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日本惣船印にいわゆる日の丸を採用 

2011-06-03 11:28:05 | 今日は何の日

2006年07月09日




日本惣船印にいわゆる日の丸を採用 嘉永7年(1854)

幕府は開国後、大船建造禁止令を撤廃し、諸外国に洋式帆船や軍艦の建造を発注した。これにより、幕府としても「日本国」の証である旗を掲げる必要が出てきた。そして、この日、老中阿部正弘が採用したのが、現在の日の丸である日章旗である。

この日の丸は、日本では古くは697年~707年在位の文武天皇の時代、元旦の朝賀の儀式の時に、似たようなデザインのシンボルを用いていたという。そして、源平合戦や戦国時代などを代表する戦乱の時にも旗印として用いられていた。また、初めて外征を実行した豊臣秀吉が朝鮮征伐軍の船に掲げていたのも日の丸だったという。

嘉永7年のこの時に、日の丸を惣船印にすることを主張したのは、薩摩藩の島津斉彬であるという話は割と有名らしいが、斉彬がそれを主張したのも、島津家が、豊臣秀吉の外征以来、江戸時代を通して自国船に日の丸をつけており、薩摩といえば、「丸に十字紋(島津家家紋)か、日の丸か」というくらい日の丸=薩摩・島津のイメージであったからだとも言われている。

だから、実は、幕府内には日の丸採用反対論もあった。しかし、阿部正弘は、幕府のご意見番・水戸藩の徳川斉昭に相談し、斉昭が賛成であったことから、日の丸採用を決定したのである。

蛇足であるが、幕府は、後の戊辰戦争でも日の丸を掲げた。天皇家の錦旗を掲げる新政府軍は日の丸めがけて砲撃し、日の丸を踏みつぶして新政権を確立したのである。しかし、後日、明治政府もこの日の丸を使用した。明治3年(1870)には、寸法も決めて、商船旗として定めたのだった。

※写真はこの話しが載っている『風雲児たち 幕末編 7 (7)』。この漫画はマジでオススメ。けっこう細かいことまで史実に忠実なのに、基本的にはギャグ漫画。絵もそれなりに肖像画を意識しつつもギャグ調。特に30代くらいの人には笑えるギャグネタが多めです。ついでに江戸時代を学校で習っている学生諸君にもオススメよ。今は幕末編で9巻まで出ていますが、これの前身『ワイド版 風雲児たち 全20巻』もイイ!!


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今日は江戸時代中期の出来事・荻原重秀の貨幣改鋳というネタもあったんですが、詳しく調べないとよくわからないので、途中でやめてこっちのネタにしました。こっちのネタは『風雲児たち 幕末編 7 (7)(AA)』。に載っていて知っていたもので(笑)。

広く日本の国旗として後世に残ることを考えると、この時の決定が決め手となたというのは、感慨深いものがありますな。

…という記事を更新した気になっていたら、下書き投稿になってた…。ブログやってる皆様、更新後の確認は毎回した方がいいですよ。…え、当然毎回してるって?あ、じゃあ問題ないです、はい…。

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