日本に固有な宗教と言えば神道です。仏教も日本化しましたが、あくまでもルーツは、インドということになります。
神道の始まりは、アニミズムとシャーマニズム。アニミズムとは、森羅万象あらゆる物に神性が宿るという信仰、また、シャーマニズムとは、神が人間に憑依し託宣するという信仰です。シャーマニズムとアニミズムは対となって存在することが多い。憑依現象は、日本語では斎く(いつく)といい、東北ではイタコ、沖縄では、ユタと変化した。実は、シャーマニズムは、日本特有の信仰ではない。古代東アジア全土に広がっていた習俗であり、アフリカにも見られるものです。
チャイナでは、殷が託宣政治に依拠していたことが知られている。殷および周は、貨幣として子安貝を使用していました。実は、この子安貝(キイロタカラ)は、チャイナ沿岸では取れず、最も近い生息地は、沖縄とベトナムです。地理を考えれば、殷、周で使用されたのは、沖縄産の子安貝でしょう。つまり、沖縄は殷,周との交流があり、沖縄は殷。周文化の影響を受けていた。
また、本土の弥生遺跡からは、腕輪に使用された貝釧(カイクシロ)が出土しており、弥生時代の本土と沖縄の交流が示されています。(ちなみに、魏志倭人伝には、ヤマト国は、帯方郡から1万2千余里、会稽東冶(福建省)の東にあるとされています。たうまり、魏志の著者は、ヤマトは、沖縄,台湾あたりにあると想定していました。この想定も、太古以来、沖縄とチャイナ本土との交流がその基盤となったことでしょう。)つまり、倭全体が、殷文化の影響下にあったとも考えられる。
朝鮮でも、シャーマニズムの伝統は極めて強い。ムーダンといい、踊りながら憑依する。沖縄と同じく、かつては民衆の日常生活の一部となっていたが、社会の近代化と共に廃れつつある。しかし、シャーマニズムの伝統は、社会の奥深く潜行し、朝鮮で普及したキリスト教と結びつき、統一教会や摂理といった奇怪な宗教を生むこととなった。
シャーマニズムは、アジアの生活習慣に密着した主要信仰であったが、教義を持つ組織的宗教として発達することなく、近代化とともに衰退していった。唯一の例外が、日本神道です。なぜ、日本だけが、神道を成立せしめ得たのか。
解答は、崇神天皇が実施した、神人分離にあると考える。崇神は、それまで、宮中で日常に実施されていた託宣施設を宮殿から分離し、専用施設に移した。皇祖神を祀る伊勢神宮と国つ神を祀る大倭神社です。それ以前の祭祀では、聖地と祭祀のみがあったのでしょう。特定の時期にだけ聖地で祭祀が行われ、日常的には、住居で託宣が行われた。これを、改革したのが、崇神ということになります。
崇神の神人分離は、皇室のみならず、全氏族の託宣組織に波及したことでしょう。各氏族がそれぞれの神社を設立することとなったのではないか。神社組織の成立は、それを支える専門集団の成立を意味することとなります。禊、魂振り、祓いなどの神道儀式が洗練されてゆき、やがて度会氏など神官家により理論化もされることとなった。そして、律令の成立とともに全国的に神社の組織化が行われることとなった。国民的宗教としての神道の成立です。
神道で重視されたのが、清浄の実践です。神の託宣を受けるため、穢れを払い、心身を清め、素直な心で神に対峙する。基本的に、ごちゃごちゃした飾りは邪魔となる。清潔、簡素、明晰が指導理念となりました。神や世界の成り立ちに関わる理論も生み出されましたが、それよりは、神道を特徴付けるのは、明らかで清い心身状態を達成するための実践自体でしょう。神道専門集団は、その担い手として、それを可視化しました。神社の場所、神社の建物・インテリア、神官・巫女の衣装、神道儀式などです。ここに、神道は原始的なシャーマニズムと一線を画すこととなった。
諸外国に旅行すると、日本の建物景観の混乱と醜悪さに気付かされる。西欧人が偉大と称した江戸の町並みは、消え去ってしまった。しかし、他方、日本の都市の清潔さにも気付く。走っている車も綺麗だ。日本の清潔さに勝るのはスイスくらいなものです。スイスでは、道端にチリ一つないほど清潔だ。しかも古い建物もぴかぴかに磨いて生活している。スイス人が外国人嫌いなのはよくわかる。外国人の不潔さには耐えられないからだ。いや、清潔さに無頓着な外国人の意識に耐えられないというのが正確でしょう。清潔さを維持するためのは、非常な努力だ払われている。スイスの清潔好きの理由はわかりませんが、日本の清潔好きの理由は想像できる。それは、清浄を最大の価値をする神道によるではないか。
