39年前
1980年2月24日
結婚式を挙げました。
老舗ホテルで200名の招待客で、親の結婚式のようだった。
舅はけっこう地元では名士の部類。新婦側も派手な親戚を集めた。費用はすべて親持ち。
若かった。甘かった。派手なの大好きだった。新婚旅行はローマ、パリ。贅沢三昧。
結局、親が結婚させたかったのだ。親のための結婚。新婚生活はままごとだった。
結婚したことに随分、長く後悔したものだ。変わったのは昨年、やはり、別れないで良かったと思う。夫も多分同じように感じている。
二十代だった私も六十代も中頃へ向かっている。永遠にあるものはない。いつかは終わりが、朽ちることがあることを感じる。
制約されている中でもやりたいことをやってきたのではないかとも思う。
子どもの頃の夢も叶えた。
いつか学び直したいと思っていたが、アラ還院生にもなった。
六十代も若者のように働かなければならない時代が来るというが、私は先駆けかもしれない。
体力が落ちて、外で働くことしかできないような毎日。
でも、現役でいられるのは嬉しいことだ。39年後はもう生きていないだろう。
1980年2月24日
結婚式を挙げました。
老舗ホテルで200名の招待客で、親の結婚式のようだった。
舅はけっこう地元では名士の部類。新婦側も派手な親戚を集めた。費用はすべて親持ち。
若かった。甘かった。派手なの大好きだった。新婚旅行はローマ、パリ。贅沢三昧。
結局、親が結婚させたかったのだ。親のための結婚。新婚生活はままごとだった。
結婚したことに随分、長く後悔したものだ。変わったのは昨年、やはり、別れないで良かったと思う。夫も多分同じように感じている。
二十代だった私も六十代も中頃へ向かっている。永遠にあるものはない。いつかは終わりが、朽ちることがあることを感じる。
制約されている中でもやりたいことをやってきたのではないかとも思う。
子どもの頃の夢も叶えた。
いつか学び直したいと思っていたが、アラ還院生にもなった。
六十代も若者のように働かなければならない時代が来るというが、私は先駆けかもしれない。
体力が落ちて、外で働くことしかできないような毎日。
でも、現役でいられるのは嬉しいことだ。39年後はもう生きていないだろう。