『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第11章 高校球児は全然「さわやか」じゃありません![1]

2005年05月31日 | 第11章
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 わが国が「野球社会主義人民共和国」であることをもっとも強く感じさせる季節──。それは高校野球が行われる春と夏であります。
 この時期のスポーツニュースは、もう「濃厚」! キャスターが「スポーツをお伝えします」と言うから黙って見ていたら、ぜ~んぶ野球。薬物汚染のメジャーリーグやって、国内のプロ野球(蔑称「プロ余興」)やって、そして最後に高校野球。「以上、スポーツでした」なんてことになります。もう苦笑いしか出てきません。テレビ画面に釘付けになっているのはいったいどんな人たちでしょう? だいたい想像がつきますが……

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 はい、高校野球(注)です。春の「センバツ」とやらいう大会は『毎日新聞』、そしてお気の毒なほど暑苦しい夏の大会は『朝日新聞』と、ともに分からず屋さんの大新聞様が主催していますし、また日本高等学校野球連盟(高野連)という団体も胡散臭い。そして何より、日本国民のみなさまが無邪気! ああ、それからNHKも忘れてはいけませんね。だからもう、がんじがらめ。まったく身動きがとれません。
 この高校野球という競技大会にも、きっと模索すべき「あるべき姿」というものがあるはずです。でも、そんなことは一切お構いなし。ビタッと固まったまま動きません。「野球道」だか「汗と涙と感動」だか知りませんけど、無邪気な少年たちをダシに、いまだ日本全土を巻き込んだ一大スポーツイベントとして存続しています。これはもうウンザリを通りこしていますね。
 ところで、あの空襲警報のようなサイレンはいったい何なのでしょう? 開会式での学徒出陣の壮行会みたいな行進は? ひょっとして「戦争好き」ですか?
 大会開催時に電気店のテレビ売り場に行くと、かわいそうな高校球児たちが50インチのプラズマテレビに大映しされています。お決まりの光景ですね。テレビの進化は凄まじいですが、日本野球は止まったまま。ちっとも変わりません。私だったら高校球児たちの顔にモザイクをかけますよ(かわいそうだから)。

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〈高校球児は全然「さわやか」じゃない!〉

 まず、この高校野球で特筆したいのは、「高校球児はさわやかだ」という、それはそれは困った妄想です。
 高校球児は「さわやか」なのだそうです。まったく、大笑いです。
 大会開催時、新聞の読者投稿欄には「さわやかな高校球児に感動!」などといった無邪気をきわめたかのような投書がしばしば掲載されます。なんかもう、体の力が抜けて何もする気がなくなってしまうのですが、どうやらみんなで「さわやかだ!」ということに無理やり仕立て上げたいようですね。
 はい、ここでもまた、ザックリと言わせていただきましょう。高校球児は全然さわやかではありません。むしろ、オッサン臭い。ダサすぎる。時代遅れ。かわいそう。お気の毒。助けてあげたい!!!
 高校球児ということは、決まりきったことですが、彼らは高校生ですね。高校生ということは、これまた決まりきっていますが、15歳、16歳、17歳、18歳でしょう。そんな若者たちが、長ズボンをはいてほとんどジーッとして動かない競技をやっている(やらされている)。いったいどこが「さわやか」なのでしょうか?
 競泳の選手が全力で泳ぎきる。ラグビー少年が激しくぶつかりあい、汗が飛び散る。う~ん、とってもさわやかです。が、パジャマみたいな服を着た若者たちがほとんどジーッとして動かないのを見て、どうして「さわやか」などと思えるのでしょうか? 銀行で番号札を握りしめ、順番待ちをしているパジャマ姿の高校生が「さわやか」でしょうか?
 はい、またまた乱暴なことを言ってしまいましたが、でもそうです。「野球少年は元気な子」などというイメージをお持ちの方がまだいらっしゃるのなら(いらっしゃるでしょう、いらっしゃるでしょう)、それはすみやかに改めたほうがいい! いや、改めよ! もう命令ですね。野球というボールゲームをよ~く見てください。ほとんど動かない。運動不足。全然「元気」じゃありません。(老体にムチ打って全国ツアーを展開しているピンクレディーのお二人のほうが、はるかに元気!)

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 じつにもったいないのです。彼らはきっと運動能力に恵まれた子どもたちだと思います。だから余計にそう思います。
 16歳、17歳あたりはとても重要な時期です。活発に動き回る競技を選べば心肺機能をグングン伸ばすことができますし、また強靭でバランスのとれた肉体をつくり上げるのにも絶好の時期です。それにまた、お勉強もしたほうがいい。
 なのにあんな時間の使い方をして、おまけに世界に全然通じない競技をやって(やらされて)、とてももったいないと思います。
 私ならパジャマのポケットに本を一冊入れておいて、暇なとき(野球のほとんどの時間がそう)に読みますね。
 みなさん、この「高校球児=さわやか」という妄想は足蹴にしなければなりませんよ。足で蹴とばして、唾を吐きかけ、そして踏みつぶしてください。(つづく)

(注)
 高校野球誕生の昔話です。一応、触れておきますか……。
 明治四十四年、『東京朝日新聞』が「野球と其害毒」という野球排除の記事(いわゆる「野球害毒論」)を連載しました。旧五千円札の肖像になった新渡戸稲造(第一高等学校校長)や乃木希典(学習院院長)ら、当時の高名な教育者が健筆をふるったのですが、その内容は、野球は「巾着切(スリ)の遊戯」だとか、「対手をペテンに掛けよう、計略に陥れよう……故に米人には適するが……」「手の平へ強い球を受けるため、その振動が脳へ伝わって脳の作用を遅鈍にさせる」などといった陳腐なものでした。
 その陳腐な反野球キャンペーンは人々の反感をおおいに買い、その結果、『朝日』は発行部数を激減させました。大衆を敵に回す恐ろしさを知ったのでしょう、その後『朝日』は「野球は教育的な良いもの」と掌を返し、全国中等学校野球大会(現在の高校野球)を開催するに至りました。
 野球排除の大胆なキャンペーンを展開した、当時の『朝日』の勇気にだけ拍手を送りたいと思います。その後、スポーツを「教育的なもの」と解し、大会を主催しつづけている(つまりスポーツの「内部者」でありつづけている)のはいただけません。前述したとおり、ジャーナリズムは「アウトサイダー」に徹しなければなりませんよ。「内部者」をつづけるのは、もはや社会の利益に反する行為です。すみやかに撤退してください。

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第10章 「薬漬けMLB」にあこがれるな![2]

