行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

何してんだか・・・

2008-10-15 23:10:42 | Weblog
 読書が停滞してしまい、最近、漫画に走っている。可能な限り読み切りにして、読み過ぎないようにしたい。間もなくこのブログで1年が経つが、読書記は40本程度である。当初の心持ではもう少し紹介する予定だった。概ね、月に3本程度の計算になるが、読み直ししながら紹介している事もあり、なかなか捗らない。困るほどのヒマが欲しいが、そうなると人間、だめになってしまう・・・。そうでなくともダメになっているのだが。
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生命の守護者編

2008-10-14 00:57:32 | Weblog
 NHK番組『その時歴史が動いた』のコミック版で、時折、書店で目に付き購入する。
タイトルに付けた「生命の守護者編」は、伝染病予防・衛生立国を目指した北里柴三郎、弁護士達の活躍を描いたイタイイタイ病裁判、受胎期の発見と死ぬ直前まで村の医師として捧げた荻野久作、知的障害児教育の祖・石井筆子ら感動のストーリーが編纂されていた。この中で、特に感動したのが岩手県沢内村(現在の和賀郡西和賀町)の乳幼児死亡率ゼロへの軌跡である。乳幼児死亡率とは、赤ん坊千人のうち、1歳未満で死亡する率を示した指標で、1956(S31)年この沢内村では千人中69.6人、東京都27.5人、岩手県が全国最下位の66.4人で、これを上回っていた。満州から引き上げ、東京から帰郷した深沢晟雄は、この現状を見て打開策を見出すためまず、村のリーダーとなるべく、教育長を経て村長となった。豪雪地帯でもあるこの地域の除雪、保健士の配置と医師の確保、また、姑を子育てに協力しやすくなるようなアイデアを提示し、更に病院の協力で予防活動を積極的に行った。しかし、1959年から施行された国民健康保険法による負担金の支払いが家庭を圧迫し、赤ん坊の検診が少なくなりつつあった。これを打開して、村から1人の赤ん坊の死亡を出さない、と決意した深沢は、遂に医療費無料化を実施する。これには当然岩手県から「待った」がかかり、国保法違反とされた。しかし、深沢は不退転の決意で、国保法に違反するかもしれないが、憲法25条には違反せず、と予防を含めた村民の健康は村で責任を持つ。これは福祉国家の当然の帰結である、と無料化を断行した。この結果、一部負担を渋っていた赤ん坊の診療が活発になり、深沢村長自らが診療所を訪れ、村の子供のことはすっかりと覚えてしまったという。
 1962(S37)年大晦日、この日は村民一人ひとりが特別な思いを持って迎えていた。この年は、村内の乳児が1人も亡くなっていなかった。そして、1963(S38)年1月1日、新年を迎えたこの瞬間、全国に先駆けて乳幼児死亡率ゼロを成し遂げた。この影響は全国に波及し、多くの自治体が沢内村を訪れ、その成果を学び、持ち帰った。
 1965(S40)年、深沢はガンの身でありながら村の保険行政を続け、現職のまま59歳で死去した。
 以前の「プロジェクトX」のような、その道に信念を持って貫き通した人物に、マンガとは言え目頭が熱くなる思いだった。
 今日、真に貧困が理由ではなく医療費を支払わない者が後を絶たないが、こうした先人達の想いを確実に受け止め、現実の運用はともかく、国民皆保険の偉大さをもっと大切にせねばならない、と痛感した。アメリカでは国民皆保険ではないため、カゼに罹っても治療を受けられずに命を落とす者も多い。日本でも、医療費の踏み倒しや支払い拒否などの愚行を続けていれば、金の払えぬ者は診療お断り、となってしまうだろう。自分だけは支払わなくても良いという思い上がった考え方は結局、回り回って自分に戻ってくるだろうし、そうあるべきだ。真面目に支払う人間が損をする世の中では、国民皆保険の存続は不可能だろう。この国は経済的には豊かになったのかもしれないが、心はより貧困になった。金銭的豊かさは結局、心の豊かさをもたらさないのだ。
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何が駆り立てるのか?

