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東京・日比谷公会堂の憲法集会で日本共産党の志位和夫委員長が発言ー演題「核兵器廃絶と日本国憲法9条」-

2009-05-05 00:15:12 | 国内政治
核兵器廃絶と日本国憲法9条
憲法集会での 志位委員長の発言

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 日本共産党の志位和夫委員長が三日、東京・日比谷公会堂での憲法集会で行った発言は以下の通りです。

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 みなさん、こんにちは(拍手)。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます(拍手)。今日は、広い会場いっぱいのみなさんにくわえ、外でも多くの方々にお集まりいただき、感激しております。どうか最後までよろしくお願いします。(拍手)

 今日、私は、「核兵器廃絶と日本国憲法第九条」というテーマでお話しさせていただきたいと思います。

 核兵器廃絶を求める運動と、憲法九条を守り生かす運動は、戦後の日本国民の平和を求めるたたかいの二つの柱として発展してきましたけれども、この両者はどういう関係にあるのか。このことを世界と歴史の大きな視野からごいっしょに考えてみたいと思います。

被爆国・日本から「核兵器廃絶をめざす国際交渉を開始せよ」の声を広げよう
 世界を見ますと、この間、核兵器をめぐる情勢の大きな進展が起こりました。

 米国のオバマ大統領が、四月五日、プラハで行った演説は、世界に対して大きな問題を提起するものとなりました。私は、オバマ演説を、次の三つの点に注目して読みました。一つは、米国が「核兵器のない世界」――核兵器廃絶を国家目標とすると初めて公式にのべていることです。二つは、広島・長崎への原爆投下が、人類的道義にかかわる問題だと初めて表明し、その立場から行動する責任について語っていることです。三つは、「核兵器のない世界」にむけて諸国民に協力を呼びかけていることであります。私は、日米関係のあり方については、米国政府とはもとより立場の大きな違いがありますが、オバマ大統領のこれらの一連の言明は、心から歓迎するものであります。(拍手)

 私は、この演説はたいへん重要だと考え、四月二十八日、オバマ大統領に核兵器廃絶への具体的行動を要請する書簡を送りました(拍手)。アメリカ大使館を初めて訪問し(拍手)、ズムワルト臨時代理大使に書簡を手渡しました。

 書簡では、私の歓迎の気持ちを伝えるとともに、「同意できないこと」も率直にのべました。それは大統領が「核兵器のない世界」を呼びかけながら、その実現は、「おそらく私の生きているうちには無理だろう」といっていることです。

 私がこれに「同意できない」といったのは、理由があります。今年で戦後六十四年になりますが、核兵器保有国が、核兵器廃絶を正面からの主題にして国際交渉に取り組むことは、歴史上誰の手によってもまだ行われていないからです。交渉はおろか、交渉の呼びかけすら行われたことがありません。もちろん交渉の呼びかけから、交渉の開始、そして合意、さらに実行までには時間がかかるかもしれませんが、どれだけの時間がかかるかは、取り組んでみないとわかりません。取り組む前から「生きているうちには無理」というのは、気が早いのではないでしょうか。(拍手)

 その意思さえあれば、すぐにでもできることがあります。それは米国大統領として核兵器廃絶を正面の主題にした国際交渉を呼びかけ、交渉を開始することです。これはすぐにでもとりかかれることではないでしょうか(拍手)。ぜひ大統領のイニシアチブで、核兵器廃絶のための国際条約の締結をめざして国際交渉を始めてほしい。私は、書簡で、このことを強く要請しました。(拍手)

 アメリカに前向きの変化を促した根本の力は何でしょうか。私は、それは平和を願う世界諸国民のたたかいだと思います(拍手)。そして、この人類の生存がかかった大問題の帰趨(きすう)を決めるのも、諸国民のたたかいであります。みなさん、いまこそ唯一の被爆国・日本で、「核兵器廃絶をめざす国際交渉を開始せよ」の声を広げようではありませんか。(大きな拍手)

憲法9条には「核戦争を絶対に阻止したい」という願いが込められている
 みなさん。核兵器廃絶のたたかいと、憲法九条を守り生かすたたかいは、実は深くむすびついています。そのことを歴史の視野から見てみたいと思います。

