1月3日生まれの私が生まれた年の3月29日に父は亡くなった。急死だった。そんな話をすると、周囲は青ざめる。
私の記憶に残っているのは、父親かたの祖父の死である。病気になるまで一緒に暮らしていた。4歳の私はおじいちゃんの入院をきっかけに9月に幼稚園へ入るが、それより以前に幼稚園へ入れてくれと園長である神父に交渉していたらしい。定員を超えていて椅子も、お道具もないからと断ってきたらしいが、私は「座布団持っていく。風呂敷持っていく」と言ったそうだ。4歳の子どもが押しかけ入園するとは、やはり私の性格なのか?
4歳の私は、もう意識のないおじいちゃんに会いたいと言ったそうだ。子どもには、見せたくない姿だっただろうが、どんな姿でも驚かないと言い切り病院へ行った。ベッドに横たわるおじいちゃんの記憶は残っている。そして、お通夜の夜、もう何も話さないおじいちゃんを、見て、ここで泣いたらいけないと泣かないよう頑張ってしまったことも覚えている。周りの大人に泣く姿を見せてはいけないと思ったのだ。
気丈に生きる母を見て育っていった。変なところませている子どもだった。
高校生の時には母方の祖父を送った。父方の祖父が亡くなってからオートバイで毎日通っていたが、そのうち一緒に住むようになったが厳しい人で好きではなかったが、晩年、私の母である娘親子と暮らせたことは幸せだったのではないかと思う。
幼い頃の体験は、後世に影響を与える。はじめがあれば終わりがあるのは当然である。人の死にある種の慣れができてしまったが、親が子に先立たれるのが、一番の不幸ではないかと思う。