うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

鍋島向付 贋作

2015-01-18 20:15:58 | 文化

ヤフオクは、古伊万里贋作のデパートです。これは、ごく最近の例です。
最初は、恐らくは本歌と思われる江戸時代初期鍋島の向付です。昔の所有者は、向付に銀製のホヤを特注で作成し、香炉としました。
次のものは、恐らくヤフオクで高値で落札された画像を元に、どこかで意図的に作成された贋作です。画像コピーができるようになり、世界中どこででも人件費と罪悪感のない地域で、瞬時に一品物の贋作が可能となりました。
この例は、見て比べれば一見見分け可能です。贋作は、明らかに気品がないですね。この差は、色絵のわずかな色調の差、素地の質などから生じるものです。しかし、贋作だけを見れば、簡単に騙されてしまうでしょう。
色絵の場合は、釉薬の調合が違うので比較的には、贋作を見破りいやすいです。ところが、染付は、本歌でも様々な仕上がりぐらいがあり、素地精製度を上げたものを使えば見分けが極めて困難です。ましてや、ネットの写真で判断するのは困難でしょう。
悪いことに、日本の陶磁器の先生は、チャイナであり、先生が生徒の贋作を作るのですから、お茶の子さいさいといったところです。
古伊万里の最高峰は藍柿右衛門と呼ばれる手ですが、これは本歌と全く見分けがつかない物が、ヤフオクに多数出ています。
くれぐれもご用心あれ。

薩摩 牡丹菊紋壺

2015-01-17 21:29:00 | 文化


薩摩焼牡丹菊紋壺です。「大日本薩摩 文化2年梅花 」という銘が底にあります。文化2年は、1805年。江戸時代も後期に入り、文化も爛熟期になり、このような豪華絢爛たる焼き物が作られました。因みに、北川歌麿が、手鎖の刑を受けたのち逝去したのは、文化3年でした。
現代日本では、何故かこのような焼き物は人気がなく、薩摩の名品は日本にはありません。幕末、薩摩藩がパリ万博にこのような薩摩焼を出品したところ、絶大な人気を博しました。薩摩焼は輸出の花形となり、日本中が薩摩風の焼き物を作り出しました。
欧米の骨董店には多くの薩摩焼が並んでいますが、多くは明治のものです。これは例外的に江戸時代のものでした。ということで衝動的に購入してしまいました。江戸作品の図録と比較してますので、時代は確かと思っています。