 憲法九条はどうやって生まれたか。一九四五年六月に決められた国連憲章では、二度にわたる世界大戦の惨禍をふまえて「武力の行使、武力による威嚇」を厳しく禁止しました。翌四六年十一月に公布された日本国憲法第九条は、国連憲章のこの立場を踏まえながら、さらに進んで「戦争放棄」とともに一切の「戦力保持の禁止」を明記しています。

 日本国憲法九条には、国連憲章を踏まえつつ、国連憲章からさらに前に向かっての飛躍があります。恒久平和主義を徹底する方向への飛躍があります。それでは、この飛躍はいったいどうして生まれたか。

 日本軍国主義の侵略戦争がもたらしたアジアで二千万人、日本国民で三百十万人という甚大な犠牲とそれへの反省が、憲法九条を生み出す土台となったことはいうまでもありません。同時に、私たち日本国民が憲法九条を持つにいたったのには、私は、もう一つ事情があると思います。

 国連憲章が決められた一九四五年の六月の時点では、人類はまだ原子爆弾を知りませんでした。そのあとの七月に人類初の核実験が行われ、八月に広島・長崎に原爆が投下されました。この原子爆弾によって、二十万人を超える無辜(むこ)の人々の命が一瞬にして奪われ、美しい二つの都市が一瞬にして廃虚と化し、幾世代にもわたる言語を絶する犠牲をこうむりました。この地獄を、世界のどこでも二度と繰り返してはならないという強い思いが、憲法九条という私たちの宝を生み出した。私は、歴史のこの事実を強調したいと思うのであります。(大きな拍手)

 ここに日本国憲法が公布された一九四六年十一月に、内閣が発行した『新憲法の解説』と題する冊子があります。この冊子では、憲法第二章「戦争の放棄」の意義について、次のようにのべています。

 「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに於て本章の有する重大な積極的意義を知るのである」

 昔は政府もずいぶん良いことをいっています。(笑い、拍手) 

 原子爆弾の出現によって、文明と戦争は両立しえなくなった。「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺する」。そういう恐るべき現実が目の前に生まれました。それならば文明の力によって戦争を抹殺しよう。戦争を放棄し、陸・海・空軍、一切の戦力を放棄しよう。それを世界に先駆けて実行しよう。こうして私たちの誇る日本国憲法第九条が生まれたのであります。(拍手)

 憲法九条には、「二度と戦争を起こしてはならない」という決意とともに、「核戦争を絶対に阻止したい」という願いが込められており、それを世界の人々に呼びかけたところに、この条文の世界史的な意義があるということを、私は訴えたいと思います。(大きな拍手)

麻生・自公政権―前向きの「変化」は目に入らず、悪いところにだけ追随する
 麻生・自公政権は、この平和の課題にどういう態度をとっているでしょうか。

 この政権には、アメリカの前向きの「変化」は目に入りません。(笑い)

 中曽根外務大臣が、四月二十七日、オバマ演説を受けて、「ゼロへの条件――世界的核軍縮のための『11の指標』」なる講演を行っています。ここでは、オバマ演説を「強く支持する」といいながら、米国には核兵器廃絶のための具体的努力を何一つ求めていません。世界によびかけた「11の指標」のなかにも核兵器廃絶という項目がありません。「ゼロへの条件」というけれど、核兵器廃絶という点では“零点”をつけなければなりません(笑い)。そしてこの講演では、「日米安全保障体制の下における核抑止力を含む拡大抑止が重要」と、米国の核戦力への依存を続ける態度を表明しています。米国大統領が、「核兵器のない世界」への協力を呼びかけているときに、米国の核戦力への依存を言う(笑い)。被爆国の政府として恥ずかしい限りではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 他方、この政権は、アメリカが「変化」していない部分では、いいなり政治をつづけています。オバマ政権は、いまのところ日米関係では「変化」が見られません。米軍基地を強化・永久化し、自衛隊海外派兵を求めるという点では、「変化」が見られません。日本政府は、こういう問題に限っては忠実そのものです。(笑い)

