未来を信じ、未来に生きる。

今に流されず、正論を認識し、社会貢献していく人生を切り拓くブログ道。

広島市で始まった原水爆禁止2009年世界大会・国際会議-日本共産党・志位和夫幹部会委員長のあいさつー

2009-08-04 16:29:26 | 国際政治
原水爆禁止2009年世界大会・国際会議へのあいさつ
「核兵器のない世界」へ――「核の傘」から離脱し、
名実ともに「非核の日本」を
日本共産党幹部会委員長 志位和夫

--------------------------------------------------------------------------------

 3日、広島市で始まった原水爆禁止2009年世界大会・国際会議での志位和夫委員長の来賓あいさつ(全文)は次の通りです。

--------------------------------------------------------------------------------

 尊敬する議長、海外代表のみなさん、友人のみなさん。原水爆禁止世界大会は、1955年の第1回大会以来、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶、被爆者の援護・連帯を、三つの基本目標として掲げ、運動を発展させてこられました。今日、この運動は、各国政府、国連をはじめとした国際機関、NGO、草の根の反核平和運動、市民が集う、反核平和の国際フォーラムとして大きく発展しています。

 私は、国際会議での発言の機会をあたえていただいたことに心から感謝するとともに、参加された内外のみなさんに、熱い連帯のあいさつを送るものです。

 私の発言では、日本共産党が、核兵器廃絶という人類的課題について、国際社会にたいしてどういう働きかけをしてきたかについて報告するとともに、被爆国・日本がこの問題で積極的役割をはたすために、いま何が問題となっており、何が必要かについてのべさせていただきます。

オバマ大統領への書簡――核兵器廃絶のための国際交渉の開始を

 友人のみなさん。この間、世界では、核兵器廃絶にむけた新しい状況が生まれました。米国のオバマ大統領が、4月5日、プラハでおこなった演説は、核兵器廃絶という私たちの悲願を、現実のものとしていくうえで、重要な意味をもつものとなりました。オバマ大統領は、「核兵器を使用したことのある唯一の核兵器保有国として、米国は行動する道義的責任がある」とのべ、「米国は核兵器のない世界を追求することを明確に宣言する」と、核兵器廃絶を米国の国家目標とすることを、初めて公式に言明しました。私は、日米関係のあり方などについては、米国政府ともとより立場の大きな違いがありますが、オバマ大統領のこの言明は、心から歓迎するものです。

 私は、この立場から、4月28日、一通の書簡をオバマ大統領に送りました。書簡では私の歓迎の気持ちを伝えるとともに、「同意できないこと」も率直にのべました。それは大統領が、「核兵器のない世界」をよびかけながら、その実現は「おそらく私の生きているうちには無理だろう」とのべていることです。広島・長崎から64年、核兵器保有国が、核兵器廃絶を正面からの主題にして交渉に取り組むということは、歴史上誰の手によっても行われていません。交渉の呼びかけから開始、開始から合意までには時間がかかるかもしれませんが、初めての仕事に取り組むときに、どれだけの時間がかかるかを、あらかじめ決めることは誰にもできないはずです。

 その意思さえあれば、すぐにもできることがあります。それは米国大統領として、「核兵器廃絶のための国際条約の締結をめざして、国際交渉を開始するイニシアチブを発揮する」ことです。私は、書簡で、このことを強く要請しました。

核兵器廃絶の目標と一体でこそ部分的措置が積極的意義をもつ

 友人のみなさん。書簡では、核軍縮にかかわる部分的措置と、核兵器廃絶についての、私たちの見解を伝えました。

 オバマ演説が「核兵器のない世界に向けた具体的措置」としてのべている、新しい戦略核兵器削減条約の交渉開始、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准、兵器用核分裂物資の製造を禁止する条約(カットオフ条約)の追求は、それぞれが前向きの措置であることは疑いありません。同時に、書簡では、「これらの具体的措置は、核兵器廃絶という目標と一体に取り組まれてこそ、肯定的で積極的意義を持つものとなりうる」こと、「(戦後の)核交渉の全経過が、核兵器廃絶という目標ぬきの部分的措置の積み重ねでは、『核兵器のない世界』に到達できないことを証明した、と考えます」とのべました。

