うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

限定正社員制度と日本社会の変革

2013-06-14 18:25:22 | 経済

アベノミクスの第3の矢に対する失望で、株価が暴落している。アメリカのQE3終了観測とチャイナの景気減速が重なったことも運が悪かった。

規制改革は、金融緩和のように意思決定のみですぐにできるものではない。例えば農業規制には、それに依存している多くの生活者がぶら下がっている。この人達を敵に回すことは選挙前には得策ではないだろう。医療にしても同じことだ。

しかし、現状維持では、経済の低迷で、利権維持すら中・長期的には確保困難になるだろう。つまり、利権擁護の抵抗主義者は、近視眼に囚われている。国民に、いかにスムーズに苦い良薬を飲ませるか、これが政治のリーダーシップというものだろう。

この点から見ると、第3の矢には、一つの画期的な項目が含まれている。それは、限定正社員の検討だ。まだ、言葉のみで具体的内容は今後に待たなければならないが、しっかりしたものができれば、日本社会を根底から変革するものになるだろう。

限定正社員とは、地域あるいは職種に特化した正社員のことだ。その含意は、地域事業所または職種がなくなれば、解雇されるということだ。逆に、地域または職種が存続する限り正社員として雇用は継続しなければならない。

この議論が出てきた背景は、一つは雇用の流動化の促進のための解雇規制の緩和要請、もう一つは、全労働者の4割近くを占めるようになってしまった非正規労働者の待遇改善の要請だ。高度成長期に適合した日本型労働慣行は、経済の成熟とともにさび付き、大量の恵まれない労働者を生み出してしまった。その原因は、法制度的に恵まれすぎた正社員制度にある。

連合は、既得権益の擁護にやっきだ。そして、擁護のアリバイつくりの口先だけの非正規労働者支援を訴える。経済音痴の国会も5年継続雇用の非正規社員の正規化義務を法制化してしまった。しかし、法律で、雇用を生み出すことはできない。企業は、単に雇用を外国に移すだけだ。そうしなければ、企業はつぶれて、経済は衰退し、更に雇用は失われる。

実は、この限定正社員の考え方は、特異な制度ではなく、世界標準だ。逆に日本型正社員制度が特異なのだ。労働契約は、労働の対価を定めるものだ。世界標準は、労働内容を示し(job description)それに対価を支払う。労働内容を定めない日本の労働契約は、世界の不思議といってもいい。

しかも、それは不思議に留まらず、労働者の権利を侵害するものだ。労働者は、無限低に使用者の命ずるまま何でも従わなければならない。この理屈を悪用して極限まで労働者を追い詰めているのが、所謂ブラック企業だ。れっきとした大企業でも、追い出し部屋というものがある。企業内の余剰人員を座敷牢的な施設に押し込め、自ら退職を希望するよう強要するものだ。

日本の正社員は、これだけの経済的成功を達成しながら不幸だと思う。いつもあくせくし、気がやすまるときがない。有給休暇の消化率が悪いのも、サービス残業がなくならないのも、育児休業を取らないのも、すべてこの正社員制度のせいだ。(なお、正社員制度の特典を享受しながら、全く負の側面と無縁なのが、公務員だ。官公労を主力とする連合が、正社員制度を死守しようとするのは、けだし当然か。)

ことは、労働問題に限らない。女性差別、障害者差別も、その根幹は、正社員制度ある。労働内容の応じた賃金を支払う制度であれば、企業にとって義務さえ果たしてもらえば女性や障害者を拒否する理由はまったくない。しかし、無限低の仕事をさせ、なおかつ年功賃金制度を適用するとなると、女性、障害者の雇用は、経済合理性に反する。

世の差別反対論者は、差別は意識の問題だとナイーブに考えている。安倍政権の第3の矢にうたわれている女性の活用のスローガンもそうだ。保育所を設置して、女性活用の数値目標をかかげれば事足りるとする。しかし、問題の本質は、女性や障害者が対応困難な無限低労働制度にあり、これを解決することが、女性の社会進出の最大支援策だろう。

欧米社会は、日本を封建的な女性蔑視社会と考えている。そして、一部の愚かな「知識人」やマスコミが、日本の後進性を国際社会に吹聴している。しかし、それは事実に反する。糾弾すべきは、日本型労働制度であり、人々や社会の意識ではない。

(類似の問題に、外国人等の住宅賃貸差別の問題がある。日本では、借家人が過保護であり、家賃を払わなくても追い出すことが困難だ。このため、入居にあたり、資格審査が厳しくなる。また、それでも無理に追い出すためには、暴力団の力を借りるしかない。裁判官の愚かさが、差別を助長し、非合法勢力を温存する結果となっている。)

さらに、職種別に労働を整理することにより、日本社会に決定的に欠けている専門性を育成し、プロフェショナリズムに基づいた社会に変革することが可能となる。欧米では、職種毎に、専門家集団や協会が形成され、職業知識の開発と普及に努めている。

例えば、ジャーナリズムや広報。大学にも授業があり、理論を研究すると共に、実践教育が行なわれている。そして、そういう実践教育を受けないで、ニュース・キャスターや広報官になることは考えられない。日本では、これらは、すべて素人が見よう見真似でやっている。日本のマスコミがお粗末なのは、当たり前だ。広報に至っては、専門職種とすら認められていない。

より、深刻なのは情報処理技術だろう。地方自治体などでは、システムが理解できる人間が存在しない。ベンダーにおんぶに抱っこだ。情報システムは、現代の読み書きそろばんだ。読み書きそろばんが出来ない人間が、行政を行なっている。日本型労働慣行の弊害はかくも深い。

残念ながら、いまだ、限定社員制度の詳細は不明であり、従来の日本型労働慣行を支持する考えは経営者の中にも根強い。日本企業の強さは、ここから生まれたと考えている人も多い。確かに、一部幹部候補生に対しては、有用だろう。実際、年功賃金体系は、戦前は一部エリートにのみ適用されていた制度だ。間違いは、戦後すべての労働者に制度を広めたことだ。

改革の方向は、限定正社員制度を雇用の原則とすることだろう。ただし、従来型の制度も、一部の将来の管理職登用人材に対して残せばいいだろう。また、限定正社員にも、管理職登用に耐える人材は、中途から正社員に職種転換できる道を開いておくことも必要だ。そして、それを民間任せにせず、まず公務員から適用し、それを民間に広めていくべきだ。

東京ウオーター・ルネッサンス  ー東京都知事への提言―

2013-04-26 19:08:36 | 経済


かつてシドニーに暮らしたことがある。シドニー・ハーバーに浮かぶオペラハウスは、シドニーの象徴だ。これは何をイメージしたものか。貝殻かヨットの帆とされる。目をシドニー湾に向けると、実は、無数のヨットが浮かんでいる。大きな貨物船も入り、その上、市民の足となっている海上バスも分刻みで運行している。そのなかで、よくまあ事故が起きずにすんでいるなと感心してしまう。

