うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

盛期色鍋島宝珠紋7寸皿

2012-07-17 19:05:02 | 文化
ついでに、もう一枚盛期鍋島と思われる皿をアップします。
これは、アメリカのオークションで入手したものです。アメリカ人には宝珠の向きが理解できず逆さまに写真が撮られているのは、御愛嬌です。
この皿、本歌か否か、また、時期について確信がもてませんでしたが、たぶん本歌と思います。
図録によくある宝珠紋は、地紋が濃い赤の梅のものです。この皿は地紋が細かい松竹梅で色合いも薄くなっています。色鍋島の模様変遷は、単純明快から複雑へと変化していきます。また、色合いも薄く変化していきます。その意味で、これは、盛期の末期、色絵が許されるぎりぎりの製作ではないか、と考えてます。
色絵は、享保の改革以降製作されなくなります。ただし、浅黄色のものは許すとされました。以降、色絵は、基本的に赤だけを利用して作成されました。
この皿は、地紋は3色を利用してますが、全体の印象は浅黄の雰囲気があります。ひょっとして、これは幕命の範囲内としてその頃作成されたのかもしれません。
なお、この皿の裏模様は、満開の牡丹3つの花折れ紋で、盛期のものとされてます。
いずれにしても、手取りは鍋島の分厚い感触で、書き込みも、ご覧のように気の遠くなるようなものです。ただ、明治以降の創作の可能性を100%否定はできないところが素人の悲しさです。
ところで、小生実はもう一枚盛期鍋島と思われる7寸皿を所持してますが、その紹介は、また別の機会に。

(補足)実は、その後、浅黄の意味を誤解していたことが分かりました。浅黄とは、ネギの白い部分と緑の部分な間の色、薄緑色のことだということを学びました。自分の無知を恥じるのみえす。幕命は、青磁は許すとの意味でしょう。ということは、この皿は、明治の可能性が高くなったということでしょうか 。

盛期鍋島だいこん紋大皿

2012-07-16 19:39:54 | 文化
ほれぼれするように美しい青磁鍋島、三〇センチの大皿です。ロンドンのクリスティーズで落札しました。クリスティーズでは、17C本歌色鍋島7寸皿2枚も同時に出品されてました。そちらの方は、スタート価格も桁違いで参加できませんでしたが、こちらは、19C江戸との評価で、小生でも参加可能のスタート価格でした。それでも、小生には清水の舞台から飛び降りるような気持ちでしたが、今がこういうものを買う最後の機会と思って決断した次第です。
鍋島は、明治に大川内崩れの職人が平戸などに流れ、鍋島写しを多く作ってます。また、10代今衛門は、鍋島の復刻に努めました。従って、これが19世紀の江戸であるか、19世紀の明治であるかによって、その価値が天地の如く異なることになります。
オンライン入札ですから、残念ながら現物に当たって明治かどうかを確認はできません。さて、どうするか、リスクを承知で入札するかどうか。
結局、クリスティーズの江戸という判断を信じることとしました。クリスティーズは、本歌鍋島の扱いに慣れており、明治を江戸と誤認することはないだろうという、一種のブランド信仰ですね。
落札後、現物を見たところ、写真に勝る迫力に圧倒されました。呉須と青磁釉の単純な色彩構成と皿いっぱいに広がった純日本的なこれも単純なデザインが、力強さを生んでいます。果たして、これは、19世紀の後期鍋島か。
裏模様は、後期鍋島の太宗を占めるカニ牡丹紋の両側のつぼみがない模様です。クリスティーズは、裏模様の牡丹模様を見て、19世紀と判断したものと思量します。しかし、裏模様を時系列で纏めた写真入論文によれば、なんと、両側のつぼみがないこの皿のものは、盛期の後半、つまり18世紀前半享保の模様と分類されているではありませんか。
この大根の表模様は、前期から盛期の鍋島のもので、後期ものではありません。しかし、鍋島は、絵手本があり、それを忠実になぞって作成するものなので、享保以降にも例外的作られたものがあるのでは、また、盛期のデザインであれば後期でもいいか、と思って入札したのです。しかし、裏模様が盛期のものであれば、表模様は盛期であり、盛期製作ということで平仄がとれます。
しかし、なんといってもこの作品が発するオーラが盛期ではないかということです。ということで、小生の判断として盛期と考えてます。
仮に、この判断が正しいとすれば、大きな堀出し物をしたことになります。しかし、なんでも鑑定団を見ていると、オーラに惹かれて購入したものがガラクタという例も多々あります。小生の収集品はいずれ公的機関に寄付しようと考えてますが、その時ガラクタとして受け取り拒否されるのでしょうか?