今日は改めて今回の東京での道中の様子を記しておきたいと思います。
京都・大阪方面にはよく行くことがあっても、東京には縁のない私、大学時代を東京で過ごした相方を連れて行きました(二人でいけば、一人ぶんがちょっと安いし)。
ただ、行き先は全て私がチョイス。後で、盛り込みすぎだと気づきましたが・・・
朝、9時半に羽田到着。まずは、東陽町のホテルに荷物を預け、11時に人形町今半でランチです。
人形町今半は浅草今半の日本橋支店として開業し、明治28年に独立した老舗。『今半』という名前の由来は、当時政府に認められていた牛のがあった今里村(現在の白金)の『今』に、初代半太郎の『半』の字をくっつけたものだそう。
風格ある建物に、藍色の暖簾が美しかったです。
こちらで、一日限定15食の限定ヒレステーキ丼を食べるため、開店直後の11時過ぎに入店、並ぶことなく席に着くことができました。ヒレステーキ丼は今半で一番リーズナブルなランチメニュー(2,100)ですが、焼き加減をちゃんと聞いて丁寧に焼いてくださいます。
糊のきいた専用エプロンをかけて待つこと15分・・・
ヒレステーキ丼、温泉玉子をのっけて完成! 甘辛のたれがまいう~です。丼も大ぶりで素敵。
自家製玉葱ドレッシングがかかったサラダはおかわり自由。これまた美味。
店から出たら、長い列ができておりました。ランチはやっぱり11時の開店と同時に入店がおすすめです。美味しいですよ。
今半のある人形町とは、昔このあたりで浄瑠璃などが盛んで、人形使いが多く住んでいたことから名づけられたそうです。
この日の東京の気温は34度、あまりの暑さにお茶屋さんのほうじ茶ソフトをいただきました。香ばしくて美味しかったです。
このお茶屋さんの前の通りは、甘酒横丁と呼ばれており、甘酒が売られていました。 甘酒横丁の名前の由来は、明治の始め頃、角に「尾張屋」という甘酒屋さんがあり、たいそう繁盛していたことからついたとのこと。歴史が感じられていいですね。
そして、その後は午後1時に予約してあった、池袋防災館へ。時間、ぎりぎりセーフ。
ここでは、防災グッズの展示販売のほか、各種防災体験を受け付けています。
そして、先日岩手県を襲ったのと同じ、震度6強を体験してきました。
擬似台所で座って話をしていると、突然部屋が揺れだす仕組み。初期動作はとにかく机の下にもぐって、膝をついて机の脚をつかんで揺れが収まるのを待つのが大事。火を消すのはその後です。避難する一部始終の様子が、モニターで他の皆さんに見られているのが恥ずかしい。
震度6強は、ジェットコースターで体が左右に強く揺すぶられる感じ、もしくは意識のない人を『しっかりして!』と思いっきり揺すぶるくらい、といえばわかりやすいでしょうか。
かなり揺れて、終わったあともまだ揺れが残っているほどでした。途中、やかんがガシャーンと落ちてきたり、電気が消えて真っ暗にされるのがまた臨場感ありました。岩手や能登、そして阪神大震災など、地震を実際に体験された方は本当に怖かったと思います。心の準備があってもあんなに怖いのに・・・
まあ、こりゃ築60数年の、柱の少ないうちの店は潰れること確実だわい、と思い、なにかしら予防策を考えねばと思いながら体験しておりました。
台所は実際は食器棚や冷蔵庫など、倒れてくるものがたくさんあるわけで、それらの転倒防止が大事だなと痛感。私は避難の座る姿勢が悪く、机で頭をぶつけて痛かったです(ださ~・・・)。
続いて煙体験もしてまいりました。煙は、上に昇るスピードは人間の歩く速さの3倍から5倍とのことで、熱さで気管が焼けるのはもちろん、有害物質も多く含まれるため、とにかく吸わないのが大事。吸うと意識混濁し、倒れてそのまま死亡ということにもなりかねません。
煙体験は、煙が送られている迷路の中を、姿勢を低くしてハンカチで口を押さえて進みます。途中、赤く燃えている状態を再現した部屋もあり、これは壁は熱くなっていることが多いので触らないほうがいいということを伝えるためらしい。しかし、実際はこんなに落ち着いて避難できないだろうなあ。パニックになり、騒げば騒ぐほど空気を吸って逆効果らしいです。
池袋防災館、もちろん体験は無料だし、涼しいし、ぜひ、お子さん連れで行かれるのがおすすめ。体験は予約が必要です。ほかに消火体験もできますよ。
てなわけで、この後おとなの修学旅行のような日程はまだまだ続いたのですが、前半部はここで終了。また明日続きをアップします。おやすみなさい。
