重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

歴史…。

2008-06-26 | つれずれ


名古屋地方ではいま、
私が好きな「アガパンサス」の花があちこちで咲き始めたと先日の拙ブログで書きました。


生活習慣病の定期検診のため会社を休んだ今日の帰り道、
病院の近くにも咲いていたそれにカメラを向けました。




でも、
この場所で私がピントを合わせたのは、
本当は「アガパンサス」の花ではなく、
その向こうの、これです。



そう、
レンガ塀です。



名古屋市中区「二の丸」交差点の北西角に、
長さ30mほどですが、古いレンガ塀が残されています。




明治20年(1887年)この場所に建てられた日本軍「第3師団司令部」の名残りです。

2階建て煉瓦造りだった当時の庁舎はすでに取り壊され、
現在は鉄筋コンクリート作りに建て替えられて「独立法人水資源機構」が入っていますが、

戦後しばらくは、防衛庁関係の役所がその建物をそのまま使っていました。

比較的早く亡くなった私のオヤジがその役所の役人で、
子供時代、忘れ物を届けるなどのために、この塀の中に入ったことが何度かあるという、
私にとっては思い出の場所なのです。



庁舎を建て替える際、このレンガ塀も取り壊されるはずでしたが、
とても丈夫に造られたレンガ塀だし、
戦火をくぐって残った歴史的意味もあるというので、
この部分だけが残されることになったと、ずいぶん昔、新聞で読んだ覚えがあります。




その敷地内に今日、何十年ぶりに足を踏み入れ、
一角に、こんな大木があったことを初めて知りました。



クスノキです。

そして、
お気付きになりましたか?
根元に添えられた石碑を、
太くなった幹がくわえ込んでいるのを。



「勅諭下賜………」と彫られたその下が読めません。

帰宅後、いろいろ調べて、分かりました。
石碑には、こう書かれていたのです。

「勅諭下賜五十周年記念」

明治15年に明治天皇が「軍人勅諭」を陸海軍に下賜されてから50年目に当たる昭和7年に、
このクスノキは記念植樹されたようです。



ごく一部分とはいえ、いまだに堅牢な旧師団庁舎の名残りのレンガ塀。
幹にくわえ込まれて半分は分からなくなってしまった「勅語下賜」の石碑。
しかし、季節になればいまなお葉を生い茂らせるクスノキの大木――。


日本の「戦前・戦中・戦後」の断片が、
通りすがる人々のほとんどに気付かれないまま、
しかし歴然と、ここに残っています。




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4 コメント

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それは…… (kuma)
2008-06-27 01:25:39
 まさしく、杜甫の『春望』

 国破れて山河有り 城春にして草木深し
 時に感じては 花にも涙をそそぎ 
 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
 烽火三月に連なり 家書万金に値す
 白頭掻けば更に短く 渾て櫛に耐へざらんと欲す

 ……を
 感じさせる光景ですね。

 所詮、人間の造りモノは自然から見れば
しょうもない事なのかもしれませんよね。
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ノンタイトル (真・善・美)
2008-06-27 09:40:18

 今朝、古新聞を出しながら、あと何年か何十年後は
 私という存在がこの世から跡形も無く消え去るのだなあ
 と ふと想いました。

 この塀は残りたくて残っているのではないでしょうが
 後人の思い出にはなっていますね。

 今日は宗教の本でも読んで、現世・来世のことを
 考えてみますか?

 UWANOSORA443さんのお父さんは 偉い人だったん
 ですね。
 
返信する
春望。 (kumaさんへ)
2008-06-27 22:58:32
博学ですね。私の場合は単にノスタルジアの感傷だけですから、底が浅すぎますね。
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来世ですか。 (真・善・美さんへ)
2008-06-27 23:04:24
まだ行ったことがないので全然分かりませんし、分かりたいとも思わない無神論者ですから、現世のいま、お仕置きを受けているのでしようね。
気がつくと、早く楽になりたい気がしなくもない年齢になってきました。
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