最近、梅が美しい。
しだれ桜も ここ彼処と しなを作る。
早咲き品種の桜も、咲く。
つい先日は 大学入試試験の前期日程を終えた。暫くすると、知人宅の「サクラサク」の声も聞かれるかも知れない。
九州大阪間の新幹線の名は『さくら』
最近アカデミー賞を取った映画『おくりびと』のポスターは、桜があしらわれていた。
歌舞伎の『義経千本桜』や『花街模様薊色縫(十六夜清心)』・・・他にも桜は多く出てくる。
桜の話題もふえ、花見は何処に行こうかと心ときまかせるのもこの時期かも知れない。
何かにつけ、桜の話題が多くなる時期といえる。
花見に意味合いは『山』を軸に、民俗学者の中で いろいろといわれている。
また死者の墓の上に、桜等を植えた時代もある。
では、桜の美しさは何故好まれるのか。
花ぶらはきわめく薄く、奇数の五枚。
色は白、薄い桃色、艶やかなピンク。
薄墨の桜は俳美を感じさせ、私たち日本人には好まれるところである。
広がった枝。
夜桜に浮かぶ月夜の雲。
ひらひらと舞う 儚き姿。
潔く散る花びら。
花びらのジュータン。
残された枝。
そして 新緑。
みどりの勢いから感じる生命力。
花びらや花も塩漬けにして茶を飲んだり上用饅頭に使う。葉は桜餅や他にも利用。また、幹は箪笥や飾り物、果てはスモークチップなどにも使われ、美しいだけではなく、桜の全ての部分が生産性をも供えている。
これらの一連は 『繭』にも通じるものがあるのではないかと私は考える。
宮田登氏や折口信夫氏の話によると、繭は昔から女の一生と重ねられて考えられていると記されている。
桜の美しさは普遍的である。
桜は戦前、日本の国花として軍国主義にも利用されたと聞いている。
植民地などにも植え、権力を主張。
戦争からかけ離れた年齢層の私には、難しいことはわからない。
ただ、桜を見て純粋に美しいとばかりも言い切れない人たちがいるのかと思もうと、心苦しい思いは ぬぐい切れない。
写真は二〇〇八年、ミニバイクで自宅近くの奈良の桜を追い求めた時の一枚。
去年は美しいと感じた桜が、妙に切なく感じる。
人間、知らない方が幸せなこともある・・・。