我が東京はどうか。レインボー・ブリッジからの眺めは、シドニー・ハーバーに負けないほど美しい。しかし、そこに欠けているものは、ヨットだ。かわりに、醜悪(関係者には申し訳ない。しかし、ヨットとの比較です。)な宴会遊覧船だ。

東京はもともと水の都であった。それは、江戸時代までの輸送手段が海運にたよっていたことと無縁ではない。江戸の町には、水路が張り巡らされ、そのインフラが、当時の世界最大の人口を擁する都市を支えたのだ。運送に限らず、浮世絵に数多く描かれているように舟遊びは、庶民の娯楽でもあった。いまも、水路自体は日本橋、築地、芝浦などに数多く残されている。

東京は、シドニーに匹敵する海洋レジャーの潜在力を持っている。しかし、その潜在力が死蔵されている。今水路を利用しているのは、ほんのたまに通るゴミ運搬船くらいだ。

シドニー湾は入り組んでおり、陸地に20キロ以上入り込んでいる。そこかしこにある入り江は、全体を覆うようにびっしりとヨットが係留してある。また、自宅にモーターボートを持っている人も数多くいる。ハーバーには、public jetty、 誰でも使える駐車場付きのボート積みおろし発着設備がある。シドニー・ハーバーに面して数多くの豪邸があるが、そのステータスを示すものが private jetty の存在だ。自宅の庭先からボートやヨットに乗り、レジャーに出かける。

日本が貧しい時代、人々は日常的に舟と暮らしていた。世界に冠たる先進国になり、国民が豊かになった今、海洋娯楽は人の手の届かないものになってしまった。

日本には、すばらしい海岸自然環境があり、モーターボート(自動車より安い)やヨットを購入する資力も十分ある。しかし、世界標準の海洋娯楽は楽しめない。

なぜか、海洋娯楽インフラがないからだ。東京でヨットやボートを楽しもうと思えば、石原慎太郎や、加山雄三が楽しんだ湘南の葉山のマリーナ(あるいは更に遠い油壺)に行くしかない。係留施設は限られ途轍もなく金がかかりそうだ。その葉山マリーナですらドライヴがてらに立ち寄る感じでは、経営状態は良好ではなさそうだ。

東京を世界標準の海洋娯楽都市にするために、いまある水路に係留施設を設置し、年間使用料をオークション方式で売ることを考えるべきだろう。収入は、更なる施設整備と水路の美化に当てればいい。都の水路整備管理予算の削減にも寄与するだろう。

東京湾にヨットが溢れる日、それが東京が世界標準の都市になった証となろう。

(日本で係留施設の整備が進まない原因はなにか。それは、漁業権のせいだと聞いたことがある。日本の海は、公共のものではなく、どこかの漁協のものなのだ。漁民が少しでも漁の妨げになるものを嫌うのは良くわかる。しかし、漁業が不振の今、漁協は、単に漁業振興を考えるのではなく、総合的に海洋資源の活用を考えるべきだろう。大規模な係留施設を整備すれば、漁協の関連収入もふえるだろう。)

(現在、安倍政権は経済成長戦略を策定中であるが、海洋インフラの整備による海洋娯楽需要の開放は、大きな力になるだろう。仄聞によれば、議論は、かつての通産省が行なったターゲティング政策に類似したものになるという。これは、過ちだ。官僚と特定産業の癒着以外のものは生まれないだろう。政府は、制度を含む広い意味での産業インフラの整備に特化すべきだ。税制、知的財産権制度や地籍整備など。医療では、治験をめぐる制度。海洋娯楽関連のインフラ整備も、世界水準から大きく遅れているという意味で、優先的に取り組むべきだろう。)

日銀のインフレ目標

2013-01-23 18:19:16 | 経済


昨日、日銀が、2%のインフレ目標を採用し、政府とともにその達成に努力することになった。安部総理は、これは、画期的なことと自賛した。しかし、それは、自賛に値することなのだろうか。

ロイター・ニュースは、次のように述べる。

日銀は今回、2014年から期限を定めない資産買い入れ方式を導入することを決定したが、2013年に関しては現行方式を継続するとした。現在の残高目標は2013年12月末までに101兆円であり、13年の増額規模は36兆円となる。だが、今回、日銀が発表した2014年の残高増額ペースは10兆円程度で、それ以降も残高は維持されるとしている。国債の償還などもあり、単純に比べることはできないが、市場では「2014年の緩和度合いは弱まるとの印象を与えてしまう」(シティグループ証券チーフエコノミストの村嶋帰一氏)との不安が広がった。
長期国債の買い入れペースも償還などを踏まえると現在は13年上期が1.9兆円、下期が2.5兆円程度と推計されているが、今回決定された14年の買い入れペースは月間2兆円。買い入れは無期限とされているが、緩和強化のイメージには結びつきにくい。

つまり、今年は国債保有残高は、30兆円増やしたが、来年は、10兆円しか増やさないといっているのだ。更なる金融緩和というからには、2%に達するまで、残高の増加ペースを上げていかなければならない。ところが、増加ペースを鈍らせるという。さらに、問題は、今年は始まったばかりといいうのに、何故来年のことをいうのか。レームダックと化した白川総裁の来年の政策を先取りしようという最後っ屁といいていいような内容だ。

安部総理は、この日銀の面従腹背を忘れるべきではないだろう。日銀法改正と改革派総裁の任命で、仇をとるべきだ。幸い、市場の動揺は、現在のところそれほどでもない。それは、日銀がいかに足掻こうとも、すぐに新総裁が任命され、本格的な金融緩和に踏み切るだろうという期待があるからだ。総理がこの期待を裏切ればアベノミクスは、失敗に終わる危険性が増すことになる。

時あたかも、ドイツと韓国が、日銀の独立性を侵害する行為は、通貨安競争を招くと評した。日本のおろかなメディアが大々的に報じている。しかし、ドイツも韓国も、輸出市場で日本の競争相手だ。ドイツは、ユーロ危機による通過下落で、わが世の春を謳歌している。韓国は、通貨操作をやり放題、ウォン安で、日本の日本企業を破綻の淵に追いやっている。この、2国が、日銀の独立性をいうのは詭弁だろう。本音は、日本に復活して欲しくないだけだ。こんなことみ見抜けない日本のメディアは、お粗末だ。日本のやろうとしていることは、アメリカやヨーロッパが既にやっていることに過ぎない。

しかし、国際関係で、自国の不利益ななりそうな事態に対して、即座に牽制球を投げるという両国の態度は、世界標準だ。我が国には、残念ながら、そんな体制も意欲もまったくない。(もともと何が利益かの判断もつかないのだろう。なにせ、自己認識不在の国だ。)ことは、金融政策に留まらない。我が国の対外広報体制には、致命的欠陥がある。早急に改革が必要だろう。

PS: アベノミクスへの批判として国債金利急上昇による財政破綻をいうものが多い。しかし、これは的外れ。そうならないように、日銀が国債を無制限に購入すればいいだけの話だ。