2005年05月29日 | 第10章
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 なんとな~く気づき始めている人、最近徐々に増えてきているのではないでしょうか? じつは、私たちの同盟国であるUSAとは「そういう国」ですね。この手の道義的反則行為はメジャーリーガーの肉体だけにとどまりません。
 たとえば、食肉なんかもそう。牛ちゃんに成長ホルモンをブチュブチュ注入してブックブクに太らせ、その肉を腹一杯食べて大喜びします。
 最近のBSE騒動での不誠実な対応からもわかると思うのですが、米国人というのはじつに卑しい生き物で、彼らにとって食の安全などは二の次、三の次なのです。できるだけ安く、腹一杯食べること、そして金儲けを何よりも優先させるとても卑しい生き物です。
 また、牛ちゃんのほかにもこんな例があります。ワシントンの政治家やハリウッドの俳優たちの多くは美容整形、そして異様に白い歯をピカッ!!!(歯は本来“真っ白”ではありません) また女性たちは豊胸手術を施し、男どもはペニス拡大手術、そしてスポーツ選手が服用する筋肉増強剤などを、最近は一般の人々までが飲むのだそうです。「○○選手のような体になりたい」って。
 また最近、亡くなったペットの猫をクローン技術で蘇らせた婦人がいましたね。USAの人間どもは物事の本質をいとも簡単に曲げます。さすが「追われた者たち」の末裔ですね。

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 メジャーリーガーの大半は、薬の力を借りて競技成績を上げ、ガップリ儲けます。そして現役引退後、躁鬱病などの後遺症に悩まされ人生を棒に振ったり、心臓発作で死んだりします。
 まあ、単なるバカなのですが、私たち日本人も同じでしょうか? まあ、そういうタイプのおバカさんも最近は増えているのかもしれません。でも、ちがうでしょう。私たち日本人はそこまでバカじゃない! USAという国とはぜひ距離を置きたい。私たちはあんな国のあとを追っては絶対にいけません!
 この「MLBは薬漬け」という話をしますと、「サッカーだってマラドーナが薬飲んでたじゃないかぁ!」などと言う人が必ず出てきます。はい、そのとおり。でも、マラドーナは罰せられましたね。
 サッカー以外の競技に眼を向けても、ドーピングの誘惑に負けたアスリートたちが、出場停止処分やタイトル剥奪、永久追放などの悪事の報いを受けた例がたくさんあります。MLBの選手たちは? これからですか? う~ん、もう手遅れではないでしょうか?

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 さて、話は変わりますが、いまオリンピックの競技種目を減らそうという動きがあります。ちょっと種目が増え過ぎたんですね。だから整理しようというわけです。
 現在、その作業の多くは保留されているようですが、いくつかの削除すべき種目のなかにベースボールの名前も挙がってます。当然ですね。ベースボールの本場はそんな国ですし、またベースボールの最高峰とされるMLBは反則プレーヤーの巣窟みたいなところですから。
 たとえ将来、この薬物汚染の問題が解消されたとしても、もう手遅れでしょう。くわえて、野球の競技人口は世界的に見れば極端に少ないわけで、“LOW GLOBAL BROADCASTING”、つまり世界の人々はルールもわからないような“珍”競技はテレビ観戦しないので、2008年の北京大会を最後にザックリ削除でOKではないでしょうか?(きっとそうなるでしょう)

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 さて、そんな蛇蝎のごとく軽蔑すべき国=USAでベースボールをするため、「夢のメジャーリーグ」だの「フィールド・オブ・ドリームズ」だのと必死に美化しながら、わざわざUSAに出向く日本の野球選手たちがいます。ご苦労様です。日本国内の野球界があまりにも胡散臭いからですね。そして、大金ゲット? USドル?
 また、その一方で、その人たちが活躍するのを見て大喜びする無邪気な日本国民がたくさんいます。何がそんなに嬉しいのでしょう? 反則プレーヤーを相手にヒットを何本打っただの、逆に三振に仕留めただの、全然重要ではありません。そんなことで大喜びするような人たちは、いっそのこと、USAに移り住んだらどうでしょうか? そのほうが手っ取り早いと私は思います。
 一方、そのMLBですが、彼らは最近、日本をいたく寵愛しているようですね。日本は唯一無二のお友達。抱きしめたくなるほど従順で、自分たちのボールゲームで大喜びしてくれる数少ない「部下」。だから、とても大切に思っているらしく、『読売』の首領に懇願されたりしたようですが、わざわざ公式戦をするために東京までやってくるようになりました(まあ、去年のことですけど)。ホント、ご苦労なこった。(つづく)

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第10章 「薬漬けMLB」にあこがれるな![1]

2005年05月27日 | 第10章
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 北米の野球チャンピオンを決める戦いを「ワールドシリーズ」と言います。そしてその勝者を「ワールドチャンピオン」と言います。冒頭でも述べました。もう何も言うことはありません。ただの「傲慢&バカ」。「ワールド」も何も、ベースボールは「ワールド」とは無関係!!!
 最近、この「ワールドチャンピオン様」と日本のチャンピオンを戦わせて「真のワールドチャンピオン」を決めよう、などと息巻いている人たちがいるようですが、これでもまだ「ワールド」と言うには程遠い。それ、「日米」だよね。残念!

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 というわけで、「傲慢&肥満帝国USA」のMLBのお話です。
 メジャーリーグベースボール(MLB)も最近、わが国で大変な人気となっています。松井さんやイチローさんなど、何人かの日本人選手も活躍しているようで、かなりの注目を集めていますね。最近異様に「読売臭」が漂うようになってきたNHKも、衛星放送の目玉としてゴリ押ししています。「日本のプロ野球は見ないけど、メジャーは好き」なんていう日本人も、近ごろ増えているようですね。
 では、このMLB、いったい何が魅力なのでしょう?
 いくつか考えられますが、なかでもその魅力は「メジャーのパワーはすごいですねぇ~」という言葉に集約されていると思います。メジャーリーグのド迫力に多くの日本人は度肝を抜かれ、圧倒され、羨望にも近いまなざしで注視しているのではないでしょうか? 日本の野球と比べ、パワーが断然ちがうようです。
 それでは、なぜMLBはそんなにパワフルなのでしょう?
 はい、これまたザックリ、あっさりと言ってしまいましょう。薬を飲んでいるからですね。

