うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

日本の労働制度(年功賃金制度から専門知識重視の職能賃金制度への転換を)

2012-10-02 18:41:02 | 経済

ワーキング・プアの問題が顕在化して久しい。バブル崩壊後、就職氷河期が慢性的化し、企業内訓練を得られない非熟練労働者が増加した。さらに、グローバル競争の激化により、製造業の競争力維持のため賃金の下方修正圧力が高まった。企業は、こぞって契約社員、派遣労働者、パート労働者、外国人研修生などの非正規労働者の活用に走った。かつて、正社員のお茶汲み職員は、どの企業にもいたが、今や完全に絶滅し、派遣に取って代わられた。

彼らの労働条件は厳しい。故に、社会問題化した。民主党政権は、今回、労働者契約法と労働者派遣法を改正し、長期の派遣契約を制限するなどの規制により、非正規労働者の正規雇用への転換を促す法改正を行なった。

しかし、この改正は、企業に、新たな抜け道対策を立てさせるだけに終わり、非正規労働者の保護には、ほとんど効果がないだろう。むしろ、現に日雇い労働に従事している若者を苦しめることになるおそれが高い。労働条件は、法律ではなく、労働需給で決まる。法律は、形式を整える意味しかない。企業が、新たな形式的対策を講じるだけだろう。解決は、単純労働の労働需給を調整することだ。とりあえず、就労目的の留学生は、直ちに受け入れ停止にすべきだろう。

非正規労働の問題は、経済学的には、差別の問題だ。同一労働、同一賃金の原則が貫かれていない。同じことをやっていて、正規と非正規で労働条件が異なる。そして、非正規には正当な労働の対価が支払われない。

他方、企業の人材が外国企業に流出し、技術ノウハウの無償移転が進行中である。日本の産業競争力を支えた中小企業の金型技術者は、チャイナで再就職し貴重なノウハウを無償でチャイナに移転した。日本の金型産業は壊滅状態だ。近年の日本の電子産業の崩壊に伴い、大企業の技術者が、大量に、チャイナ・韓国企業に再就職し大手を振って無償技術移転を行なっている。いままた、原子力技術者が狙われているそうな。特に、幹部技術者にたいしては、役員待遇の高額な給与でヘッド・ハンティングを行なわれている。

ヘッド・ハンティングは、外国ではもっと盛んだ。もともと終身雇用慣行のない国では、日本的労働条件は無意味なものだ。労働者は、より良い条件を探して転職する。これは、当たり前のことであるとともに、普遍的なものと認識しなければならない。転職には、コストを伴う。引越しと同じだ。しかし、転職コストを上回る条件が提示されたら、転職しない方がおかしい。

企業は、知的財産保護活動により、ノウハウの移転を防ごうとするが、転職が基本的人権である以上、これにも限度がある。かつて、週末に日本企業の技術者がチャイナ・韓国で技術指導を行なっていて問題となったが、こういうスパイもどきに活動にしか適用できないだろう。現在の退職者の再雇用やヘッド・ハンティングには無効だ。

人材を通じた技術流出を防ぐには、その人材が持つ価値に等しい賃金を支払うことが基本的な対策だろう。その上に、知的財産保護規制をかけるのでなければ効果はない。社内の給与の横並び意識に縛られ、有用人材の労働価値を評価しないことが人材を通じた技術流出の原因だ。

こうして見ると、ワーキング・プアの問題も技術流出による競争力低下の問題も、日本の賃金制度に原因があることが解る。日本では年功賃金制度が支配的だ。これは、若いうちは会社への労働価値に満たない賃金で働き、年を取ってからは労働価値以上の賃金を受け取る仕組みだ。そしてそれを補完する仕組みとして終身雇用があり、企業内労働組合がある。しかも、この慣行は、解雇権を厳しく制約した判例により制度化されてしまっている。

この慣行は、現在転換を迫られている。その象徴が、ワーキング・プアの問題であり、技術流出の問題だ。ワーキング・プアの問題は、単に賃金差別に留まらない。結婚を困難にし、少子化を促進し、年金・医療制度を破綻させつつある。他方、技術流出は企業の競争力を低下させ、企業破綻により、失業を増加させたり賃金水儒を低下させる。そして、ワーキング・プアの増加に繋がる。

