うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

NHKの改革

2007-08-28 14:36:02 | 政治・行政
2007/3/7(水) 午後 4:29

受信料制度の見直しが提案されている。受信料の不払い運動は下火になったようであるが、不払い者数は依然として多く、放置すれば、不平等感はたかまるばかりであろう。NHKの受信料を義務付けると同時に2割引き下げ、チャンネル数も削減するという。

放送は経済活動ですが、通常の市場原則が働かない分野とされています。放送の消費者は特定できず通常の取引態様ではサービスの提供ができない。経済学では、消費(番組視聴)に対し排除可能性(ただ見可能)がなく、公共財だとされました。このため、放送では、二つの提供システムが考案されました。一つは、公共放送。税金類似の方法で料金を徴収し準政府機関がサービスを行う。2つ目は、民放。広告料で、番組経費をまかなう方式です。

通常の財であれば、基本的には、消費者は自分の好みの価格・品質組み合わせを選択できます。しかし、公共放送では、選択が単純化され、(消費者の代理人たるべき)NHKが判断した財が提供されます。また、民放では、消費者は、広告主であり、視聴者は放送事業者が広告主に売却する対象物です。売却物たる視聴者はタダで番組を視聴できますが、タダという条件下での番組供給は、有料での視聴とは異なるパターンとなるでしょう。センセーショナルが、民放の行動原理となるのは、このためです。捏造もこの一環でしょう。

税金類似といいながら、戦後の日本では、前提となる料金の強制徴収が尻抜けという制度的不備のまま運営されてきました。戦前は、受信機設置は政府の許可であり、NHKとの契約がなければ設置許可がされませんでした。しかし、戦後この担保が外れたのに、受信料支払いが順調だったのは、世界的にみて稀有の事態でしょう。

この背景の説明には2つ考えられます。一つは、NHKの運営がすばらしく誰にも不満をいだかせなかった。もう一つは、国民が権威に弱くお上を無条件に信頼していた、また、反抗しようとすると村社会の圧力がかかった。

公共放送の問題は、政府はいかにあるべきか、という問題と同じです。料金(税)の水準はどうか、料金の負担態様は合理的か、運営は効率的合理的か、番組は国民の要望を反映しているか。今次の騒動の発端となたのは運営に関する不祥事でした。しかし、底流には、公共放送そのもののあり方に対する疑問があったのではないでしょうか。

いま、グローバル化の進展とともに、伝統的価値観が大きく崩れています。また、崩れるだけでなく、代わるべき価値観の多様化が進んでいます。この事態は、特定の一者が、公共を名乗り、国民を代表して価値判断することをほぼ不可能にしています。NHKと違う判断をもつ人は、当然受信料に違和感をもつでしょう。放送は、他の公共財と異なり誰もが等しく需要するものでないので、この違和感は重要です。特に、公共の名のもとに特定の思想・立場を刷り込むことを目的としているジャーナリストがいれば、なお問題です。政治からの独立性が問題となってますが、ジャーナリスト自身の判断の公共性をいかに担保するかのほうが、はるかに重要でしょう。残念ながら、この課題に対する解はありません。ジャーナリストは、個人としての価値判断から逃れることは原理的に不可能です。

アメリカにも、公共放送があります。地域レベルで地域の寄付金で運営され、これに連邦の補助があります。運営は、日本型の公共ではなく、民放で供給されない情報の補完がその精神です。つまり、「市場の失敗」を補うことが役割で、この場合は、価値観の多様化という現象と整合性があります。センセーショナリズムに流れる民放に対し、地味であるが有意義な情報や物事に対する別の見方を提供するものです。公共性を持った見解を提供することではなく、見解を多様化することが公共性という考えです。まさに、表現の自由が目的とする「思想の自由市場」を実現しようとする試みといえるでしょう。

価値観の多様化と並び、もう一つの大変化が、放送業界におきています。それは、地上波ディジタル化です。ディジタル放送では、アナログの特性である「消費の被排除性」がなくなります。つまり、スクランブル化により、契約者のみにサービスを提供することが可能となりました。アナログでもスクランブルはありましたが、簡単に解除できました。これが、ディジタルではほぼ完璧になります。衛星では、既にスカパーなどで実現しています。つまり、公共放送ではなく民間有料放送としての地上波NHKが可能となるということです。

以上の変化を踏まえたでのNHKの改革案は、いかにあるべきでしょうか。

まず、視聴率競争に参加する総合チャンネルは、公共放送として運営する必要はないでしょう。好きな人だけが契約する通常の市場原理に従う有料放送として自由に展開すべきでしょう。公共という非現実的な編成方針の束縛はない。政府の管理そのものから外れるわけですから、料金問題も運営問題も生じない。

つぎに、教育チャンネルはどうでしょうか。この視聴率は1・2%前後。明らかに視聴率競争からおちこぼれた番組の提供を目的としている。これは、アメリカ型の公共放送として生かしたらいいでしょう。寄付金と地域と国との助成金による県域局を単位として運営する。また、これらの局が、全国番組の共同制作母体たる中央連合組織を組成する。もともと多様な見解を提供することが目的ですから、特に異常な番組を除いて番組に対する違和感も薄いはずです。

と、ここまでが従来の仕組みの合理的展開として考えました。しかし、実は、さらなる大変化が放送界を襲っていることを考慮してませんでした。それは、いうまでもなくインターネット。ユーチューブのようなインターネット経由の動画配信が爆発的な人気を博しましたが、さらにIPTVという高品質の動画配信が実現しようとしてます。これらは、さらに番組多様化に寄与するでしょう。その場合、教育チャンネルは不要かもしれませんね。総務省では、通信と放送の本格的な融合法制を検討するとのこと、少なくともそれまでは、NHKの抜本的改革はお預けでしょうか。


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1 コメント

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企業・団体からの寄付も可能に (Piichan)
2010-03-02 16:07:21
NHKは総合テレビもふくめて寄付金で運営すべきだとおもいます。そして、NHKが製作したコンテンツは著作権フリーにします。

著作権フリーにすると2次収入が期待できなくなるので、NHKの番組のビデオソフトを販売している会社が寄付できるようにするために、企業・団体からの寄付も可能とします。当然、企業名・団体名は公表します。

NHK職員が高額寄付者と内通してかたよった内容の番組を制作しないよう、寄付者と番組内容に不自然な関連がないかどうか検証します。寄付をあつめる組織をNHKから独立することもかんがえるべきでしょう。
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