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慰安婦問題に対して橋下市長の取るべきレトリック

2013-06-26 18:39:21 | 政治・行政

維新の会が都議選で振るわなかった。当落で見る限りみんなの党との決別が大きく効いたようだ。共闘が成立していれば、共産党の議席が伸びることはなかっただろう。しかし、慰安婦問題をめぐる世間の風が大きく影響したことは否めない。

来る参議院選挙にあたり、維新は慰安婦問題の事実解明を公約に含めるという。この不屈の態度は賞賛に値する。議員は、選挙に落ちればただの人だ。恐怖心が、正論を引っ込めさせる。橋下市長はその点だけでもすばらしい。(ただし、政権与党は正論を吐いて対米関係を悪化させ国民生活を破壊してはならないから、歯切れが悪くなるのもやむを得ない。)

残念ながら、国際世論は、相変わらず橋下バッシングを続けている。アメリカ政府、サンフランシスコ議会、国連人権委員会、そしてニューヨークタイムズなどの欧米のマスコミだ。彼らは狡猾だ。国務省のサキ報道官は、慰安婦問題に日本政府が関与したというのが、アメリカの公式見解だという。橋下市長は、それを否定したという。

関与があったこと自体は、日本政府も橋下市長も認めている。戦地のおける売春業者を含む民間人の移動や設営された施設の衛生規制を旧日本軍が行なったことは、争いがない。

問題は、この関与という文言にあたかも日本軍が、組織的に20万人の朝鮮人慰安婦を暴力で拉致監禁し性奴隷として使役した、という主張を含ませていることだ。こんな証拠はどこを探しても出てきていない。「麦と兵隊」のような戦時小説を読めば、戦地における日本人・朝鮮人慰安婦と兵隊との間の細やかな情愛が生き生きと描かれている。現代の倫理感からの売春の当否判断を離れてみれば、そこに性奴隷の面影などまったくない。

残念ながらこの正論は、橋下市長の外国人記者クラブでの釈明にも拘わらず、世界のマスコミを納得させることはできなかった。その有様は、事実を圧殺する点で、ガリレオ・ガリレイの地動説をめぐる宗教裁判に似ている。

さらに、日本の「識者」には、事実を棚上げして、これだけ世界のマスコミを騒がせた橋下市長の責任を問うといった、本末転倒の議論までで来る始末だ。事実がよほど怖いのだろう。それは、来日した自称朝鮮人慰安婦が公開会見を前にして、敵前逃亡したことからも明らかだ。

アメリカや欧米マスコミに対して、いかなるレトリックを使って対処すべきか。

まず、大原則として、事実の存在についての挙証責任は、存在すると主張する側にあると主張することだ。事実が存在しないという立証は原理上不可能だ。なぜなら事実は無限にあり、無限の事実について調査することは不可能だからだ(ただし、調べた限りでないことは立証できる)。逆に、在るという主張の立証は簡単だ。一例を示すだけでいい。だから、刑事裁判では、有罪を主張する側が、立証責任を負い、弁護側は立証が不十分であることのみ示すだけで足り、なかったとことを証明する責任はない。(これは橋下市長のお家芸のはずだが、丁寧が仇になったのだろうか。)

橋下市長は、外国人記者クラブでの失敗の一つは、この原則を最初に確認せず、相手と同列で議論をし、説得を試みたことだ。これでは、見解の相違ということで終わってしまう。案の定、マスコミはバッシングを継続した。

第2の問題点は、橋下市長は丁寧にも軍と性一般論を展開するなど各種傍論に時間と労力を割きすぎたことだ。本論と縁遠いことを延々とのべると、その部分で揚げ足を取られ、本来の主張がわからなくなってしまう。すべての論旨が「強制連行」の事実の有無に集中するように、説明すべきであった。どうせ、外国人がこの問題で本国にレポートするのは、数行にすぎない。余分な主張は、省略すべきであった。

最後に、橋下市長は、外国人記者に対し、言葉の定義上、「強制連行」の意味が官憲による暴力的拉致監禁であることを含むか否か明確にするように求め、もし、それが含むという回答の場合、暴力的拉致監禁の証拠を提示できる記者がその場にいるかどうか、確認を求めるべきであった。

橋下市長は、市の職員に対しては、このような逆質問で、質問者が如何にお粗末な思考の持ち主かを、鮮やかに浮かびあがらせた経験をもっている。せっかくの能力を、今回は封印してしまった。相手が欧米マスコミということで安全運転を心がけたのかもしれない。しかし、なまじ沈静化を期待するのでなく、やるからには徹底すべきだったろう。

もし、いると答えた記者がそこにいる場合には、そこではじめて本格的な事実検証にはいることになる。冒頭述べたように、その場合でも、立証責任は記者側にあるので、論破は容易いことだったのではないか。なにせ、現存証拠は、敵前逃亡慰安婦のあやふやな一方的証言しかないのだから。

以上のレトリックは、今後の国際的主張にも利用すべきであろう。

具体的には、アメリカ政府、アメリカ議会、国連、欧米マスコミに対し、公開質問状を送ることとする。

質問状は、まず、挙証責任の大原則を明示する。その上で、「政府の関与」という言葉に、「官憲による暴力的拉致監禁」を含むか否かを明確にするよう要求する。(日本の社民党などは、暴力的拉致監禁がないとわかると、民間業者による広義の強制だと詭弁を弄した。アメリカも「関与)という言葉で、同じことをいう可能性が高い。そして、更に、在りというなら、具体的証拠を提示するように求める。

外国機関が、この質問状にまともに回答しない可能性が高い。サキ報道官のように、一地方首長の呼びかけには反応しないのが得策と考えるだろう。しかし、ここで、挙証責任の原則がいきてくる。立証する側は、強制連行があったと主張する側なのだ。一定期間、相手が反応しなければ、その事実をまた、公にすればいい。

その後は、アメリカなり、欧米マスコミが何か言うたびに、公開質問状に回答がなかった事実を繰り返せばいいだろう。論争に応じる場合は、相手が具体的証拠を示した場合のみだ。

橋下市長は、慰安婦発言後、劣勢を取り戻そうと思ったにかもしれないが、慰安婦に対する補償とか唐突に八尾市へのオスプレイの訓練を提案したりと、若干混乱していると見受けられるところもある。ここは、色々ちょっかいを出さず、基本に愚直に当初の理念を日本と世界に訴えるべきである。

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