現代日本で当たり前とされる年功賃金体系、これは戦前から日本にあったものではない。戦前は、大学卒など、一部エリートにしか見られないものだった。一般職工は、職業能力毎の社会的な一般的な賃金水準か形成されており、職工は頻繁に雇用主を変えていた。一般にまで終身雇用が普及したのは、戦後の高度成長時代。人手不足が常態化し、継続雇用のインセンティヴが必要とされた。労働者の供給元の農村の統治が、民俗学でいう年齢階梯型支配原理という年功原理によっていたこともこれに寄与した。

残念ながら、高度成長という条件が崩壊したいま、年功賃金体系から離れ職能に応じた賃金体系に移行することが、社会全体として必要だろう。

職能賃金体系の社会はどんなものか。欧米では、労働組合は、職能別に組織される。職能毎に、会社横断型の労働組合が存在し、その職能を保有する人間の労働条件を交渉する。同一労働、同一賃金が原則は自動的に達成できる仕組みだ。ただ、習熟度により、若干の昇給制度はあえる。しかし、習熟した段階で、昇給は打ち止め、一生その賃金で働くことになる。昇給するためには、新たな能力を身につけ、新たな職務区分に移ることが必要だ。

定年もない。具体的な能力低下が認められないかぎり、老齢を理由に解雇することは不当な差別だ。解雇は、企業がその技能職務を必要としなくなる一定の条件があれば、柔軟に実施できる。ただし、ここでも、不合理な差別は禁止される。例えば、解雇順序。アメリカでは、解雇やレイオフは、採用経歴の浅いものからという慣行が確立している。また、三振制という慣行もある。これは、ある職務能力があるという前提で採用されたのに、3度職能を果たせなかった場合、3度目の警告で解雇できるというものだ。

職能給制度は、経済政策にも影響する。例えば、豪州。ここでは、政府が、各職種毎の労働需給状況と賃金を詳細に調査している。それを、移民数許可政策を連動させている。ある職種の需給が逼迫すれば、それを緩和するためにその職能を有する移民を入れる。ちなみに、一時期、日本人が移民しやすい職能は、日本料理の料理人だった。

賃金体系の具体例として、国連の国際公務員を紹介しよう。この賃金体系は、アメリカの公務員の人事体系に影響を受けたといわれる。ここでは、職員は、3つのカテゴリーに分かれる。G(一般),P(専門),D(管理職)だ。GとPには、数段階の習熟度グレードが用意される。Gは、経理、タイピストや通訳などの現地採用職員で、その賃金体系は、現地の職能賃金水準による。Pは、本来職務に拘わる専門職で、大卒を想定している。Dは管理職だが、それぞれのポストについて職務記述書が明確に決められていて、それに応じた個別給与だ。また、これは公募ポストでもある。内部のPから昇進することが多いが、あくまでも組織外の応募者との競争になる。ちなみに管理職の公募制は、民間企業でも一般的だ。欧米の新聞や雑誌では、管理職の詳細な雇用条件と職務記述を記載した広告がわんさと載っている。社長など組織の最高責任者にいたるまで、公募されていることがある。

日本では、年功賃金の正規雇用の維持を金科玉条に、近年さまざまな労働関係法改正が行われてきた。企業内労働組合もこれをバックアップしてきた。しかし、その試みは、我が国が置かれた低成長の経済環境では、経済合理性を欠く。言い換えれば、ガラパゴス人事体系を温存するために、更にガラパゴス化が進むようなものだ。いまや、世界標準の職能型労使慣行に移行することが必要だろう。

すでに、正規雇用は、過去の幻想と化そうとしている。非正規雇用は、一種の職能賃金制度とみなすことが可能だろう。つまり、昇給のない、職務給によっている。しかし、正規雇用幻想が建前の法制上は、その存在が望ましくないとして継子扱いされている。そのため、正規雇用に移行するまでの一時的労働と見做され、その労働条件は劣悪なままだ。我々は、実態をありのままに見、制度の改善に取り組むべきだ。