 核不拡散条約(NPT)の体制をめぐっても事情は同じです。私たちは、どんな理由であれ核兵器保有国が増えることには反対ですが、NPT条約が前例のない差別条約であることを批判してきました。それでも国際社会がこの体制を受け入れてきたのは、条約の第6条に明記されているように、核保有国が核廃絶への真剣な努力を行うことを約束したからにほかなりません。そして、書簡では、この条約にもかかわらず、核保有国が増え続けているのはなぜかについて、「NPTが発効して以後39年間、(核保有国の)この約束が果たされてこなかったことに最大の原因がある」、「核保有国は、自らが核兵器廃絶に向けた真剣な取り組みを行ってこそ、他の国々に核兵器を持つなと説く、政治的、道義的な説得力を持つことができる」と率直にのべ、大統領に、「2010年の再検討会議において、核保有国によって、核兵器廃絶への『明確な約束』が再確認されることを、私は強く願ってやみません」と要請しました。

 5月16日、私の書簡に対して、米国政府からの返書が届けられました。返書は、オバマ大統領がグリン・デイビス国務次官補(代理)に指示し、次官補が大統領に代わって書いたものとなっています。返書では、「どうすれば私たちが最良の方法で核兵器のない世界を実現できるかについての考えを伝えていただいた」ことへの感謝が表明され、「この問題にたいするあなたの情熱をうれしく思う」との書簡への評価がのべられていました。こうした返書が公式に送られてきたという事実そのものにも、私はオバマ大統領の核兵器廃絶にたいする真剣な姿勢と熱意を感じました。

日米核密約を公表、破棄し、「非核三原則」の実行を

 友人のみなさん。このような変化しつつある世界にあって、日本が唯一の被爆国として「核兵器のない世界」にむけての積極的役割を発揮するために何が必要でしょうか。

 私は、その最大の焦点は、日本が、米国の「核の傘」から離脱して、名実ともに「非核の日本」となることにこそあると考えます。

 この間、日米核密約の存在が歴代の外務事務次官経験者の証言で改めて裏付けられ、大きな政治問題になっています。日米核密約とは、核兵器を積んだ米艦船・航空機が、日本政府との事前協議抜きに、日本国内に自由に出入りできるとした秘密協定です。核密約は1960年の日米安保条約改定時に合意されました。日本政府は、68年以降、「核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない」という「非核三原則」を「国是」としてきましたが、核密約によって「持ち込ませない」の原則は空洞化されていたのです。核密約の存在は、2000年の国会でわが党の不破委員長(当時)が、米国の公文書をもとに疑問の余地のない形で明らかにしましたが、日本政府はその存在をかたくなに否定しつづけてきました。今回の外務事務次官の発言によって、核密約の存在が改めて裏付けられましたが、日本政府は「知らぬ存ぜぬ」の態度を変えていません。その一方で、核密約の存在がいよいよ動かしがたくなるもとで、日本の政界のなかに、核密約にあわせて「非核三原則」から「持ち込ませない」の原則を削除し、「非核二原則」に後退させようという逆流が起こっています。私たちは、こうした動きをきびしく退けます。核密約を公表し、それを破棄し、「非核三原則」を実行することを強く求めます。

もはや「核抑止」は通用しないという声が、広くあがりつつある           

 そして私たちは、日本が「核の傘」――「核兵器による拡大抑止」の立場から離脱することを強く求めます。日本政府は、オバマ演説にさいして、演説で提起された「核兵器のない世界」を促進する何らの行動もとっていません。反対に、米国に対して繰り返し、執拗(しつよう)に求めてきたのは、「核の傘」――「拡大抑止」の保障です。

 しかしもはや「核抑止」は通用しないという声が、かつて米国の核戦略を推進した元政権中枢の指導層からもあがっているではありませんか。「核抑止」とは、いざとなれば核兵器を使うという脅しによって、自らの「安全」を守ろうという考えです。それは核使用が前提となって初めて成り立つ論理です。しかし元米国国務長官のシュルツ氏はこう言います。「核兵器は非道徳だ。現代の世界にあって一体誰が核兵器のボタンを押せるだろうか。何十万、何百万という人が死ぬとわかっている核兵器を落とせるわけがない。文明国の指導者なら核は使えないのだ。使えなければ抑止力にならない」

 私はまた、オバマ大統領が、7月7日、モスクワで行った演説のつぎの一節にも注目しています。「核兵器を保有することによって国の威信が生まれる、あるいは、私たちは核兵器を保有できる国を選ぶことによって自らを守ることができるという考えは、幻想にすぎません」

