うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

日銀審議委員への河野氏提示

2012-03-27 18:47:01 | 経済

政府は、日銀の審議委員にBNPパリバ証券のエコノミスト河野竜太郎氏を国会に提示する。
このニュースに対して、ロイターは、「政府が今回の人事案を提示したことついて、驚きを持って受け止める市場参加者は少なくない。その理由のひとつが河野氏の金融政策へのスタンスだ。同氏が2月20日付で顧客向けに配信したリポートは「ゼロ金利政策と国債購入政策の長期化・固定化の副作用」との標題を掲げ、1)日銀は追加緩和を続けるべきか、2)積極緩和の副作用で資本蓄積が阻害されていないか、3)追加緩和のデメリットは本当に小さいか――など「日銀寄りのサブタイトル」(国内証券)が連なっている」と報じた。

野田総理は、デフレ脱却に不退転の決意で取り組むという。白川日銀総裁も言葉では同じ趣旨の発言を行なっている。正直、日銀は、ここ10年以上、同じ言葉を繰り返してきた。

しかし、実態はどうか。この20年にわたるデフレで、日本の産業は疲弊し、自殺者は一万人増えて3万人の高原状態だ。日本産業に構造改革を通じた競争力回復の必要は明らかだが、デフレは構造改革の実施を妨害する。マイルドなインフレは、価格調整を通じて、スムーズな構造改革をサポートするのだ。

日銀は、デフレの責任をさまざまな他の要因に転嫁してきた。例えば、デフレは高齢化に伴う需要不足が原因だと。しかし、これは、世界の珍説で、日銀が正式にこの考えに理解を示すとは、金融論のいろはを知らないと批判されてもしょうがないだろう。確かに、実質経済成長は、人口構成により影響を受けるだろう。しかし、名目の物価は、物と貨幣の相対量で決定される。人口論は、実質と名目の区別を付けない初歩的な誤りだ。

河野氏は、この人口デフレ論者でもある。3月31日付けのダイヤモンド誌では、チャイナのバブルの可能性に触れ、これは、人口ボーナスが原因となると述べている。

なぜ、野田総理は、こんな人物を審議委員に提示するのか。これは、野田総理に限らず、日本の政治家が全く経済音痴だからだろう。音痴だから、事務方の用意のままに従う。

かつて、安部総理は、厚労省の言うがまま「すべての年金受給者の悉皆調査を行なう」と不可能なことを公約し、果たせず失脚した。これは、猫でもわかる公約だったから、失脚した。

ところが、ことデフレ脱却となると、途端に騙されてしまう。白川氏のデフレ脱却という言葉は、厚労省の悉皆調査と同じだろう。日銀官僚に任すから、河野氏のような論者を審議委員に推すことになる。

2月、日銀が世界標準のインフレ・ターゲット政策を採用かと報じられて、円安株高が進行した。日銀の決意次第で、経済は動く。しかし、ここにきて、日銀は本気だったのかという疑いが生じ、この動きは停滞している。

インフレ・ターゲット政策を採用する英国では、インフレ目標が達成できない場合、イングランド銀行総裁は、なぜ達成できなかったのか、今後達成するために具体的に何時までに何をするのかを公の場で明確にしなければならない。責任転嫁の日銀とは大違いだ。人口高齢化を前提として、何をするかが問われている。

日銀官僚は、一万人の自殺者増という国民の犠牲の上にたって自らの居心地のよさを追求している。それは、大阪市役所の職員と同じだろう。日銀が悪質なのは、そのために学者を手なずけていることだ。研究名目で、さまざまな形で資金も流れるが、その他の手段が、今回のように、忠実な犬の河野氏に社会的な褒章を与えることだろう。

問題は、国会が、それを20年にもわたり放置していることだ。筋金いりのデフレ脱却論者はいるが、これらの人は、政策決定の場から排除されてきた。野田総理、そしてまじめな国会議員は、いまこそ、人事で、デフレ脱却を明確にすべきである。学者では、学習院大学の岩田規久男、実務家なら修正ソロス・チャートを提案するドイツ証券の安達誠司がいいだろう。

重ねて言いたい。デフレ脱却をしたいなら、人事を変えるべきだ。たとえ、日銀の政策が直ちに変らなくても、反執行部の見解との論争により、論点は国民の前に明確になるだろう。イエスマンだけの政策委員会なら、委員会の意味がない。

