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太平洋戦争終結 昭和20年(1945)国民にとって終戦は突然やってきた。

2011-06-11 16:07:03 | 歴史隠れ話


歴史のウラ話&「今日は何の日」です!


2006年08月15日


太平洋戦争終結 昭和20年(1945)

国民にとって終戦は突然やってきた。

1945年8月15日の朝7時21分、日本放送協会が「正午より、天皇陛下よりの重大なお言葉を放送する」という発表放送を流した。正午になって流れた放送とは、玉音放送であった。放送そのものは雑音が混じり、しかも難しくて聞き慣れない言葉が多かったため、はじめは国民も、陛下が何のことをお話になられているのかがよくわからなかったという。

しかし、放送後半の「朕は時運の趨く所堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という一節あたりまでくると、この放送を敗戦の宣言であることを理解し、国民の多くが涙を流して崩れ落ちた。皇居の二重橋前では玉音放送を聞いて涙し、敗戦を土下座して天皇に詫びる者の姿が見られた。これを持って太平洋戦争は終結をみたのである。

終戦に関しては、軍部からは反対論も出ていた。そもそも鈴木貫太郎内閣は、終戦に向けての動きを見せながらも、7月26日に連合国軍から提示されたポツダム宣言の受諾を拒否した。ただ、本当は内閣としてはすでに戦争継続の意志はなかったらしい。

内閣としてはソ連に仲介を依頼して、少しでも条件的に不利でなくなるようにつとめたかったため、ポツダム宣言についても当初は「ただ沈黙して様子見」の予定であったという。
しかし、軍部から「国民の士気に関わる」と指摘を受け、やむなく鈴木首相は「ポツダム宣言は黙殺する。日本国民は断固として戦争完遂に邁進する」と声明を出した。つまり、広い意味ではこれは、「軍部を納得させるための声明」であった。

だが、一国の首相から出た言葉である。当然といえば当然であるが、アメリカはこれを「日本に戦争終結の意志、未だなし」と受け取った。そして、ついに軍事力の歴然たる差を思い知らせるべく、8月6日に広島に原爆が投下されたのである。

原爆の破壊力を目の当たりにし、内閣ではポツダム宣言受諾は前提事項となった。会議の議題は「如何なる条件で受諾するか」に変わったのである。
内閣首脳は「国体護持」を主な条件とし、その他は大きく挙げなかったが、軍部は相変わらず強気で、他にもいくつかの条件をつけるよう主張したため、会議はまとまらなかった。しかし、この時点で日本には時間はもうなかったのである。

会議が長引く中、アメリカは、9日になってさらに長崎にも原爆を投下。早期の意思決定を余儀なくされた内閣は、ついに結論をご聖断にゆだねることに決した。つまり、天皇陛下に判断していただくことになったのである。

昭和天皇は、これを受けて御前会議で「宣言はそのまま受諾し、そのことについての国民への布告については、私が国民に呼びかけることがよいのならば、いつでもマイクの前にたつ。」と話し、8月14日の夜、玉音放送は録音された。

翌日、敗戦受け入れ反対の一部軍人のクーデターが発生したものの、大事には至らず、正午には日本放送協会から全国に玉音放送が流れた。

3年8ヶ月に及ぶ凄惨な太平洋戦争はこれで終結し、その後日本はGHQの占領政策のもと、民主主義国家、戦争永久放棄の国家として再建されていくことになる。


※写真は太平洋戦争の詳細な情報が載っているということで評判の高い『あの戦争 太平洋戦争全記録〈上〉』。中巻、下巻もあり、太平洋戦争の忘れえぬ記録として、好評のようです。私も欲しい!

※『玉音放送が流れた日』は、玉音放送のCD付き。ポツダム宣言と、サンフランシスコ平和条約も全文が収録されています。戦争についての解説とかは特に載っていないので、関連資料として興味のある方はぜひ。


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(補足情報)

●戦争の犠牲者

ある資料によると、太平洋戦争における日本国軍人の犠牲は、死亡、負傷、行方不明を合わせて186万人を越えるという。また、戦争後期には、本土空襲も相次いだため、民衆(非戦闘員)の犠牲も180万人を数えた。なお、このうち38万人近くが原爆による被害者であるという。

人的被害を免れたとも、住む家を失ったりした人も多数いる。そういった罹災者は1000万人以上いたとされ、戦後も国民は大変な生活を余儀なくされた。


●玉音放送(ぎょくおんほうそう)

「玉音放送」という言葉は、天皇の肉声を放送することだが、特に1945年8月15日正午の終戦の詔勅の朗読の録音盤の放送を指すのが一般的である。

終戦の玉音放送は、天皇自らの肉声を前日夜に録音して、それを流したが、原文に難しい言葉や普段あまり使われない言葉などが多く、しかも放送機器の問題からか、雑音などが混ざってしまっており、不明瞭な部分もあったらしい。
国民はこれを敗戦の宣言と理解し、総じて涙を流したといわれる。

(参考)
玉音放送については、Wikipedia「玉音放送」の項が非常に詳しく書かれています。詔勅の全文や、放送直前の終戦反対軍人によるクーデターのことも載っています。


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戦争はこれで終わったわけですね…。当時の国民は日本が負けるなんて思っていなかったと思いますが、終戦までの流れを見ると、やはりもう少し早く決断されていれば…と思ってしまいます。せめて原爆が使われないうちに…。

犠牲者に対する慰霊の念は忘れてはならないことだと思いますが、同時にこの戦争における日本の責任については、今後も充分反省し、二度繰り返さないようにしていかなければならないと思います。
様々な意味合いで戦争の記憶は忘れてはならないものですね。


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