「核の傘」から離脱してこそ、被爆国・日本が核兵器廃絶の先頭にたてる

 「核の傘」――「拡大抑止」とは、他の国の核兵器の脅しによって、自らの「安全」を守ろうという考えです。しかし、自国の核で脅すことも、他国の核で脅すことも、核による脅しに頼ろう、いざとなれば核兵器を使用しようということでは少しも違いがありません。日本国民は、核兵器の非人道性を、どの国の国民よりも体験している国民です。核による惨禍を体験した国が、核兵器による脅しにしがみつき、核兵器使用を前提とした論理にしがみつくことがどんなに間違いか。どんなに被爆国・日本の政府として恥ずかしいことかは、明らかではありませんか。

 私たちは、日本が、米国の「核の傘」から離脱し、名実ともに「非核の日本」となることを、強く求めます。そうしてこそ、被爆国・日本が、地球的規模での核兵器廃絶でイニシアチブを発揮する確固たる立場を得ることができます。さらに北朝鮮に対して、核兵器を持つなと説く、もっとも強い立場にたつことができます。「核抑止」「拡大抑止」は、核拡散にとってもその最大の元凶です。核で脅された相手は、同じ論理で核を持とうとするからです。私はこの場で、日本国民にたいして、名実ともに「非核の日本」をめざす強固な国民的合意をつくりあげることをよびかけるものです。

歴史をつくるのは人民のたたかい――新しい扉を開こう

 友人のみなさん。アメリカに核兵器問題での前向きの変化を促した根本の力は何でしょうか。いうまでもなく世界の平和を願う世論と運動です。

 私は、最近、被爆者団体のみなさんと懇談したさいに、ある被爆者が話されていた言葉が胸に深く残りました。「私たち被爆者が、戦後64年、あまりにつらい健康不安、健康悪化とたたかいながら、訴え続けてきたことが、やっと世界に届きました」。この人類的課題の帰趨(きすう)を決めるのもまた、世界の平和の世論と運動です。とりわけ被爆国・日本国民の世論と運動の持つ意味はきわめて大きいものがあります。

 私は、被爆国・日本で戦後一貫して核兵器廃絶を訴えつづけてきた政党を代表して、日本から「核兵器のない世界を」の声を広げに広げるために、あらゆる力をつくす決意を、ここで申し上げるものです。

 そして、来年5月3日から開催されるNPT再検討会議にむけて、世界的に取り組まれている核兵器廃絶の国際交渉を求める国際署名、再検討会議開会前日の5月2日に計画されている「核兵器のない世界のための国際行動デー」への心からの連帯を表明するものであります。

 友人のみなさん。歴史をつくるのは人民のたたかいです。長年私たちが追い求めてきた核兵器廃絶という目標が、現実のものとなる可能性が目の前に開けてきました。ご一緒に歴史の新しい扉を開きましょう。世界各国の人民のたたかいによって、「核兵器のない世界」を実現するために、ともに力をつくしましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

(出所:日本共産党HP  2009年8月4日(火)「しんぶん赤旗」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核密約と手を切り「非核の日本」の実現を-日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長に聞く(その2)ー

2009-08-04 16:24:23 | 国内政治
核密約と手を切り「非核の日本」の実現を
社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く
第2回 50年間、密約をひた隠して

--------------------------------------------------------------------------------

池田答弁が米政府に衝撃

――4人の元外務次官の証言で、3人までが63年の「大平・ライシャワー会談」に言及していますが…。

 不破 これは、当時、表には現れませんでしたが、日米政府間の「危機」といってもよい事件が起きていたんですよ。

 問題は、岸内閣が、これだけ重大な密約をアメリカと結んでおきながら、次の池田内閣にこれを引き継がなかったことから起こった危機でした。

 経過をいいますと、米国から63年に原子力潜水艦の日本寄港について申し入れがありました。池田勇人首相はオーケーの返事を出したのですが、国会での質問に答えて、首相と防衛庁長官が、“核兵器を積んだ艦艇や飛行機の立ち寄りは、かならず事前協議に付せられるべきだ”“日本政府は核兵器を積んだ艦艇の日本寄港は認めない”という答弁を、こもごも繰り返したのです。

 米政府は、これを聞いてびっくりしました。翌年にはベトナムで戦争を始める、そういう時期ですから、日本の基地が使えない事態になったら大変です。それでケネディ大統領が、外交、軍事、安全保障などの幹部を集めて、緊急会議を開くのです。

 あれだけ準備して知恵を絞って密約を結んだのに、いったいどうなっているのか。現在の日本政府がそもそも密約を知っているのか。それが議論になり、結局、ライシャワー駐日大使に、事態の真相を確認させることになりました。

 この時、米政府が大使に与えた任務は、(1)大平正芳外相が密約を知っているかどうかを確かめる(2)池田首相の言明が密約と矛盾していることを理解させる(3)国会での今後の物の言い方について相談する、の三つでした。

 米政府からこの指示を受けたライシャワー氏が、大平氏を招いて会談したのは、4月4日でした。

「大平はうろたえなかった」(ライシャワー)

――会談での大平氏の反応は?