一兆ドルコインの発行

2013-01-23 17:59:14 | 経済


アメリカで政府支出の上限規制を避ける方策として、一兆ドルコインの発行というアイデアがあるそうだ。コインの発行は、連邦政府の権限とされ、議会の承認がいらないという。コインをFRBに預金して、FRB資金を同額引き出す。

日本でも、政府通貨を発行し、日銀に預けるということがかのうだろうか。法律では、政府通貨を発行する場合には、同額の資産積み立てが必要ということになっているようだ。しかし、法律は変えればいい。

アメリカよりも日本で、政府通貨の発行は必要だろう。なにをする為か。政府の借金をチャラにするためである。

そもそも日銀券とは何か。これは、本来日銀の債務、言い換えれば借用証書だ。金本位制だったときには、日銀券自体が金価格を体現しており、日銀券を日銀に持ち込めば相当額の金に交換でき、日銀債務は解消される。

アメリカも金本位制だったが、ニクソンは金兌換を停止し、以降、ドルは政府の信用のみで流通することとなった。日本も同様で、固定相場の時は政府の信用を介してドル・金と間接的に連動していたが、変動性とともに、実物資産との関連は、制度上は完全にたたれた。ただし、日銀は、ある程度の金などの実物資産を所有し、日銀の信用力を補完している。しかし、これは、単なる気休めにすぎない。

通貨の価値あるいは「物と交換できる力」は、現在では、中央銀行の信用力のみに依存し、それが崩れれば、ただの紙切れにすぎない。ハイパー・インフレはこうして生まれる。中央銀行の使命が物価の安定イコール通貨価値の安定とされる所以だ。

ハイパー・インフレを停止するには、通貨の流通量を抑える必要がある。そのためには、応急処置としての預金封鎖、恒常処置としての財政バランス維持が必要だ。敗戦直後の日本が実際におこなったことだ。旧紙幣及び銀行預金は、紙くずとなった。

さて、現在の日本である。政府純債務は600兆円を超えている。しかし、残高よりも問題なのは毎年の新規財政赤字だ。大雑把に言って、90兆円の予算の内45兆円が国債発行だ。半分も税収でまかなっていない。毎年、国債残高が、その分増加する。これで、金利が上がれば、更なる財政再建は不可能だ。新規の赤字国債発行を解消することをプライマリーバランスの回復というが、これが待ったなしの状況だ。

民主党の野田総理は、財政再建のため3党合意により消費税増税法案を実現した。しかし、デフレ下で増税しても景気悪化で税収は上がらず、かつ国民には耐え難い負担を強いることになる。

そこで、登場したのがアベノミックスだ。日銀にインフレ目標を課し、金融緩和を進める。安部総理の不退転の意志に応じ、まず外為市場が反応し、ついで株式市場が反応した。株式市場の活性化は、資産効果で景気浮揚に役立つだろう。So far, so good だ。

ただし、課題は残る。それは、政府債務残高だ。現状では、とても制御できる見通しは、立たない。特に、デフレ克服のために金融政策をあわせ大幅な財政出動を計画しており、見通しは更に悪化した。

政府債務は、どうやって解消するのか。課税強化により税収の増やし債務を返済するというのが通常のやり方だ。国債は、将来世代に対する税負担によるしか解消できない。だから、「未来の収奪」と言われる。

将来世代は、ギリシャ国民の苦難を甘んじて受けなければならない。増税する。支出も切り詰める。公務員の給与は下がり年金を削減しなければならない。国に防衛もままならなくなるだろう。暴動も起きる。増税も消費税30%でも追いつかないかもしれない。

しかし、ここに奇策がある。政府が、政府通貨を発行し日銀に預金するのだ。そして、日銀保有の国債と相殺する。増税を行なわずに借金をチャラにする。

この方式の利点は、その時点では、通貨流通量が膨張しないことだ。既に発行された国債の償還だから、追加のインフレ要因にはならない。日銀は、国の特殊法人、つまり子会社と言っていい。親の借金を子が債権として持っている。一家が危急のときには、一心同体として、貸し借りをなかったことにすればいい。

これで、将来世代は、将来の増税による国債償還のくびきから解消される。ギリシャの悲劇は避けられるのだ。逆に、ギリシャは、ユーロという共通通貨を縛られているため、こういう手法が使えない。ここが、ギリシャと日本の違いだ。

ただし、この手法が使えるためには、条件がある。それは、これを何回も使うわけにはいかないことだ。たぶん、一世代に一回限り位には許されるくらいだろうか。何回もやるということは、まさに、財政の金融ファイナンスであり、確実にハイパー・インフレになる。

では、どのように行なえばいいのか。まず、日銀は国債購入規模を、可能な限り拡大させる。これは、相殺後の国の借金額を可能な限り減らし、相殺後の財政健全化を維持するためだ。さらに、財政のプライマリー・バランスの回復が欠かせない。借金をチャラにしても、また、新規に借金をしては、もとの木阿弥だ。さらに、前科があるのだから信用がない。これも、ハイパー・インフレへの道だろう。

この条件さえ満たせば、国債の政府貨幣発行による償還は、特に実態経済への実害はないように思われる。冒頭のべたように、現在の通貨は、単なる物の相対価格を決める符号にすぎない。絶対的な価値はないものだ。ただ、物差しではあるので、むやみにルールは変えられない。ただ、変えることが、必要な場合には躊躇すべきではないだろう。

ただし、ハードルは高い。プライマリー・バランスの回復だけでも、財政赤字拡大の元凶である社会福祉の大幅な見直しは不可欠だ。さらに、秘密裏の周到な実行準備が必要だ。金融行政の構造改革も必要だろう。しかし、将来世代を無意味な増税で苦しませるよりは、はるかにましだろう。

日本の労働制度(年功賃金制度から専門知識重視の職能賃金制度への転換を)

2012-10-02 18:41:02 | 経済

ワーキング・プアの問題が顕在化して久しい。バブル崩壊後、就職氷河期が慢性的化し、企業内訓練を得られない非熟練労働者が増加した。さらに、グローバル競争の激化により、製造業の競争力維持のため賃金の下方修正圧力が高まった。企業は、こぞって契約社員、派遣労働者、パート労働者、外国人研修生などの非正規労働者の活用に走った。かつて、正社員のお茶汲み職員は、どの企業にもいたが、今や完全に絶滅し、派遣に取って代わられた。

彼らの労働条件は厳しい。故に、社会問題化した。民主党政権は、今回、労働者契約法と労働者派遣法を改正し、長期の派遣契約を制限するなどの規制により、非正規労働者の正規雇用への転換を促す法改正を行なった。

しかし、この改正は、企業に、新たな抜け道対策を立てさせるだけに終わり、非正規労働者の保護には、ほとんど効果がないだろう。むしろ、現に日雇い労働に従事している若者を苦しめることになるおそれが高い。労働条件は、法律ではなく、労働需給で決まる。法律は、形式を整える意味しかない。企業が、新たな形式的対策を講じるだけだろう。解決は、単純労働の労働需給を調整することだ。とりあえず、就労目的の留学生は、直ちに受け入れ停止にすべきだろう。