神道の影響は、清潔さのみにとどまらない。フェロノサは、桂離宮に日本美の真髄を見た。自然との一体化、簡素、素朴、極限までの無駄の殺ぎ落としです。英語では、Japanese minimalism という。自然のエッセンスのみを単純に表現しようとする思想です。桂離宮の美は、伊勢神宮の美と同じです。美を作ろうとしたのだはない。自然の中に神を見、神を求める。そのなかに、「はっ」とする感動がある。本居宣長のいう「あわれ」です。神道の「道」とは、森羅万象に神をみるアニミズムの下で神を求める情熱でしょう。桂離宮も伊勢神宮も原型はただの民家です。違いは、民家にも神を求める洗練にある。
この自然を探求する美意識は仏教にも及ぶ。仏教の原型は、ごてごてのキンキンキラキラです。古代のお寺は、極彩色であった。しかし、日本では、極彩色が色あせるにまかされ、建物も白木の部分が尊重された。仏教の日本化です。理論面では、神仏習合が成立した。日本人は神仏の区別なく、異能を崇拝した。
神道は、当然日本人の死生観にも影響した。人間も生死も自然の営みとして、自然を受け入れるごとく受け入れる。武士「道」の理想とするところです。日本では正邪の概念は発達しなかった。また、個人の名を歴史に名を残そうという意欲も、他国と比べると弱い。これも、人間も自然の小さな一部という神道理念によるのでしょう。正邪の判断基準を延々と論ずる西欧文明、歴史を鏡とし、死者の罪を死後にまで追求するチャイナ文明との違いです。武士道に限らず、柔道、華道など「道」の精神は、自然探求の道=神道ではないか。
残念ながら、グローバル化の世界で、神道精神だけでは生きていけない。西欧風の論理と論争の能力が必要です。しかし、日本人が、世界の中で存在理由を示すことができるのは、神道理念とそれを体現した日本文明でしょう。残念ながら、戦後、洗練を求めること、努力することは悪、というようなお粗末な教育思想がまかり通った。これにより、日本人自身が自分を見失うなかで、日本文明の存続基盤も失われつつある。ただ。形骸化したとはいえ、お正月には誰もが神社に詣でるという風習は残っている。もう一度、日本人として、その意味を考えてみてはどうか。
神道の始まりは、アニミズムとシャーマニズム。アニミズムとは、森羅万象あらゆる物に神性が宿るという信仰、また、シャーマニズムとは、神が人間に憑依し託宣するという信仰です。シャーマニズムとアニミズムは対となって存在することが多い。憑依現象は、日本語では斎く(いつく)といい、東北ではイタコ、沖縄では、ユタと変化した。実は、シャーマニズムは、日本特有の信仰ではない。古代東アジア全土に広がっていた習俗であり、アフリカにも見られるものです。
チャイナでは、殷が託宣政治に依拠していたことが知られている。殷および周は、貨幣として子安貝を使用していました。実は、この子安貝(キイロタカラ)は、チャイナ沿岸では取れず、最も近い生息地は、沖縄とベトナムです。地理を考えれば、殷、周で使用されたのは、沖縄産の子安貝でしょう。つまり、沖縄は殷,周との交流があり、沖縄は殷。周文化の影響を受けていた。
また、本土の弥生遺跡からは、腕輪に使用された貝釧(カイクシロ)が出土しており、弥生時代の本土と沖縄の交流が示されています。(ちなみに、魏志倭人伝には、ヤマト国は、帯方郡から1万2千余里、会稽東冶(福建省)の東にあるとされています。たうまり、魏志の著者は、ヤマトは、沖縄,台湾あたりにあると想定していました。この想定も、太古以来、沖縄とチャイナ本土との交流がその基盤となったことでしょう。)つまり、倭全体が、殷文化の影響下にあったとも考えられる。
朝鮮でも、シャーマニズムの伝統は極めて強い。ムーダンといい、踊りながら憑依する。沖縄と同じく、かつては民衆の日常生活の一部となっていたが、社会の近代化と共に廃れつつある。しかし、シャーマニズムの伝統は、社会の奥深く潜行し、朝鮮で普及したキリスト教と結びつき、統一教会や摂理といった奇怪な宗教を生むこととなった。
シャーマニズムは、アジアの生活習慣に密着した主要信仰であったが、教義を持つ組織的宗教として発達することなく、近代化とともに衰退していった。唯一の例外が、日本神道です。なぜ、日本だけが、神道を成立せしめ得たのか。