 不破 ライシャワー氏は詳しい報告の電報を打っていますが、そこで、「秘密の討論記録の存在自体、大平氏には明らかにニュースだった」と述べています。しかし、彼は「少しもうろたえなかった」そうです。その上で、密約のテキストを2人で見ながら相談し、大平氏が「イントロデュース」(持ち込み)と「エントリー」(立ち入り)の区別をよくのみこんだと。こうして、基本的な理解ができあがったのだから、日本側が今後「持ち込み」という言葉を使ってどんな発言をしても、アメリカとして気にする必要はない、と述べています。

大平確認以後は、どんな政府答弁も平気で聞き流す

――59~60年には日本側は理解不十分のまま密約を結んだが、63年の大平・ライシャワー会談で、日本政府は、密約の意味をよくのみ込んだ、というわけですね。

 不破 佐藤栄作首相が67~68年に国会答弁で「非核三原則」を提唱しました。これは、池田首相の場合のように、個々の軍艦の寄港うんぬんではなく、「核兵器を持ち込ませない」ということを国の大原則とするものですから、池田答弁よりは、はるかに重い話です。

 ところが、米国側が、この発言を問題にしたことは一度もない。それは、「非核三原則」を認めたり尊重したりしているからではなく、63年会談で、核密約を守るという日本政府の意志を改めて確認してあるからなんです。“言葉で何をいおうが、日本政府の真意は確かめてある。だから気にする必要はない”というわけですね。

外務官僚が首相を「選別」してきた

――63年会談以降、日本政府内では外務官僚が核密約を管理して、首相や外相には「選別」して伝えていた、といいますね。

 不破 報道などを総合すると、外務省でも、条約局と北米局の中心メンバーは密約を知っている、他の部署の人でも外務次官になると知らされる、そんな仕組みがあるようですね。ある次官によると、政治家は機密が守れない心配があるから、首相・外相は「僭越(せんえつ)ながら選別させてもらっている」という話でした。

 これは、国のあり方として、大問題です。密約でも、ともかく政府と政府の協定です。それを官僚だけが管理する。しかも、政府の最高責任者である首相や外交の責任者である外相を選別する。「選別」の基準は“口の軽さ、重さ”に加えて、密約体制に異を唱えない“素直さ”があるようですが。首相・外相のなかで自分たちのめがねにかなった人物にだけ密約の存在を知らせる、こんなことが横行している国は、世界にも例がないんじゃないですか。

米側の公開後も日本では「密約」

――不破さんは、国会で何回も核問題をとりあげましたね。

 不破 日本に核兵器を持ち込んでいたというラロック提督の証言(74年)や、日米間の取り決めについてのライシャワー元大使の証言(81年)が問題になったころから、艦艇による核兵器の持ち込みや、それを認めた密約の問題について、何回も国会で追及してきました。答弁したなかには、密約の存在を知らされていた首相・外相もいれば、知らされなかった人もいたと思いますが、結局、すべての答弁を、外務官僚の中枢が管理していたわけですね。

 2000年の党首討論は、米国の国立公文書館で密約のコピーなど一連の政府文書が手に入ったので、それを研究し、きょう話した仕組みなど密約の全貌(ぜんぼう)をつかんだ上で質問したのでした。質問の席でいきなり米側文書をぶつけるのではなく、あらかじめ主要な文書は政府側に渡して、十分な検討を求めた上でのことでした。

 こちらの気持ちとしては、政治家として責任ある討論をするため、誠意を尽くしたつもりでしたが、答えは、米側の公開文書であろうと、日本政府が責任を負えない文書だ、密約は存在しないのだから、調査するつもりもない、といったふまじめな答弁で、率直にいってあまりのことに呆(あき)れさせられました。