非正規労働の問題は、経済学的には、差別の問題だ。同一労働、同一賃金の原則が貫かれていない。同じことをやっていて、正規と非正規で労働条件が異なる。そして、非正規には正当な労働の対価が支払われない。

他方、企業の人材が外国企業に流出し、技術ノウハウの無償移転が進行中である。日本の産業競争力を支えた中小企業の金型技術者は、チャイナで再就職し貴重なノウハウを無償でチャイナに移転した。日本の金型産業は壊滅状態だ。近年の日本の電子産業の崩壊に伴い、大企業の技術者が、大量に、チャイナ・韓国企業に再就職し大手を振って無償技術移転を行なっている。いままた、原子力技術者が狙われているそうな。特に、幹部技術者にたいしては、役員待遇の高額な給与でヘッド・ハンティングを行なわれている。

ヘッド・ハンティングは、外国ではもっと盛んだ。もともと終身雇用慣行のない国では、日本的労働条件は無意味なものだ。労働者は、より良い条件を探して転職する。これは、当たり前のことであるとともに、普遍的なものと認識しなければならない。転職には、コストを伴う。引越しと同じだ。しかし、転職コストを上回る条件が提示されたら、転職しない方がおかしい。

企業は、知的財産保護活動により、ノウハウの移転を防ごうとするが、転職が基本的人権である以上、これにも限度がある。かつて、週末に日本企業の技術者がチャイナ・韓国で技術指導を行なっていて問題となったが、こういうスパイもどきに活動にしか適用できないだろう。現在の退職者の再雇用やヘッド・ハンティングには無効だ。

人材を通じた技術流出を防ぐには、その人材が持つ価値に等しい賃金を支払うことが基本的な対策だろう。その上に、知的財産保護規制をかけるのでなければ効果はない。社内の給与の横並び意識に縛られ、有用人材の労働価値を評価しないことが人材を通じた技術流出の原因だ。

こうして見ると、ワーキング・プアの問題も技術流出による競争力低下の問題も、日本の賃金制度に原因があることが解る。日本では年功賃金制度が支配的だ。これは、若いうちは会社への労働価値に満たない賃金で働き、年を取ってからは労働価値以上の賃金を受け取る仕組みだ。そしてそれを補完する仕組みとして終身雇用があり、企業内労働組合がある。しかも、この慣行は、解雇権を厳しく制約した判例により制度化されてしまっている。

この慣行は、現在転換を迫られている。その象徴が、ワーキング・プアの問題であり、技術流出の問題だ。ワーキング・プアの問題は、単に賃金差別に留まらない。結婚を困難にし、少子化を促進し、年金・医療制度を破綻させつつある。他方、技術流出は企業の競争力を低下させ、企業破綻により、失業を増加させたり賃金水儒を低下させる。そして、ワーキング・プアの増加に繋がる。

現代日本で当たり前とされる年功賃金体系、これは戦前から日本にあったものではない。戦前は、大学卒など、一部エリートにしか見られないものだった。一般職工は、職業能力毎の社会的な一般的な賃金水準か形成されており、職工は頻繁に雇用主を変えていた。一般にまで終身雇用が普及したのは、戦後の高度成長時代。人手不足が常態化し、継続雇用のインセンティヴが必要とされた。労働者の供給元の農村の統治が、民俗学でいう年齢階梯型支配原理という年功原理によっていたこともこれに寄与した。

残念ながら、高度成長という条件が崩壊したいま、年功賃金体系から離れ職能に応じた賃金体系に移行することが、社会全体として必要だろう。

職能賃金体系の社会はどんなものか。欧米では、労働組合は、職能別に組織される。職能毎に、会社横断型の労働組合が存在し、その職能を保有する人間の労働条件を交渉する。同一労働、同一賃金が原則は自動的に達成できる仕組みだ。ただ、習熟度により、若干の昇給制度はあえる。しかし、習熟した段階で、昇給は打ち止め、一生その賃金で働くことになる。昇給するためには、新たな能力を身につけ、新たな職務区分に移ることが必要だ。

定年もない。具体的な能力低下が認められないかぎり、老齢を理由に解雇することは不当な差別だ。解雇は、企業がその技能職務を必要としなくなる一定の条件があれば、柔軟に実施できる。ただし、ここでも、不合理な差別は禁止される。例えば、解雇順序。アメリカでは、解雇やレイオフは、採用経歴の浅いものからという慣行が確立している。また、三振制という慣行もある。これは、ある職務能力があるという前提で採用されたのに、3度職能を果たせなかった場合、3度目の警告で解雇できるというものだ。

職能給制度は、経済政策にも影響する。例えば、豪州。ここでは、政府が、各職種毎の労働需給状況と賃金を詳細に調査している。それを、移民数許可政策を連動させている。ある職種の需給が逼迫すれば、それを緩和するためにその職能を有する移民を入れる。ちなみに、一時期、日本人が移民しやすい職能は、日本料理の料理人だった。

賃金体系の具体例として、国連の国際公務員を紹介しよう。この賃金体系は、アメリカの公務員の人事体系に影響を受けたといわれる。ここでは、職員は、3つのカテゴリーに分かれる。G(一般),P(専門),D(管理職)だ。GとPには、数段階の習熟度グレードが用意される。Gは、経理、タイピストや通訳などの現地採用職員で、その賃金体系は、現地の職能賃金水準による。Pは、本来職務に拘わる専門職で、大卒を想定している。Dは管理職だが、それぞれのポストについて職務記述書が明確に決められていて、それに応じた個別給与だ。また、これは公募ポストでもある。内部のPから昇進することが多いが、あくまでも組織外の応募者との競争になる。ちなみに管理職の公募制は、民間企業でも一般的だ。欧米の新聞や雑誌では、管理職の詳細な雇用条件と職務記述を記載した広告がわんさと載っている。社長など組織の最高責任者にいたるまで、公募されていることがある。

日本では、年功賃金の正規雇用の維持を金科玉条に、近年さまざまな労働関係法改正が行われてきた。企業内労働組合もこれをバックアップしてきた。しかし、その試みは、我が国が置かれた低成長の経済環境では、経済合理性を欠く。言い換えれば、ガラパゴス人事体系を温存するために、更にガラパゴス化が進むようなものだ。いまや、世界標準の職能型労使慣行に移行することが必要だろう。

すでに、正規雇用は、過去の幻想と化そうとしている。非正規雇用は、一種の職能賃金制度とみなすことが可能だろう。つまり、昇給のない、職務給によっている。しかし、正規雇用幻想が建前の法制上は、その存在が望ましくないとして継子扱いされている。そのため、正規雇用に移行するまでの一時的労働と見做され、その労働条件は劣悪なままだ。我々は、実態をありのままに見、制度の改善に取り組むべきだ。

