ぼけヴォケ!

認知症患者と介護家族はいかにしてボケツッコミスキルを入手したか。
慢性骨髄性白血病発症。目指せ分子遺伝子学的寛解維持。

薫風忌。

2010-05-26 | Weblog
早いものである。


栗本薫/中島梓氏が亡くなられてから、一年が経った。
その二つのペンネームから、命日を「梓薫忌」と呼ぶらしいが。
ワタクシメは時節柄薫風忌と呼びたいと思っている。


栗本薫/中島梓氏が亡くなったと知ったときのショックといったら。
並大抵のモノではなかった。
なにせ、この本の虫のようなワタクシメが、いっさい本が読めなくなったんである。
無理矢理手近な本を開いても、心が本の中へ入っていかない。
まるで小学生が数Ⅲの教科書を見ているようなものだった。
同氏の存在はそれほどまでに大きかったのだと、改めて知らされて。
ようやく涙が出た。だだ泣きした。


なんとか普通に本を読めるようになったころに、同氏の絶筆が出版された。
「転移」という本である。
「アマゾネスのように」「ガン病棟のピーターラビット」と、同氏の癌闘病記は読んでいたので、同じような気持ちで手にしたが。


読み進むうちにしんしんと背筋に夜の雪が積もるような気分になった。


パソコンで書いていた日記形式の文章が乱れを見せはじめ。
やがて、パソコンが打てなくなり、手書きに変わり。
それが手書きもできなくなったのか。
またパソコンに変わり、がくっと文章量が減ってゆき。内容も切れ切れになり。


そして、昏睡状態に陥った日に残された、たった一文字に到達したとき。


ただ、頭を垂れるしかなかった。


去年、その死を知ったとき
「同じ時代を、同じ言葉を使う文化圏ですごせたこと」に感謝すると拙ブログで書いた。
その思いは、今も変わってはいない。





散るつつじ読むほど滲む遺作かな
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コメント
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