 最近の証言によると、このとき答弁に立った小渕恵三首相は、密約を知っていた首相の一人だったわけです。自民党政治も、それを支える外務官僚も、アメリカとの秘密の従属関係を隠すためには、国会と国民を平気でだます、こういう集団だということを天下に暴露した質問戦でした。

 なにしろ、米政府が密約文書を公開し、その文書が国会で突きつけられても、「そんなものは存在しない」と言い張るのですから。日本政府だけの「密約」ということですよ。(つづく)

(出所:日本共産党HP  2009年8月4日(火)「しんぶん赤旗」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核密約と手を切り「非核の日本」の実現を-日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長に聞く(その1)ー

2009-08-04 16:20:40 | 国内政治
核密約と手を切り「非核の日本」の実現を
社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く

--------------------------------------------------------------------------------

 日本への核兵器持ち込みを認めた日米核密約の存在が、歴代外務事務次官の証言などであらためて注目をあびています。この問題で、2000年に国会の党首討論で密約全文を示し、政府を追及した日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長(当時、党委員長)に、核密約問題とは何か、日本の進路はどうあるべきかを聞きました。

--------------------------------------------------------------------------------

第1回 これが核密約だ
60年安保の核心がここに

 ――核密約とは一体どんなものですか。

 不破 核密約が結ばれたのは1959年6月、現行安保条約締結の半年前です。以来50年、国民と世界を欺いて日本に核兵器が持ち込まれてきた、日本の主権と世界の平和を脅かす大問題です。

 その意味・内容をよくつかむには、安保条約の歴史を考える必要があります。

 日本は、アメリカとの安保条約を2回結んでいます。最初の安保条約は1951年、朝鮮戦争の最中に、講和条約との抱き合わせで、強引に押しつけられたものでした。アメリカが占領中に日本全国につくった基地をそのまま残す、使い方も勝手放題という内容で、基地の実態は、全面占領時代とほとんど変わりませんでした。

 その次に1960年1月に結んだのが現行安保条約で、大きな柱が二つありました。一つは、いざという時には、米軍といっしょに戦争をするという「日米共同作戦」条項(第5条)です。

 もう一つが基地条項(第6条)で、独立国・日本の体裁をととのえようということで、「事前協議」の仕組みが新たにつくられました。基地の使い方はもうアメリカの勝手にはしない、重要なことは、日本政府と事前に協議してからやる、という仕組みです。

 政府は、60年安保の当時、いよいよ日本の独立が認められる、“日米新時代”が始まった、といった大宣伝をやったものです。その時の最大のうたい文句が、「事前協議」でした。

 1959年6月の日米交渉というのは、この「事前協議」の仕組みをつくることが一番の仕事で、そこで合意した結論が、核兵器の取り扱いを含む密約だったのです。

「討論記録」とは日本側が注文

 ――この文書には、「討論記録」という、協定らしからぬ表題がついていますね。

 不破 この時の交渉の様子を説明したアメリカ政府の報告書があるのですが、この表題は日本政府の注文で、あとあと「いかなる秘密取り決めの存在も否定できるようにするために」、秘密の「討論記録」と呼ぶことになった、と書いてあります。

まぎれもない核密約が中身

 ――国民と世界を最後までだまし続けるつもりだったのですね。

 不破 いくら表題だけ変えても、これが日米両政府間の秘密協定であることは、中身をみればすぐわかるのです。

 協定の全文は、ここに紹介してあるとおりです(別項)。

 最初の1節は、事前協議についての「交換公文」、つまり発表用の取り決めの「案」です。在日米軍の「装備における重要な変更」と「戦闘作戦行動」のための基地の使用とは、日本政府と協議する、アメリカが勝手にやることはしない、これが主な内容です。

核の出入りは米軍の自由に

 ――これが、岸信介首相とハーター米国務長官のあいだの「交換公文」になって、“日米新時代”の証しとされたわけですね。

 不破 そうです。しかし、取り決めでは、いちばん大事なこと、「事前協議」の運用の内容を、第2節に書いてあるのです。

 ここには、AからDまで4項あって、A項とC項が核兵器にかんする取り決めです。まず、A項では、事前協議にかけるのは核兵器とその運搬手段となる中・長距離ミサイルの「日本への持ち込み」だと規定しているのですが、ここの注目点は、「持ち込み」を表すのに「イントロダクション(導入)」という言葉を使っていることです。

