先月中旬のことです。昨年1年間、井笠川柳会誌上大会に投句した当方の川柳が年間優秀賞に
選ばれたということで、記念の石板(入選句を刻字したもの)を頂きました。表彰式が5月末に
岡山でありましたが、吹矢の大会と重なり出席は適わず郵送にて届いた次第。
悲しいかな?!生涯を通して「賞」などに縁のない人生。たまたま、まぐれにせよ川柳を始めて
4年目にしてこういった形で結果が残ったことはありがたいこと。感謝であります。ちなみに
この「井笠川柳会誌上大会」は年間3回の誌上大会で三才、佳作、平抜きを全て1点として計算。
合計点の上位10人が年間賞に選ばれ「石板」が贈呈されるというもの。
また、結果はどうあれ武者修行、今年も頑張って投句をして行きたいと思っています。
さて、先日、全国大会の会場で買った川柳の本「大倉山発・山本喜太郎川柳句集」を読んで
おります。装丁が他の川柳本と違って個性的で斬新、思わず手に取ってみて中身を見て即決。
その中から何点かご紹介させて頂こうと思います。そして感想はあくまでも私見、私なりの解釈
ですので、浅薄で間違っているかも知れませんのでご了解下さい。
◯躓いた数もかぞえて歩数計
歩数計(万歩計)は多分、それぞれの人生のことだろうか。山あり谷あり、平坦な道も
あれば茨の道もあるのが人生。失敗して躓き、歩を進める事の出来なかった日もまた人生。
悔しいけれどそれはそれで振り返ってみると、また愛おしい自分史であると思われます。
◯抜け道も至るローマと書いてある
「抜け道」はひょっとしたら楽な道?あるいは悪の道?に繋がっているのかも知れない。
正々堂々の方法、王道では無いかもしれないがそんな道を選択せざるを得ない瞬間が
ないとも限らない。案外、人の気づかない「抜け道」も歩み続ければ何かが待って
いるような…。弱者応援のメッセージにも感じますが、皆さんはいかがでしょうか。
◯爪切れば薬師如来のくすり指
我々が爪が伸びれば当然やっている、何気ない爪切り。それと薬師如来のくすり指とが
何の関係があるのかと不思議に思い、薬師如来の画像をネットでみると納得。
薬師如来の右手の表情、仕草?がそう、まさに言われてみれば爪を切る時の形のように
なっているではありませんか。(人によって見方が違うので何とも言えませんが、少なく
とも私にはそう感じました。)そうか、今まで何も考えずに爪を切っていたし、
薬師如来の手の形なども無関心。この「気づき」観察力、洞察力が他者の詠めない
句を作る原点なのだろう。
こう詠まれると、何か爪を切ることが仏教と繋がっていて、まるで修行をしているような
神々しい行為のように思われて来ます。
◯赤い羽根売り子の声が背にささり
これも街頭などでよく見かける日常の光景。募金額ぐらいの小銭は財布の中に
あるものの、つい素通りしてしまった経験は誰しもあること。悪気などないものの
そこを通り過ごしたあとに、その事に無関心であった自分にはたと気づき赤面。
急いでいるとは言いつつ、その募金の裏にある事情にまで想像力を働かせれない
器の小ささ、人間としての余裕のなさを見抜かれたようで、少し自己嫌悪に陥ったり…。
「背にささり」の言葉がその事を言い得て妙だと思います。
決して難解な言葉や内容でなく平凡な文言ではあるけれど人間の心情を鋭く切り取って
いる句が多いと思います。独りよがりでないので内容も理解出来て納得、共感出来る
流れになっているのではないでしょうか。17音での物語、ドラマ作りは人それぞれ。
多くの川柳を見て修行するしかありません。いずれ自分流の川柳はこうだと言えるように
なれればいいのですが。