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 野球で、観ている者をもっとも喜ばせる瞬間は何でしょうか? やはりホームランでしょうか? 昔、「やったねお父さん、あしたはホームランだぁ!」なんていうテレビCM(牛丼の吉野家のCM。古いですか?)がありました。あっ、それから、「ナボナはお菓子のホームラン王です」なんていうのもありましたね。ホームランは歓喜を呼びます。
 で、むろんホームランだけではないのですが、観ている者たちを喜ばせ、自らも競技成績を伸ばすために多くのメジャーリーガーたちがしていること、それは薬の服用です。
 MLBには長い間、独自の薬物禁止規定がありませんでした(最近ようやくできましたが)。選手たちの多くは筋肉増強薬や興奮薬などを服用していると言われています。これはもう複数の報道から自明のこと。わが国日本は「USA部長」の下で働く「へなちょこゴマすり課長」ですから、この事実にあまり触れたがりませんが……。困ったものです。
 ということはつまり、これまたあっさり言ってしまいますが、メジャーリーガーのほとんどは「反則プレーヤー」ということになります。アンチドーピングは世界の趨勢。ベースボールがいくら世界のマイナー競技だからって、そんなズルイことをやってはいけません。
 昔々、アブドラ・ザ・ブッチャーとかタイガー・ジェット・シンといった悪役プロレスラーがいましたが、メジャーリーガーなんてそんな悪役レスラーと同じようなものでしょう。そんな反則プレーヤーがホームランを打とうが、逆に三振にしとめようが、そんなことは無意味、無価値、「0」です。「0」にいくつかけても「0」。
 目下、MLBのホームラン記録を快調に更新しつづけている黒人選手(Barry Bondsという人です)がいますが、彼の名前の横にはきっと星印(*、参考記録ということ)がつくでしょう。(つづく)

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第9章 ところで『読売』って?[2]

2005年05月25日 | 第9章
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 日本の職業野球、つまりプロ野球が1936年に始まって以来、ジャイアンツとかいう団体の人気がドンドン拡大していったのも、これとまったく同じ構図でしょう。「常勝を宿命づけられている」などという根も葉もない虚構を捏造し、スポーツの「ス」の字もない、無邪気で、純真無垢な最下層の人々をドンドン巻き込んでいったのです。そして、『読売グループ』の勢力拡大を“あからさまに”図ったのです。
 ところで、あまり大仰な話はしたくないのですが、私たちが生きる現代日本社会のもっとも深刻な問題は何でしょうか? 私は「高度大衆化」だと思っています。
 この「高度大衆化」とは、簡単に言えば、バカのほうがエラクなっちゃった、ということです。
 賢い人よりもバカのほうが多いから、バカのほうがエライ! 品格を備えた人よりも下品な人のほうが多いから、下品な人のほうがエライ! 夜間、自転車のライトをちゃんとつけている人より、つけていない人のほうがエライ! バングラデシュもいつのまにやら「バングラディシュ」になってしまいました。みんなで「バングラディシュ、バングラディシュ」って言うからです。
 バカ、下品な人、夜間灯火しない人、「バングラディシュ」って言う人……、要するにみ~んな愚民ですね。この多数派たる愚民をやんわりと包み込み、おのれの勢力を拡大させていく群れ、それが『読売』という超大メディアです。
 しかしながら最近、こんな傾向があると聞いています。『日本テレビ』の巨人戦視聴率が年々下がっているのだとか。あと、最近『日本テレビ』は「視聴率四冠王」の座から最近落っこちたのだとか。これはとてもいい兆候です。すばらしいことです。わが国の大衆のレベルが、これから少しずつ上がってくることのサインでしょうか? どうなんでしょう? よくわかりませんが、しばらく見守りたいと思います。あとは東京ドームにだれが見ても明らかな空席を作ってください。みなさん、ぜひこの流れを加速させてくださいね。期待していますよ。

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 しかし、やはり、このまま『読売』をのさばらせておくのは、わが国のスポーツ界、ひいては日本社会全体にとって大変危険です。今後の日本スポーツ界の健全な発展に対し、明らかな脅威になりえます。ですから、『読売』には野球(=余興)と正月の「箱根駅伝」ぐらいに専念してもらって、それ以外のスポーツには一切絡まないようお願いしたいものです。
 『読売』が登場してくると何かと歪みます。そして不幸が訪れます。「あなたたちは一生、野球(=余興)をやっててくださいな」という雰囲気作りが必要だと私は考えます。
 読売巨人軍、読売新聞、日本テレビ、地方の日テレ系放送局などなど。「おごれる者久しからず」と言いますが、おごれる者がこんなにも久しく繁栄をつづけるのは、一重に国民が鈍臭いからですね。常に受け身で、物事に疑問を抱かず、容易に支配され、与えられたものを何でも口に入れてしまうような人々。はっきりと言ってしまいますが、「将軍様のご加護で……」などと言っている人たちとさほど変わらないと私は思います。(つづく)

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第9章 ところで『読売』って?[1]

2005年05月23日 | 第9章
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 さて、わが国が誇る(?)「的外れ&強欲メディア」の筆頭たる『読売』についてですが、せっかくですからこの際、ちょっとだけ触れておきましょう。この『読売』とはいったい何でしょう? みなさんは、この『読売』というカタマリをいったい何者だと認識していますか?

 世界の統計書などを見ますれば、わが国の宗教は「神道と仏教で半々」などと紹介されています。が、私は最近、この国の事実上最大の宗教は『読売』ではないか、などと感じています。ん? ちょっと大げさ? うん、でも、「読売教」という低俗な大衆新興宗教が、ジワリジワリとこの国に蔓延しているような気がします。
 『読売』は普段、『読売新聞社』を中心とする、日本国ならではのマスメディア複合体の一つとして存在しています。他に『毎日』『朝日』『産経』『日経』があるのは周知のとおりで、そのなかに『読売』もさりげなく紛れ込んでいます。
 ではこの新聞社、なぜ「読売」というのでしょうか?
 ご存じの方も多いかもしれませんが、「読売」という言葉は読んで字のごとく、売り子が実際に記事を「読」みながら新聞を「売」っていたことに由来します。つまり『読売新聞』はもともと、字のあまり読めない人々、すなわち社会の最下層の人々に向けた弱小大衆紙なのです。当初は記事にルビも打っていたそうですよ。

