行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

政宗一代記

2008-10-06 22:18:38 | Weblog
 読書記『馬上少年過ぐ』では、本の紹介、と言うより伊達政宗について書き続けた感が絶えない。江戸幕府成立後、千代(現在の仙台)を本拠とした政宗は、千代の荒れ果てた土地、阿武隈川や名取川の氾濫に大規模な新田開発を決意する。新田開発の指導者に、関ヶ原で敗れた毛利家の家臣・川村重吉を迎え長年の歳月を経て大規模な新田を整備した。政宗の死後、仙台藩の米が始めて江戸へ搬送され、やがて、江戸の米の3分の2は仙台からの米となったという。
 3代将軍家光が将軍就任の際、各大名に向かって、祖父・家康、父・秀忠は諸大名に遠慮があったが、自分は生まれながらにして将軍であり、先代のように諸大名へは遠慮はしないから、不服のある者は速やかに国に帰り、武装せよ、と高らかに宣言した。政宗はすかさず家光を褒め称え、将軍の前に私がお相手しよう、と付け加えた。この当時、戦国時代からの生き残りは少なく、信長、秀吉、家康の時代から生き残った老練な政宗に一同は声もなかったと言う。これは家光と政宗が事前に示し合わせた芝居だった、とされているが、徳川の時代に生きる以上、外様大名がしぶとく生き残るには、将軍家の信頼を勝ち取らなければならなかった。政宗は、外交、交渉でこれまでの修羅場を潜り抜けてきた。こうした方面の才能が強かったのだろう。

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