頂いた年間賞の石板です。「少年期橋の向こうにいた天狗」励みになります。ありがとうございました。

「山本喜太郎川柳句集」です。こんな本を夢物語ですが、いずれ出版出来たらと…。

「抜け道もいずれローマと書いてある」ローマは1日にして成らず、千里の道も一歩からでしたか。ここでは抜け道をどう解釈するかになりますね。
選ばれたということで、記念の石板(入選句を刻字したもの)を頂きました。表彰式が5月末に
岡山でありましたが、吹矢の大会と重なり出席は適わず郵送にて届いた次第。
悲しいかな?!生涯を通して「賞」などに縁のない人生。たまたま、まぐれにせよ川柳を始めて
4年目にしてこういった形で結果が残ったことはありがたいこと。感謝であります。ちなみに
この「井笠川柳会誌上大会」は年間3回の誌上大会で三才、佳作、平抜きを全て1点として計算。
合計点の上位10人が年間賞に選ばれ「石板」が贈呈されるというもの。
また、結果はどうあれ武者修行、今年も頑張って投句をして行きたいと思っています。
さて、先日、全国大会の会場で買った川柳の本「大倉山発・山本喜太郎川柳句集」を読んで
おります。装丁が他の川柳本と違って個性的で斬新、思わず手に取ってみて中身を見て即決。
その中から何点かご紹介させて頂こうと思います。そして感想はあくまでも私見、私なりの解釈
ですので、浅薄で間違っているかも知れませんのでご了解下さい。
◯躓いた数もかぞえて歩数計
歩数計(万歩計)は多分、それぞれの人生のことだろうか。山あり谷あり、平坦な道も
あれば茨の道もあるのが人生。失敗して躓き、歩を進める事の出来なかった日もまた人生。
悔しいけれどそれはそれで振り返ってみると、また愛おしい自分史であると思われます。
◯抜け道も至るローマと書いてある
「抜け道」はひょっとしたら楽な道?あるいは悪の道?に繋がっているのかも知れない。
正々堂々の方法、王道では無いかもしれないがそんな道を選択せざるを得ない瞬間が
ないとも限らない。案外、人の気づかない「抜け道」も歩み続ければ何かが待って
いるような…。弱者応援のメッセージにも感じますが、皆さんはいかがでしょうか。
◯爪切れば薬師如来のくすり指
我々が爪が伸びれば当然やっている、何気ない爪切り。それと薬師如来のくすり指とが
何の関係があるのかと不思議に思い、薬師如来の画像をネットでみると納得。
薬師如来の右手の表情、仕草?がそう、まさに言われてみれば爪を切る時の形のように
なっているではありませんか。(人によって見方が違うので何とも言えませんが、少なく
とも私にはそう感じました。)そうか、今まで何も考えずに爪を切っていたし、
薬師如来の手の形なども無関心。この「気づき」観察力、洞察力が他者の詠めない
句を作る原点なのだろう。
こう詠まれると、何か爪を切ることが仏教と繋がっていて、まるで修行をしているような
神々しい行為のように思われて来ます。
◯赤い羽根売り子の声が背にささり
これも街頭などでよく見かける日常の光景。募金額ぐらいの小銭は財布の中に
あるものの、つい素通りしてしまった経験は誰しもあること。悪気などないものの
そこを通り過ごしたあとに、その事に無関心であった自分にはたと気づき赤面。
急いでいるとは言いつつ、その募金の裏にある事情にまで想像力を働かせれない
器の小ささ、人間としての余裕のなさを見抜かれたようで、少し自己嫌悪に陥ったり…。
「背にささり」の言葉がその事を言い得て妙だと思います。
決して難解な言葉や内容でなく平凡な文言ではあるけれど人間の心情を鋭く切り取って
いる句が多いと思います。独りよがりでないので内容も理解出来て納得、共感出来る
流れになっているのではないでしょうか。17音での物語、ドラマ作りは人それぞれ。
多くの川柳を見て修行するしかありません。いずれ自分流の川柳はこうだと言えるように
なれればいいのですが。

頂いた年間賞の石板です。「少年期橋の向こうにいた天狗」励みになります。ありがとうございました。

「山本喜太郎川柳句集」です。こんな本を夢物語ですが、いずれ出版出来たらと…。

「抜け道もいずれローマと書いてある」ローマは1日にして成らず、千里の道も一歩からでしたか。ここでは抜け道をどう解釈するかになりますね。
コメントありがとうございます。たまたまの入賞でしょうが励みになりますね。せっちゃんさんを始め、先輩諸氏の背中を追いかけながら、これからも句と向かい合って行きたいと思います。こちらこそよろしくお願いします。
素晴らしい石板❗️ 一生残る宝物ですね。おめでとうございます。
部屋の中の一つの宝物で、、なぜか愛おしく思えますね。
これからも、川柳の楽しさを感じていきたいですね。
自分の今を読んだり、心を読んだり、、、幸せだったり、いろいろ❗️
これからもよろしくお願いします。