2008-10-13 23:41:09 | Weblog
 3連休の最終日、夜はゆっくり読書でもしながら過ごそうか、と考えていたところ部屋の整理が気になり、手を出してしまった。ハッキリ言って無謀かつ失敗。夕方から始め、夕食を忘れ、23時となったところで我に返り終了。
 初日に始めればこんなに苦しまなかったものを、なぜ仕事の前夜に始めたのか。私自身にも分からない。
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バージョンダウン

2008-10-12 23:50:40 | Weblog
 独断と偏見による戦国シュミレーションでは「天下統一」が最も気に入っている。しかし、ⅠとⅡまでで現在Ⅴが出ているらしいが、新作が出る度に質が低下しているという。以前、Ⅳを購入し取り組んだがバグが多過ぎ、途中でやめてしまった。Ⅲでも同様だったらしく、ネットで調べても解決の糸口は無かった。Ⅰは、単純なシステムではあるが、自分が選択した大名家が統一過程を進むと、CPも1つの大勢力が出来上がっており、必然的に二大勢力になる。いわば関ヶ原が登場するわけだ。初期のシナリオでは、大内氏が割と強く、西日本の統一勢力になっていたりする。東日本は今川家が強大になることがあり、戦国ではなく、室町時代の再来としか思えない展開になる。
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趣味の整理

2008-10-09 23:44:56 | Weblog
 購入したままきちんと整理せず、そのままにしたあった切手。
 ようやく整理した。ストックブックは既に5冊。
 最近は、デザインが鮮やかになってより美しく感じるが、昭和30年代頃までのレトロな雰囲気も魅力的だ。平成版と昭和版の文化人シリーズを見比べると、昭和版の方が趣を感じる。平成版は実にカラフルだ。技術の大幅な進歩が分かる。主観で思っただけなので、他意は無い。
 切手には、デザインの意趣を考察したり、図案を考える人物名が残る事が多いが、菱川師宣作「見返り美人」、歌川広重作「月に雁」の構成を考えたのは当時の郵政省職員である。他は、画家であったり、デザイン家であったり、と個人名として残っているが、個人名を残さない仕事の仕方に魅力を感じ、仕事人はかくあるべきか、と感心してしまった。そういう、職人的なこだわりを感じる作品である。
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緊縮財政

2008-10-08 23:34:34 | Weblog
 年度単位のサイクルで仕事は回っているが、半年を過ぎる辺りから来年度の見積もりを立てていく。予測できない事が多いが、過去数年間のデータを考慮しながら積算していく。今年は、私にしては珍しく早めに手を打ち、ひとまず終了した。昨年、一昨年と、途中で制度が変更し、事業そのものが消滅したり統合したり、でギリギリまで組めず散々だった。
 費用対効果を考えると、まだまだムダが多い。過剰サービスもどうかと思う。何もしない、というのが一番の歳出削減となる事が多い。
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立読み

2008-10-07 22:32:57 | Weblog
 イーストプレス出版の『まんがで読破』を本屋で立読みした。どうも気になったのが、『変身』。カフカの代表作でもある本作の冒頭、朝、起きたら下半身が虫になっていた、という衝撃シーンをどう描写するか、思わず手に取った。マンガでは暫く虫シーンはなく、ただ、主人公が叫ぶシーンに留まっていた。
 途中で立読みを止める事ができず、読み続けてしまった。避けて通れない、虫への変身。マンガだと視覚的な描写のため、よりリアルに虫の姿を認知した。アリのような、毒々しい姿。原作では、イモムシだったような記憶があるが、記憶違いか?ハッピーエンドにならない結末…。
 いずれにせよ、もうたくさんです、お腹いっぱいです、という気持ちになれた。結局、立読みだけで購入しなかった。
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政宗一代記

