層は、むしろ近年では増幅傾向にあるのではないかと感じることもあります。とりわけテレビを見ていると、その思いを強くします。
 また、平均的日本人は本当に知りたいこと(あるいは知るべきこと)を知ろうと日々努力しているでしょうか? していないと思いますね。ただ、世間が知っていることを知らないでいるのが恥ずかしい。その程度でしょう。現代日本人の多くはいまだにその程度だから、『読売新聞』は1000万超(注)という、異常とも言える発行部数を誇っています。(昨年あたりからその部数をかなり落としていると推察しますが)
 みなさん、この数字は異常ですよ。おかしな数字です。ごくごく一部の聡明な人々を除いて、ほとんどの人々が「知る権利」を放棄し、ただただ受け身になっていることの証左です。これでは旧ソ連の共産党機関紙と同じですね。この1000万超という数字はギネスブックに載っている(発行部数世界一の新聞ということ)のですが、決して誇るべき数字ではありません。むしろ恥ずべき数字、「ニッポンの恥」ですよ。
 最近、『読売』の電波部門である『日本テレビ』が視聴率を買収したという話がありましたね。あと「やらせ報道」なんていうのも。これぞまさに『読売』の真骨頂! 「世の中には程度の低い無邪気な田舎者どもが山ほどいる。だからそいつらの方向を向いて、ドンドン売り込め!」というわけです。「愚民操作」とでもいうのでしょうか、そういう精神が如実に現れているのです、この『読売』というメディア複合体には。
 そう言えば、先の尼崎JR事故の記者会見で、大顰蹙を買っていた横柄なバカ記者も『読売』のお方でしたね。ん? あまり関係ない? でも「コイツ、読売だな」と私は瞬時にわかりましたよ。(つづく)

(注)
 『読売』は東京ドームの観客数を長きに渡り偽ってきました(まあ、これは『読売』だけではないですが)。今年改められたようですが、昨年まで彼らはいつも判で押したように「観衆5万5千」と発表していました。ところが、この東京ドームというとっても素敵なスポーツ施設には、そもそも座席が4万6千ほどしかない。ですから「5万5千」というのは真っ赤な嘘。『読売』の言うことはまったく信用できないわけです。
 ということは、「1000万超」という発行部数もひょっとしたら嘘かもしれませんね。でもこの場合、どちらでもかまわないと思います。本文でも「決して誇るべき数字ではありません。むしろ恥ずべき数字」と言っているくらいですから、なんら問題はないでしょう。ここは素直に「1000万超? スゴイでちゅねぇ。世界一でちゅねぇ。儲かってまんなぁ」ということにしておきましょう。

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