改革の方向は、職能賃金体系への移行だ。労働の市場評価に応じた適正な差別のない賃金を支払うべきだ。定年を設けない。職務を果たしている限り、会社は、その職能全体が不要とならない限り解雇できない。企業は、解雇規制が緩むので、採用を増加させるだろう。

職能賃金制度の長所に、労働者の人権の保障程度が高くなることもある。日本の終身雇用制度では、労働関係が身分関係に転化する傾向がある。日本人社員は、組織内で出世するためには、無限定の評価と忠誠競争に晒される。ここに、上司が付け込み、理不尽な要求を行なうこともあるだろう。サービス残業の発生の一因は、この無限定競争も一因だ。職能賃金は、労働者を無限定競争から開放し、職務遂行以上の義務を負わせない。

職能賃金体系下では、労働者の側にも、自己の市場価値を向上させようとする切実なインセンティヴが働く。学校も、うかうかしてはいられない。必要な能力を授けない学校は容赦なく淘汰される筈だ。今の日本の大学(文系)は遊園地だが、アメリカ並みに、普通に学問をする場となるだろう。

社会全体の専門知識レベルを向上させることにも寄与するだろう。国際会議で活躍する人材は、欧米ではほとんどPh.D 保持者だ。対する日本側は単なる大卒だ。アメリカでは、大卒は日本で言えば高卒の感覚だ。修士で大卒感覚、専門的な事柄を議論するためには、Ph.Dが、必要条件だ。日本のゼネラリスト大卒では、国際展開には遅れをとる。日本の外交官は、試験合格の後大学を中退して就職するが、これがいかにおかしいことか。また、日本では大学院卒は、組織内で使い難いとの理由で、就職困難となっている。なんという無駄だろうか。

福島では、原子力保安院の長官が、技術のことは判らないと事故対策から離脱した。これは、社会が専門知識と無関係に組織されている悪弊の最たるものだろう。アメリカのスリーマイルでは、原子力委員会委員長が、事故対策の全権を握り事故収束にあたった。調整だけの官僚国家と専門知識による人事原則が貫徹されている国との差は歴然だ。

職能型労働慣行は、専門知識の発達を促す。アメリカの大学を見ると、学科数が日本の数倍ある。社会の複雑化により必要な専門分野の数も飛躍的に増加している。アメリカの大学は、その要請に的確に応じてきている。それに対し、日本の停滞は明らかだ。大学は、秋入学といったくだらない問題に拘わるより、もっとやるべきことがあるだろう。

日本の社会・企業が抱える課題を解決するためには、労働慣行の改革が不可欠だ。ただし、これには、副作用もあるだろう。たとえば、管理職、いままでは、部下が管理職の意を体して業務を行なってきた。しかし、職能組織では、部下は部品としての機能しか果たさなくなるだろう。部品をいかに組み合わせてて機能させるか、それを事細かく調製するのが欧米に於ける管理職の仕事だ。「よきに計らえ」型管理職は、機能しなくなるだろう。また、職務インセンティヴも変化するだろう。忠誠意欲や競争意欲を持つ人は、PからD、あるいはDの上位への移行を狙う人に限られるだろう。例えば、日本企業のお得意の小集団活動には、新たな動機付けが必要になろう。

社会保障の体系も、変革する必要がある。雇用を妨げる人頭雇用税(社会保険)や配偶者所得控除限度額を廃止し、雇用に対し中立的な負担にすべきだ。それにあわせ、職業訓練を重視するスウェーデン型の福祉政策に転換する。労働・福祉法制の抜本的な見直しが必要だ。

我々は、自身の働き方を根本から見直し、将来を切り開いていかなければならない。現在の労働慣行は、議院内閣制と同じく、耐用年数を超えた。グローバル化により、国境を越えた労働価値の平準化が起きている。企業は、職能型賃金制度への移行により、グローバル化に対応しなければならない。国内人事制度と海外人事制度のシームレス化も必要だ。労働慣行の改革は一朝一夕に進まない。しかし、経営者、労働者、政治家、すべての政策担当者が新たな仕組みつくりに努力していく必要があるだろう。

日本のエネルギー政策

2012-09-05 18:59:13 | 経済

政府が新たな原発政策をまとめるそうだ。再生エネルギーの促進による脱原発の方向だろう。しかし、これは、僥倖に期待しておろかな大東亜戦争に突入した戦前の指導者の決定に似ている。仙石元官房長官が認めるように、再生エネルギーの技術革新を根拠なく見込んでいるからだ。
エネルギーは、国家の消長を左右する。古代隆盛を極めたギリシャの衰退の原因は、周辺の気候変動と伐採による木材というエネルギー源の枯渇によることが明らかになっている。江戸時代までの日本の世界史上稀にみる自然な歴史進歩も、豊富な木材に支えられたエネルギー供給が前提としてこそ可能だった。そして、近代には、石炭により産業基盤を整備した。石油が資源の大部分を占めるようになったのは、戦後30年代以降のことにすぎない。
戦後、パックス・アメリカーナの下、石油は無限に輸入できる資源として認識され、脱石炭が進んだ。いま、パックス・アメリカーナは終わりつつある。石油は、世界的に偏在し、世界が不安定化するなかで、安全保障上のリスクがある。さらに、資源国によるレント獲得リスクも無視できない。アメリカ自身、自国のエネルギー供給を優先し、輸出を規制している。エネルギーの安定供給は、日本の将来に不可欠だ。
しかし、いままでのこの恵まれたエネルギー環境を、残念ながら日本人は認識していないようだ。それは、まるで、何もしなければ日本と世界は平和になると根拠なく信じている一部の極楽トンボの認識を同じだろう。エネルギーも平和も努力なしに獲得できるものではない。
エネルギーは、単なる生活の便利性だけにかかわるものではない。国民の将来に関わるものだ。エネルギーの供給不安は、生活のさまざまな側面に影響を与えるが、とりわけ深刻なのは、経済への悪影響だろう。現在、日本は、20年にわたる日銀のデフレ政策のおかげで、産業崩壊の淵にある。組み立て型電気産業が破綻しつつあるが、今はまだ命脈を保っている部品や素材産業への波及は不可避だろう。その趨勢に拍車をかけるのが、高価で不安定なエネルギー供給だろう。安定したエネルギー供給とデフレ脱却は、日本経済復活のための二つの必要条件だ。逆に、その条件が満たされなければ、遠からず、我が列島は、失業者で溢れかえることになろう。
脱原発論者は、再生可能エネルギーで、原発に代替できるとする。しかし、この想定はお粗末だ。いま、政府の太陽光発電の電力会社買取制度が開始されたが、今年の買い取り価格は、42円/KWH。これに対し、原発、火力の発電コストは、10円と言われる。太陽光発電が進めば進む程、電力価格があがる。それに耐え切れず、見直しを迫られたのが欧州だ。日本でも、電力価格4倍には国民は耐えられないだろう。消費増税の比ではない。しかし、コストの問題以前に量的に太陽光、風力、水力は供給の絶対量が不足だ。
では、火力は切り札となるか。なりうるが、それには、京都議定書を離脱する必要があるだろう。ガス・タービン発電では、二酸化炭素排出量は半減するとされるが、それでも排出することには変わりない。もし、火力優先の政策を取るなら、京都議定書脱退とセットでなければならない。なお、京都議定書は、アメリカ、オーストラリアは不参加。最近カナダが脱退した。先進国の参加者は欧州と日本だけ。実質上は、欧州システムと化しているので、小生は脱退賛成だ。別途、日本は、国内で炭素税を課して、排出量をおさえるとともに、その税収で国内で省エネルギーや代替エネルギーも技術開発を促進すればいい。なにもチャイナから排出権を購入する必要はないだろう。
福島原発の事故を受け、国民はパニック状態だ。反原発世論が、半数近くだという。しかし、この事故で死者は発生してない。原発汚染も、将来の内部被爆など、不透明要因はあるが、自然放射能が20ミリシーベルト以上の地で、普通の生活をしている人々がいることを考えれば致命的とはいえないだろう。自然放射能の世界平均値は、2,4ミリシーベルトだという。
終戦後、日本人は戦争を恐れるあまり、自分さえ戦争のことを考えなければ世界は平和になるとして思考停止状態におちいった。反原発世論をみていると、まさに同じ過ちを繰り返しているようだ。ちょっと前には、原発は、二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーとして促進が国策だった。原発事故対応はお粗末に過ぎたが、その教訓は今後の安全対策に生かすべきだろう。
原発な安全ではなく危険だ。いくら安全策をとっても、例えば隕石の直撃には耐えられない。しかし、考えてみれば、世の中に絶対安全などというものは存在しない。危険なものとどうやって折り合いを付けていくか、これが我々が甘受しなければ宿命だろう。自動者事故で、毎年5千人死亡する。しかし、誰も自動車を禁止しようとは言わない。
科学的合理性をもって考えれば、昼夜の別なく必要なベース・ロード電力を原子力でまかない、その他は火力というのが合理的だ。その他エネルギーは、可能な限り促進するが、うまくいけばもっけもの程度の話だろう。間違っても、不確実な代替エネルギーの技術革新を前提に政策をたてるべきでない。

