ついでに、もう一枚盛期鍋島と思われる皿をアップします。
これは、アメリカのオークションで入手したものです。アメリカ人には宝珠の向きが理解できず逆さまに写真が撮られているのは、御愛嬌です。
この皿、本歌か否か、また、時期について確信がもてませんでしたが、たぶん本歌と思います。
図録によくある宝珠紋は、地紋が濃い赤の梅のものです。この皿は地紋が細かい松竹梅で色合いも薄くなっています。色鍋島の模様変遷は、単純明快から複雑へと変化していきます。また、色合いも薄く変化していきます。その意味で、これは、盛期の末期、色絵が許されるぎりぎりの製作ではないか、と考えてます。
色絵は、享保の改革以降製作されなくなります。ただし、浅黄色のものは許すとされました。以降、色絵は、基本的に赤だけを利用して作成されました。
この皿は、地紋は3色を利用してますが、全体の印象は浅黄の雰囲気があります。ひょっとして、これは幕命の範囲内としてその頃作成されたのかもしれません。
なお、この皿の裏模様は、満開の牡丹3つの花折れ紋で、盛期のものとされてます。
いずれにしても、手取りは鍋島の分厚い感触で、書き込みも、ご覧のように気の遠くなるようなものです。ただ、明治以降の創作の可能性を100%否定はできないところが素人の悲しさです。
ところで、小生実はもう一枚盛期鍋島と思われる7寸皿を所持してますが、その紹介は、また別の機会に。
(補足)実は、その後、浅黄の意味を誤解していたことが分かりました。浅黄とは、ネギの白い部分と緑の部分な間の色、薄緑色のことだということを学びました。自分の無知を恥じるのみえす。幕命は、青磁は許すとの意味でしょう。ということは、この皿は、明治の可能性が高くなったということでしょうか 。
これは、アメリカのオークションで入手したものです。アメリカ人には宝珠の向きが理解できず逆さまに写真が撮られているのは、御愛嬌です。
この皿、本歌か否か、また、時期について確信がもてませんでしたが、たぶん本歌と思います。
図録によくある宝珠紋は、地紋が濃い赤の梅のものです。この皿は地紋が細かい松竹梅で色合いも薄くなっています。色鍋島の模様変遷は、単純明快から複雑へと変化していきます。また、色合いも薄く変化していきます。その意味で、これは、盛期の末期、色絵が許されるぎりぎりの製作ではないか、と考えてます。
色絵は、享保の改革以降製作されなくなります。ただし、浅黄色のものは許すとされました。以降、色絵は、基本的に赤だけを利用して作成されました。
この皿は、地紋は3色を利用してますが、全体の印象は浅黄の雰囲気があります。ひょっとして、これは幕命の範囲内としてその頃作成されたのかもしれません。
なお、この皿の裏模様は、満開の牡丹3つの花折れ紋で、盛期のものとされてます。
いずれにしても、手取りは鍋島の分厚い感触で、書き込みも、ご覧のように気の遠くなるようなものです。ただ、明治以降の創作の可能性を100%否定はできないところが素人の悲しさです。
ところで、小生実はもう一枚盛期鍋島と思われる7寸皿を所持してますが、その紹介は、また別の機会に。
(補足)実は、その後、浅黄の意味を誤解していたことが分かりました。浅黄とは、ネギの白い部分と緑の部分な間の色、薄緑色のことだということを学びました。自分の無知を恥じるのみえす。幕命は、青磁は許すとの意味でしょう。ということは、この皿は、明治の可能性が高くなったということでしょうか 。
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