 アフガニスタン戦争を支援するための自衛隊派兵を、何が何でもつづけています。そして、ソマリア沖に「海賊対策」として自衛隊の軍艦を派兵し、武器使用基準を緩和し、これまでともかくも「正当防衛」に限られていた武器使用を、「任務遂行」にも拡大しようとしています。米軍などが行っている銃撃戦や、「海賊」の殺害、船の撃沈を可能にする、本格的な武力行使への道を開こうとしています。戦後初めて「殺し、殺される」危険が目の前に迫っています。日本の軍隊は戦後一人も他国の国民を殺さずにきました。これは九条の偉大な力によるものであります(拍手)。この歴史を守ろうではありませんか(拍手)。憲法違反の海外派兵法を許すなの声を、ここでいっしょにあげようではありませんか。(大きな拍手)

 自民、民主の両党から、集団的自衛権――海外での武力行使容認の合唱が起こり、憲法審査会を始動させて、憲法改定原案を作ろうという動きが起こっています。わが党は断固として反対であります。こうした逆流を許さず、憲法九条を守る、揺るぎない国民的多数派をつくろうではありませんか。(拍手)

 麻生・自公政権は、世界の平和の声に促されて起こったアメリカの前向きの「変化」は目に入らず、ついていけない。「変化」していない部分では異常ないいなり政治をつづけています。良いところにはついていけなくて、悪いところには追随する(笑い)。哀れな姿ではありませんか。こんな政治に未来はないことは明らかではありませんか。(大きな拍手)

新しい情勢のもとで、「核兵器のない世界」「戦争のない世界」をめざそう
 みなさん。いま世界は大きく変わりつつあります。軍事力にモノを言わせて世界を支配する時代は終わりつつあります。どんな問題でも、外交的な話し合いで平和的に解決する、新しい時代が到来しつつあります。私は、日本国憲法第九条の出番の情勢だと訴えたいと思います。(拍手)

 この新しい情勢のもとで、憲法九条を守り生かすたたかいと、核兵器廃絶を求めるたたかいを、それぞれを大きく発展させながら、平和をつくる一つの大きな流れに合流させ、核兵器のない世界、そして戦争のない世界を築こうではありませんか。ともにがんばりましょう。(大きな拍手)

(出所:日本共産党HP  2009年5月4日(月)「しんぶん赤旗」)

“憲法9条守ろう”と各地で集会
瀬戸内・益川さん訴え 京都

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 作家の瀬戸内寂聴さんや哲学者の鶴見俊輔さん、有馬底さん(臨済宗相国寺派管長)らが代表世話人をつとめ、昨年六月に結成した「憲法9条京都の会」が二日、京都市東山区の円山音楽堂で「憲法集会」を開き、四千六百人以上が参加しました。始まってからも入場の列がつづき、入りきれない人であふれました。京都市役所前まで「憲法ウォーク」で行進しました。

 瀬戸内さんが記念講演し、新たに「憲法9条京都の会」の代表世話人に加わったノーベル物理学賞受賞の科学者、益川敏英さんがスピーチしました。

 瀬戸内さんは、物心がついたときから「非常時」と聞かされ、「正しい戦争」と信じ込まされる、日本人が中国人を虐げた北京での戦争体験などに触れ、「戦争はどんなに美辞麗句をつけても、すべて人殺しです。釈迦(しゃか)の教えは殺すなかれ、殺させるなかれ。生きている限り、私は戦争反対を貫く」と述べました。

 益川氏は、黒人差別が強かったアメリカで、黒人の大統領が誕生したことに触れ、「これが五十年、百年の歴史の流れです。社会は進歩している」と語り、戦争がなくなる展望を強調。憲法の問題では、「憲法を変えようというのは、交戦権が欲しいから。九条改正が政治課題にのぼれば、必ず強い反対の声が起こると信じている」と訴えました。益川さんが「(戦争反対に)理屈をつけたいが、ただ僕は戦争がきらいなだけです」と締めくくると、大きな拍手がわきおこりました。

