エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

別に何が好きでも良いんだけどさ・・・

2008-07-28 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

gooトレンドランキング、本日2位の話題。

「苦くて、おいしくない…」 ビール飲めない若者が急増中 (痛いニュース
livedoor ニュース - ビール飲めない若者が急増中

という事でした。

タイトル通り、別に誰が何を好きでも、俺は別にそんなのどうだって良いだろうと思うんだけど、この記事内やコメントのやりとりはどうにも不毛だなあ・・・と感じました。

元記事内の
「ビール会社に入社しておきながら、シレッと“ビールは飲めません”という若手社員がけっこういますよ。なんで入社を志望したんだか」
とか
「かつては飲めなくても最初の一杯はビールという暗黙の了解があった。それが社会人のたしなみではなかったのか。」
とか
「どんだけひ弱なんだ! 席について全員が“とりあえずビール”という文化は廃れつつある。」
とか。

「ひ弱」って・・・別にビール飲むかどうかと強い弱いはまた別の話だと思いますけど。

この他にも、ビール派、非ビール派のコメントの応酬も、もの凄く不毛な言い争いが多かったです。
「俺はビールが好きだ」「俺は嫌い」「苦いのが良い」「苦いのは不味い」
この程度の自分の意見を言うだけで良いと思うんですよ。
この手の好き嫌いに関しては。
それが「ビールが美味いという奴は味覚障害」だとか、「ビール嫌いな奴はおこちゃま」だとか。
単なる、自分本位の罵り合いでした。

別に飲みたい人だけ飲めば良いんだろうし、また「とりビー」だとか「イッキ」だとか、そういうのを強制する飲み方もバカじゃないか?と思う。
そもそも、元記事の

 席について全員が“とりあえずビール”という文化は廃れつつある

確かに、そういう風潮はあったけど、それが「=正義」でも「=善」でも「=正しい」わけでも無いんですよ。ただ単純にそういう慣習があったというだけで、別に意固地になって強制してまで守るようなもんでもないでしょ?これ。
嫌な人に無理矢理押しつけるのは良くないですよね。意見でも慣習でもビールでも。

今回のこの記事と、コメントのやりとりを見てて一番に思ったこと

こういうのは単純に自分がビールに対してそういうイメージを持っているか、好きか嫌いかだけ書けばいいと思う。反対意見の人を罵ったり、意見を押しつけるのは不毛な言い争いでしかないだろう?

と言うことです。
これはこのビール論争に限った事じゃないですけどね。

ちなみに、俺もつい最近

食における格好良さというものについて

という記事を書きましたが、これは読んでもらうと分かるように個人的に「格好いいと思う」と言うことを書いてます。
男が甘いものは「違和感がある」とは書きましたけど、それは俺がそう感じると言うこと。決してそれが悪いとは書いてませんし、そこは文中でも特に誤解の無いように強調したつもりです。
ビールが嫌いな人は嫌いでも良いんですよ。嫌いって書いても良いと思うし、不味ければ素直に不味いというのも意見だと思うんです。ただ、すでに書きましたけど、それをもって、「ビールが好きな人は味覚障害だ」とか、逆にビールを嫌いだという人を「おこちゃまだ」とか「成長してない」だとか、そこに言及しても無意味だと思いますし、端から見てても良い気分はしないし、

そんな下らない言い争いやめようぜ。

って思うし、

別に何を好きでも良いじゃん?別に

と思います。

ちなみに、俺はビール大好きです。
今の時期キンキンに冷えたビールは本当に美味いなあって感じます。
さらに、飲み会も大好きだし、家で飲むより居酒屋で飲む方が断然美味しく感じるので、飲みの誘いがあれば喜んで出て行きます。
それはそれで、俺の好みの問題ですね。