 はい、ここで問題なのは、この最下層の人々です。この最下層の人々が、わが国ではいまだ圧倒的多数を占めていて、質的にほとんど変わっていないという大問題であります!
 わが国は市民革命のようなものを経ていない、まったくをもってオメデタイ国だと私は常日ごろから思っています。第二次世界大戦での敗北が市民革命に相当するものだったと思うのですが、わが国はその貴重な機会をやりすごしてしまったように思います。
 むろん、読み書きなどはほとんどの人ができるようになったのですが、江戸時代、明治時代、大正時代の昔から、無邪気で何も考えていない薄っぺらな人々の層、言い替えると、批判精神や反骨精神といったものを著しく欠いた、主義主張など微塵もないボーッとした受け身の人々、この層にあまり大きな変化はないのではないでしょうか?
 たとえば、何か重大な不祥事を起こした企業などを、日本人はいとも簡単に許してしまいますね(日本ハムの牛肉偽装事件なんていかが? もう許しちゃった感が強いのでは?)。「許す」というより「忘れる」でしょうか? 忘却ですね。忘却ということは、つまり赤ちゃんと同じ、無邪気ってことです。
 こういう赤ちゃんのような無邪気な人々の層は、むしろ近年では増幅傾向にあるのではないかと感じることもあります。とりわけテレビを見ていると、その思いを強くします。
 また、平均的日本人は本当に知りたいこと(あるいは知るべきこと)を知ろうと日々努力しているでしょうか? していないと思いますね。ただ、世間が知っていることを知らないでいるのが恥ずかしい。その程度でしょう。現代日本人の多くはいまだにその程度だから、『読売新聞』は1000万超(注)という、異常とも言える発行部数を誇っています。(昨年あたりからその部数をかなり落としていると推察しますが)
 みなさん、この数字は異常ですよ。おかしな数字です。ごくごく一部の聡明な人々を除いて、ほとんどの人々が「知る権利」を放棄し、ただただ受け身になっていることの証左です。これでは旧ソ連の共産党機関紙と同じですね。この1000万超という数字はギネスブックに載っている(発行部数世界一の新聞ということ)のですが、決して誇るべき数字ではありません。むしろ恥ずべき数字、「ニッポンの恥」ですよ。
 最近、『読売』の電波部門である『日本テレビ』が視聴率を買収したという話がありましたね。あと「やらせ報道」なんていうのも。これぞまさに『読売』の真骨頂! 「世の中には程度の低い無邪気な田舎者どもが山ほどいる。だからそいつらの方向を向いて、ドンドン売り込め!」というわけです。「愚民操作」とでもいうのでしょうか、そういう精神が如実に現れているのです、この『読売』というメディア複合体には。
 そう言えば、先の尼崎JR事故の記者会見で、大顰蹙を買っていた横柄なバカ記者も『読売』のお方でしたね。ん? あまり関係ない? でも「コイツ、読売だな」と私は瞬時にわかりましたよ。(つづく)

(注)
 『読売』は東京ドームの観客数を長きに渡り偽ってきました(まあ、これは『読売』だけではないですが)。今年改められたようですが、昨年まで彼らはいつも判で押したように「観衆5万5千」と発表していました。ところが、この東京ドームというとっても素敵なスポーツ施設には、そもそも座席が4万6千ほどしかない。ですから「5万5千」というのは真っ赤な嘘。『読売』の言うことはまったく信用できないわけです。
 ということは、「1000万超」という発行部数もひょっとしたら嘘かもしれませんね。でもこの場合、どちらでもかまわないと思います。本文でも「決して誇るべき数字ではありません。むしろ恥ずべき数字」と言っているくらいですから、なんら問題はないでしょう。ここは素直に「1000万超? スゴイでちゅねぇ。世界一でちゅねぇ。儲かってまんなぁ」ということにしておきましょう。

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第8章 日本プロ野球はもはや「プロ余興」だ![4]

2005年05月21日 | 第8章
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 「あるべき姿」に向けての抜本的改革など、夢の夢のそのまた夢。日本プロ野球が健全な「スポーツ文化」として正しく繁栄することは金輪際、ないでしょう。いや、道義的にも、もうあってはならないとすら感じます。
 最近になってようやく、横柄な『読売』が日本プロ野球界の癌であることを悟った人が多いように見受けられますが、もはやそんなレベルの話ではありません! 『読売』という癌細胞を摘出できず、何十年にも渡って「読売主導の企業野球」を許しつづけてきた、一般のファンも含めた日本の野球界全体こそが、まさにこの国の癌細胞なのです。
 さあ、みなさん、脳みそをクルリと一回転させて賢くなりましょう。そして、賢くなった人から順番に、日本の野球界に唾を吐きかけ、背を向けていってください。意外と簡単だと思います。

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 まあ、日本プロ野球ってのはもう、パチンコなどと同列の単なる「与太娯楽」と見なして差し支えないのではないでしょうか? まさに「プロ余興」です。(みなさん、そう呼んであげてください)
 純粋な「スポーツ文化」として繁栄しているわけではないし、また彼らにはその意志もない。いまさらこんなことを指摘するのもヘンですが、だいたい、日本の野球場の「音」って変じゃないですか? 普通のスポーツ会場とはかなり趣が異なります。「あと一球、あと一球」などと、そこらへんの馬鹿サラリーマンが一年中忘年会をやっているような、どこか安心しきった、緊張感のかけらもない、とてもプロスポーツをやっているとは思えない、間の抜けた空気が漂っています。まあ、ただのバカ騒ぎ。まさに「プロ余興」でしょ? 「オレがバッターボックスに入っているときは静かにせい!」などと要求する選手がいてもいいと思うのですが……

 そして最後に、これも言っておきたい。「どこかの電車屋さん」とか「ハム」とか「乳酸菌飲料」とか、歪んだ歪んだ企業野球の参加者のみなさまへ。そろそろ足を洗って本業に専念したらいかがでしょうか? 胡散臭い「親方大企業余興リーグ」(しかも読売主導)に参加しつづけることで、企業イメージが悪化する、利益を損ねる、そんな時代がもうそこに、そこの角を曲がってすぐのところに待っていると思います。きっと賢い人々はもう、一歩先んじてると思いますよ。(つづく)

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第8章 日本プロ野球はもはや「プロ余興」だ![3]

2005年05月19日 | 第8章
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 日本の野球界に対する批判はもう出尽くしていますね。図書館や本屋さんに行ってください。どういうわけだか愛情に満ちあふれた「プロ野球批判」の書がズラリと並んでいます。新聞でも最近、プロ野球のあり方を問う記事(これまた愛に満ちていて、どこかしら甘いのですが)が数多く見られます。

