名古屋地方ではいま、
私が好きな「アガパンサス」の花があちこちで咲き始めたと先日の拙ブログで書きました。
生活習慣病の定期検診のため会社を休んだ今日の帰り道、
病院の近くにも咲いていたそれにカメラを向けました。
でも、
この場所で私がピントを合わせたのは、
本当は「アガパンサス」の花ではなく、
その向こうの、これです。
そう、
レンガ塀です。
名古屋市中区「二の丸」交差点の北西角に、
長さ30mほどですが、古いレンガ塀が残されています。
明治20年(1887年)この場所に建てられた日本軍「第3師団司令部」の名残りです。
2階建て煉瓦造りだった当時の庁舎はすでに取り壊され、
現在は鉄筋コンクリート作りに建て替えられて「独立法人水資源機構」が入っていますが、
戦後しばらくは、防衛庁関係の役所がその建物をそのまま使っていました。
比較的早く亡くなった私のオヤジがその役所の役人で、
子供時代、忘れ物を届けるなどのために、この塀の中に入ったことが何度かあるという、
私にとっては思い出の場所なのです。
庁舎を建て替える際、このレンガ塀も取り壊されるはずでしたが、
とても丈夫に造られたレンガ塀だし、
戦火をくぐって残った歴史的意味もあるというので、
この部分だけが残されることになったと、ずいぶん昔、新聞で読んだ覚えがあります。
その敷地内に今日、何十年ぶりに足を踏み入れ、
一角に、こんな大木があったことを初めて知りました。
クスノキです。
そして、
お気付きになりましたか?
根元に添えられた石碑を、
太くなった幹がくわえ込んでいるのを。
「勅諭下賜………」と彫られたその下が読めません。
帰宅後、いろいろ調べて、分かりました。
石碑には、こう書かれていたのです。
「勅諭下賜五十周年記念」
明治15年に明治天皇が「軍人勅諭」を陸海軍に下賜されてから50年目に当たる昭和7年に、
このクスノキは記念植樹されたようです。
ごく一部分とはいえ、いまだに堅牢な旧師団庁舎の名残りのレンガ塀。
幹にくわえ込まれて半分は分からなくなってしまった「勅語下賜」の石碑。
しかし、季節になればいまなお葉を生い茂らせるクスノキの大木――。
日本の「戦前・戦中・戦後」の断片が、
通りすがる人々のほとんどに気付かれないまま、
しかし歴然と、ここに残っています。
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国破れて山河有り 城春にして草木深し
時に感じては 花にも涙をそそぎ
別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書万金に値す
白頭掻けば更に短く 渾て櫛に耐へざらんと欲す
……を
感じさせる光景ですね。
所詮、人間の造りモノは自然から見れば
しょうもない事なのかもしれませんよね。
今朝、古新聞を出しながら、あと何年か何十年後は
私という存在がこの世から跡形も無く消え去るのだなあ
と ふと想いました。
この塀は残りたくて残っているのではないでしょうが
後人の思い出にはなっていますね。
今日は宗教の本でも読んで、現世・来世のことを
考えてみますか?
UWANOSORA443さんのお父さんは 偉い人だったん
ですね。
気がつくと、早く楽になりたい気がしなくもない年齢になってきました。