ターシャー・テューダーの世界展
8月5日。
夫と二人で、『ロシア皇帝の至宝展』と 『藤本由起夫展』などを見た後、mioでmonto-bellの揃いのリュックを購入。
ついでといってはなんだが、、近鉄百貨店外商から戴いていたチケット(一枚で二人入場)を思い出し、阿倍野店の 『ターシャー・テューダーの世界展』を見た。
会場は人だかり・・・
『ターシャー・テューダーの世界展』の前には、猫の額ほどのガーデンが美しく再現されている。
ターシャー・テューダーの本来の広大な敷地のガーデンから比べると、ちょっと感じが違うんではないかと いった感じも感じないでもなかった。
会場の前には携帯電話やデジカメで、写真撮影をされている方が多い。
私も漏れずに一枚、パチり・・・
会場の前では、
「朝日友の会の方は、あらかじめチケットを・・・・・・」
と声高に説明。
わかりやすくていいという反面、静かに生活を楽しまれていたターシャー・テューダーにはそぐわない感じもした。
その一方で・・・
後日、『朝日友の会について、一度調べてみようかな。』とも感じていたが・・・
さてさて会場を入ると、絵本の原画やポストカード、当時の絵本などが少しずつ展示されている。
ご婦人方は皆それぞれ一様に、
「可愛らしいわねぇ~~」
とおっしゃっている。
確かに可愛らしいし色も美しく、一般にも受け入れられやすい画風。
デッサン力にもたけ、申し分のない絵だった。
ターシャー・テューダーの画は輪郭をはっきりと描くものが多く、たまに輪郭を崩し、空気と融合させたような画があると、
『素晴らしくうまいひとななぁ~』
と感じないでもない。
風景画で確か『冬の木?』といったものがあったが、今回の展示物の中では一番好きだったかもしれない。
この『ターシャー・テューダーの世界展』は、絵本の原画展が目的といったものではない。
あくまでもデパート。販売が目的のようだ。
以前私が高校生の頃、絵本や洋書を見るため、よく丸善や京都書院に出むいた。
丸善では絵本の原画展も開催されていたし、世界の質の良い絵本も多くおかれていた。
もちろん丸善でも絵本や洋書を売るのが目的であろうが、そこには使命感が感じられた。
今回の『ターシャー・テューダーの世界展』は、私の若き高校生の頃までさかのぼって、懐かしく感じさせてくれた。
ただ、その頃の私は、ターシャー・テューダーの絵本は気にも止めなかったような気がする。
ターシャー・テューダーの画には、彼女の内面が描かれていた。
一見豊かにみえる彼女は実は孤独だったのではないか・・・
コーギーや自然や花をこよなく愛する彼女は、実は偏屈だったのではないか・・・
そういった感覚を生じさせるほどに、彼女の絵の輪郭は、自己を主張していた。
そう考えると、広大な土地で自由にくらし、印税などが懐に勝手に入ってくるような生活をしておられたにもかかわらず、少し哀れに感じるのである。
さてさて会場にはミニシアターのようなものが設けてあった。
椅子が少ないため、展示物のガラスケースの前によっかかった人々が多くいらっしゃって、展示物や作品が見えない。
編み物作品のような感じだったので、さっと通り過ぎることにしたものの、少々不愉快。
小さな会場に溢れかえらんばかりの人だかりから逃れて、あっという間に会場から出る都、販売コーナー。
そこにはピンクの花柄の食器や布。絵本やポストカードが、所狭しと並べ立てられていた。
この販売コーナーはターシャー・テューダーの原画以上の人だかりで、手に手に物品を持ったご婦人方でごった返していた。
『馴染み易さを感じる、普通がいい・・・普通のちょっと上がいい・・・か・・・』
レジの列は長蛇をなし、私たち夫婦は追いやられるように、会場を後にした。
こうなりゃ、何でも来い~。
私たちはもう一度mioに戻り、上手い造りを喰い、黒ビールをあおるように飲んだ。
歌舞伎の後のように、楽しい余韻に浸りながら、美味しいお食事と冷酒で一杯・・・といった心のゆとりがなかったのは、言うまでもない。
ターシャー・テューダーの作品が悪かったわけでは、決してない。
ただ、『ロシア皇帝の至宝展』などで止めておけばよかったと、深く後悔しているのである・・・