ヒアリングという言葉

2012-03-07 19:35:32 | 政治・行政
ヒアリングという言葉がある。例えば、政府は29日、原子力事故調査委員会は、菅元総理にヒアリングを実施した、のように使われる。
ここでのヒアリングの意味は、「関係者に対するインタビューを通じて事実関係を調べること」「聞き取り調査」という意味で使用されていると推測される。そして、会社等でも、その意味で頻繁に使用されているようだ。政府機関やニュースで使用しているのだから、これがまっとうな意味と推測されるのも無理からぬところだろう。
しかし、英語のhearingには、こういう調査といった意味は全くない。英和辞典をひくがいい。英語での意味は二つ、一つは英語の聞き取りのように音声的に聞くこと、二番目は、公聴会。
公聴会とはなにか。トヨタの社長が、ブレーキ不具合で米国議会に呼ばれて証言を行なったのが公聴会。これは、公開が前提だ。証言にたいしては、容赦のない尋問が課される。
より、明確にヒアリングの概念がわかるのは、独立規制委員会のヒアリングだ。アメリカには、証券取引規制委員会等数多くの行政委員会がある。この委員会が、決定を下す前にhearingを実施する。その形式は、裁判と同じ対審構造で裁判官にあたるhearing examinerが主催する。
なぜこんな面倒くさいことをするのか。行政委員会の決定(法律制定も同じだが)は、多かれ少なかれ国民の権利を制限することになる、そういう決定は、行政手続きとして、必ずhearingを経る必要があるのだ。これは、アメリカ憲法の根本理念で、日本国憲法にもコピーされている「適性手続き」原理だ。
逆に、right to be heard という言葉もある。これは、公の場で自分の主張を訴える権利だ。この権利を無視すれば、適正手続き違反ということで、行政決定は無効となる。
行政に公開の場で物申す権利、right to be heardは、アメリカ民主主義を保障する基本権で、社会の隅々にまで染み込んでおり、日常的にも頻繁に耳にする。
民主主義自体、right to be heardが、公務員(議員)の選定権に発展したものだろう。つまり、これは、民主主義そのものだ。
日本では、この言葉を、単なるインタビュー、あるいは聞き取り調査の意味として使う。しかも、密室調査の意味を含む。そのため、「公開ヒアリング」という冗談のような言葉も使われる。更なる倒錯は、日本の議会が行なう民間人に対する正式なhearingを、ニュースでは「公聴会」という語で呼び、ヒアリングとは言わないことだ。
聞き取り調査をヒアリングという人間は、民主主義を理解していないと宣言しているに等しい。記者や官僚、政治家は、自らの英語能力を恥じるべきだろう。それ以上、恥じるべきことは、日本の民主主義は、朝鮮人民民主主義共和国と同レベルだと宣伝しているに等しいことだろう。
ただ、民主党の原発事故対処がいみじくも露にしたように、この用法は、戦後民主主義者の民主主義理解と一致しているといえば、一致している。このさい、日本の卓越した原発事故処理と併せ、ジャパニーズ・イングリッシュとして、世界に用法を広めるのもいいかもしれない。