 主催者代表で、隅井孝雄氏(京都ジャーナリスト九条の会)があいさつし、「憲法9条京都の会」の小笠原伸児事務局長が訴えました。

 男性(31)=大阪府高槻市=は、「多くの人で、九条を守る運動の高まりを感じた。戦争する抜け道をつくらせないために、『戦争はきらい』と言い続けたい」と話しました。

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奥平さんら招き集い 千葉

 千葉県習志野市で二日、イラク支援ボランティアの高遠菜穂子氏と「九条の会」呼びかけ人の奥平康弘氏を招いた「憲法九条の集い」が開かれました。「九条の会・ちばけん」と超党派議員による「九条の会・千葉地方議員ネット」の主催で約千五百人が参加し、ホール外やロビーのいすも満席となりました。

 高遠氏はイラク戦争以降の米軍の無差別爆撃の実態を凄惨(せいさん)な写真や映像で紹介。自衛隊派兵で芽生えたイラク人の反日感情、日本人であることを隠し続けた自身の医療支援活動にもふれ、イラク市民による評議会の非暴力の交渉が停戦合意へ導いたことに「日本の憲法九条のにおいを感じた。日本人がやるべきことは今こそ九条を世界に発信すること」と語りました。

 奥平氏は二〇〇四年に作家の大江健三郎氏らと結成した「九条の会」の運動を紹介し、各地の集会で「九条改悪を許さない」という思いが参加者の底流に地下水のように流れていると強調しました。

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澤地久枝さん講演 栃木

 栃木県の「九条の会・栃木」は二日、「九条の会」よびかけ人で、ノンフィクション作家の澤地久枝さんを迎えた憲法集会を宇都宮市の県教育会館大ホールで開き、満席の千人が参加しました。

 栃木市と周辺の自治体で活動する「大平山麓九条の会」からは約三百人が大型バス二台と乗用車に分乗して参加。男性は「改憲の動きに負けるわけにはいかないと思い、友人を誘って参加した」と意気込みを語りました。

 澤地さんは「一人からはじまる」と題して講演。「理想を持って生きることが大切であり、その中心に『戦争をしない』という考えを据えることが大切です」と述べました。自覚した一人ひとりが、戦争放棄を定めた憲法九条、生存権を保障した二五条を守り、運動に参加することをよびかけました。

 憲法についての講演会に初めて参加したという五十代の女性は「母親が経験した戦争中の苦労話を思い出しました。九条を守る気持ちを新たにしました」と語りました。

(出所:日本共産党HP 2009年5月3日(日)「しんぶん赤旗」)
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2 コメント

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Unknown (くろねこ)
2009-05-05 23:21:47
東西さん、こんばんは。

 質問には答えないと、マイナスイメージが大きくなるよ。100点答案書かなくてもいいわけで・・・

 すまりさんが質問攻めにしているから。。。東西さんの、「せこいごまかし」もやむなしと見る人もいるだろうが・・・
 質問をポイントで絞り込んだら。。。どうだろうね?

と余計なお節介はこの程度にして・・・

9条とかお祭り馬鹿騒ぎする方が余程危険。
 9条があろうがなかろうが、戦争になる時は戦争になる。どうやって戦争リスクを下げるか?ということを考えるべき。戦争になれば沢山の人間が死ぬ。その家族もいる。

護憲連中は全然考えていないでしょ。
単に「9条!9条!」と竜宮城の大宴会でバカ騒ぎしているだけでしょ。

 もし真面目に考えているならば、共産党幹部連中は、もう少し末端スタッフの生活を考えるはずだよ。
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Unknown (すまり)
2009-05-06 08:30:59
私が聞いているのは、ポイントとして

「同一労働同一賃金を現実に落とし込むのは無理じゃないか(実例つき)」

「そもそも、あなたのいう社会科学以外を非科学という根拠は何か」

なんですけどね。
でも、どちらも「その前提は違うから、そこを修正して答えてくれ」と言っても、「すでに答えている」と、間違いと指摘した部分を修正せずに答えた事にしているという「欺瞞」をしていますがね。

どんな社会でも100点の社会はありえない。だから90点と80点なら90点を選ぶだけ。残りの10点のデメリットをどう解消するかを考えるのが本来。
それを「90点じゃなくて100点だから、間違いはありえない」としているのが東西南北。
デメリットを考察しない論理など、現実に当てはめた場合の怖さがわからないのだろうか。

なぜなら「改革後おかしくなった」という訴えを聞かない社会となるから。ましてやその「改革は間違いではないか」という意見を封殺しなければならない社会になるから。
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