 いまだに親会社の宣伝広告を第一目的とした「野球興行」がつづいていて、しかも、それを牽引するのが的外れで強欲な大手マスメディアだから、ジャーナリズム(適切な批判をする勢力)が存在しない。その「的外れ&強欲メディア」の筆頭たる『読売』が、全国制覇をむさぼるあまり異様に傲慢&横柄で、プロ野球界全体を長きに渡ってコントロール。その結果、ドラフトやフリーエージェントなどの制度がみな『読売』のいいように歪められてしまい、戦力が著しく偏ってしまった。それでもなお、みなが『読売』の懐に抱かれようともたれ掛かる。選手の年棒が高騰し過ぎて球団経営が立ち行かない。一部を除き、ほとんどの球団は赤字垂れ流し。「談合やってまぁ~す」と言わんばかりのメッチャメチャ胡散臭いオーナー会議。球団社長とオーナーの役割が不明瞭。各球団の経営実態が不透明。セ・パ交流試合をするだのしないだの(なんか、今年からやってるみたいね)。薄汚い裏金の存在。観客数の水増し発表、というより「粉飾」(これはヒドイ! でもこれも今年改められたよう。いままでの嘘を詫びなさい!)。アマチュアとの関係をどうする? 優秀な選手をUSAにさらわれてしまう……。
 「このままでは米メジャーリーグの植民地になってしまう」などとマゾキスティックに喜んでいます。
 「さっさと望ましい方向に改革すれば?」といった感じですね。選手の年棒が高騰しているのなら下げればいい。そもそも野球選手なんか、たいして価値はないのですから。パジャマみたいな服を着てほとんどジーッとしているスポーツ選手に、なんで何千万、何億もの価値があるのか? さっぱりわからない!
 また、チーム数だって減らせばいいし、「傲慢&肥満帝国USA」に行きたい選手は行かせればいいのです。まあ、私がここで日本野球界の諸問題を事細かに検証する必要もないでしょう。面倒くさいです。詳しくは愛情に満ち満ちた他書でどうぞ。

 現時点において、日本の野球界にとりわけ大きな変化は確認できません。今後も不幸な不幸な企業野球がつづいていきます。
 新しく加わった球団も、なにか「新風を巻き起こすぞぉ!」といったイメージを発信していますが、きっと、無邪気なわが国の大衆どもを喜ばせるための子細なテクニックを提示するにとどまるでしょう。ですから、もう時間切れ、タイムオーバーです。
 一方、平均的な野球ファンも「あるべき姿」なんて望んでいませんし、また「あるべき理想の姿」とはどんな姿か、そんなことすら彼らはわかっていません。いまだに「ハム」だの「乳酸菌飲料」だの「大手スーパー」(これは最近消滅したらしい)だのと、チームを企業名を呼んで喜んでいるわけですから。(つづく)

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第8章 日本プロ野球はもはや「プロ余興」だ![2]

2005年05月17日 | 第8章
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  親方大企業の宣伝広告を第一の目的として「野球興行」を行う──。

 この、日本プロ野球の根幹をなす形態にまったく変化が見られません。これは世界的に見てもきわめて異常で、また、スポーツをかけがえのない「文化」とは考えていないような人たち(=大企業のエライ人たち)に支配されつづけるという、スポーツにとってきわめて不幸な形態です。
 昨年の一連の球界再編騒動を私は横目でチラチラ見ていましたが、結局、この根本の部分にはメスが入りませんでした。わが国がタブーの宝庫なのは周知のことですが、なかでもこれは「最高級」のタブーなのではないでしょうか?

 メスが入らなかった──。それどころではありませんでした。新たに加わった球団の名称までもが「企業名丸出し」でした! もう閉口です。「『読売』の横暴ぶり」だけがだれの目にもはっきりとわかるようになり、「読売支配」の部分だけが一時的に忌避された印象。でも、どうでしょう? この『読売』、また息を吹き返すんじゃないでしょうか?

 そんな「正しく」繁栄できない、歪んだ歪んだわが国のプロ野球ですが、いまだにそこそこの繁栄がつづいているから不思議、いや不思議じゃない。もう滑稽ですね。
 支える人々、スタジアムまでわざわざ足を運んで熱狂する無邪気な人々が、まだまだたくさんいるわけです。私はもうとっくに「プロ余興」と呼ばせてもらっています。かれこれ20年ぐらいになるでしょうか。なにしろ、いまだに「ハム踏ん張った」ですからね。新聞の見出しですよ。ハムが踏ん張るわけがないじゃないですか! でも、このチンプンカンプンな文章が、なぜかこの国ではまだまだ通用するのです。

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 親会社の広告塔としての「野球興行」──。この形態がもはや限界に達していることに、もう多くの人々が気づいていますね。なのに、新しくできた球団までもが「企業名丸出し」とはいったいどういうこと?
 だいたい、プロスポーツ団体を企業名で呼ぶことに国民のみなさままでが抵抗を感じていないのですから、まったく処置なしでしょう。日本プロ野球界はもはや、そこらへんの末端のファンも含めて、健全な「スポーツ文化」として繁栄しようという意志がない! そう断言してかまわないでしょう。

 そう言えば先日、NHKスペシャル『待ったなし プロ野球改革』という番組がありました。『読売』のエライ人、『オリックス』のエライ人、そして『ソフトバンク』のエライ人がピーチクパーチク議論していたのですが(進行役のNHK解説委員山本さん、シラケてました)、私は「その調子、その調子」とニコニコしながら見ていました。
 この人たちに支配されている限り、日本プロ野球に真の幸福は訪れませんね。もはや、彼らのいないところに飛び出していくしかないのは明々白々なのですが、まあ、それはいいでしょう。日本プロ野球には今後も単なる「親方大企業の余芸」でありつづけていただきます。そして、ジワリジワリと衰弱です。よろしくお願いしますね。(つづく)

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第8章 日本プロ野球はもはや「プロ余興」だ![1]

2005年05月15日 | 第8章
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 わが国日本は、じつに情けない事情によって「途轍もない野球大国」になり仰せたのではないでしょうか? 私はそう思うのです。(だから「ベースボールは不要!」などと誇張ぎみに書いているのです)

 男が「へなちょこ」で激しいスポーツをあまり好まない。「USA色」にいともあっさりと染め上げられ、そして大手マスメディアが的外れで、商売っ気丸出しで、機能不全。
 カッコ悪過ぎますね。野球は世界のマイナースポーツですから、日本野球界に世界の人々の眼が集まることはありません。でも、いまの時代は情報がいとも簡単に世界を駆けめぐる時代です。油断していると「日本て鈍臭いねぇ」「日本て遅れてるぅ」などと世界の人々に笑われてしまいます(もう笑われてるかな?)。
 急いでこの国の野球を「薄める」必要がありそうです。さあ、みなさん、急ぎましょうよ。
 おつぎは、当の野球界の「惨状」を見てみましょう。まあ、見る価値もないのですが……

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〈日本プロ野球が「正しく」繁栄することは、金輪際ない!〉

 時代は移ろい、いまや日本プロ野球は「旧体制」の代名詞となりました。おめでとうございます。日本プロ野球と言えば「旧体制」、「旧体制」と言えば日本プロ野球ですね。では、日本プロ野球をいまだに愛でる人々は? そうです。「旧人類」です。「ピテカントロプス某」ですね。相も変わらず、「プロ野球」とは名ばかりの「企業野球」が、牛のよだれのごとくつづいています。