ソフトバンク犬になった日本のメディア

2012-03-05 18:09:03 | 政治・行政
ソフトバンクが、所謂プラチナバンドと呼ばれる周波数帯を獲得した。新周波数をめぐっては、ドコモ、au、ソフトバンクに加えイーモバイルの4社が争っていた。
ソフトバンクが勝利したわけだが、その裏には孫社長と民主党の癒着がある。テレビで居直り強盗総理の菅と太陽発電推進で見るに耐えない茶番を演じていた姿は記憶に新しい。原口元総務大臣は、(孫氏が所有する)坂本竜馬の遺品をみたことがあるとツイートして、孫氏との個人的交際がばれた。
ソフトバンクの社長室長に島聡という人物がいる。松下政経塾2期生で、1996年から民主党衆議院議員を3期務めた。郵政解散選挙で落選し、その後なんとソフトバンクの社長室長になった。本人のビジネスリーダーになりたいとの意欲とはうらはらに、役割は、当然ながらソフトバンクの政界工作だ。
孫氏は、日本に帰化したが在日外国人の利権拡張にも熱心だ。民主党には、日本人の権利よりも在日の利権を擁護する便宜帰化人の国会議員白真勲もいる。民主党の利用は、孫氏にとっては自然な選択だ。その孫氏にしっぽを振ってついていった犬1号が、島といっていいだろう。こんな人物が、日本国の国会議員だったとは、ほんとに嘆かわしい。
孫氏は、今回の周波数配分決定以前に、新周波数獲得を前提にして投資計画を立てていたことが明らかになっている。事前に、高度なレベルで獲得情報を入手していた可能性が極めて高い。
それ以外にも孫氏のビジネス行為には問題が多い。例えば、通信の規格策定で、自らの主張が通らないとみるや、なんと規格策定の委員長個人を業務妨害でソフトバンクが訴えた。規格策定機関を訴えるなら、まだ正当な権利行使とみる余地は考えられなくもない。しかし、資力のない個人を会社の金で訴えるのは、訴訟を道具に使った脅迫行為と取られてもしかたがないだろう。法務省は、人権擁護法案を面子上通したいらしいが、法律をこのように使う人間がいることに無頓着なようだ。
マスコミは、孫氏の民主党と癒着した政商としての側面と脅迫的ビジネスの実態を報じない。逆に追従報道が目立つ。なぜか。ずばり、ソフトバンクからの広告が欲しいからだろう。金のためには、平気で報道内容を操作するのが、日本のマスコミだ。
日本の記者達よ、今からでも遅くはない。孫氏と民主党の癒着の実態を報道せよ。おっと、そんなことをいっても、できないから犬なんだね。

河村市長の南京事件発言

2012-03-03 23:15:25 | 政治・行政
河村市長の南京事件発言

河村市長の南京事件に関する発言が、波紋を広げている。事件当時、国際的には何等問題とされなかった案件であるが、東京裁判でチャイナが持ち出し、日本は反論の準備ができていなかった問題だ。
その後、日本における民間調査が進み、少なくとも民間人の大虐殺はなく、日本軍の支配の実態は他地域と差がなかったことが推定されている。また、事件は中国国民党の国際世論を操作するための戦時諜報活動の一環としてのプロパガンダとの証拠がでてきた。しかし、米国などではこのような調査結果がほとんど知られていない。
この問題に対し、2月22日、官房長官は、「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている」といういつもの事なかれ主義の政府答弁をくりかえした。大虐殺があったと積極的には言ってはいないが、文脈からすれば、チャイナの主張を認めると国際的に解釈されるであろう。まさに、霞ヶ関文学の世界であるが、こういう文学が日本の国際的立場を破壊していることに気がつかない。
日本は、戦後ずっと「占領国史観」のもとに戦争に関する事実解明をタブー視してきた。その主役が、所謂「戦後民主主義者」の腐った歴史学者とマスコミだ。現在の主要メディアは、すべからくこの占領国史観に毒されているといえる。その実態は、戦前の皇国史観賛美と変わらない。戦前は皇国史観、戦後は占領国史観というわけだ。
河村発言は、この占領国史観に対する日本人としての素朴な疑問だ。これまで多くに人が抱いてきた疑問を、戦後民主主義者と戦後体制は、事実を捻じ曲げ圧殺してきた。これは、戦前の皇国史観の強制と同じ罪を犯しているのといえる。
河村市長は、この体制に対する勇気ある意義申し立てを行った。しかも、疑問があるなら、日中で討論会をやろうと提案している。しごく全うな主張だ。事実について疑問があるなら公に解明するのが筋だ。
問題は、日本のメディアだ。河村発言に対し、社説で問題誌視した新聞社が出たのには唖然とする。メディアは、事実の解明が命だ。南京事件は、まだ当時の経験者が生存している。事実の究明は、メディアの組織力をもってすれば、そう困難なことではない。それをずっとサボって政府とともに事なかれ主義を決め込んできた。これは、記者の名にもとる行為だろう。日本の主要メディアの記者は、すべからく記者ではなく政治ゴロと自称すべきだろう。
日本は謀略詐欺の被害者だろう。詐欺罪の加害者に対し被害者は頭を下げろと加害者が要求する。そして、それを支持する自虐自称知識人がいる。いったい、この国はどうなっているのか。
河村市長、頑張れ。くれぐれも、自虐主義者の不当な圧力の前に腰砕けにならないように祈ります。