休暇をとった日は病院をハシゴしていたり、就活に励んだりで、あまり片づかないままに引越前夜を迎えてしまった。
日中勤務の仕事は早く終わらず、疲れをとる間もなく梱包続けた。老女の引越はフリータイムプランを選ぶ。なんと朝八時から作業開始との連絡。若いお兄ちゃんとお姉ちゃんがやってきてきびきびと動く。転がっている段ボールで新たに荷物を作ったり、トラックに乗る限りの荷物は持っていってくれた。いろいろやってもらって三万いかないのは安い。電子ピアノ一台運んだ料金とあまり変わらない。
今回、夫は頼らなかった。荷物を運ぶのは重労働だからである。その昔、まだ若かった夫はわたしの実家からの荷物をほとんど運んだ。雪のちらつく日だったことを想い出す。あれから四十年余り、今日のような生活は想像できなかった。
夫の短気な性格は今も変わっていないが、常にいる存在ではなくなった。
世帯を変えることも検討したが、まったく接点がなくなってしまうことはお互い、不安に繋がるのではないかと思いやめた。
夫は妻のいない生活をどう考えているのだろうか?五年前の救急車事件から歩み寄りが始まったが、彼は一人が楽らしい。それだけ、自立できているということなのだが、妻子が住む家を処分したいと追い出したが、その後フォローがないのはいかがなものか?
私はひとりの人間として、食べていくために働くことは年金世代であっても当然と考えているが、家賃は負担に感じる。
夫はそこまで考えることができるのだろうか。国保の請求額でおおよその妻の収入は推測できるがゆえに安心しているのだろうか。
一緒に住めば、世話をしたがる夫だが、気まぐれなのですぐ嫌になる。彼が病気をして以来、できるだけ共にいる時間を多くとるようにしてきたが、昨年の「家は建てない」と言ってきたので、夫の実家にお風呂を買えば私も住めるのにと言ったところ「住むのは俺が死んでからにしてくれ」と言われた瞬間、何かが終わった気がした。忙しかった私には、怒りも悲しみも感じなかった。
息子も父親には会わなくなった。勝手なことばかりしてきた父親を許せない気持ちは同じ男性だからかなりあるのだろう。
来年度の収入は減る。減った分の穴埋めのため走り回る。
週6日の稼働は厳しいが、私にとって仕事は癒しであることに気がつく。今年もまた、6日ほどではないが5.5日くらいになりそうである。余裕ができると私生活に目が向き家族に対する不満ばかり出てくる。忙しい私。友達とも会う機会が減ってしまうが、これでよいのかもしれない。