解答は、崇神天皇が実施した、神人分離にあると考える。崇神は、それまで、宮中で日常に実施されていた託宣施設を宮殿から分離し、専用施設に移した。皇祖神を祀る伊勢神宮と国つ神を祀る大倭神社です。それ以前の祭祀では、聖地と祭祀のみがあったのでしょう。特定の時期にだけ聖地で祭祀が行われ、日常的には、住居で託宣が行われた。これを、改革したのが、崇神ということになります。
崇神の神人分離は、皇室のみならず、全氏族の託宣組織に波及したことでしょう。各氏族がそれぞれの神社を設立することとなったのではないか。神社組織の成立は、それを支える専門集団の成立を意味することとなります。禊、魂振り、祓いなどの神道儀式が洗練されてゆき、やがて度会氏など神官家により理論化もされることとなった。そして、律令の成立とともに全国的に神社の組織化が行われることとなった。国民的宗教としての神道の成立です。
神道で重視されたのが、清浄の実践です。神の託宣を受けるため、穢れを払い、心身を清め、素直な心で神に対峙する。基本的に、ごちゃごちゃした飾りは邪魔となる。清潔、簡素、明晰が指導理念となりました。神や世界の成り立ちに関わる理論も生み出されましたが、それよりは、神道を特徴付けるのは、明らかで清い心身状態を達成するための実践自体でしょう。神道専門集団は、その担い手として、それを可視化しました。神社の場所、神社の建物・インテリア、神官・巫女の衣装、神道儀式などです。ここに、神道は原始的なシャーマニズムと一線を画すこととなった。
諸外国に旅行すると、日本の建物景観の混乱と醜悪さに気付かされる。西欧人が偉大と称した江戸の町並みは、消え去ってしまった。しかし、他方、日本の都市の清潔さにも気付く。走っている車も綺麗だ。日本の清潔さに勝るのはスイスくらいなものです。スイスでは、道端にチリ一つないほど清潔だ。しかも古い建物もぴかぴかに磨いて生活している。スイス人が外国人嫌いなのはよくわかる。外国人の不潔さには耐えられないからだ。いや、清潔さに無頓着な外国人の意識に耐えられないというのが正確でしょう。清潔さを維持するためのは、非常な努力だ払われている。スイスの清潔好きの理由はわかりませんが、日本の清潔好きの理由は想像できる。それは、清浄を最大の価値をする神道によるではないか。
神道の影響は、清潔さのみにとどまらない。フェロノサは、桂離宮に日本美の真髄を見た。自然との一体化、簡素、素朴、極限までの無駄の殺ぎ落としです。英語では、Japanese minimalism という。自然のエッセンスのみを単純に表現しようとする思想です。桂離宮の美は、伊勢神宮の美と同じです。美を作ろうとしたのだはない。自然の中に神を見、神を求める。そのなかに、「はっ」とする感動がある。本居宣長のいう「あわれ」です。神道の「道」とは、森羅万象に神をみるアニミズムの下で神を求める情熱でしょう。桂離宮も伊勢神宮も原型はただの民家です。違いは、民家にも神を求める洗練にある。
この自然を探求する美意識は仏教にも及ぶ。仏教の原型は、ごてごてのキンキンキラキラです。古代のお寺は、極彩色であった。しかし、日本では、極彩色が色あせるにまかされ、建物も白木の部分が尊重された。仏教の日本化です。理論面では、神仏習合が成立した。日本人は神仏の区別なく、異能を崇拝した。
神道は、当然日本人の死生観にも影響した。人間も生死も自然の営みとして、自然を受け入れるごとく受け入れる。武士「道」の理想とするところです。日本では正邪の概念は発達しなかった。また、個人の名を歴史に名を残そうという意欲も、他国と比べると弱い。これも、人間も自然の小さな一部という神道理念によるのでしょう。正邪の判断基準を延々と論ずる西欧文明、歴史を鏡とし、死者の罪を死後にまで追求するチャイナ文明との違いです。武士道に限らず、柔道、華道など「道」の精神は、自然探求の道=神道ではないか。
残念ながら、グローバル化の世界で、神道精神だけでは生きていけない。西欧風の論理と論争の能力が必要です。しかし、日本人が、世界の中で存在理由を示すことができるのは、神道理念とそれを体現した日本文明でしょう。残念ながら、戦後、洗練を求めること、努力することは悪、というようなお粗末な教育思想がまかり通った。これにより、日本人自身が自分を見失うなかで、日本文明の存続基盤も失われつつある。ただ。形骸化したとはいえ、お正月には誰もが神社に詣でるという風習は残っている。もう一度、日本人として、その意味を考えてみてはどうか。