 今年、新しい球団が誕生したそうで。何十年もの長きに渡り、膨大な赤字を垂れ流してきた既存球団の「エライ人たち」によって承認された新球団。その名も「東北楽天ゴールデンイーグルス」。
 企業名丸出し、そして異様にダダッ広い地方名の並記。おそらく、だれかさんに「企業名をちゃんと冠しなさいよ」などと指南されたのだろうと察しますが、この期に及んでこんな団体を応援するのはどんな人たちだろう、などと想像してみます。
 おそらく、そのダダッ広い東北地方の、スポーツのあり方などこれっぽっちも考えたことのない、ボーッとした「受け身」の人々だけでしょうね。でも、そういう人たちのほうがまだまだこの国には多いからそうするのですが……。(困ったなぁ。不幸だなぁ)

 ふと気がつけば最近、こういうプロ野球チームが増えているようです。地域名と企業名を並記するパターン。「北海道日本ハム」とか、「千葉ロッテ」とか。でも、これらの言葉がおかしいことは、ちょっと賢い人ならわかるはずです。
 以前、野球特集を組んだある経済誌に「道民球団日ハムの成功──」という見出しを見つけたのですが、このとき私は吹き出してしまいました。この経済誌はクルクル○ー。「道民球団」なら「日ハム」ではないし、「日ハム」ならば「道民球団」ではありません。明々白々であります。でも、この国の多くの人々にはきっとわからないのでしょうね。既成事実に弱いというか、まあ、民度が低いまま、ということでしょう。(つづく)

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第7章 大手マスメディアの大罪[2]

2005年05月13日 | 第7章
[2]

 はい、野球です。このあってはならないこと、つまりジャーナリズムが思いっきり「内部者」になってしまっていて、しかも、もうどうしようもないほどに凝り固まっているのが、この国の野球界でしょう。
 プロ野球・読売巨人軍の『読売新聞』、そして『読売』の大きな陰にひっそり隠れてウマイことやっている名古屋の『中日新聞』。そして、無邪気な高校球児たちに奇妙な教育を施す高校野球は、『朝日新聞』と『毎日新聞』が主催者。『毎日』は社会人野球もやっているようですね。
 また最近では、『TBS』や『フジテレビ』までもが、どこかの球団の筆頭株主になっているよう。なかでも、「球界の盟主」などと揶揄される(「揶揄」ですよね?)『読売』に至っては、もう特筆するまでもないのですが、日本プロ野球界を長きに渡って牛耳り、おのれの勢力拡大のため私物化してきました。もう最悪ですね。

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 日本の大手マスメディアはジャーナリズムの機能を全然果たしてくれません。また、その気もまったくないようです。わが国の主要メディアはもはやジャーナリズムでも何でもなく、単なる「情報屋さん」に堕していると断言できましょう。
 「野球は激しく動かなくていいから日本人にピッタリだ。だから野球を利用して勢力拡大をはかろう!」などと彼らが思ったかどうか、そんな大昔のことは知りません。が、「第四の権力」たる(わが国の場合は「第一」のような気もしますが)大手マスメディアの的外れな振る舞いが、無邪気な大衆を巻き込み、この国をとてつもない「野球やりすぎ国家」にしたのは紛れもない事実でしょう。
 そしていま、「今年はプロ野球改革元年です!」などと騒ぎ立てているのも彼らです。ナイーヴな人々は素直に喜んでいるようですが、じつは日本野球界の根本的な部分にはまったく変化がありません。このままでは日本の野球界に真の幸福は訪れないのですが、すべては彼ら、この国の大手マスメディアのせいだと断言できます。
 野球を愛するみなさま、もはや彼らにレッドカードを突き付けるしかないのですが、できますか?(つづく)

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第7章 大手マスメディアの大罪[1]

2005年05月11日 | 第7章
[1]

 はい、野球の話に戻りましょう。
 大変しつこいですが、私がいままでにネットリと述べた3点を繰り返しますと……

①日本人男性の多くは「へなちょこ」で、「楽をしよう、楽をしよう」という傾向が非常に強い。しんどいスポーツは真っ平ゴメン。だから、激しく動く必要のないボールゲーム、野球にドドーッと群がった。

②日本人は自由が苦手で、ルールに縛られるのが大好き。だから、自由度が低く、ルールまみれの複雑な球技、野球を選んだ。

③米国への見事なまでの屈服、盲従。USAという「上司」に対する、反吐が出るほどのゴマすり、擦り寄り、ご機嫌取り。

 以上の3点、なかでも①と③については、もうすでに世界の人々に見透かされているような気がします。ですが、まあ、これらはすべて私の勝手な推察、思い込みですね。どうぞ抹殺してください。
 でも、いまから述べることは厳然たる事実だと思います。もう一点付け加えましょう。わが国のマスメディアです。わが国の大手マスメディアが、この国をとてつもない「ベースボール大好き国家」にしてしまいました。

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〈大手マスメディアは日本スポーツ界の癌細胞だ!〉

 既成事実にめっぽう弱い現代日本人──。ですから、このことを理解できる人は少ないと思いますが……

  マスメディア(つまりジャーナリズム)が、スポーツの大会を主催したり、スポーツ団体を運営したりしてはいけない!

 理解していただけるでしょうか? これらの行為はジャーナリズムにとって明らかなる「自殺行為」。そして同時に、スポーツにとっては不幸この上ないことです。なぜなら、ジャーナリズムというのは常に「外部者」でなければならないからです。

 何事に対しても、常に「外」から検証をしたり論評を加えたりする立場、それがジャーナリズムです。つまり「アウトサイダーに徹する」ということですね。
 なのに、この国の大メディアは「内」に入ってくる。本来果たすべき役割を放棄し、いや果たすべき役割をまったく理解せず、おのれのちっぽけな利益や勢力拡大のためスポーツを利用するのです。ホント、変わった国です、私たちの国は。
 この変わった国のスポーツの風景で私をもっとも幻滅させるもの──。いくつもあるのですが、その一つに、冬場に毎週のように行われるマラソンや駅伝の大会があります。
 沿道で、大会を主催する新聞社などの旗をパタパタ振りながら応援する人々を見るにつけ、私は暗澹たる気持ちになります。「あんたたち、なに旗なんか振って協力してんの?」「この人たち、無邪気だなぁ。既成事実に弱いなぁ。しっかりしてよ~」って。ホント、ガクッとうなだれてしまいます。私だったらその旗に「あなたたちはジャーナリズムを実践しなさい!」「スポーツを利用するな!」などと書いてその新聞社に送り返しますよ。