消費増税ではなく円に課税を

2012-08-27 22:44:12 | 経済
3党合意により消費税増税がきまった。ただ、実施までには、いささか時間的余裕がある。今回の消費増税は、財政再建のためという。しかし、ただでさえ生活苦にあえいである国民を苦しめるのみならず、消費を落ち込ませ、企業活動を更に停滞させ、失業率を悪化させる。まさに、日本経済を奈落の底に追い込むものだ。
小生は、財政再建論者だ。誰が見ても、現在の財政の現状は、サステナブルではない。借金は、将来の国民からの増税で支払うほかはない。今後生まれる赤ん坊は、生まれながらにして借金を背負うことになる。子供の幸福を考えれば、生まれてこないほうがいいわけだから、さらに少子化が進むことになるだろう。現在の福祉享受世代のわがままにも程がある。福祉の改革も待ったなしだろう。しかし、現時点での消費増税には、反対だ。
現在の苦境の根源は、デフレにある。デフレを解消しなければ、あらゆる財政再建努力は水泡に帰するであろう。消費増税は、経済の縮小をまねき、税収をさらに落ち込ませるからだ。まず、デフレを解消し、その上で財政再建に取り組むべきなのだ。このあたりに事情は、武者氏が、小生よりはるかに説得力のある議論を展開しているので参照願いたい。http://column.ifis.co.jp/market/musha/10543
デフレは、金融現象だ。逆立ちしても、日銀シンパがいうように人口現象ではない。日銀は、円の価値を増すデフレが好きなのだ。経済活動を犠牲にしても、円の価値を守る。それこそが日銀の使命を思い込んでいる。そうしている間に、国富を生み出す活動は停滞し、国民は窮乏化している。シャープも、デフレと円高を放置した日銀の犠牲者といっていいだろう。日本産業の競争力低下は、日銀が倒錯した目標に縛られていることによるが、そのことを一向に自覚しない。
ここに、デフレ・円高解消と財政再建の両方に有効な奇策がある。円に課税するのだ。具合的には、日銀が保有する国債の日銀による償却、あるいは政府通貨を発行し日銀に購入させる。これにより、政府債務は減少し、且つ同額だけ、円が希薄化する。政府通貨の場合は、石ころに金額を書き、日銀の金庫に永久保管すればいい。まあ、償却よりは、日銀資産に計上される政府通貨の方がやりやすいだろう。どちらにしろ、これは、実質的には、円資産に対する課税と同義となる。
これに対する弊害は何か。外国人に円債投資から逃げ出すことくらいだろう。あと、円の国際化も詐害されよう。しかし、デフレが解消し、円高が是正され、株価があがり、金利も正常化し、国にお債務も削減されるという利益のほうがはるかに大きい。円の国際化というような日銀と財務省の面子だけのメリットなどに拘泥する必要はさらさらない。日銀は、常套句のハイパー・インフレの虞を挙げるかもしれない。しかし、ハイパー・インフレは、ギリシャのように追い込まれてから調整インフレ手段をとることから起きる。余裕のある段階では、ハイパー・インフレは起き難いだろう。
具体策として、800兆円のマネーサプライに対し年2.5%、20兆円を課税すればよい。
もちろん、これは消費増税と同じく劇薬だ。しかし、デフレに直接働きかける特効薬でもある。デフレを悪化させる消費増税は、断固阻止すべきだ。なお、デフレ脱却の折には、この処置は直ちに停止すべきことはいうまでもない。その段階で、福祉改革と消費増税による財政再建を目指すべきだろう。

ザ・ラストバンカー

2012-06-07 21:35:31 | 経済
西川善文が回顧録を書いた。前半は、住友銀行で不良債権処理に成功し、頭取に上りつめるまで。後半は、日本郵政の社長として挫折するまでの裏話。

当然ながら、前半は迫力があり面白い。但し、ここに書いてあることは、表にできる裏話で、本当の裏話はもっとどろどろとしたものだろう。何といっても、許永中といった日本の黒社会に絡んだ話だ。きれいごとで済むはずがない。

後半は、これも当然のこととして、言い訳がましい。言い訳を聞いていると、この人間には、出来レースの簡保の宿売却などの自分が犯した犯罪的行為について、まったくの自覚がないようだ。

簡保の問題と異なり、新聞にはあまり書かれなかったが、郵便貯金振興会が運営していたメルパルクの問題も同様だ。メルパルクは、簡保の宿同様、郵便貯金の利用者サービス一環として、運営しており、郵政には、賃料に相当する金額を納付金として支払っていた。西川は、これを賃料も支払っていないと曲解した。さらに、この賃貸契約を、会社発足後直ちに一方的に解除し、1500名の従業員を路頭に迷わせようとした。さすがに、これは、国会で追及され、渋々雇用に最大限の配慮をすると回答せざるをえなくなった。しかし、結局たった3ヶ月の通告で、郵貯振興会の契約は解除され、密室のなか、新賃貸契約が、ワタベ・ウエディングと取り交わされた。