改革の方向は、職能賃金体系への移行だ。労働の市場評価に応じた適正な差別のない賃金を支払うべきだ。定年を設けない。職務を果たしている限り、会社は、その職能全体が不要とならない限り解雇できない。企業は、解雇規制が緩むので、採用を増加させるだろう。

職能賃金制度の長所に、労働者の人権の保障程度が高くなることもある。日本の終身雇用制度では、労働関係が身分関係に転化する傾向がある。日本人社員は、組織内で出世するためには、無限定の評価と忠誠競争に晒される。ここに、上司が付け込み、理不尽な要求を行なうこともあるだろう。サービス残業の発生の一因は、この無限定競争も一因だ。職能賃金は、労働者を無限定競争から開放し、職務遂行以上の義務を負わせない。

職能賃金体系下では、労働者の側にも、自己の市場価値を向上させようとする切実なインセンティヴが働く。学校も、うかうかしてはいられない。必要な能力を授けない学校は容赦なく淘汰される筈だ。今の日本の大学(文系)は遊園地だが、アメリカ並みに、普通に学問をする場となるだろう。

社会全体の専門知識レベルを向上させることにも寄与するだろう。国際会議で活躍する人材は、欧米ではほとんどPh.D 保持者だ。対する日本側は単なる大卒だ。アメリカでは、大卒は日本で言えば高卒の感覚だ。修士で大卒感覚、専門的な事柄を議論するためには、Ph.Dが、必要条件だ。日本のゼネラリスト大卒では、国際展開には遅れをとる。日本の外交官は、試験合格の後大学を中退して就職するが、これがいかにおかしいことか。また、日本では大学院卒は、組織内で使い難いとの理由で、就職困難となっている。なんという無駄だろうか。

福島では、原子力保安院の長官が、技術のことは判らないと事故対策から離脱した。これは、社会が専門知識と無関係に組織されている悪弊の最たるものだろう。アメリカのスリーマイルでは、原子力委員会委員長が、事故対策の全権を握り事故収束にあたった。調整だけの官僚国家と専門知識による人事原則が貫徹されている国との差は歴然だ。

職能型労働慣行は、専門知識の発達を促す。アメリカの大学を見ると、学科数が日本の数倍ある。社会の複雑化により必要な専門分野の数も飛躍的に増加している。アメリカの大学は、その要請に的確に応じてきている。それに対し、日本の停滞は明らかだ。大学は、秋入学といったくだらない問題に拘わるより、もっとやるべきことがあるだろう。

日本の社会・企業が抱える課題を解決するためには、労働慣行の改革が不可欠だ。ただし、これには、副作用もあるだろう。たとえば、管理職、いままでは、部下が管理職の意を体して業務を行なってきた。しかし、職能組織では、部下は部品としての機能しか果たさなくなるだろう。部品をいかに組み合わせてて機能させるか、それを事細かく調製するのが欧米に於ける管理職の仕事だ。「よきに計らえ」型管理職は、機能しなくなるだろう。また、職務インセンティヴも変化するだろう。忠誠意欲や競争意欲を持つ人は、PからD、あるいはDの上位への移行を狙う人に限られるだろう。例えば、日本企業のお得意の小集団活動には、新たな動機付けが必要になろう。

社会保障の体系も、変革する必要がある。雇用を妨げる人頭雇用税(社会保険)や配偶者所得控除限度額を廃止し、雇用に対し中立的な負担にすべきだ。それにあわせ、職業訓練を重視するスウェーデン型の福祉政策に転換する。労働・福祉法制の抜本的な見直しが必要だ。

我々は、自身の働き方を根本から見直し、将来を切り開いていかなければならない。現在の労働慣行は、議院内閣制と同じく、耐用年数を超えた。グローバル化により、国境を越えた労働価値の平準化が起きている。企業は、職能型賃金制度への移行により、グローバル化に対応しなければならない。国内人事制度と海外人事制度のシームレス化も必要だ。労働慣行の改革は一朝一夕に進まない。しかし、経営者、労働者、政治家、すべての政策担当者が新たな仕組みつくりに努力していく必要があるだろう。

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