わたしの夫は、自分の先祖は朝鮮半島からわたって来たと、いつのころ
からか信じ込んでいる。何の証拠や根拠があるわけでもないのに。
そもそも、夫の一族には、家系図を作ったり、一族の歴史とか
自分史とかを書いたり、口癖に自慢したりするような人間は
ひとりもいないのだ。
確かにいえるのは、陶工だった先祖が、江戸時代に島根の海沿いの
町から招かれて松江城下に住みついたということだ。小八という
名のその玄祖 . . . 本文を読む
今年94歳になる母は、私が高校を卒業して鹿児島を出た50歳のとき、
思い立って、お茶を習い始めた。彼女の小学校の恩師が、たまたま
茶道教室を開いていたのと、家に下の子が一人だけになって、
気分にゆとりが出来たのと、両方の理由かららしい。が、
一度始めたことは、途中で止めない性格なので、とうとう、
知らぬ間に、裏千家の師範の資格をとっていた。
結婚前は女学校の教師をしていたので、物を習うことや教え . . . 本文を読む
【松江市立図書館隣の喫茶ウィンのhot-cakeと紅茶。白鳥のお皿に注目!
これは2年前に書いた文です】
私がよく行く映画館は、阪急京都線の高槻市駅から2,3分、アーケードつき
商店街「高槻センター」の中にある、いわゆる名画座で、高槻松竹セントラルという。
1年に数回、昭和の懐かしい映画を特集して上映する。
休憩時間にかかる音楽は、ここ何年もの間ずっと「愛染かつら」や「君の名は」
だったが . . . 本文を読む
ずしりと重い感動的なもの、そうでもないもの、再会にもいろいろあるが、
いま私の語ろうとするのは、軽いほうのそれである。
私が39歳の秋、20年以上前になるが、成田からパリへの飛行機の中で、隣の席には若い、たぶん30歳をちょっと出たくらいの男性が座っていた。どちらも出発までの疲れがたまっていたのか、眠ってばかりいて、話はしなかった。ただ、彼が黒いオーバーを着ていて、カメラの類を色々持っていたことは . . . 本文を読む
20年余り前、北ヨーロッパを旅行したとき、一晩だけ豪華客船に乗った。
北欧では有名だという船会社シリアラインの、58000トンの船だ。
夕方ヘルシンキの港を出て、国境を越え、翌朝ストックホルムに着く。
免税店、ディスコ、ビュッフェ、温水プール、スパ、カジノなどがあり、まるでホテルのようだ。
ひとり旅の私は、ユーレイルパスのおかげで、乗船する機会を得た。
夜9時過ぎると、早寝する人のために座席は . . . 本文を読む
5歳になるまで、父の郷里、宮崎市郊外の生目村で暮らした頃の、不確かな記憶をたどろうと思う。宮崎市への街道を、自転車の荷台のばかでかい籠の中で、左右にすべりながら、3、4歳の私が、どこかへ運ばれている。漕いでいるのは、40代前半の父だ。河畔の食堂で、初めて食べたアイスクリーム、味もだが、それまでの人生で見たこともない、上等そうな持ち手のついた皿に、強い感銘を受ける。銀だったのか、すずだったか、今とな . . . 本文を読む
私の小学校では代々、5年生の遠足は桜島登山と決まっていた。
しかし、足弱の私には、苦行だった。頂上近くは砂でずるずる滑るので、
近くを歩いていた男の先生に杖を引っ張ってもらって、
やっとの思いで登頂した。多分、10月の初旬だったと思う。
その後わずか10日もたたない、昭和30年10月13日に南岳の噴火が起こり、
以後、登山禁止になった。私たちが、桜島に登った最後の学年になったのだ。
桜島は、年 . . . 本文を読む
私の父はお酒がまったくいけない人だった。
元旦の、ほんのわずかな屠蘇(とそ)でも赤くなるのだった。
たぶん、アルコール分解酵素が全然働かないタイプだったのだろう。