西川は言う。「一般取引として正々堂々、 競争入札の徹底が大事なのだ。」しかし、実際は、真逆。不透明な隋意契約を、ワタベと締結した。何とワタベの株価は、その直後からその後のピークまで5割以上高騰した。まさに、黒いバンカーの面目躍如、契約条件は、今も闇の中だ。

さらに、問題なのは、この人間は、住友の籍を抜いて郵政に来たといいながら、郵政に君臨しやりたい放題をやった後、郵政退職後は、住友の人間として、名誉会長に復帰していることだ。これは、西川が連れて来て、同じく疑惑取引を遂行した横山以下の幹部ものうのうと住友に戻っている。

しかし、西川の最大の罪は、郵便局ネットワークを引き裂いたことだろう。回顧録に書いてあることとは裏腹に、西川在任中、郵便局では狭い局内を、郵便、貯金、保険の3つを仕切りで区切る漫画のような工事が大々的に行なわれていた。

西川は、ゆうパックとペリカン便との統合も、事務方の反対を押し切って実行した。これは、結果として、売り上げは全く増えず、ペリカン便の赤字を郵政が肩代わりしただけだった。西川は、これも政治のせいにする。しかし、承認の遅れは、統合時の作業混乱に繋がったにすぎない。郵政事業に対する根本的な事業認識の誤りが原因だ。そのおかげで、国民資産で、民間企業の赤字を救済することになった。さらに、この失敗は、郵便事業に取り返しの付かない損失を与えた。

西川は、郵貯銀行の利益モデルとして、投信の窓販の大号令をかけた。国債と財投債の運用に伴う利幅では、銀行として成り立たないと考えたのだろう。しかし、窓販で手数料が転がり込む投信は、手数料が高い商品で投資のプロから見れば投資不適格に近いものだ。考えてみても、金利が0%に近いのに、手数料を2%近く取る商品が有利になる筈がない。しかし、大号令で、郵貯を信頼していた顧客に販売した。結果は、顧客の大損害。これで、郵貯の信頼を破壊した。

西川は、著書の前半でも、銀行の将来像として、投信の窓販を挙げている。そうすると、本当にそんな手数料ビジネスの将来を信じていたのかもしれない。そうだとすれば、まともなバンカーとしては失格だ。投信として意味があるのは、ETFやパッシブ運用のノー・ロード型といわれる最小手数料のもので、銀行に相当の手数料が落ちる投信は、そもそも一般人にとって投資適格がないものだ。

西川時代には、簡易局の廃業が続いた。簡易局は、田舎のじいちゃん・ばあちゃんが他の仕事と兼営でやっている場合も多い。しかし、この局の仕事に、金融庁の銀行検査が入るという、これじゃやってられないのは、当たり前だ。公社時代には、簡易な自主検査だけなので、田舎にも貯金サービスが行なえた。まあ、これは、西川の責任というよりは、民営化自体に問題があり、廃業で、過疎地のコミュニティー破壊に拍車がかかった。

西川の蹉跌の根本原因は何だろう。それは、郵政組織ひいては職員を敵視したことにある。社長が、職員を敵視してまともな経営が出来る訳がない。そして、郵政関連団体を、郵政に巣食うダニの巣窟として、叩き潰そうとした。その道具に使われたのが、茶髪学者松原聡である。松原は、証拠捏造の前田検事ばりに、前提ありきのでっち上げ報告を作成した。これは、西川の高等なメディア戦略だった。

しかし、日本の大企業で、関連会社を持たない会社は存在するだろうか。住友銀行を含め、数々の関連企業で構成されているのが、大企業だ。この経済学的根拠を明らかにしたのが、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースだ。コースは、企業の資源調達に関し、継続的取引が必要な場合、市場調達には取引コストの制約があるため、組織が出現することを理論つけた。日本の企業集団もそうして成立した(もう一つの要因は、日本に特有な人件費節約)。

つまり、西川は、国民の郵政資産を自己の思うがまま動かすため、邪魔者を消そうとしただけなのである。ちなみに、西川は、前任者の生田氏については、黙して語らない。その意味は、生田は、無能な経営者といっていることに等しい。しかし、生田氏は、商船三井では優れた経営手腕を発揮し社長にまでなった人だ。郵政の総裁になった途端に無能となったのだろうか。

例えば、西川が、誇らしげに挙げるメルパルクの運営改革。生田氏は、赤字を垂れ流していた当時のメルパルク事業を大リストラし、黒字経営を定着させた。西川体制移行時には、売り上げ絶好調で、そのままいけば郵政の立派な優良子会社になったろう。これが、西川により、ワタベに運営移管され、現在は、成績不振に喘いでいるという。どちらが、有能な経営者だろうか。

国民は、西川を恨むべきだろう。個人の名誉心と住友のため、郵便局ネットワークを破壊し国民に大損害を与えた。それは、西川が糾弾した堀田元頭取から連なる住友銀行の遺伝子のなせる業だろう。こんなバンカーは最後してほしいものだ。ラスト・バンカーとは、いいタイトルだ。

日銀審議委員への河野氏提示

2012-03-27 18:47:01 | 経済

政府は、日銀の審議委員にBNPパリバ証券のエコノミスト河野竜太郎氏を国会に提示する。
このニュースに対して、ロイターは、「政府が今回の人事案を提示したことついて、驚きを持って受け止める市場参加者は少なくない。その理由のひとつが河野氏の金融政策へのスタンスだ。同氏が2月20日付で顧客向けに配信したリポートは「ゼロ金利政策と国債購入政策の長期化・固定化の副作用」との標題を掲げ、1)日銀は追加緩和を続けるべきか、2)積極緩和の副作用で資本蓄積が阻害されていないか、3)追加緩和のデメリットは本当に小さいか――など「日銀寄りのサブタイトル」(国内証券)が連なっている」と報じた。

野田総理は、デフレ脱却に不退転の決意で取り組むという。白川日銀総裁も言葉では同じ趣旨の発言を行なっている。正直、日銀は、ここ10年以上、同じ言葉を繰り返してきた。

しかし、実態はどうか。この20年にわたるデフレで、日本の産業は疲弊し、自殺者は一万人増えて3万人の高原状態だ。日本産業に構造改革を通じた競争力回復の必要は明らかだが、デフレは構造改革の実施を妨害する。マイルドなインフレは、価格調整を通じて、スムーズな構造改革をサポートするのだ。

日銀は、デフレの責任をさまざまな他の要因に転嫁してきた。例えば、デフレは高齢化に伴う需要不足が原因だと。しかし、これは、世界の珍説で、日銀が正式にこの考えに理解を示すとは、金融論のいろはを知らないと批判されてもしょうがないだろう。確かに、実質経済成長は、人口構成により影響を受けるだろう。しかし、名目の物価は、物と貨幣の相対量で決定される。人口論は、実質と名目の区別を付けない初歩的な誤りだ。