 ジャーナリズムがスポーツの「当事者」(=「内部者」)になってしまうとどうなるでしょうか? その答えは至極簡単。そのスポーツ大会やスポーツ団体などに対し、正当な批判ができなくなってしまいます。「当事者」になった時点で単なる宣伝媒体に堕落し、「社会のため」のジャーナリズム機能(批判や提言などを行う)をまったく果たせなくなってしまいます。すなわち、これらの行為は「反社会的行為」だと言えます。
 以前、英国でこんなことがありました。「マンチェスター・ユナイテッド」というサッカークラブ、みなさんもよくご存じだと思いますが、この世界的人気を誇るサッカークラブを、オーストラリアのメディア王、マードック氏が買収しようとしたのです。しかしこのとき、英国政府は「社会の利益に反する行為」としてこれを拒否しました。正しい判断ですね。(つづく)

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おまけ 日本サッカー界へ苦言

2005年05月09日 | おまけ
 おまけです。

 わが国のサッカー界は従来の企業スポーツから脱却し、「あるべき理想の姿」へ向かって邁進している、などと私は前章で述べました。が、むろん、日本サッカー界はパーフェクトだ、などと褒めたたえているわけではありません。苦言を二つ。

 行政と企業、そして地域社会が三位一体となってJリーグ各クラブは運営されています。その理念はまさに「パーフェクト」で、その理念(特に「地域密着」の部分)を打ち出してくれたことに対し「感謝、感謝」なのですが、まだまだ「企業優勢」「親方企業主導」のクラブがいくつかあるように思います。
 なかでも、『日本テレビ』という大メディア(つまりジャーナリズム、しかも『読売』という低俗メディア)が運営する「東京ヴェルディ1969」というクラブの存在は不気味です。
 このクラブの法人名は「日本テレビ・フットボール・クラブ」、そしてそのエンブレムには「FC NIPPON」などと書かれており、Jリーグが掲げる「地域密着」の理想を足蹴にしています。まさに日本サッカー界、いや日本スポーツ界の癌細胞であります。
 次章で述べますのでここではサラッと流しますが、そもそも、ジャーナリズムがスポーツ団体を運営するなどあってはなりません。愚の骨頂であります!

 そしてもう一つ。まったく次元の異なる話ですが、各クラブについている呼称についてです。これは「調子に乗り過ぎた」という印象です。近い将来、後悔するときが来るのではないでしょうか?

 具体例は挙げないことにしますが、Jリーグクラブのなかには、恥ずかしくてちょっと口にできない、奇々怪々なる呼称がいくつかあります。一般公募で決められた例が多いのですが、「これはポルトガル語の○○という言葉をもじった造語です」といった、まったくをもってアクロバチック&チンプンカンプンなもの。
 将来そのクラブが強くなり、世界にその名を馳せるようなことになったらどうするのでしょう? まあ、そこまで考えが及んでいないようですね。ぜひ及んでください。サッカーは「国内完結型」の競技ではありませんので、変えられるところはぜひ「まともな」名称に変えていただきたいと思います。まだ間に合うと私は思っています。

 以上、あっさり、日本サッカー界への苦言でした。(つづく)

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第6章 なぜサッカーではないのか?[5]

2005年05月07日 | 第6章
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 私たち日本人の「縮み志向」は良いものを数多く生み出しています。ウチワを折り畳んで縮めた扇子、最近とんと見掛けなくなったけどチャブ台とか、盆栽とか、街で配っているポケットティシューなんかもそう。トランジスタや、いま私も使っているメモリーカードなどの記憶媒体、そして娯楽の王様パチンコ(注1)などなど。
 しかし、その一方で、悪い側面ももちろんある。その悪い面を是正するのにサッカーは絶好の「道具」になるのですが、残念ながら、その絶好の「道具」を使うのに、まだまだ多くの日本国民は二の足を踏んでいるのではないか、気後れしているのではないか、と私は感じているのです。

 サッカーはホント、しんどいスポーツです。でも、とても楽しいボールゲームです。間違いありません。世界が証明済みです。競技そのものの楽しさにくわえ、いま述べたような、世界を隈なく知ることができる、世界中の人々と通じ合える、という特典まで付いてきます。最高じゃないですか! ところが、「へなちょこ&萎縮」の人々とってはなかなかそうはいかないのですね。むしろ苦痛になるのでしょう。

(注1)えっ、パチンコ? ごめんなさい。パチンコは「良いもの」の例としては不適当ですね。われわれ日本人の「縮み志向」が生み出したものであるのは確かですが、決して「良いもの」ではありませんね。パチンコは東アジアの最貧民の「与太娯楽」です。すみやかに訂正いたします。失礼いたしました。

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 はい、長くなりましたが、これで大変嫌みなサッカーの話を終了いたします。サッカーとの比較がとてもわかりやすいので、サッカーの話を持ち出しました。
 が、むろん、「サッカーをやりなさい!」「サッカーに興味を持ちなさい!」などと無理強いするつもりは毛頭ありません。私は国際サッカー連盟(FIFA)や日本サッカー協会(JFA)の回し者でも何でもありません。ラグビー、テニス、陸上競技、競泳、アイスホッケー、スキー、スケート、バドミントン、卓球、柔道、空手、バレーボール、バスケットボール……、何だっていいと思います。ただ、「この国、ちょっと野球がデカ過ぎませんか? → ベースボールという競技の価値を過大評価していませんか? → バランス悪いんじゃない? → バランスが悪いから体こわすよ → いや、もう見事にこわしてるよ → 急いで野球を縮小する必要があるんじゃないですか!!!」とだけ言いたいのです。(つづく)

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第6章 なぜサッカーではないのか?[4]

2005年05月05日 | 第6章
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〈サッカーの広大なる世界に萎縮?〉

 はい、つぎです。これもまたおおいに指摘できると思います。サッカーの社会が持つ、いわば「世界への広がり」「世界性」といったものに対し、多くの日本人はまだまだ萎縮しているのではないでしょうか?

