エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

食べ残しに関するあれこれ

2008-07-16 | ちょっと考えた事
前回の記事で「食」について書きましたので、今回もちょっと食繋がりで、食べ残しに関する事を。

最近学校給食の食べ残しが問題になっているみたいですね。
でも、今回はその話ではありません(笑)。そことはまた別な話。学校給食は脇に置いておいて、あくまで大人の話というか、食べ物の大切さ、犠牲の尊さというものをきちんと理解している大人を想定しての食べ残しに関する事です。
何故敢えて学校給食の場合と分けたのかも理由がありますが、それについても追々書きたいと思います。

で、今回の話の発端は、あるホテルを会場にして行われた会合の席で、会議の後に親睦会的なパーティー的な要素も含んだ会合だったんですけど、様々な料理が出たわけです。
最初はみんな普通に食べているんですけど、そのうちに場の空気が和んでくると、それぞれに知り合いや上司先輩との話に盛り上がるようになり、途中からは殆ど誰も食事には手を付けず、最後はかなりの料理が余っていました。
これは、結婚式の披露宴なんかも似たような感じですよね。
で、食中毒とかそういうのの防止のための持ち帰りはご遠慮願いますとのこと。まあ、ホテル側としても持ち帰られた後の事まで責任は持てないって事でしょうし、それで後からクレームを付けられてもたまらないと言うことでしょうから、分からないでもありません。
自分で持ち帰って、自分で保存状態が悪いまま保存してそれを後で食べて、それで腹壊してもホテルに文句を言うようなモンスターが増えてきてるらしいですからね。

と、ちょっと脇道に逸れましたが、本筋に戻ります。
で、その余った料理を見て最後みんな「もったいないなあ」と言うわけですよ。
余っているから勿体ない。
確かに、勿体ないと思うこと自体は悪い事じゃありませんし、物を粗末にするよりは、勿体ないという感覚を持っている事はむしろ良いことだとは思います。
だから、別に非難したいワケじゃないんだけど、でも、よくよく考えると本質的な部分で違うんじゃないか?って思うんですよ俺は。
確かに勿体ないかもしれませんが、じゃあだとしたらどうしたら勿体なく無いのでしょうか?・・・そう聞くと「全部きちんと食べればよい」と言うでしょう。
でも、それってちょっとおかしいんじゃないかな?と。
そこに居る人達は食べれるのに敢えて残したワケです。と、言うことはすでにお腹が一杯だとか、すでに十分に満足しているというわけで、その状態で無理矢理に詰め込む行為は、逆にその人達にとって苦痛ですら有ることですよね。
食べ過ぎは逆に体に良くないということは誰だって知っていることです。
それに、すでに料理されてしまった物は結局、捨てるか、その場で消費するしか無いわけで、そういう席に出した料理をリサイクルなんてのは出来ませんよね?そんなことしたら船場吉兆でしょう?
要するに、食べたとしても捨てたとしても、結局料理として出してしまったものは、どのみちその場で消費してしまう意外に無いわけです。

と、言うことは、「食べ残しは勿体ない」とは言っても、じゃあそこに有る物を無理矢理にでも食べることが本当に勿体なくないのか?というと、かなり疑問ですよね?
無理矢理食べた人も気分が悪いし、捨てたとしても食べたとしても、結局は無くなるだけ。無理矢理食べて気分を悪くするだけ逆にマイナスですよ。

でも、大量に食べ残しが残るのを見て「勿体ない」と思うのは正常な感覚だとも思うんです。
だとしたら、どこに問題があるんだろう?・・・と思って考えてみたら、結局は

料理を残す事が勿体ないんじゃなくて、最初から料理を作りすぎることが勿体ない

と言うことなんですよね。つまりはそう言うことです。

大量な食べ残しを見て
「そんなに残して結局捨てるだけなら、食べたくても食べられない飢餓に苦しむ人々にでもあげられたらいいのに」
なんて言う人もいますが、料理を作る前の食材なら輸出はできても、すでに作ってしまった料理そのものを飢餓に苦しむ国に送ってやる事なんてできません。どうやって運ぶんですか・・・。輸送費だってバカになりませんし、そんな長時間保存するのも大変でしょう。移動中の衝撃に対する保存だって大変でしょうし。
こんなのは当然の事です。すこし冷静になればすぐに分かること。
そうやって考えてみても、結局は料理されてしまった時点で、その場で食べるしか無いわけで、余ったからその分を恵まれない人に分け与えられるか?なんて言ったって現実問題出来るわけ無いわけで・・・。

でも、だからといってじゃあ「本当に必要な分だけ作ればいい」と言ったって、そんなのも現実にやるとしたらまず不可能でしょう。だってホテル側だって商売でやってるわけです。儲けを得るためにはそれなりの値段をつけて、それなりの料理を揃えなければならない。
ホテルに限らず、レストランや居酒屋や各種外食産業、コンビニで扱う弁当とかそういうのも全てそうですよ。
じゃあ、そういうの全部廃止できるか?・・・・と、言うと実際どうですか?
今の世の中の生活に慣れてしまった状態で、本当に必要な分だけ生産して必要な分だけ食べて暮らしていくなんて、今の現在の社会で可能かどうか?というと、無理でしょうね。

そうやって考えると、やるせなくなる部分もあるんだけど、結局は「しょうがない」って事で納得するしかないんですよね。
嫌なら、自給自足の生活・・極端だけど結局そこに行き着くことになりますので。
だから、単純に目の前の食べ残しを見て「勿体ない」とは簡単に言うけど、これはこれでなかなか難しい問題だなあと。そして、単に目の前の料理が残ってるから「勿体ない」っていうのは、ちょっと本質から逸れてるんじゃないか?と思うんです。
本当に勿体ない行為は、「料理を作りすぎること」の方なんですからね。

と、こんな事を思ったのでちょっと勢いに任せて書いた部分も否めないけど、思ったことを書いてみました。
ただ、こういう事は直接解決は出来なくても考えてみること、それ自体にも少なからず意味は有るんじゃないか?とは思ってます。

最後に、学校給食の食べ残し問題を別にしたのは、学校給食の場合「食育」という側面が入ってきますからね。
まだ、物事の善し悪しの分別も付かない子供達には、とりあえず「残すこと=勿体ないこと」「残すこと=いけないこと」というように教え込む必要はあるかもしれません。
なので、敢えて今回の問題とは別にしました。