河野氏は、この人口デフレ論者でもある。3月31日付けのダイヤモンド誌では、チャイナのバブルの可能性に触れ、これは、人口ボーナスが原因となると述べている。

なぜ、野田総理は、こんな人物を審議委員に提示するのか。これは、野田総理に限らず、日本の政治家が全く経済音痴だからだろう。音痴だから、事務方の用意のままに従う。

かつて、安部総理は、厚労省の言うがまま「すべての年金受給者の悉皆調査を行なう」と不可能なことを公約し、果たせず失脚した。これは、猫でもわかる公約だったから、失脚した。

ところが、ことデフレ脱却となると、途端に騙されてしまう。白川氏のデフレ脱却という言葉は、厚労省の悉皆調査と同じだろう。日銀官僚に任すから、河野氏のような論者を審議委員に推すことになる。

2月、日銀が世界標準のインフレ・ターゲット政策を採用かと報じられて、円安株高が進行した。日銀の決意次第で、経済は動く。しかし、ここにきて、日銀は本気だったのかという疑いが生じ、この動きは停滞している。

インフレ・ターゲット政策を採用する英国では、インフレ目標が達成できない場合、イングランド銀行総裁は、なぜ達成できなかったのか、今後達成するために具体的に何時までに何をするのかを公の場で明確にしなければならない。責任転嫁の日銀とは大違いだ。人口高齢化を前提として、何をするかが問われている。

日銀官僚は、一万人の自殺者増という国民の犠牲の上にたって自らの居心地のよさを追求している。それは、大阪市役所の職員と同じだろう。日銀が悪質なのは、そのために学者を手なずけていることだ。研究名目で、さまざまな形で資金も流れるが、その他の手段が、今回のように、忠実な犬の河野氏に社会的な褒章を与えることだろう。

問題は、国会が、それを20年にもわたり放置していることだ。筋金いりのデフレ脱却論者はいるが、これらの人は、政策決定の場から排除されてきた。野田総理、そしてまじめな国会議員は、いまこそ、人事で、デフレ脱却を明確にすべきである。学者では、学習院大学の岩田規久男、実務家なら修正ソロス・チャートを提案するドイツ証券の安達誠司がいいだろう。

重ねて言いたい。デフレ脱却をしたいなら、人事を変えるべきだ。たとえ、日銀の政策が直ちに変らなくても、反執行部の見解との論争により、論点は国民の前に明確になるだろう。イエスマンだけの政策委員会なら、委員会の意味がない。

円高と単独介入

2010-09-16 10:37:32 | 経済
円が対ドルで一時82円台をつけた。日本企業の想定為替レートは90円が多いという。円高で、輸出企業の業績影響は大きく、収益悪化は、さらなる人件費を含むコスト削減に動く。国内投資は失速し、失業率は更に悪化し、デフレも進展するだろう。幸い、円売り介入で、85円台にまで押し返すことに成功したが、今後の動向は予断を許さない。

円高自体は、必ずしも悪いものではない。むしろ、国民の購買力の増加につながり、基本的には望ましい。ただ、購買力の増加を国民生活の向上につなげる政策が必要だ。

問題は、急速なショックは、金融取引とはスピードが圧倒的に遅い企業活動に耐えがたいストレスを与える。雇用減少となれば、生活水準低下につながる。企業に対し、適応に準備を与える時間が必要だ。それが、為替介入に根拠を与える。

為替介入は、政府・日銀によって行われる、と言われる。これは、誤りだ。実際は、財務大臣が、所管する外為特会のオペレーションを日銀に命じて実施される。つまり、主役は、財務大臣だ。

外為特会は、1兆ドル(85兆円)以上の資金量がある。財務省は、短期国債を発行し資金を調達し、その資金を外貨を買う。それが、積もり積もった金額が、これだ。つい、この間までは、外為特会は、20兆円程度の黒字があり、埋蔵金の財源として注目された。しかし、このところの円高で、ドル資産が目減りし、逆に、20兆円以上の赤字になったとされる。

今回の介入に対し、内外の関係筋では、協調ではなく日本の単独介入であり、長続きしないというのが、支配的見解のようである。

しかし、それはどうか。

介入には、外為特会による国債発行が必要である。今回の介入では、一説には、1兆3千億円の資金が用意されたという。資金が必要だ。政府が累積債務に悩む現在、さらに国債発行を行うことになっている。国債発行額一定の限界がある以上、無限に介入を続けることは不可能だ。

問題解決は、現行外為特会の廃止にある。廃止して、日銀資産に吸収するのである。日銀には、政府の基本方針に従い、自らの行為として為替介入を実施する。日銀は、国債ではなく、円を増発して介入する。円の増発には天井はない。無限に介入が可能である。介入に制限がない以上、永続的な為替水準維持が可能である。そうなれば、投機筋も円投機を逡巡するであろう。

外為特会の廃止には、日銀・財務省双方が反対するであろう。日銀は、自らの財務バランスシートが、為替動向に左右されることになる。組織としての収支が影響をうける。国民の利益より、組織の利益を優先する立場からは、この提案は受け入れがたい。財務省は、膨大な外為特会の運営に付随する利権を喪失することになる。85兆円の資金運用には、多様な集団が巣食っているだろう。
この提案は、デフレの解消にも資する可能性がある。デフレの解消には、アメリカが行っているように、日銀の資産ベースを拡大(見合いとしての円の増発)しなければならない。資産拡大のため、日銀はあらゆる資産を購入すべきである。チャイナのように世界中から資源を購入してもいいし、アメリカのようにリーマンショックで発生した不良資産を購入してもいい。

国債を買っても良いが、日銀は、国債購入には、徹底抗戦している。コントロール不能のインフレになるからという。しかし、金融的には、インフレはデフレよりはるかにコントロールしやすい。コントロール困難なのは財政赤字だ。日銀が自らの金融責任を棚に上げ、財政コントロール不能の心配するのは、越権行為であろう。財政は、財務省と国会の責任だ。

外貨も購入対象だ。外貨の購入で円が増発され、デフレ解消に資することになろう。円高となり購入した外貨が目減りすれば、日銀のバランスシートが悪化し、円の実質価値が減少するであろう。こらは、更なる円高に対する抵抗力を高める効果がある。

日銀は通貨価値の番人とさされる。物価指数だけではなく、外貨との関係で円の価値を一定に維持するのは、日銀の本来業務ともいえる。

介入に当たって、気をつけなければならないのは、アメリカの干渉だ。アメリカは、自らのドル安政策のつけを他国に求める。チャイナのようにあからさまな重商主義をとっている国の為替管理が非難されるのは当然だ。しかし、為替変動の平準化を目指した介入は異なることを主張すべきであろう。また、長期的には、外貨以外での日銀の資産ベースの拡大により、デフレ解消をあわせ、自然な形でのシステマティックな為替調節を指向すべきある。

いずれにしても、現下の経済困難を解決するためには、制度改革が避けられない。菅総理リーダシップがあるか。民主党自体が国難とならないことを祈りたい。