2008-10-06 22:18:38 | Weblog
 読書記『馬上少年過ぐ』では、本の紹介、と言うより伊達政宗について書き続けた感が絶えない。江戸幕府成立後、千代(現在の仙台)を本拠とした政宗は、千代の荒れ果てた土地、阿武隈川や名取川の氾濫に大規模な新田開発を決意する。新田開発の指導者に、関ヶ原で敗れた毛利家の家臣・川村重吉を迎え長年の歳月を経て大規模な新田を整備した。政宗の死後、仙台藩の米が始めて江戸へ搬送され、やがて、江戸の米の3分の2は仙台からの米となったという。
 3代将軍家光が将軍就任の際、各大名に向かって、祖父・家康、父・秀忠は諸大名に遠慮があったが、自分は生まれながらにして将軍であり、先代のように諸大名へは遠慮はしないから、不服のある者は速やかに国に帰り、武装せよ、と高らかに宣言した。政宗はすかさず家光を褒め称え、将軍の前に私がお相手しよう、と付け加えた。この当時、戦国時代からの生き残りは少なく、信長、秀吉、家康の時代から生き残った老練な政宗に一同は声もなかったと言う。これは家光と政宗が事前に示し合わせた芝居だった、とされているが、徳川の時代に生きる以上、外様大名がしぶとく生き残るには、将軍家の信頼を勝ち取らなければならなかった。政宗は、外交、交渉でこれまでの修羅場を潜り抜けてきた。こうした方面の才能が強かったのだろう。
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読書記44 『馬上少年過ぐ』

2008-10-05 18:58:38 | Weblog
   『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎 著)
 短編集を集めた作品を1冊の文庫にしたもので、他に河井継之助を題材にした「英雄児」、幕末に起こったイギリス人水兵殺害事件の顛末を描いた「慶応長崎事件」など7編が収録されている。
 さて、タイトルに掲げた作品の主人公は、伊達政宗。戦国時代、東北を席巻する勢いを見せるも、豊臣秀吉、徳川家康に出生で出遅れ、天下の器量がありながら、東北の一大名となった戦国武将である。奥州の伊達家は、鎌倉時代頃から生き残った名家である。戦国時代の政宗で17代目の当主であった。彼は幼少時代、母親に嫌われ不遇な少年時代を送った。長男で生まれた彼は、寡黙な上、幼少の頃に疱瘡に罹り、一命は取り留めたものの、その病の後が残り、片目を失明した。口数が少なく、容貌も醜くなった長男を母は大いに嫌った。
 武田信玄は父に疎まれ、織田信長も嫡男でありながら次男への家督相続が望まれた。
政宗の実父は伊達輝宗。母は出羽の最上義光の妹・義姫。気性が激しく、後年、伊達政宗と最上義光が対立し、戦になりかけたが、合戦場の間に自らの輿を運ばせ、両軍の中央に割って入り、遂に開戦させなかった程である。父・輝宗は物静かで、体躯も小柄で、とても戦国の世を切り抜けていけるような風貌ではなかった。合戦に明け暮れ一進一退であったものの、家名を存続した。父が殆ど戦場に居るため、母との時間が増えるが、母に嫌われた政宗は、輝宗が選んだ母代りの教育係と多数の時間を過ごす事になった。政宗には弟、小次郎がいる。小次郎は利発で、容貌も最上家の血を継いで体躯丈夫で美しかった。母はこの次男を大切にし、家督を継がせようと、折りある事に輝宗に訴える。しかし、輝宗は、「考えておく」と言うだけで、決して長子相続を変えなかった。先代まで伊達家を発端にした相続問題で、東北一帯が大乱になっていたことを知っている輝宗は長子を廃嫡する事の愚を分かっていた。しかし、妻の実家・最上氏への遠慮もあり、明確な発表はしなかった。また、政宗の教育係であった片倉小十郎の影響も大きかった。片倉家の次男である小十郎は、中央で実力さえあれば大名になっていく下克上を知り、自らも田舎の大名の家老などではなく、中央に出て伸し上ろうと野心を密かに抱いていた。容貌にコンプレックスを抱く政宗自身を神格化させ、しかも、そのように政宗も演じた。やがて、米沢城で元服し、父から幼名の梵天丸に代り「政宗」と名付けられた。「政宗」の名は、室町3代将軍義満の時代に活躍した人物で、将軍家への音物を忘れず、自身は都に上ることはなかったが、都では大いに有名であり、義満が後年、撰択和歌集を出すに際し、帝にわざわざ披露し、政宗の歌を収めた。政宗は、都への使者に必ず歌を添え、その歌が義満を大いに悦ばせ、京の公家に、奥州にも歌心を知る人物がいるのだ、と紹介した。政宗が亡くなった際、義満は悲しみ、自ら大乗経を写経し、その死を弔った。伊達家では神格化された名前だった。その「政宗」を名付けると言う事は、梵天丸こそ正式な後継者であると宣言したに等しい。輝宗はその数年後隠居して政宗に家督を譲るが、隣国の敵将に欺かれ、人質となってしまう。川を挟んで連行されて行く父に、敵諸共撃て、と命じ、父は目の前で敵将に斬られて亡くなった。
 その後も母・義姫は小次郎に後を継がせるため様々画策し、遂に毒殺未遂まで起こした。政宗は、弟・小次郎に恨みは無いが、彼が生きている限りこの危険がなくならないとして、弟を斬った。小次郎は毒殺未遂の後、政宗に呼び出されると、自ら胸を開いて殺されるのを待っていた。母はこれを知って、生家の山形城へ逃げて行った。この頃が秀吉の小田原攻略で、秀吉が天下人となっていた。残る勢力は関東の北条と東北の伊達だけであり、北条攻めに各地の大名に参陣するよう通達してあった。しかし、政宗は上記の件もあり、大幅に遅れ、切腹に用意する白装束を着て秀吉の前に跪いた。ここで秀吉から領地を安堵されたが、天下への野心は捨てなかった。秀吉の死後、もう一度天下は乱れると読み、二大勢力であった徳川にも、抜かりなく友好関係を築いていった。果たして、関ヶ原の合戦が起こるが、長期戦になると見込んでいた大合戦が僅か1日で決してしまい、もはや大騒乱が起こることは無い、と観念した。
 徳川3代将軍・家光の代で亡くなるが、晩年、後世に残る高名な詩を詠った。
 『馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯(ざんく)天の赦すところ 楽しまざるを如何せん 四十年少壮の時 功名聊(いささか)復(また)自私(みずからひそか)に期す』