 そしてA項のただし書きがC項で、これが核密約の要です。「事前協議」の条項は、米軍の飛行機や軍艦の通過・立ち寄り(「エントリー」)には適用されず、それは「現行の手続き」通りとする、という内容です。「現行」とは、アメリカの勝手放題ですから、核兵器を積んでいても、軍用機や軍艦は、日本に自由勝手に出入りできる、こういう重大なことが、ここで決められました。

読まれていた日本側の腹の内

 ――C項には、核兵器という言葉が1回も出てきませんね。

 不破 交渉経過についてのアメリカ政府の報告書には、こう書いてあります。

 “日本側の交渉担当者は、第7艦隊の軍艦が核兵器をもって日本の軍港を出入りしていることは、うすうす気づいているのだが、問題の真相をつきとめるつもりはない”

 “核兵器という言葉をはっきり書いて、その「エントリー」を認めるという協定に署名できる指導者はいない”

 いわば日本の手の内、胸の内をすっかり読んだ上で、その日本側が承認しやすい文章づくりに工夫をこらしたのでしょうね。C項で話がまとまった時のことを、この報告書は、「日本側は、『討論記録』でのこの言い回しを受け入れた」と書いていますが、これで安保交渉が山を越えた、とほっと安心した様子が目に見える書きぶりでした。

代表が署名した公式の条約文書

 ――戦争への出撃条項についても、同様のことがあるのですね。

 不破 ええ。きょうの主題ではありませんから、簡単にしますが、B項で「日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる」行動が対象になるのだ、と規定したうえで、D項で、軍隊の「移動」は、対象にはなりませんよ、というただし書きをつけた。「移動」の名目さえつければ、あとは米軍の自由勝手というわけで、これで、日本を戦争の出撃基地に自由に利用できる仕組みができました。

 あと残っていたのは、この取り決めを日米両国政府間のきちんとした条約上の取り決めにする作業だけでした。そこで、事前協議に関する59年6月交渉の結論を、公開部分と秘密部分の二つにわけて、公開部分は、「岸・ハーター交換公文」として岸首相とハーター国務長官が公式に署名して公表する、秘密部分は、「討論記録」をそのまま協定文書とし、藤山愛一郎外相とマッカーサー大使が頭文字署名をし、公式の秘密文書とすることを確認しあう、こういう手続きをきちんととることにしたのです。

 岸首相がアメリカを訪問して、ワシントンで日米安保条約に正式に調印したのは、1960年1月19日のことですが、東京で最終的な実務準備にあたったマッカーサー大使は、1月6日、藤山外相との署名手続きを終わったとき、即日、国務長官に報告の電報を送りました。9日には、「われわれが承知している条約文書の全リスト」を作成して国務長官に送っていますが、そこには17の条約文書が列記されており、核密約は、「協議方式に関する討論記録」として文書の14番目にあげられています。

 こうして、日米核密約は、公式の条約文書になりました。

二重底の「偽装」協定

 ――いきさつの全体がわかると、「事前協議」制というのは、この仕組みそのものが、まったくのごまかしの制度なのですね。

 不破 事前協議の方式について協議して、その結論を、発表できる宣伝文句的な部分と、現実の運用を決めた密約部分に分け、前者だけを「交換公文」として公表した。

 いわば二重底の仕組みですね。表だけ見ると、りっぱな制度のように見えるが、これは上げ底で、実態は米軍自由勝手の方式ということです。「偽装」協定といってもよいでしょう。

 “日米新時代”のうたい文句にした「事前協議」条項は、条約上もまったく形だけの空文だったのです。核兵器の持ち込みも自由勝手、日本からの戦場への出撃も自由勝手、ということですから。

 密約によるこの仕組みのおかげで、アメリカは、日本を核戦争の拠点として自由に使い、ベトナム戦争でも、日本を出撃基地として自由に使うことができたのです。政府は、「事前協議」制度を一度も使わないで済んだことを、自慢げにいうことがありますが、この49年間これだけ基地が勝手に使われても「事前協議」がなかったということは、密約のためにこれが空文になっていたことの最大の証拠なんです。(つづく)

--------------------------------------------------------------------------------

討論記録(全文)
相互協力及び安全保障条約

討論記録(レコード・オブ・ディスカッション) 

東京 1959年6月

 一、条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。

 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」

 二、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。

 A 「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それに当たらない。

 B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。

 C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。

 D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。

(出所:日本共産党HP  2009年8月3日(月)「しんぶん赤旗」)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする