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大船観音像

12月上旬のはれた午後「大船の観音を見に行こうか」とK。何かといえば彼が大船、大船と言うのは、この7月前半に、松江から越してくるため家を探して西へ東へかけずり回り、もうダメかと思いながらもようやく見つけたあの10日間に滞在したのが大船のホテルだったからで、つまり大船こそがすべての原点だからだろう。

大船の名物は駅前の商店街、撮影所、そして観音像だ(と私は勝手に決めている)。7月終わりごろKに連れてこられて、荷物を置いたホテルの窓からひょっこりこの像が見えたときその大きいのにびっくりした。

この観音は胸から上しかないからとくに顔の大きさが目立つ。当初は全身像の予定だったが、地盤が弱いので胸像に落ち着いたらしい。完成には長い時間がかかっている。1929年から1960年まで長引いたのは戦争があって中断されたされかららしい。

観音寺はJR大船駅からすぐの所にある。備付けの感想ノートを見ると、東南アジア諸国のものらしい文字がある。彼らと日本とは仏教の信仰でつながっているのか。観音信仰という言葉もきく。「慈母観音」を描いた狩野芳崖。また美輪明宏は自分の背後には観音がついていると言い、高倉健も「幼なじみの観音様にゃ俺の心はお見通し」と「唐獅子牡丹」で歌っている・・・。

Kは5歳で実母をなくし、あとに来た義母に家族中で一番なつき、またかわいがられてもいたが、学業を終えてからはそれから身をもぎ離すかのように協力隊で海外に出て、帰国後もずっと県外ではたらいていた。義母が80代半ば一人暮らしがむつかしくなった時、定年まで1年残っていたが帰郷し、11年間介護した。彼女が亡くなってから1年と少ししかない。家探しの時このホテルに決めたのはネット検索した偶然の結果だが、新住所に落着いてからも何かと大船に向かうのは無意識のうちに観音像に惹かれてでもいるのだろうかと、ふと思った。義母はけっして観音様のように優しく美しい人ではなかったのだが。

→「このへんの景色」19-8-26

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コメント
 
 
 
Unknown (セレンディピティ)
2019-12-23 23:13:05
BIancaさん、こんばんは。
大船観音も懐かしいです。
子どもの頃、東海道線に乗ってちょっと遠出した時など
この観音像が窓から見えてびっくりしたものでした。
夜はライトアップされて、ぼうっと浮かび上がるのが
ちょっと怖かった記憶もあります。

一度だけ母に連れられて訪れたこともありますが
その時は胸像だったことに、なんだかだまされたような気がして
ちょっとがっかりした記憶もあります。
でもこうしてお写真を拝見すると
マリア像のようにも見えますね。
歴史的価値はないかもしれませんが、慈悲深く美しいです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-12-23 23:55:10
セレンディピティ様、コメントありがとうございます。お母さまとの思い出、美しいです。「ちょっとがっかりした」というのがいかにもあどけないですね。童話の一節のようです。
 そうそう美術史とか美学上の価値がどうでも、現実に遠足で小学生とか、アジアの国々からやってくる人々がいますものね。建造のために寄進したお金には祈りがこもっていますし尊いものだと思います。偶像破壊の名のもとに爆破するなんて許せません。(イスラム過激派を思い出して興奮してしまいました)
 MARIAのように美しく慈悲深いですね。
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2019-12-27 14:25:36
伊豆へ行くのに幾度かこの観音像を見ているはずなのに初めてお目にかかったような。。。美しいお顔をなさっていますね。
わが地方では高崎市に”高崎観音”があって、これは全身像でドライブコースからは御顔がよくわかりません。

月日が経つにつれ、お義母様は観音像のように美人になられるのではないでしょうか^^
 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-12-27 17:15:24
おキヨ様
さっそく高崎観音の画像を拝見しました。なんと優雅な全身像でしょう。戦前、わずか2年間で完成したんですね。
大船が戦争で挫折したのはどういうしてでしょうね。

 >月日が経つにつれ、お義母様は観音像のように美人になられるのでは・・・

これはおキヨ様とも思えぬ優しい言葉ですね。きっとそうでしょう。見るひとのこころ次第でどうにでもなる?
 
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