1:
ひさしぶり夏休みがとれたんで今晩から山に行ってきます。
うちの大学の山岳部がボランティアでやってる診療所(今年で50周年!)で、北アルプスの穂高あたりです。
普段は人工的な都市化されたとこで働いてて、久々山に行くと感じること多いだろうなー。
自然が触媒として自分に働きかけてくれそうな気がします。
2:
最近、東京は暑い!
でも、今日は雨がふって涼しいです。
皆既日食もあるっていうし、自然の営みは僕らの生活を包み込んで大きい周期で変化してますよねー。
しかも、そんな自然の営みに僕らの精神活動や肉体活動が、意識的にも無意識的にも大きな影響受けてるし。
この前、病院で外来やっていたら、あまりの暑さにおばあちゃん(約90才)が廊下で上半身裸で待ってて驚きました。丸出しです。
おばあちゃん的には、「暑いから裸になった」「診察室入ると聴診うけるためにどうせ脱がないといけない」という二つの理由から合理的に考えて判断したみたいだけど!
でも、90歳くらいになってくると、上半身裸でも誰も何も言わなくなるし、何も思わなくなるみたい。
風景と一体化して自然な感じになるのが不思議だー。
性とか肉体とか超越しちゃってるのかもしれない。
自然に生きてるなー。
「野生の思考」クロード・レヴィ・ストロース(みすず書房)
を彷彿とさせます。
あ、そういえば、大学の書籍部で
「パロール・ドネ」レヴィ=ストロース・C (著), 中沢 新一 (翻訳)(講談社選書メチエ)
っていう、レヴィ・ストロースの講義録の翻訳が出てたので買っちゃいました。
Isくん情報によると、レヴィストロースって100歳越えてまだ生きてるんですよねー。しかも毎日本読んで神話の勉強して原稿書きまくってるらしい。カッコイイわー。
3:
神保町で、西田幾多郎の本読みながらコーヒー飲んでたとき、リヒテルっていう人のショパンのピアノ演奏が聞こえてきて、何故だか異常に感動しちゃって、最近はリヒテル先生のピアノを毎日聞いてます。
西田幾多郎って文体がグネグネしててとっつきにくいけど、あの時代は話し言葉と書き言葉の区別も曖昧で、哲学を本にするって文化が日本で初めての行為だったからそうなったんでしょう。
西田幾多郎みたいな命がけで哲学やってた人の本気さを感じて、自分の奥深い感覚を刺激してくれたのかもしれない。そことリヒテルの音が呼応してきたのかな。
音楽って一瞬一瞬の音の要素、部分が、全体として一つになっていて、そんな無限の部分と一なる全体の、部分全体の永遠なるくり返しですよね。
その辺が音楽の良さの一つな気がします。それは人間にとって非常に根源的な気がします。
以上、しばしブログ更新しませんので、みなさんも夏ばてしないようご注意をー。
ひさしぶり夏休みがとれたんで今晩から山に行ってきます。
うちの大学の山岳部がボランティアでやってる診療所(今年で50周年!)で、北アルプスの穂高あたりです。
普段は人工的な都市化されたとこで働いてて、久々山に行くと感じること多いだろうなー。
自然が触媒として自分に働きかけてくれそうな気がします。
2:
最近、東京は暑い!
でも、今日は雨がふって涼しいです。
皆既日食もあるっていうし、自然の営みは僕らの生活を包み込んで大きい周期で変化してますよねー。
しかも、そんな自然の営みに僕らの精神活動や肉体活動が、意識的にも無意識的にも大きな影響受けてるし。
この前、病院で外来やっていたら、あまりの暑さにおばあちゃん(約90才)が廊下で上半身裸で待ってて驚きました。丸出しです。
おばあちゃん的には、「暑いから裸になった」「診察室入ると聴診うけるためにどうせ脱がないといけない」という二つの理由から合理的に考えて判断したみたいだけど!
でも、90歳くらいになってくると、上半身裸でも誰も何も言わなくなるし、何も思わなくなるみたい。
風景と一体化して自然な感じになるのが不思議だー。
性とか肉体とか超越しちゃってるのかもしれない。
自然に生きてるなー。
「野生の思考」クロード・レヴィ・ストロース(みすず書房)
を彷彿とさせます。
あ、そういえば、大学の書籍部で
「パロール・ドネ」レヴィ=ストロース・C (著), 中沢 新一 (翻訳)(講談社選書メチエ)
っていう、レヴィ・ストロースの講義録の翻訳が出てたので買っちゃいました。
Isくん情報によると、レヴィストロースって100歳越えてまだ生きてるんですよねー。しかも毎日本読んで神話の勉強して原稿書きまくってるらしい。カッコイイわー。
3:
神保町で、西田幾多郎の本読みながらコーヒー飲んでたとき、リヒテルっていう人のショパンのピアノ演奏が聞こえてきて、何故だか異常に感動しちゃって、最近はリヒテル先生のピアノを毎日聞いてます。
西田幾多郎って文体がグネグネしててとっつきにくいけど、あの時代は話し言葉と書き言葉の区別も曖昧で、哲学を本にするって文化が日本で初めての行為だったからそうなったんでしょう。
西田幾多郎みたいな命がけで哲学やってた人の本気さを感じて、自分の奥深い感覚を刺激してくれたのかもしれない。そことリヒテルの音が呼応してきたのかな。
音楽って一瞬一瞬の音の要素、部分が、全体として一つになっていて、そんな無限の部分と一なる全体の、部分全体の永遠なるくり返しですよね。
その辺が音楽の良さの一つな気がします。それは人間にとって非常に根源的な気がします。
以上、しばしブログ更新しませんので、みなさんも夏ばてしないようご注意をー。
今度は明確に長野側へ
フレデリック・ショパン
このひとの音楽は
どうやっても言葉では置き換えられない
ピアニストにとっても
特別に気持ちの入る作曲家らしく
たしかに、演奏家によっては
演歌のようにもきこえてきてね、これ‐
アッペ(虫垂炎)を山で診断してヘリコプターで降ろした話は、4年ぶり?くらいに診療所に行ったら、長野県警の山岳警備隊の中で有名な話になってました。
あれは我ながら奇跡的な判断だったなー。
山から下山して来て、なんかあれは夢だったんじゃないかってくらい、現実の世界が山の世界と違いすぎて、今は微調節しながら都市化された世界に順応中です。
ショパン、いいねー。
前はクラシック聞いてなかったけど、今は少しずつ巨匠の音楽を聴いてます。
モーツァルト、ベートーベン、チャイコフスキー、メンデルスゾーン・・・
一人一人音楽の世界が深いー。
いつか、音に関しても深く考えてみて、言語化できるといいなー。