だから、わが家には飲酒の文化がなかったといってもいい。
ある元日の夕方、長姉の担任、K先生が訪ねてきた。
かなり飲んでいたらしく、赤い顔をしてふらつきながら、門の外の
電柱のあたりで「Mちゃーん」と何度も大声で姉を呼んだ。
酔った客 . . . 本文を読む
20年以上前、夫が東京支社に勤務していたころ、午前2時、3時ごろ、
正体もないほど酔っ払った客を連れてアパートに帰って来ることが、
たびたびあった。私はパジャマのまま「こんばんは」と言って、しばらく
話をした後は、夫に任せてまた寝てしまう。
翌朝、いつもの朝ごはんを、客の数だけ余分に作り、送り出す。
この酔客たちは、皆、夫の上司か、年長の同僚である。
どちらかというと非社交的な夫なのにどうしてこ . . . 本文を読む
協力隊で海外に行く前、結婚するために譲れない条件として、
「料理」をあげられ、家事のなかでもとくにそっち方面が苦手な私は、
「困ったな」と思いつつ、時期的に後戻りも出来ず、承諾した。
が、程なく、彼は必要に迫られれば、台所に立つ、ということを、私は発見する。
まだ住所も決まらぬホテル住まいの頃だった。
イスラム教の休日である金曜日の朝、目を覚ますと
「究極のチャーハンを作るぞ!」と宣言し、自分 . . . 本文を読む
「年上の女性」
30年以上前「少年は虹を渡る」というアメリカ映画があった。
19歳の少年と80歳の女性とが愛し合うと言う、奇想天外な話だ。
また、最近のフランス映画「ぼくを葬る(おくる)」と「愛の最終章」は
どちらも、20代~30代の青年が、老女に惹かれるという設定である。
両方に出演したジャンヌ・モローはことし78歳だという。
八木先生がいつか「プロ野球選手はたいていがアホである。 . . . 本文を読む
パソコンで、いったん何か書いて送ると、しまったと思っても取り返しのつかないことが良くある。
去年の春ごろ、八木先生(egoiste)の「カタバミ」の写真に心を動かされ、
初めての感想を書いて送ると、一瞬の後、全く関係ない
「文楽」の記事の後に載っていた。
アッと驚き、見れば見るほど場違いなので、恥ずかしいやら悔しいやらで、
その晩は思い出しては寝つけず、次の日、昼寝から覚めると胃が痛み始めた。 . . . 本文を読む
日本中で海に面していない県が8つあり、それらの県民は、海に対して大きなコンプレックスを抱いているという。しかし、海に囲まれた県で育ちながら、私のような例もある。
<<<<<<< 海 >>>>>>>
鹿児島育ちの私が泳げないと言うと、信じられないような顔をよくされる。
たしかに、鹿児島は海辺の街で、私の家からも歩いて10分そこそこで . . . 本文を読む
これは4年前のアテネ五輪で優勝した直後、水泳の北島康介選手が、
発した言葉がその年の流行語大賞を貰ったことに異議を唱えた文です。
本年、北京五輪の100mを連覇したあとのかれの談話は、
アテネと比べて、印象ががらりと変わりました。
下の文は締め切りの朝、慌しく書いたので、上滑りして、小言幸兵衛のようで、
自分でも説得力がないと思いますが、記念にはなるかと思い採録します。
八木先生と私の考えが . . . 本文を読む
雨の日の記憶
今から五十年近い昔、九州の南端であったことである。
吹き降りの中を、十一、二歳の女の子が二人、大きい荷物と傘で
体のバランスを危うく失いそうになりながら、せっせと歩いている。
荷物は黒いゴム長の片方ずつであり、その持主は担任の教師である。
三十歳の独身の彼は、薄給の中、身嗜みには常に気を配っている。
突然の豪雨で、はいて来た靴をめちゃくちゃにされるのを恐れて、
生徒を下宿に使いに . . . 本文を読む