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京都・大阪方面にはよく行くことがあっても、東京には縁のない私、大学時代を東京で過ごした相方を連れて行きました(二人でいけば、一人ぶんがちょっと安いし)。
ただ、行き先は全て私がチョイス。後で、盛り込みすぎだと気づきましたが・・・
朝、9時半に羽田到着。まずは、東陽町のホテルに荷物を預け、11時に人形町今半でランチです。
人形町今半は浅草今半の日本橋支店として開業し、明治28年に独立した老舗。『今半』という名前の由来は、当時政府に認められていた牛のがあった今里村(現在の白金)の『今』に、初代半太郎の『半』の字をくっつけたものだそう。
風格ある建物に、藍色の暖簾が美しかったです。
こちらで、一日限定15食の限定ヒレステーキ丼を食べるため、開店直後の11時過ぎに入店、並ぶことなく席に着くことができました。ヒレステーキ丼は今半で一番リーズナブルなランチメニュー(2,100)ですが、焼き加減をちゃんと聞いて丁寧に焼いてくださいます。
糊のきいた専用エプロンをかけて待つこと15分・・・
ヒレステーキ丼、温泉玉子をのっけて完成! 甘辛のたれがまいう~です。丼も大ぶりで素敵。
自家製玉葱ドレッシングがかかったサラダはおかわり自由。これまた美味。
店から出たら、長い列ができておりました。ランチはやっぱり11時の開店と同時に入店がおすすめです。美味しいですよ。
今半のある人形町とは、昔このあたりで浄瑠璃などが盛んで、人形使いが多く住んでいたことから名づけられたそうです。
この日の東京の気温は34度、あまりの暑さにお茶屋さんのほうじ茶ソフトをいただきました。香ばしくて美味しかったです。
このお茶屋さんの前の通りは、甘酒横丁と呼ばれており、甘酒が売られていました。 甘酒横丁の名前の由来は、明治の始め頃、角に「尾張屋」という甘酒屋さんがあり、たいそう繁盛していたことからついたとのこと。歴史が感じられていいですね。
そして、その後は午後1時に予約してあった、池袋防災館へ。時間、ぎりぎりセーフ。
ここでは、防災グッズの展示販売のほか、各種防災体験を受け付けています。
そして、先日岩手県を襲ったのと同じ、震度6強を体験してきました。
擬似台所で座って話をしていると、突然部屋が揺れだす仕組み。初期動作はとにかく机の下にもぐって、膝をついて机の脚をつかんで揺れが収まるのを待つのが大事。火を消すのはその後です。避難する一部始終の様子が、モニターで他の皆さんに見られているのが恥ずかしい。
震度6強は、ジェットコースターで体が左右に強く揺すぶられる感じ、もしくは意識のない人を『しっかりして!』と思いっきり揺すぶるくらい、といえばわかりやすいでしょうか。
かなり揺れて、終わったあともまだ揺れが残っているほどでした。途中、やかんがガシャーンと落ちてきたり、電気が消えて真っ暗にされるのがまた臨場感ありました。岩手や能登、そして阪神大震災など、地震を実際に体験された方は本当に怖かったと思います。心の準備があってもあんなに怖いのに・・・
まあ、こりゃ築60数年の、柱の少ないうちの店は潰れること確実だわい、と思い、なにかしら予防策を考えねばと思いながら体験しておりました。
台所は実際は食器棚や冷蔵庫など、倒れてくるものがたくさんあるわけで、それらの転倒防止が大事だなと痛感。私は避難の座る姿勢が悪く、机で頭をぶつけて痛かったです(ださ~・・・)。
続いて煙体験もしてまいりました。煙は、上に昇るスピードは人間の歩く速さの3倍から5倍とのことで、熱さで気管が焼けるのはもちろん、有害物質も多く含まれるため、とにかく吸わないのが大事。吸うと意識混濁し、倒れてそのまま死亡ということにもなりかねません。
煙体験は、煙が送られている迷路の中を、姿勢を低くしてハンカチで口を押さえて進みます。途中、赤く燃えている状態を再現した部屋もあり、これは壁は熱くなっていることが多いので触らないほうがいいということを伝えるためらしい。しかし、実際はこんなに落ち着いて避難できないだろうなあ。パニックになり、騒げば騒ぐほど空気を吸って逆効果らしいです。
池袋防災館、もちろん体験は無料だし、涼しいし、ぜひ、お子さん連れで行かれるのがおすすめ。体験は予約が必要です。ほかに消火体験もできますよ。
てなわけで、この後おとなの修学旅行のような日程はまだまだ続いたのですが、前半部はここで終了。また明日続きをアップします。おやすみなさい。
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