気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

決めた!!建てるか、買うか。

2022-08-31 22:28:15 | 日記
よぼよぼ婆さんに貸してくれる大家はいないというが、高齢社会ゆえ、よぼよぼと見えなければ貸してくれるだろうと楽観的に考える。
いろいろ考えた、いや深く考えず見切り発車かもしれないが、数年先まで、がっつり稼いで、家を建てるか、マンションを買うかしたい。体が動けるうちに使う住まいで、売れそう、貸せそうなものを選びたい。
世間の小さく暮らす記事など私には関係ない。密かな起業計画もありで最低でも食べるには困らない、少しでも楽しく暮らしたいと思う。
自分に磨きをかけるためには努力も必要だが、楽しみが増えた。健康は大事だが、今のところ人並み、いやそれ以上の体力はありそうだ。今、気になることは左の肩の関節が痛み五十肩のようであるが、ふと、コロナのワクチンを打った部位あたりが痛い。わたしは四回目は打ってないので半年以上は接種から経過している。打ったことが原因ではないと思うが、今後、接種により痛みが増す可能性もあるので、オミクロン対応のワクチンもしないでおこうと思う。どうせ、新種の株は入ってない。

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続投 ピンチはチャンス

2022-08-30 20:24:33 | 日記
このブログは千回書いたら終わりにしたいと思うと、急にピッチを上げたくなった。
よく、いわれるピンチはやはりチャンスであると思う。新しいこと始めるにも勇気はいるが、逆に選択肢が少なければ仕方なくやることもある。
必死にかけ続けた十年間。十年前、生活はスリムにどころか、生活はやせ細っていた。そのような時期の十年前、科目履修生として徒歩10分の大学をカルチャーセンター代わりに利用していた。大学の面接に着ていく服がない。タンスの奥からひっぱりだして上下あわせて二千円で面接スタイルにして、ギリギリの生活であったが、私は優雅に見えていたらしい。あえて、お金ないとは言っていなかったから。
六十に向かっていた私はどん底で這い上がるしかなかった。這い上がるチャンスを与えられたのだった。綺麗だな、可愛いなと思うのは十年前の写真であるがある種のエネルギーを感じる。
今のわたしは老後であっても老後ではないと思うことがある。何も、生活を小さくする必要などない。稼げばよいといいつつも、食器も百円。百円ですむものはすべて百円。それもたくさんは買わない。必要を感じないのである。あるものを利用して新しく買わない。買うとしても簡単に捨てられるかどうかである。洗濯機もレンジ棚もレンタル。引っ越すことを前提にしている。一年しか使わないのなら借りたほうが安いし引き取ってくれるので楽だ。
七十に向かう私は小さくならないこと。世の中には反するかもしれないけど、造りだすことも必要ではないかと思う。造るのは新しいことに挑戦していくことであったり、働いて対価を得ることと解釈したい。


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そろそろリタイア??したいが。

2022-08-30 19:08:21 | 日記
最近、主たる職場の給食がしょぼくなってきた。材料費値上げで苦しいのだろうか。そろそろ、マイ弁当にしようかなどと考えるが、この職場辞める予定じゃなかったのか?突っ込みがはいる。週に三日も出てるのに夏休みも社会保険もボーナスもない。他の職場の方が待遇的には恵まれているのだが、この職場に出会うまでの苦労。やっと月一定の収入が得られるようになったことを思い出すと手放せないのである。出発点のような職場であるからか。
職場が四つある私は同じ口座に三カ所から給与が振り込まれる。また、年金ともうひとつはセカンドの口座に振り込まれる。なんだか、とても、お金持になった気分になるけど、五十代で稼げなかった分を取り戻しているだけ。フリーランスでも職場の三つは元が同じで合算されてボーナスがでた。家族には話してない。たかられる!!
八月は勤務日を間違えそうになり、五分で支度をして職場にすべりこんだ日もあった。五分でも支度できるものと実感する。体力より耐力。九月がはじまる。やりきれるのか。できないと思いつつ半年が経ってしまう。諦めないことが肝心なのか?
               

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お金を貯めるには家族とつきあわないことか

2022-08-29 22:39:32 | 日記
ビンボーブログはケチブログに変わりつつある。
最近、家族への出費多いなと感じる。収入の半分は貯金したいのにできないのは、家族がいるから。家賃補助はもう九月でやめることになっているが、更新の話に立ち会ってくれとか言ってきて、息子はまだ私を名目同居人にしてお金をとるつもりなのだろうか。娘は私の経済状態をよくわかっていないのでおねだりはしてこないが、孫のため小金はちょこちょこ出している。名目夫も貸していたスペースに借り手がつかなくなったのか金欠。
老体鞭打って働いているのに、気の向くまま散財できないのもなんとも。
ここのところLINEの返信もなく既読にもならない家族だったが、お金にからむことになると連絡がくる。おひとり様サービスもこれからできてくるだろうし、兄妹で揉めることがあるならお金かかっても外注でもいいのではないかと考える。

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回想2 下の世代がシニアへ向かっている

2022-08-28 00:12:17 | 日記
60歳前後はもはや同世代ではなくなった。私は七十に近いということだが、団塊の世代とはまた違う。今アラ還世代は、いわゆる新人類と呼ばれた世代である。年下がシニアになっていく。子守をした子たちがシニアに!!と思うとゾッとするが、今どきの六十歳は若い。若いままの趣味で年を重ねていくわけだから当然ではある。
今、若い世代は兼業や副業がないと資産形成ができないと言われているが、私は時代を先取りしていると思った。五十代のダブルワークは生活のためだった。雨露しのげる家さえあれば、多くのお金は必要ない。                       小さな生活はかなり早期にはじめていたわけで、今さら小さくと言われても困る。極小になってしまうではないか。
知らない間に預金も増えてきて、普通預金を金庫代わりにしても増えない。四十代、五十代は失敗を恐れず投資をしていた。小さな投資ではあったけど、倍以上に膨れた投信を売って院の入学費用の一部に充てることができたことを思いだした。院進学は投資になるかどうかもわからない大きな賭け
だった。学費は回収できたし、やっと人並みに稼げるようになったのだから、六十代でリタイアするわけにはいかない。頭がついていくうちは働きつづけるのだろう。全財産の10パーセントは投資に回そう。いや、20パーセントくらい。塩漬け株を見直していこう。
びんぼーブログからの脱却である。


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