家の片づけも整理だが、こころの整理は、片づけるという作業に加えて時間の経過が必要だと思う。
家を出たい一心で結婚した40年前。夫のことは好きだったのだろうか?周囲が結婚していくからといった理由もあったことは確かだ。女性を年齢で区切るような時代。25過ぎると行き遅れと称されることをおかしいとその当時から感じてはいた。もっとやりたいことがあるのに、結婚しなければならない。果たして結婚してよいのだろうかと随分悩んだことを思い出す。
溺愛する兄が結婚して、母が手放したくないための同居。居場所がなくなった私が円満に家を出て行くのは結婚という選択だった。周囲を喜ばせるための結婚でもあった。三十前の娘を亡くして数年しか経ってない夫の両親。女手ひとつで子供を育てた私の母。主役は親で、昔によくありがちな結婚式でもあった。
親を喜ばせるは孫の誕生にもあった。ハネムーンベービーなんてとんでもない。子供より自分が大事だった私である。それでも、二人の子供が授かった。
もう、アラフォーになってしまうが、一難一助の子供たち。長男が荒れていると長女が助けてくれた。そんな長女には随分甘えていたとも思う。しっかり者で、お友達の親受けも良かったし、先生にも信頼されることが多かった。
そんな娘の反乱は何?解放されたかったのだろうと思う。ここ何年も会うことも少なく束縛していたわけではないが、束縛されている気分があったのだろう。思春期に反抗しなかったのが不思議だったが、遅い、遅い反抗期がきたのだ。不仲の両親、暴力や激しい暴言が日常茶飯事にあり、とても恵まれた家庭とはいえなかった。
子供たちには教育環境だけは良いものを与える努力はした。小さい頃から勉強で困ることはなかったので、それなりの学校へ進学もした。
振り返ると、良い母親ではなった。自分なりには程良い母親だったと思うのだが、娘が望んでいた母親ではなかった。毒親ほど酷い親でもなく、毒を持っているのはむしろ子供たちのほうだとも思う。
家庭環境が良くなかったことが自分にかなり影響しているとあうのは第一子の長男であり、長女はさほど感じていない。二歳の差である感性の差であるのかもしれない。
理想の親も子供もいない。ありのままを受け止めるしかないのである。これが頭と心の両方でわかるにはまだ時間が親も子もかかるだろう。