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ミステリとかロックとかお笑いとかサッカーのこと。

連城三紀彦『どこまでも殺されて』新潮文庫

2005年05月31日 | reading
ネタバレ注意。

今回は「ひとりの人間が何回も殺されていく」という奇想を中心とした作品。
ただ、「手記」なんだよなあ。それが謎からコワク的な魅力を奪っていると思う。まあテキストとしてしか成立しない奇想なんだけど。『私という名の変奏曲』は複数人が一人の被害者を「自分が殺した」と思っている、という奇想だったけど、テキストを離れて成立している分そっちのが評価できるよなあ、と。真相が明らかになっても大したカタルシスは得られなかった。五回目の「殺人」に見られる伏線なんかはうまいなあと思ったけど。あと人物錯誤が明らかになる場面はなかなかの名場面。
さて、ミステリ的な評価とは離れて小説の話を。この作者は非常に装飾的な文章を書く人で、美文ではあると思うが読み難い。そしてそれが人物描写にまで及んでいるのがどうかと思う。例えば飯嶋和一を読んだ時に一番強く感じたのだが、エピソードでなく地の文で説明的に人物を描写する手法が僕は決定的に合わない。怠慢を感じてしまうのでしょうか。
例えばこんな文章。

《それを微笑と呼ぶなら、その微笑は執拗に降り続ける雨にも似た暗い翳を染みつかせた、暗いだけに淋しく、淋しいだけに誰の助けも期待できないと諦めているような、自分の枠だけに閉じこもるのが唯一自分を守る方法だと言っているような、孤独な微笑だった。》(128-129p)

うーん。合わない。
その結果かどうか、登場人物も魅力的に感じないんだよなあ。連城は学園モノを書く人じゃないと思うよ。『戻り川心中』みたいな時代モノが一番合ってると思う。
縄田さんて方の解説は酷かった。青春論とかは寒いよ。この小説の本質ではない。

作品の評価はC。

4101405131どこまでも殺されて
連城 三紀彦

新潮社 1995-07
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