   東海の→小島の→磯の→白砂に
   われ泣きぬれて蟹とたはむる(石川啄木)

 われわれ日本人は「縮み志向」(注1)。つまり、こういうことです。
 サッカーは世界中で行われています。サッカーに興味を抱き、サッカーの世界に一歩足を踏み入れると、そこには世界のさまざまな国や地域との遭遇が待ち構えています。いやでも、いろんな国や言語、人々などに出くわします。
 サッカーが盛んなヨーロッパやラテンアメリカの国々はもちろん、50カ国を超えるアフリカ諸国。それに、われわれと同じアジアだけれども何とも疎ましく感じられるアラブの国々や、旧ソビエト連邦から独立した何とも覚えにくい名前の共和国。そして、おまけと言っては失礼だけれど、太平洋、インド洋、カリブ海に浮かぶちっちゃな島国まで登場します。
 当然、言語も多様をきわめます。われわれ日本人は外国人を見るや、すぐに「センキュー、センキュー」などと英語(?)で話しかける不遜な国民ですが、英語だけでは事足りません。スペイン語やフランス語、イタリア語、ポルトガル語などのラテン系言語。私たちはアジアですから、アラビア語の登場もしばしば。ゴツゴツとした印象の、ドイツ語をはじめとするゲルマン系言語や、ロシア語などのスラブ系言語。そして、最近ようやく身近になってきた(そうでもない?)韓国語や中国語……。
 「競技場」という単語一つとってみても、ステイディアム、シュタディオ~ン、スタディオン、エスタディオ、エスタヂオ、スタディオ、スタッド、スタディオヌル……(ごめんなさい。全部ヨーロッパ言語です)。もう大変ですね。
 あと、これは私も最近知ったのですが、ドイツ南部の大都市ミュンヘン(München)は、イタリア語ではモナコ(Monaco)というそうです。え~? ミュンヘンってモナコなの? 驚きました。

 さぁ、このような現実をあなたはどうとらえますか、という話です。チャンスととらえますか? それとも、ピンチですか?
 残念ながら、「ピンチ」の人が多いのではないでしょうか? 萎縮して知らんぷりしている人がまだまだ多い。これが現実だと私は思います。せっかくこの世に生まれてきたのだから、世界をもっと広く知ったほうがいい。
 これをチャンスととらえることができれば、「USA一辺倒」の偏った世界観から見事に脱却することができますし、「ああ、アメリカなんて世界のほんの一部分に過ぎないんだなぁ」「USAってのはむしろ例外的でヘンテコリンな国なんだなぁ」(←ここまでいけば万々歳!)などということがよ~くわかってくるはずです。そして、この好機にちょこっとだけ知的好奇心を振りかければ、ちょっとしたコスモポリタン(世界人、国際人、民族差別をしない人)にだってなれるはずです。そういう日本人が増えれば、「アメリカ一辺倒」ではなく、世界を広く広く見渡せる素晴らしい国に私たちはなれると思うのですが……。(つづく)

(注1)イー・オリョン著『「縮み」志向の日本人』。名著です。ゼシ読んでみてください。

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第6章 なぜサッカーではないのか?[3]

2005年05月03日 | 第6章
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〈サッカーはあまりにも自由〉

 つぎに、サッカーという競技そのものが持つ「自由奔放さ」とでもいうべき特徴。この特徴もまた、ルール好きの日本人には少々疎ましく感じられるのではないでしょうか?

 サッカーはベースボールとは全然ちがい、自由度のかなり高いボールゲームです。つまりルールブックが薄っぺらい(聖徳太子の十七条憲法みたいなもの)。これといったルールはオフサイドだけですね。
 オフサイドという制約、プラス戦術です、一応選手たちを縛るのは。しかし実際、一つ一つのプレーは、選手一人一人の自由な発想に相当委ねられることになります。
 選手一人一人が物の道理や経験などからゲームの流れを予想したり、その場の直感などで瞬時に判断しプレーします。ワンプレーごとに静止して、「どうすんの? どうすんの?」などと監督やコーチなどから指示を仰ぐ優雅な世界とはわけがちがいます。
 ポジションもまた自由です。ゴールキーパーが一人、これだけが決まっていて、残りの10人はどう配置したっていい。ディフェンダーが1人、フォワードが9人で中盤なし──。無謀ですけれど、これでもいっこうに構いません。また、ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワード以外に新しいポジションの概念を作り出したって構わないのです。つまり、「とっても自由」ということです。

 高校のときの体育の授業を思い出します。サイドバックをやらされた大山君(仮名)は、サイドの後方の位置にピタリと張り付いたまま動きませんでした。まさに「サイドバック」。おのれの発想で自由に、また活発に動き回ればいいのですが、怖いのですね、自由が。自由をどう扱えばいいのかわからない。野球のポジションのようにビタッと固まったまま動かないのです。また、動けば動いたで疲れますしね。

 自由を扱うことを苦手とする多くの日本人にとって、サッカーは「あまりにも自由」なのではないでしょうか? 何かをするとき、必ず「きっと何かルールがあるはずだ」と発想する多くの日本人にとって、サッカーの自由度の高さはむしろ苦痛となるのでしょう。
 事実、「サッカーってよくわかんなぁ~い」などと漏らす人間がこの国にはまだまだたくさんいます。それはまさに「きっと何かルールがあるはずだ」と発想する人たちの言い草ですね。順序が逆です。何事もまずは「自由」から入るのが好ましい。サッカーは自由、「見たまんま」です。シンプルです。相手のゴールに入れるだけ。「ルールなんてないんだぁ!」 そう思って見るのが正しいボールゲームです。

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 少々しみじみとした気持ちにもなります。こんな「へなちょこ比率」の高い国で、日本サッカーはよくここまで来たなと思います。もう奇跡に近い!
 長い間、へなちょこ男たちによる「鎖国」(つまり「野球一色」の時代)がつづいていたのに、「開国」するやいなや、ワールドカップやオリンピックにも出場できるようになりました(もちろん、毎回厳しい予選を難なくクリアできるとは思っていません。失敗することもあるでしょう)。
 また、ヨーロッパのトップレベルの舞台で兵たちと互角に渡り合える若い選手も出てきました。やればできるのです。国内のプロリーグも、従来の企業スポーツから脱却し、「あるべき姿」に向かって邁進していますね。また、サッカー選手に対する世間の尊敬もかなり改善されてきたように思います。着実に前進しているようですね。
 しかし、まだまだ全体的には、「嫉妬」というマイナス要素にずいぶんと足を引っ張られているのではないでしょうか? 「嫉妬」と言っても、それは女性たちの嫉妬ではありませんよ。この国の「へなちょこ男たち」の嫉妬です。この国の男どもの嫉妬はホント、凄まじい!
 あんなに激しく動き回ることのできるサッカー選手が、煙たくて煙たくてしょうがないのです。そして、ついでに付け加えておきたいのが、サッカー選手の体型、体つきですね。サッカー選手はみな、筋骨隆々というわけではないけれど、体脂肪の少ない、とてもスッキリとしたスポーツマンらしい体型をしています。つまりカッコイイ。トップレベルのサッカー選手にお腹の出た選手なんてまずいません。身長180cmの選手なら体重は70kgちょいで体脂肪率は10%ほど。野球選手なら80kg超の20%近くですよ。USAと同様、昨今、肥満傾向の著しい日本の「へなちょこ男」にとって、サッカーは立派な嫉妬の対象になってしまうのではないでしょうか?(つづく)

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