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豊臣秀吉の刀狩り令が発布される

2011-06-03 10:59:30 | 今日は何の日

豊臣秀吉の刀狩り令が発布される。 天正16年(1588)

戦国時代は、全国各地で戦国大名による領土争いが起こった時代であり、農民たちも自衛の手段として、また、領主の苛烈な取立てに抵抗するため、武器を所持していることが多かった。そして、武士は武士で、農民たちの徒党を組んだ反抗=一揆に悩まされていたのである。

そこで、支配者層である武士が、被支配者層である農民から武器を取り上げる政策が「刀狩り」である。
武士たちの考えは、「農民たちは農業に従事していればよい」というものであったことは明白で、農民から武器を取り上げることで、より支配体制を強固なものにしていったのであった。

であるからして、この「刀狩り」は何も豊臣秀吉が始めて行った政策ではない。古くは土地ごとの領国分割統治体制が確立された鎌倉時代にはもうすでに行われていたという。

戦国時代にも行っていた大名はおり、秀吉と同じく織田信長に仕えていた柴田勝家なども刀狩りを実行していた。刀狩りというと、豊臣秀吉のものが有名であるが、それは、秀吉の刀狩りが天下人として行った政策の一つであったからであろう。

秀吉の刀狩りは、いろいろ理屈っぽい文句が並べられて発布されている。例えば、「農民が刀を持って支配者層に反抗し、成敗されるようなことになれば、田畑不作の原因となる。」とか、「差し出された武器は、今度の大仏建立の材料とする。武器を出せば現世でも来世でも幸福になれるぞ」とか、「農民は農業に従事することで、子々孫々まで栄えることができる。であるから、これは農民が農業に専念できるようにという、お上(秀吉あるいは支配者層)のはからいなのだ。」などなど。おどしたり、安心させたり、恩着せがましく言ってみたり…。特に、農民たちに納得させようとしたのか、わざわざ「集めた武器は大仏建立の材料にする」と言っているあたりは秀吉らしい人心掌握術と見ることができる。

秀吉は、農民出身の割には農民からはできるだけ自由を奪おうとしたような一面があり、この刀狩りもそうだが、農民が田畑を捨てて出稼ぎしたり、内職をしたりすることも禁じた。しかし、これにより、「普段は農業に従事し、合戦時には武器をとって兵士となる」という半農状態が見直され、兵農分離が進んだことは言うまでもない。
ちなみに、刀狩りには不満を持つ者も多く、武器を隠し持つ農民もいたらしい。

※写真は、豊臣秀吉のことがよくわかるおなじみ『歴史群像シリーズ戦国セレクション驀進豊臣秀吉―日本一の出世人』。例によって、写真や図も豊富でいい本です。入門編として最適。
『兵農分離と地域社会』という、兵農分離のことをピンポイントに研究したズバリな本もありました。ただクソ高い。専門的な知識を欲する、セレブたちにオススメ(笑)。


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(キーワード)

●兵農分離(へいのうぶんり)
戦国末期~江戸初期に、武士は武士、農民は農民と身分をはっきりと区別した政策。またはその一環の流れ。武士による支配体制を確立するために少しづつ構築されていった。

戦国時代の武士は、屋敷に部下を雇い、普段は農業や開発に従事させ、また、領内に住む百姓を統治した。しかし、ひとたび合戦となれば、彼らを従者として、自領の石高に見合った主君への兵役の義務を果たすべく出陣するものであった。この基本的なシステムを変えようとしたのが、織田信長である。

信長は、家臣を城下及び城内に屋敷地を与えて集住させ、また、商人や職人も城下町に集めた。必然的に農村部は都市部とは分けて支配していくことになったのである。

ここで、さらに豊臣秀吉が、そのシステムをさらに押し進め、刀狩りや検地を行う。刀狩りで、農民たちの戦闘力を奪い、検地で、土地の所有者と支配者を明確にしたのである。秀吉はこれに加え、極めつけとして、天正19年(1591)に身分統制令を発布し、農民から自由を奪い、支配者層と被支配者層の揺るぎない身分差を確立した。

江戸時代は、この体勢を引き継ぎ、士農工商などとさらに明確な身分制度を作って、幕藩体制の構築に利用している。


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兵農分離については、もっと細かい説明の方がよりシステムが明確になるんですが、わかりにくいし、うまく書く自信がないので、上の記事で許してください。兵農分離ってのは、だいたい上の記事のようなもんなんで…。

しかし、秀吉は農民出身のクセに、「農民は農業に従事することで子々孫々まで幸せになれる」なんてどういうことだ!じゃああんたも農民続けてたらよかったじゃない!…と一瞬思ったんですが…、秀吉の子・秀頼は徳川家康に攻められて、1615年に豊臣家滅亡してます!…うーむ、たしかに農業に従事しなかった農民(秀吉)の家は子々孫々まで栄えなかったなあ…。当たってる…。


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