 作者は、伊達政宗のような、武将で且つ詩人である人物を三国志の曹操に求めた。どちらも詩才に恵まれ、天下の実力がありながら完全な統一を成し得なかった人物に共通点を求めた。
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読書の近況報告

2008-10-04 23:54:26 | Weblog
 最近、読書ができていない。マンガですら読んでいない。1週間ほど前に『斜陽』の再読を始めたものの、暗過ぎて途中で止めてしまった。太宰作品を無性に読みたい時期があるのだが、作品に触れると、当初読んだ記憶が蘇り、先に進めば進むほど、泥沼にはまって行く主人公を思うと居た堪れなくなる。太宰作品では今年3回目の途中放棄だった。
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期限切れ

2008-10-03 22:02:50 | Weblog
 今年の楽しみの一つにしていた「夜会」
 年末12月に行われる中島みゆきのコンサートだが、一般発売日の前にプレオーダーでの申込み期間があった。これまで数回、これを利用してコンサートに行ったが、今回は気付いたら期限が過ぎていた
 こうなると、一般発売日まで待たねばならない。ここでチケットを取るのは大変なので、さてどうしたものか。と悩んでいる
 PCで購入するにもなかなか接続できず、希望の席が買えず、あまり良い思い出が無い。
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流れ星に願いを込めて☆

2008-10-01 22:56:44 | Weblog
 今夜、北天を見上げて黄昏ていたら、流れ星があった
 スーっと消えて、何事も無く再び静寂な夜天に戻った
 流れ星は、見ようと思うと見る事ができず、これまでの経験を振り返ると、あくまでも偶然の結果、見えた場合が多かった。一瞬、目の錯覚かと思ってしまうがやはり現実で、出合った夜は何となく幸せな気持ちになれる
 科学的に言えば自然現象の一つとして説明できてしまうが、もう少し幻想的に考えたい
 流れ星に願いを祈れば叶う、という言い伝えがあるが、私には願い事が多過ぎて、流れ星が流れている間にはとても願いは込められない
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